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新世界歴元年 3月12日
日本帝国 東京府 福生市
日本空軍 横田基地
帝国空軍の横田飛行場は東京府西部の福生市と周辺市町に広がる広大な軍事基地だ。3000m級の滑走路を2本備え、大型旅客機なども難なく離着陸できる。かつては戦闘機部隊も配備されていたが、周辺の開発が進むと同時に騒音問題などを考慮して1960年代に戦闘機部隊は近隣の百里基地などに移動したため、現在この基地に実力部隊は配備されていないが、南東北から近畿地方までの領空監視を担う「中部航空方面軍」や、空軍のほぼすべての実働部隊を実質的に統括している「航空総軍」の司令部が置かれるなど、帝国空軍の中枢といえる基地だ。
政府専用機の日頃の整備などはこの横田基地で行われており、場合によっては総理などは横田基地から専用機に乗り込んで海外へ向かうこともあり、海外の専用機が羽田ではなく横田基地で着陸する――ということも割と頻繁に見ることができた。
横田基地の滑走路へ向かって降下する1機の航空機があった。
日本では珍しくなった3発のエンジンを積んだ大型機は――マリス連邦の政府専用機だ。偶発的に樺太へ攻撃を行いその反撃を受け、国内にある主力基地を失ったマリス連邦はなんとか国内の意見を取りまとめ日本との間で講和することが決まり、その調印式に参加するために3月限りで退任することをすでに表明したフェルゼン大統領と、次の大統領選挙に出馬することを検討していると言われているホルス外交長官が出席するために専用機にのっていた。
「閣下。間もなく着陸です」
「わかった」
窓の外に広がる日本の景色に目を焼き付けていたフェルゼンは秘書の声によって窓から視線を外した。
国土の7割が山地に占められていながら人口2億人と聞いたときは「何の冗談だ」と思ったものだが、首都圏を上空から見てみれば平地には一切の隙間なく建物が密集しているのを見ると納得もできる。つまりは、都市部に多くの人口が集中しているということなのだろう。しかも、その都市部は一つや二つではなく数十にも及ぶからマリスとそうかわらない国土にマリスの2倍以上の人口を抱えることになったのだろう。
思わず渋い顔になると秘書が「いかがなさいましたか?」と心配そうに声をかけてきた。
「…いや、我が国とこの国の力の差を感じていたのだよ」
と、苦笑するフェルゼン。
この大きな仕事を終えればフェルゼンは退任する。次の大統領が誰になるかはわからないが、次の大統領にとってもしばらく厳しい状況が続くだろう。自分たちの国が戦いを仕掛けて敗北を喫したことは、日本による報復攻撃によってすでに国民の知るところとなり、当然ながら各地で反政府デモがまきおこった。
もちろんそれは勝手に戦争を始めたから――という理由ではない。
惨たらしく敗北したことへの怒りによるものだ。
列強があっさりと異世界とはいえ聞いたこともない国の前に敗北したことに国民は怒ったのだ。中には追加の攻撃を行うべき――という過激な論調も出たほどだ。
次の大統領次第で、日本との付き合い方は大きくかわるだろう。
融和路線を訴える野党系候補ならばうまく付き合えるかもしれないが、一方でその姿勢を「弱腰」と批判する声は出てくるかもしれない。反面、強硬策を主張する候補者が当選した場合は日本との関係は今後も厳しいものが続いていくかもしれない。
どちらにせよ、退任と同時に政界から引退することになるフェルゼンとすれば「上手くいってほしい」と思うしか無いのだが。
(攻撃を実質的に決めた私が言えたことでもないがな…)
軍は副大統領たちの言葉を特に疑いもせずに頷いたのは他でもフェルゼン自身だ。あの時は「こうなるとは思っていなかった」わけだが、そんなこと口ではなんとでも言えるので流石に言葉に出すことはしない。
今回の件で軍上層部と副大統領一派は責任を取る形で辞任かあるいは、これまで隠し通していた悪事が暴かれる形で拘束されているが、副大統領一派に関してはそのうちまた表に出てくるかもしれないが、すでに隠居することを決めているフェルゼンにとっては関係のないことだった。
東京市 千代田区
総理官邸
日本とマリス連邦の講和条約調印式は総理官邸で行われる。
今回の講和条約において日本側はマリスに対して賠償などは一切求めなかった。そもそも、金銭的な価値が大きく異なるのでマリスの通貨で賠償金をもらっても使い道が限定されているので、賠償金をもらっても困るのだ。
だからこそ、両国の交渉はすんなり進んだ。
どちらの国も特に要求らしい要求はなかったからだ。例外とすれば今後行わえるであろう貿易交渉において日本がかなり優位な条件で交渉できる――くらいだが、それもマリスにとって旨味がないわけではなかった。
「ようこそ、日本へ」
フェルゼンをにこやかな笑顔とともに安川が出迎える。
対するフェルゼンも笑みを作るがこちらは少し引きつっていた。
横田基地から総理官邸へ至るまでの道中は、彼らにとっては衝撃的なことだったようだ。とりわけ、都心部に入ってからは見渡す限りのビル群にただ圧倒された。
「想像以上の大国に本当に我が国は判断を誤ったのだな――と、後悔しているところです」
握手をかわしながら思わず自嘲じみた言葉が口から出てしまうほどには衝撃的だった。その言葉に対する安川の反応は――。
「不幸なすれ違いだったのです。これからいい関係が築けるようにお互い努力していきましょう」
「…そうですね」
一瞬の間は今後の国のことを考えたからだ。
いい関係を築けるかどうかは次の政権次第な部分がある。強硬的な勢力が主導権を握った場合は再び日本へ挑戦するための軍拡をするおそれがある――だが、それをこの場で口にすることはしなかった。
仮に新政権が日本に対抗しようとしたところで、日本相手に一矢報いるのは難しいことは、日本の報復で明らかなことだ。いくら「自分たちが油断していたからだ。次は絶対に防げる」などと軍部が言っても技術力の差はすぐに埋まるものではないだろう。
それよりも、貿易などで日本との関係を強化したほうがよほど国のためになる。まあ、すべては国民が今後のことをどう判断するかだろう。世論調査などをみるに世論の日本に対しての感情はあまり良くはなかった。
マリス国民は良くも悪くも長年「列強」として君臨していただけにプライドが高い国民性だ。よくわからない国相手に敗北した、と言ってもすんなりと受け入れることはできないのだろう。
だが、敗北したのは事実であり、本土にいた実戦部隊はほぼ全滅した。
軍備を再編するにしても、むしろ日本と仲良くしたほうが無難であるはずだが――頭で理解していても心の底まで納得できるかは微妙なところだろうか。
今回の訪日には、マリス連邦のメディアも多数同行していた。
多くのメディアは樺太への軍事行動を当初は肯定的にとらえていた。それが彼らの世界にとっての常識だった――という部分もあるが、そもそも敗北するとはその時、ほとんどの記者は考えてすらなかったからだ。
だからこそ、軍の主力が壊滅したことは衝撃的であった。
「――ある意味、屈辱的な光景だな」
文書へサインを行った後に立ち上がってにこやかな笑みで手を差し出す安川と、やや引きつった笑みでそれに応じるフェルゼンの姿をカメラに写しながら思わず渋い顔を作る記者。
彼はマリス連邦で最も古い新聞社に務めるベテラン記者だ。
ほんの数ヶ月前まで、これと逆の光景が彼らにとっての日常だった。
にこやかな笑みを浮かべるマリスの代表者に対して、半ば国を失うこととなり茫然自失となった植民地あるいは保護国の代表者が握手を交わすという光景は常に見続けていたが、今回はその逆だ。
別にマリスが日本の保護国になったわけでも、植民地になったわけでもない。講和条約事態はそれほど厳しいことを書かれているわけではなく、賠償金さえ請求されていないが、それでも「敗北」という屈辱が消えたわけではない。
国内では日本に徹底抗戦すべき、という意見は未だに根強い。
そもそも、自国が敗北したという事実すら信じられない者が多かった。
「しばらく国は荒れるだろうな…」
この映像はすぐにでもマリス国内に流されるはずだ。
それまで「敗北」の実感を持たなかった国民たちも気づくだろう。自分たちは敗北したのだと。それは、マリスにとってみれば久々のことだ。これまで多くの戦いで勝利を積み重ね、それによって多くの植民地を得てきたマリス連邦。
だが、今回の転移と日本との戦争でその大半を失った。
残存している植民地ではすでに、本国が戦争に敗れ戦力を失ったという情報が届いている。表面的には本国に従っているが多くの植民地ではマリスの植民地になった時から独立勢力が活動していた。
今回の敗北は、そんな抵抗勢力の活動を勢いづかせるものになりかねないとベテラン記者は危惧していた。なにより怖いのは、政府も世論も植民地の独立運動に対して一切警戒していないことだ。もし、植民地で武装蜂起などおきればすぐに対応することはできないだろう。
これから行われる大統領選挙も含めて、マリスはこれから大きく荒れていくことになる。厄介なことになった、と苛立つがその苛立ちを日本にぶつけるのは筋違いだろう。なにせ、マリス自身が撒いた種なのだから。




