巡りの中で
今日もスピーカーからはTM NETWORKが流れている。
「Children of the New Century」
乾いたギターリフが、狭い店内に少し大きめに響いていた。
ジャックとカルーアしかないカウンターに、ドアのベルを震わせて、ひとりの女が転がり込んできた。
白いブラウスは肩口が少し皺だらけで、タイトスカートの裾もよれている。
きっと、ついさっきまで仕事をしていたのだろう――
そんな服装のまま、ヒールを鳴らして丸椅子に腰を下ろす。
「……もう、全部疲れた」
化粧は少し剥がれて、目元には乾いた涙の跡。
カルーアミルクを頼む声は、ひどく小さかった。
グラスが置かれると、女はすぐには手をつけず、ストローを指先でくるくる回した。
あたしは、そっと柿ピーの皿を並べて置く。
ため息が漏れる唇の左下にほくろがあった。
「人ってさ、どうして裏切るんだろうね」
ぽつりと零れた言葉に、あたしは氷の音を立てながらジャックを注ぐ。
「理由なんて、裏切る側にしかわからないもんよ」
「……信じてたんだけどな」
「信じたから傷つくのよ。信じなければ、傷はつかない」
「でも、信じなかったら、人となんて関われないじゃない」
あたしはグラスを持ち上げ、薄く笑い返す。
「あたしはね、損してもいいから面白い方を選ぶ。でも、あんたは今、面白くもない人間に全力で裏切られてる」
女はやっとカルーアミルクを口にした。
ほんのり甘いはずなのに、喉を通るときは塩辛い。
「……甘くないね、これ」
「そりゃそうよ、今日のあんたには」
沈黙の中――
次の曲のイントロが少しだけ女の表情を変えた。
エルトン・ジョン&ジョージ・マイケル。
「Don’t Let The Sun Go Down On Me」
厚いピアノが、カウンターの上だけを優しく照らす。
「ママ、それってジェラピケ?」
「そうよ。いいでしょ?この耳」
あたしはフードを被ってそこについている耳を両手で立たせる。
「かわいい……」
女はカウンターに突っ伏しながら目尻を緩ませた。
でもすぐに、視線を落とす。
照明の光を帯びたダークブラウンの髪がはらりと顔にかかる。
呼吸は浅く、震えるまつ毛の奥の瞳は儚さに彷徨う。
唇が微かに開いては閉じる。
そして――
「死にたい……」
ポツリと落ちた言葉は、グラスの底に重く沈む。
きっともう、さんざん、そう思って泣いたんでしょうよ。
「あたしは、そうしたいなら、すればいいとおもうわ。——でも今夜はダメ」
女は視線だけあたしに投げる。
「まあ、あたしもそんなときがあったからね……」
「……心はずっと、一人だったから。……欄干に手を掛けて終わろうとした夜、『Get Wild』がたまたま流れたの。ベースのドゥンで足が止まってね。『死ぬの、3分半だけ延期』って。曲が終わったら次の曲も気になって、気づいたら朝。それからずっと、面白いほうに“延長”し続けてここまで来たのよ」
あたしは女にウィンクを投げて、ジャックを含んで喉を焼く。
そして、そっとグラスを置いた。
その琥珀を見つめる女。
「……『生きたくても生きられない人もいるのに、なんでお前は』って、頭の中の声がうるさくてさ。あれ、他人の顔をしてるけど、結局は自分をいじめる声なんだよね」
「……死のうと思ったことがない人の言葉は、ときどき軽い。まあ経験がないからね。でもあんたの重さはここに置いてっていい。今夜は延長、ね」
首を傾げ、女は顔にかかっていた髪を細い指で払う。
「ちなみに、延長料金は柿ピー一皿。払えないなら笑顔で分割」
目を細めてあたしを見つめる女。
「……ママが天使に見えるよ」
「そう? 夜の電球より浮いてるのよ、あたし」
レモンイエローのロングツインテールのカツラを撫でて、その毛先を両手で摘まんで女に向ける。
フッて笑って体を起こした女はカルーアを一口。
そして、つまんだピーを眺めている。
「あたしは、あんたのことは覚えておくわ、今夜ここに来たのも何かの縁だから、地球が巡るのと一緒ね」
「そう、お日様は沈まないのよ、あたし達が周りをグルグル回ってるだけで、ただ、そこにある」
ピーをほうり込んだ女は髪を耳に掛ける。
「私も……面白いものみつけられるかな」
「見つかるわよ、もしかしたらもう知ってるかもね」
女は目尻から零れそうな滴を指の背に滲ませた。
「じゃあ、これはどうかしら?……月に代わっておしおきよ!」
そう言って、あたしは指先を女に向ける。
キョトンした女は一言。
「なに、それ?」
「平成のバフ。令和でもたまに効くの」
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