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ジェラピケのママ  作者: ぽんこつ


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16/25

そばにいなくても

今日もスピーカーからはTM NETWORKが流れている。

「TELEPHONE LINE」

ジェラピケのくすみピンクのショーパンに、オフホワイトのパーカー。

カツラはオレンジのポニーテール。

ポニーはゆるくウェーブした感じ。

まっすぐだと、それこそポニーが好きなニンジンみたいなのよ。

顔の両サイドに沿うほつれ毛をそれぞれつまむ。

え?

スライサーでカットしたニンジンの皮?

よく言ってスティック?

結局ニンジンってことでしょ?


そして、今夜もこのひなびたバーに、ジャックとカルーアしか置いてないカウンターに、またひとり転がり込んできた。

そっと入って来たのは、小柄な女。

背筋はしゃんとしてるのに、目元だけが少し眠そう。

歳は――

聞かない。

女に数字は無粋だから。

丸椅子に「よいしょ」と声を出して腰掛け、肩にかけていたカバンをカウンターに置いた。

「あの、甘いのを、ひとつ」

「うちは甘いの、カルーアだけよ」

「それで、けっこうです」


あたしは枝豆の皿をそっと置く。

グラスに氷を入れて、カラン。

カルーアを注いで、ミルクを足す。

差し出されたグラスを見つめる女。

「ありがとう。……あの子が、甘いの好きでね」

「“あの子”?」

「孫の、ななか。春から離れて暮らすんですって。嬉しいのに、淋しいのは年のせいかしら」

孫想い、来たわね。

胸の真ん中にやさしい重さが乗っかるやつ。

おばあちゃんはカルーアを口に含むと、肩をすくめる。

「おいしい」

「そう、それは良かった」

「離れる前に、ななかに言っておきたいことが、まとまらなくて」

「手紙にすれば?」

「書いてみたんです。でも――ほら、うまくいかない」

おばあちゃんはカバンの中から便箋の束を取り出した。

あたしはコースターの上に紙ナプキンを置く。

ボールペンも。

「口で言えないことは、ナプキンに逃がすの。うちはそういう店」

「まあ……逃がしていいのね」

「いいの。逃がした分だけ、残る言葉が見えるから」


あたしは、静かに手元を操作。

流れ出したのは、カーペンターズ 「Close to You」

おばあちゃんは、ペンを持って、止まる。

あたしは柿ピーを摘んで待つ。

音はわざと小さく、ぽり、ぽり。

「“ちゃんとごはん食べなさい”とか、“夜更かしはだめ”とか、そういうのばかり浮かんでしまって」

「それはそれで愛よ。でも、“愛してる”の中身を、ひと粒だけ見せてみたら?」

「ひと粒……」

「例えば、ななかのどんなとこが、好き?」

視線を宙に泳がせ、おばあちゃんはふと頬を緩ませる。

「――声が、好き。朝の声。眠たくて、でも笑う声」

「いいじゃない。じゃ、書こう。“朝の眠たい声が好き。あなたが笑うと、あたしも目が覚める”」

「まあ。……こんなふうに?」

字が震えてる。

だけど、ちゃんと前に進んでる震え。


「ほかには?」

「手。細いのに、力がある手。買い物袋を、黙って持ってくれるの」

「書こう。“あなたの手は細いのに強い。わたしの夕方を、軽くしてくれる手”」

「……軽く、なるわね」

文字を見つめる瞳が温かい。

想いの温度がわかる。


カルーアが減る。

氷が、ゆっくり小さくなる。

味は丸くなる。

甘いのは、思い出と似てる。

時間が溶かして、のみやすくする。

「えーと……」

頬に手を当て、目尻が下がる。

ななかのことを想っているのね。

そして、ペンを走らせる。


あたしは曲を変える。

松任谷由実「守ってあげたい」

やさしさの真ん中に芯があるやつ。

「ななかね、私に似て、泣き虫なんです」

「似るのは、誇りよ。弱さの場所がわかるってことだから」

「そうかしら……。この前も、受験の前日に電話が来て、“こわい”って」

「なんて答えたの」

「“こわがる元気があるから大丈夫”って」

「あんた、いいママじゃない。おばあちゃんだけど」


おばあちゃん、ふふと笑って、目尻の皺が花みたいに咲く。

涙が、ちょっとだけ混ざる。

ちょっとだけでいい。

今日は“ちょっと泣ける”日。

「ねえ、ママさん。ななかに持たせるお守り、ここで作らせてくれる?」

「お守り?」

「この紙ナプキン、半分こにして。私の言葉とななかの好きなお菓子の名前、書いて。折って、糸で結んで」

「糸はないけど、あたしの髪から一本抜こうか?」

「まあ、痛いでしょう」

「大丈夫、カ・ツ・ラ、朝焼け夕焼け色よ」

二人で笑う。

笑いながら、ちゃんと泣く準備をする。

女は器用。

そして不器用。


あたしはジャックのボトルを手に取るふりをして、おばあちゃんのミルクを少しだけ足す。

甘いのは、背中を押す力がある。

「さ、仕上げ」

「“朝の声が好き”“細いのに強い手が好き”……眼差しが好き。それから、“迷ったら一回寝なさい。朝になったら、また起きればいい”」

「名言出たじゃない」

「年の功よ」


おばあちゃんはナプキンを二つに折って、指先で角を揃える。

角がぴったり合うと、顔も少しだけ整う。

不思議ね。


おばあちゃんのコートのポケットの中で、スマホが小さく震えた。

取り出した画面に、ひらがなのメッセージが灯る。

――ばあば、今どこ? ちょっと声、ききたい。


おばあちゃん、目を丸くして、すぐに伏せる。

涙が一滴、コースターに落ちた音が、聞こえた気がした。


「かけなさいよ」

「いま、ここで?」

「ここが、いま、よ」


スピーカーの曲をそっと落とす。

店の音が広がる。

氷の小さな呼吸。

おばあちゃんは通話を押して、耳にあてる。

手が、すこし震える。

だけど強い。


「……ななか? ばあばね。……うん、だいじょうぶよ。……こわがる元気があるなら、きっと行けるわ」

少し間。

「うん、うん――朝になったら、また起きればいいから。……そう、そうよ。……ばあばも、起きるから」


通話が終わる。

店に音楽が戻る。

会話のない静けさは、空白じゃない。

埋まっている。

さっき二人で並べた言葉で。


「ママさん」

「ん?」

「ありがとう。……お代、足りるかしら」

「足りるわよ。甘いのは高いの。うちはね、背中押す分、ちょっと割増」


おばあちゃん、くすっと笑って、ナプキンのお守りを胸ポケットにしまう。

帰りぎわ、扉の前で振り返る。


「ママさん。ななかに、言いそびれてたこと、ひとつ思い出したの」

「なに?」

「“あなたが生まれてから、毎朝、世界が少し明るい。だから、離れても、朝は明るい”」

「……いいじゃない。それ、次に電話が来たら言うのよ」

「はい。次も、朝は来ますものね」


扉の向こうにおばあちゃんの真っ直ぐ伸びた背中が消えていった。

グラスの氷は小さくなったけど、味は丸くなった。

あたしも同じ。

尖ってるけど、芯は甘い。

たぶん。


カウンターに残ったナプキンの切れ端を、あたしはそっと畳む。

“朝になったら、また起きればいい”

書いてはないけど、ちゃんと残ってる。

ここに。

薄いコースターの厚みくらいのところに。

一滴の雫がそこに、にじんで消えた――

お読み頂きありがとうございます_(._.)_。

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