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ジェラピケのママ  作者: ぽんこつ


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18/25

きづくということ

今日もスピーカーからはTM NETWORKが流れている。

「KISS YOU」

ジェラピケはピンクのパンダジャガードプルオーバーのピンクのショーパン。

カツラはパステルピンクのお腹辺りまでのロング。

毛先にかけては、ふわりと大きなウェーブ。

あまーい、でしょ?

全身、ももいろ。

あたしのハートも。

むなしく一人ウインクをしてみる。


そして、今夜もこのひなびたバーに、ジャックとカルーアしか置いてないカウンターに、またひとり転がり込んできた。

足元はローヒールのブーツ。

深いボルドーのニットワンピース。

羽織るのは着慣れた感じのグレーのウールコート。

首元には柔らかいアイスグレーのカシミヤのマフラー、そのせいか顔は少し明るく見える。

女は三つある丸椅子の手前に腰掛け、隣の椅子に掛けていた黒のハンドバッグを置く。

「ふっ」

と小さく肩で息を吐く。

カウンターの上で組まれた両手。

その左手の薬指には結婚指輪が照明を受けて鈍く光る。

「カルーアでいいかしら?」

「お願いします」

小さく頭を下げた女の髪がはらりと揺れる。

お出かけのために、遊ばせたのか、カールした毛先が首元をなぞる。

あたしは枝豆の皿を前に出し、カルーアを作り出す。

「いいお店、こんなとこがあるなんて気がつかなかった」

「見つからないようにしてるから」

ふふっと笑う女。

息抜きの主婦ってところかしら。

ハンドクリームを塗った手の甲にかすかなあかぎれの跡。

音楽が終わったので、次を――

「We Are the Champions」クイーン。

女は小さなため息一つ。

「毎日この辺、通っているんですけどね」

「それはきっと、あなたと波長が合っていなかっただけよ」

「波長?」

ミルクで満たされたグラスを、あたしは女の手の前にそっと置いた。

「ありがとう」

早速、口をつけた女は、首を傾げ眼を細める。

「何年振りかしら、これ飲んだの」

「忙しいの?」

「子供は独り立ちして手はかからないんだけど、母が寝たきりで、夫も仕事が忙しくてね」

笑いながら枝豆を一摘まみ。

女って笑顔で自分を守れちゃうとこあるのよね。

悲しくて、辛くて、苦しい時に限って。

「頑張ってるんだね、あんた」

女は口を手で押さえながら、もう一方の手首を動かし宙を扇いだ。

「やだ、ママったら、それが当たり前なのよ、だって娘だし、主婦だし」

「でも、働いてるんでしょ?」

「パートよパート。近所のスーパーで」

カルーアを飲み干す女。

おかわりを作りながら、女を横目で見る。

そうは言うけど、朝起きて朝食作って、後片付けして、掃除して洗濯して、パートに出て、家に帰ってきたら、母の世話、夕食を作る。

これ下手なサラリーマンよりお金もらう価値のあることよ。

その“当たり前”を積み重ねることが、どれほどの気力と体力を奪うか。

「ほんと、私なんて大したことしてないのよ」

そう言って笑うけど、目の下の影は隠せない。

おかわりのカルーアを、そっと差し出す。

「久しぶり、だからかな、すごくおいしい」

女は肩をすくめる。

「あんたさ、すごいよ、大したことないなんて言っちゃだめよ」

「でも、ママ、それが普通だから」

「その普通、当たり前のことを毎日続けていることがすごいのよ。特別な成果を出すのと同じくらい、いや、それ以上に尊いのよ。このピンクで甘々のあたしが言うんだから間違いないの」

クスッと小さく笑って、女は両手で包んだグラスを見つめる。

カラン。

氷が溶ける。

「でもどこもそうでしょ? 旦那も子どもも、私がやるのが普通だと思ってるし」

「あんたさ、自分で思ってるよりずっと頑張ってる。すごいよ。だからさ、あたしがみんなの代わりに言うわ」

あたしはカルーアをゴクゴクと飲み干す。

カタンとグラスを置いた。

「いつもありがとう。当たり前を頑張ってくれて」

ポカーンと口を開けたままの女。

やがて目を瞬かせ、その唇が震えながら閉じられる。

あたしを見つめる瞳に薄っすら溜まった水が光で揺らめく。


そっと手元を操作する。

流れ始めたのは――

いきものがかり「ありがとう」

「……そんなふうに言ってもらえるの、久しぶり」

女はわずかに唇を噛んだ。

傍に居る誰かが伝えた方がいいに決まってる。

頑張ってくれてありがとう――

時には、自分が代わりにやるから――

その一言が、張りつめた心をほどき、次の一歩を優しく支えるのよ。

「ありがとうなんて言われたこと、いつからなかったかしら」

震える声でこぼした後、カルーアを流し込む女。

「当たり前を続けることほど大変なことはないの。毎日欠かさずやってる、それだけで十分にすごいのよ」

女はしばらく黙っていたけれど、やがて小さな声でつぶやいた。

「……ありがとう」

そして、少し胸を張った女の左手の指輪が誇らしげに光った――

気がした。

「よかった。このお店に気がつけて、ママに会えて」

「それは、いままで、あなたに必要じゃなかったからかもね。今、必要になったからあたしの店に気づいた。そういうのってあるのよ、馬が合うとか、物に一目惚れと一緒」

「そっか……」

目尻を下げた女。

そして、あおったグラスの氷が――

カラン。

柔らかく跳ねる。

「また、明日から頑張れちゃう私」

「ほどほどよ、あたしの店、潰れてるかもしれないから」

驚く女と見つめ合った後、二人の笑い声が歌詞の「ありがとう」と重なった。

お読み頂きありがとうございます_(._.)_。

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