物語の主人公
今日もスピーカーからはTM NETWORKが流れている。
「Crazy For You」
あたしこれ好きなのよ。
歌詞がね、台詞形式の進行なの。
楽曲の大部分が、ボーカルの宇都宮と、一般公募で選ばれた女性による会話なの。
えー、本日のジェラピケは、ブルーのクロシェニットのタンクトップとショートパンツに3ボーダーパーカー。
めっちゃ可愛いのよタンクトップ。
え?
あたしのがかわいい?
なんて、誰も言ってくれないのよ……
ハニーゴールドのマッシュショートボブのカツラ。
サイドにカールがかかっていてふんわり感。
鏡見るたびに“やだ、私ってば幸せそうに見える!”って思うけど、照明の加減で焼きソバージュに見えるのよ。
食欲そそっちゃうでしょ。
そして、今夜もこのひなびたバーに、ジャックとカルーアしか置いてないカウンターに、また客が転がり込んできた。
扉が開いた瞬間、元気な声が耳に届く。
「こんばんは、ママ」
「あら、また来たの、あんた時間あるの?」
いつになくニコニコしているちひろ。
定位置の真ん中の丸椅子に腰かける。
あたしは柿ピーの皿を置いて、カルーアミルクを作る。
ひとつまみもぐもぐした後、ちひろはカバンの中からクリップで留めた紙の束をポンとカウンターに置く。
出されたカルーアに口をつけると、
「ママ、持ってきたよ私が書いた小説。読んでみて」
その束をカウンターの上に滑らせる。
「今読むの?」
「うん、感想聞きたいし、短編だから」
ちひろは柿ピーを放り込む。
自分のグラスにジャックを満たしてから、あたしは束を手に取り視線を落とす。
『一振導帯』
いっしんどうたい?
あたしは、ページをめくり読み進める。
主人公は女性、24歳の沙耶。
母親の再婚相手の子供、つまり22歳の義弟、堅之助との恋愛を描きつつ。
愛し合う二人の時間に焦点を当てたもの。
この子天才かもよ。
気付いちゃったわ、あたし。
これ。
さやとけんよ。
もうこれ以上は言わないわ。
あらやだ。
なんで読んでるあたしがドキドキしてるのよ。
ちひろは、カルーア片手に柿ピーをポリポリ。
勝手に枝豆の皿に手を伸ばし、枝豆をもぐもぐ。
読み終える頃には、あたしは暖房がなくても暑いくらいに汗ばんでいた。
「何あんた、官能小説書いてたの?」
「ううん、色んなの書くよ、恋愛だって、ミステリーとか」
ちひろはいつの間にか二杯目のカルーアを口にしていた。
自分で作ったのね。
柿ピーは三皿目。
枝豆は二皿目。
あたしは手元を操作して次の音楽へ。
「空も飛べるはず」スピッツ。
そしてジャックを一口。
「じゃあ、なんであたしにこれを見せたの?」
「ママ、こういうの好きかなって?」
「はあ? どっちかって言うと嫌いじゃないわ、けど最初に見せる?……そうか、あんたが欲求不満なんだ」
「え? 違うよ、全然」
済ました顔で、ちひろは、カルーアを口に含む。
「ふーん。でも良く書けてるじゃない」
「ふふん」
嬉しそうに顎を突き出して笑う。
「行間で読ませる描写いいわ、あたし好き。妄想が膨らむでしょ」
「ほんと?」
「あたしは嘘は言わないわ、お世辞は言うけど」
ちひろは口を尖らせる。
「お世辞じゃないわよ、ほら」
あたしは、ちひろの口に柿ピーを放り込む。
頬を緩ませ、ポリポリと音を立てる。
「ねえ、ママお腹空いた。出汁巻き玉子食べたい」
「食べれば?」
「作ってよ」
駄々っ子のように、肩を小刻みに揺らす。
「あんたが作りなさいよ」
「卵あるの?」
「ないわよ。ちなみにフライパンもないから」
「えー……」
「あんた、どんだけここに来てんのに気付かないのよ」
「うう……」
「それにさ、あんたさ、あたしのこの格好で料理できると思う?」
両手を広げて見せる。
「確かに……」
ちひろはクスクスと肩を震わせる。
「でも、ママかわいいよ、今日も似合ってる」
「そう、ありがと」
いたわ。
あたしのことかわいいって言ってくるの。
いつだってちひろは、あたしのことを褒めるわ。
自分が元気ない時でもね。
おかわりのカルーアをそっと差し出し、自分のグラスに琥珀色の液体を流す。
カラン、カラン。
お互いの氷が鳴いた。
「ねえねえ、私さママのこと全然知らないじゃん。ママは凄く私の事理解してくれてるのに」
「そう? あたしは適当に答えてるだけよ」
「ううん、そんなことないよ。感謝してるんだママに。適当って言うけど、適当って適して当たってるって書くじゃん。だから中途半端じゃない。いい加減と同じ」
「あら、あんた作家っぽいこと言うじゃない」
肩をすくませ、ちひろは舌をペロッと出した。
いつになくリラックスしている様子。
カルーアを飲むちひろに合わせて、あたしもジャックを口元へ運ぶ。
そして、あたしがつないだ曲は、華原朋美「I'm proud」
「えへへ。だから、私もママのこと知りたいなって思ったの」
カウンターに乗せた手の指を絡ませ、首を傾げるちひろ。
「そっか。ありがと。でも何もないわよあたし」
そんなちひろを横目にあたしは、柿ピーをつまむ。
「話せることでいいよ、例えば悩みとかでも、私、相談乗る」
ちひろは組んだ両手を腿の上に置いて背筋を伸ばす。
「ふーん。あっそうそう、じゃあ聞いてくれる?」
「なあに?」
ちひろは頷いて、少し身を乗り出した。
目はキラキラとして興味津々といった様子。
「最近さ、お客が増えた気がするのよ。それにねこないだなんか、手紙来たのよ」
「……手紙?」
「そう、しかも、ジェラピケのママさんへって。手紙をくれた子は高校生なんだけど。どうして高校生があたしの店やあたしの事知ってるのか気になってさ」
「うん……」
ちひろはスッと背筋を伸ばす。
「だってさ、ジェラピケのママなんて呼ばれたことないのよ、あたし。でさ、聞いてみたのよ、その子に……」
「……なんて言ってたの?」
少し俯き視線が泳ぐちひろ。
「なんか誤魔化してたけど、最後にはある人から聞いたみたいなことを言ってたわ」
小さく息を吐いたちひろは顔を上げてはにかむ。
「きっと、口コミじゃない? ママの話で救われてる人、多いんじゃない?」
「口コミ? あたしの店、名前ないのよ」
商業登記は「あたしのおみせ」屋号は「……」だもの。
「あっ、そうか」
「しかもさ、あんた、こんな場末のバーでプロポーズしたカップルだっていたのよ……」
あたしの視線の先には、あのカップルの写真が壁に飾ってある。
ちひろもそれを追いかけて見つめている。
グラス片手にお揃いの腕時計と彼女の指輪が光っている和やかな一場面。
「でも、いいんじゃない、ママ楽しいでしょ?」
「まあ、ヒマなのよりはね」
あたしはジャックのグラスを傾ける。
「他にないの?」
「そうね……」
あら。
自分の事を話そうとしたら意外に何もない。
……訳じゃないけど。
話せることがないのよね、人にね。
柿ピーをつまみながら、ジトッとした目で、見つめているちひろ。
あたしが話すのを待っているんでしょうけど。
そうね、何か小説のネタにでもなりそうなものがいいかしら。
腕を組んで考え出す。
「あっ、そうだ! ママに頼みがあるの」
ちひろが、急に弾けるような声をあげる。
「……頼み?」
佇まいを直したちひろは、両手で髪を耳に掛けると、その指先で毛先に触れながら、胸に手を重ねる。
一連のしなやかな動きの後、小さく息を吐いて、少し上目遣いに柔らかい微笑みを浮かべた。
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