しんあいなるもの
今日のお客は「約束の木の下で ー忘れらない初恋の記憶ー」の登場人物。
「約束の木の下で ー忘れらない初恋の記憶ー」のネタバレも含んでいるので予めご了承の程をお願いします。
今日もスピーカーからはTM NETWORKが流れている。
「あの夏を忘れない」
ジェラピケのバニーモコフード付きワンピース。
ほら、見て見て。
フード被れば――
あら不思議。
かわいい、うさちゃんの出来上がりよ。
……
……
はい。
そして、カツラはラベンダーのツインテール、毛束は縦巻き。
くるんくるんで、お嬢っぽい?
あら、そう?
ん?
らせん階段?
巻貝?
ソフトクリームを逆さまにした感じ?
ラベンダーのソフトクリーム食べたくなるじゃない。
そして、今夜もこのひなびたバーに、ジャックとカルーアしか置いてないカウンターに、またひとり転がり込んできた。
「こんばんは」
女の澄んだ控えめの声は、柔らかな余韻を耳に残した。
「いらっしゃい」
黒髪は耳の後ろでまとめたローツインテール。
あら、おそろいじゃない。
女も気がついたのか、その毛先をスッとつまんだ。
足元は白いスニーカー。
歩くと、チェックのロングスカートがふわりと揺れる。
深い森の色を閉じ込めたような濃い緑と、焚火の残り火のような赤茶色が織りなす模様。
整然と交差する細い白と黒のラインが、その色彩に知的な落ち着きを添えている。
白のタートルネックニット。
その首元でふんわりとたまるシルエットが、顔周りを優しく包み込み、白さが顔色を明るく見せている。
照明を柔らかく受け止め、淡い光沢を放つキャメルのロングコート。
色白でぱっちりとした黒目と、ピンクベージュの唇が、どこかあどけなさを残す顔立ち。
可愛らしい外見からは、一見どこにでもいる若者に思える。
いまのところ、何かがあるようには見受けられない。
「よいしょ」
三つある丸椅子の一番奥に女は腰かけた。
あたしはグラスにカルーアを注ぐ。
「こういうとこ、はじめてなんです」
カウンターの上で両手を組んで視線を左右に泳がせた。
黒い瞳は好奇を帯びているが、その奥に憂いを含んだ翳りが一瞬だけ顔をのぞかせた。
あたしは枝豆の皿とカルーアをその脇にそっと差し出す。
女は手を引っ込めながら軽く頭を下げた。
そっとグラスを両手で包むと、凪いだ白い液体を見つめ、口の形が言葉を刻んだ。
そして口に付けると目をつむって――
ゴクゴクと一気に飲み干した。
肩でため息一つ。
頬がみるみるほんのりと赤く染まり、トンとグラスが置かれる。
両手を頬に添えると、目を瞬かせ、女は顔のそばでひらひらさせて扇ぎだした。
あたしは、その様子を目の端で捉えながら、おかわりのカルーアと自分用のを準備する。
女は口をすぼめて小さく息を吐くと、微かな微笑を湛えつつ、枝豆をもぐもぐ。
なんだろう?
失恋にしては、まとっている空気がやわらかい。
仕草や眼差しからして、まだおそらく学生ね。
将来への不安とも違う。
あたしは珍しく目の前にいる客を量りかねていた。
「……どうぞ」
高く軽い声を添え、二杯目のカルーアをコースターに乗せる。
そっと変えた曲。
「Dear」中島美嘉。
でも、あの口の動きは「おめでとう」。
その後に続いた言葉は名前のはず――。
あっ――。
あたしは恐らく理解した。
女の心を。
カルーアを一口飲み込み、あたしは柿ピーの皿を置く。
そしてピーをケーキの生地に見立て、種を苺やろうそくに見立てた即席ピーケーキを作った。
女はあたしの手元をじっと見ていたが、意図を察すると目と口を大きく開けた。
ゆっくり表情が微笑みへと塗り替えられていく。
瞳は潤んではいるが涙は見せなかった。
それがこの女の成長なのだろう。
「どう? ピーケーキよ」
「ありがとうございます」
女はこくんと頭を垂れる。
どうして、なんて野暮なことは、この子は聞かない。
「天国の彼へのお祝いよ」
あたしの声に、女は片手を胸に当て白いグラスを見つめた。
「……でも、初めてなんです。お祝い? するの。今日だって知ったのは今年なんです」
「そっか……」
ふーん。
複雑そうね。
どういうことなのかしら?
――たぶん、この子は話さないわね。
ちゃんと消化は出来ているから泣かない。
ただ、彼へのお祝いと弔いと、想い出に触れるためにこんな場末のバーに来たのね。
きっと。
「頂きます……」
静かに両手を合わせて、女はピーケーキを華奢な指先で摘まむ。
ぽりぽりと軽い音が弾んだ。
そして、カルーアを一口含んで、ふうーっと小さく息をこぼす。
「……初恋の人でした。でも、私は……あの頃の、夏の顔しか知らなくて、冬が誕生日って、少しおかしくて……」
「そっか……」
女は手にしていたグラスを回す。
カラッ、カラン。
氷が小さな白い海に波を立てる。
「冬の想い出なんかないのに、木枯らしや、高い空とか、冬の海とかって哀しいですよね……あっ、全然、大丈夫なんですよ」
笑みを浮かべ、慌ててグラスを置いた女は、顔の前で両手を振る。
「寒い分、ぬくもりが恋しくなるのよね。それが人でも想い出でも、動物でも、お酒でも、屋台のラーメンなんて最高よ」
ふふふ、と女は声に出して笑う。
いつも思うけど、女の笑顔ってどうしてこうもエネルギーがあるのかしら。
「ママは、すごいですね」
「あんたのが、すごいわよ」
下唇を噛んで肩をすくめた女。
あたしは柿ピーをつまむ。
だって、あなたはちゃんと想い出を大切に、彼のことも悲しみに囚われるのじゃなくて、寄り添いながら歩いてゆける――
そんな面持ちになれたんだから。
――でも、気になるわ。
普段、詮索はしないあたしでも。
目の前にいる、この子が惚れた彼のこと。
「あっ、自己紹介してませんでした」
女は気を付けするように姿勢を正した。
「いいのよ、ここはバーなんだから名前なんて、そもそもあたしは名無しよ」
あたしは、人差し指をほっぺに押し当て、首を傾げておどけてみせる。
クスッと肩を弾ませて、女は笑う。
呼吸を整えながら、胸の前で片手を包み込んだ。
「……私は、倉科梨花。梨に、花で、梨花です」
「あら、いい名前。それと……その自己紹介、素敵」
女の瞳がほんの一瞬、憂いを含んだ。
でも次の瞬間には、目尻が下がり春が訪れたような微笑みに変わっていた。
そして、小さく肩を揺すって背筋を伸ばす。
「ありがとう」
語尾を軽やかにあげた、梨花のひと言は、音ではなく波のように、耳から心へ柔らかく、そして温かく、あたしの奥底にしみ込んでいく。
何もしてないのに、優しい気分になる。
方言って、なんかいいわね。
それとも――
この子の魂の声だからかしら。
カウンターの隅にある、今夜出したばかりの小さなクリスマスツリー。
それを眺める梨花の瞳にきらめきが映っている。
まるで慈しむような眼差しの中に。
お読み頂きありがとうございます_(._.)_。
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*写真は作者がAIで作成したものです。
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