3
新世界歴元年 1月1日 午後2時
イギリス連合王国 ロンドン
転移によって樺太の西側に移動してしまったブリテン島・アイルランド島によって構成されているのが「グレートブリテンおよびアイルランド連合王国」――通称「イギリス」である。
ヨーロッパの主要先進国の一つであり、かつては世界各地に植民地を有していた「世界帝国」であったが、第一次世界大戦と第二次世界大戦によって国力は大きく疲弊し、多くの植民地が実質的に独立していった。それでも太平洋や大西洋などで海外領土と名を変えた植民地を現在も有しており、経済力に関しては世界トップ10に入る大国であった。
「日本が隣国になったのは良かったけれど……それ以外は問題だらけね」
そう言ってため息を吐くのは首相のエリザベス・スミス。
イギリスでは5人目の女性首相だ。これまで、外務大臣や国防大臣などを歴任しており、政治経験豊富な彼女は様々な難題にも表情を変えることはあまりないが。今回ばかりは顔色が悪かった。
今回の転移によってイギリスはヨーロッパから完全に離れた。
その結果、フランスとを結ぶ英仏海峡トンネルが途中で寸断されるという被害を受けているが幸いなことに当時列車などは走行していなかったため人的被害は受けていない。
そんな中、突如として東から国籍不明の戦闘機が飛来してきたため「ソ連が攻め込んできたのか!?」と主に空軍関係者は大いに動揺したが結果的にやってきたのは日本空軍の86式戦闘機であったことから軍関係者たちは安堵していた。もっとも、東隣が日本とわかっただけでそれ以外のことに関しては一切の情報がない。
イギリスは、軍事大国ではあるがNATOに加盟していたこともあり自前の哨戒機はそれほど多く揃えていない。レーダーサイトだって日本に比べると数が少ない。まあ、これは日本があちこちにレーダーサイトを置きすぎているせいなのだが、これは日本がイギリスと違ってソ連や北中国といった敵対国家と直接対峙しているせいで、平時でも常に警戒レベルが高いのだ。
また、島国で広い範囲で海に面していることもあって多数のレーダーサイトでカバーしないとレーダーの死角からソ連や北中国が攻め込んでくる――などという可能性もあったことから、まさに網目ののようなレーダー警戒網を作り上げたのだった。
一方でイギリスは、敵対しているソ連までの間に多くの国があるし、それ以外の国とは昔は確かに対立していたが今は同じ「NATO」の枠組みに入っていて警戒する必要がないためレーダーサイトなどの設備は最低限にしていた。国のいた環境の違いというわけだ。
「それで、日本以外の国に関しての情報は今のところ一切なし……ソ連もアメリカもどこにいったのかしらね」
案外、この不可思議な現象に巻き込まれているのは自分たちだけではないか――とスミスはこの時思っていた。ソ連やアメリカなどは引き続き地球に存在している可能性だ。
もしそうなら、敵対していたソ連はともかく軍事的・経済的に結びつきが強かったアメリカと離れることはイギリスにとっては非常に痛い。
「……とりあえず、日本と情報を共有したいわね。どうやら、異界の国と接触したようだし」
「本当にここは異界なのでしょうか?」
「少なくとも地球ではないのは確かというのは事実でしょうね――本当に日本が近くにいてよかったわ。王立空軍だけでは情報収集なんて無理だったし」
「日本が素直に我々に情報を提供してくれますかね?」
「大丈夫よ。日本人はお人好しってよく言うでしょう」
などと、状況を楽観的に考えるスミスだが対象的に秘書は「言うほど日本人ってお人好しなのか?」と微妙な表情をしながら首をかしげるのだった。
新世界歴元年 1月1日
ガトレア王国 キーファ
首相官邸
ガトレア王国の首都・キーファは、ガトレア諸島最大の島である「ケルファ島」の南部に位置する人口140万人余の港湾都市だ。市街地は近代的なビルなどが立ち並んでいるが、旧市街とされている場所はヨーロッパのように古い石やレンガ造りの建物が密集していた。
中心部にある首相官邸も、昔に使われていた王城の一部を改修した石造りの建物だ。ガトレア王国は国王が国家元首だが、儀礼的な役割しかもっておらず政治の中心を担うのは首相と内閣という、所謂「議院内閣制」を採用していた。
現在の首相は、オーランド・スヴェンソン。5年前に保守系の最大野党の代表になり、その直後の総選挙で当時の与党が下野したことに伴い首相に就任した。外見年齢は30代ほどの若い青年に見えるが、長命種族のエルフであるため実年齢は200歳を超えている。
「それで、消息を絶ったフリゲートの行方は?」
「現在もわかっていません。救難信号も送られていないので……」
正面に立つ国防大臣の顔色は芳しいものではない。
元軍人で強面として知られている熊獣人の大臣は、普段は近寄りがたいと言われるほどに強い圧を周囲に放っているのだが、今日は一切そのような圧力を感じず、まるで途方に暮れているようだった。
地球で観測された発光現象は、ガトレア王国でも観測された。
それと同時に地球と同様に通信障害が起きて、その結果フローリア諸島付近を哨戒活動していた一隻のフリゲート艦の消息が不明となった。
最後の通信は「未知の島を発見した。調査に向かう」というものだ。
「『未知の島を見つけた』というのが最後の通信でして、現在哨戒機を用いて探索を行っていますが――その、どの島が『アレス』のいう島なのかはわかっていません」
「『未知の島』だらけということか」
首相の呟きに、国防大臣は「そうです」と頷く。
「現状最も考えられるのはどこかの国の領海などに侵入した結果、拿捕された――というものです。この場合は少し厄介なことになります」
「それが、ガリアならば厄介だな」
ガリア――フローリア諸島を巡ってガトレアと対立関係にある大国だ。ただ、ガリア領の島はフローリア諸島からそれなりに離れておりいくら通信障害やレーダーに異常があっても近づく可能性は低い、とスヴェンソンは感じていた。
「ともかく、全力をあげて調査を続けます」
「よろしくたのむ」
消息を絶ったフリゲート艦「アレス」との通信が復活したのはそれから数時間後のことだった。しかし、「アレス」からもたらされた情報にガトレア政府は大いに困惑することとなる。
新世界歴元年 1月1日
アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
ホワイトハウス
混乱は地球最大の超大国――アメリカでもおきていた。
アメリカ各地でも有感地震やオーロラのような発光現象が全土で観測されており、普段から有感地震はほとんど観測していなかったこともありこの地震だけでも住民は大きな騒ぎとなり、メディアも特別放送に切り替わった。そのさなかにオーロラが観測されたことから混乱は更に広がり、一部は本当に「世界が終わる」と思った住民もいたほどだ。
そして、アメリカの最高権力者である大統領も実際に「世界が終わる」可能性も考えて、大統領専用機へ乗り込み数時間ほど空の上で情報収集をしていたほどだ。最終的に戦争などの喫緊な危機はなさそうだ――という結論が出たため大統領専用機はワシトンD.C.へ戻り、大統領もホワイトハウスに戻って引き続き状況の確認におわれていた。
「ソ連が消えたのは確実なのだな?」
アメリカ大統領――ルイス・ローベンスが最初に気にしたのはソ連の動きだった。近年は直接的に対峙することはないにしても、やはりアメリカにとっての最大の敵がソ連であるのは変わりない。この混乱に乗じて、何らかの軍事的行動をとってくるかもしれないこともあり、ローベンスは最優先にソ連のことを調べさせたわけだが、すぐに答えは出てきた。
それは、ベーリング海峡の先にソ連はないというものだった。
異変直後。国防総省はすぐに状況を確認するためにアメリカ本土やハワイなどに展開している艦隊や、アメリカ本土の各基地から偵察機や早期警戒機などを飛ばして状況把握を急いで行った。
そのうち、アラスカから飛び立った哨戒機がベーリング海峡に差し掛かっても本来ならばすぐ対岸にあるソ連極東部を発見することが出来なかった。哨戒機はさらに数時間ほど飛行を続けたが、やはりソ連を発見することはできず、そのかわりに未知の島を幾つか発見した。これらの未知の島は後ほど海兵隊を送り込んで調査することになっている。
「はい。哨戒機の報告によるとソ連は発見出来なかったようです」
「なら、ソ連は動くかもしれないな……東欧に」
厄介なことになった、とばかりに頭を抱えるローベンス。
30年前にソ連の衛星国であった東欧で次々と民主化革命が発生。それによってほぼすべての国がソ連から離れて、西欧に接近し西欧の軍事同盟であるNATOに加盟した。当時、経済危機などで大きく力を落としていたソ連は一切の対応ができなかったが、この30年あまりで経済を立て直したソ連は急速に軍備の近代化を進め、同時に東欧などへの圧力を強めていた。
ただ、極東の日本などの存在や、ヨーロッパに駐屯するアメリカ軍の存在などもあってか現在まで具体的な軍事行動を起こすことはなかったが、アメリカが援軍を送り込めない状況だとソ連が知れば確実に行動を起こすだろう。
そうなれば、ヨーロッパは再度戦場に逆戻りだ。
「ともかく、各大陸の位置をすぐに把握する必要があるが、どれくらいかかる?」
「――最低でも一ヶ月。いえ、半年は必要かと」
「そんなにかかるのか?」
国家情報長官の発言にローベンスは目を見開いて驚いたが、長官から発せられる理由ですべて察した。
「衛星がほとんど使用できませんので……」
「やはり、衛星は使えないのか」
「はい。大半の衛星が使い物になりません。ですので、地道に空と海から探索を勧める必要がありますが、我が国周辺部だけでも最低でも一ヶ月。それより広範囲ならば最悪、年単位の時間が必要かと」
「新たな衛星を打ち上げたほうが早いか……」
「ええ、ただ。それも一ヶ月程度の時間が必要ですが」
「いずれにせよ、時間がかかるか……」
まるで、100年以上前に時間が巻き戻ったかのようだな、とローベンスはため息を吐きながら呟いた。