21:樺太紛争1
新世界歴元年 1月15日
日本帝国 樺太 北西沖 20km
マリス連邦軍 揚陸指揮艦「スヴェレ」
マリス連邦陸軍第2師団を率いるオルト少将は、揚陸指揮艦「スヴェレ」の甲板上にいた。眼の前にはこれから彼ら第2師団が上陸を予定する島――樺太がある。島全体が真っ白に雪化粧している姿は神秘的といえるが、防寒着を着ていても身を貫くような寒さは、長い軍人経験で様々な戦場に出向いたことのあるオルトにとっても初めての経験だった。
(偵察隊との連絡も取れず、更に偵察を行っていた潜水艦や戦闘機とも通信ができない……そのせいで、島の詳細な情報は分からないまま上陸作戦が始まってしまうのか)
樺太を見ながらオルトは内心不安だった。
なにせ、これから上陸する予定の島に関する情報が一切ないのだ。少なくとも人が住んでいることは確かであり、恐らく軍が駐屯していることはわかるのだがどれだけの規模の軍隊が駐屯しているのか。そもそも、技術レベルに至るまですべてが不明の状態で作戦を進めなければならない。
本来ならば、こんな何もわからない状態で1個師団という大軍を上陸させる作戦はたてられるはずがない。だが、政府は軍上層部はこの作戦に乗り気であり、1師団長であるオルトにはもはや止められる術はなかった。
「閣下。ここは冷えます、艦橋に戻られたほうが」
「艦の中にいてもこの寒さは変わらないさ。それよりも、第一陣の上陸はまもなくだったかな」
「はい。先遣隊の1個大隊がまもなく上陸する予定です。付近には一切の敵影はないそうです」
「……そうだといいがね」
「師団長?」
「いや、なんでもない。こんな寒いところの作戦は早く終わらせたいものだな」
「そうですね。こんな気候ですから、人はそれほど住んでいないので制圧事態はすぐに済みそうですが」
若い参謀はそう楽観的なことを言っているが、オルトはとても頷ける気分にはなれなかった。
第2師団第22連隊の兵士たちを載せた揚陸艇が続々と樺太北西部――北浜演習場の海岸に乗り上げ、兵士たちが一斉に海岸になだれ込む。しかし、砂浜に降り積もった新雪に多くの兵士たちが足をとられるのか、思うように前に進むことができない。
そんな、兵士たちのあとに続く形で揚陸艇に載せられていた戦車もゆっくりと上陸していた。
マリス連邦軍の主力戦車「M-10(オリガ)」の外観はイギリス陸軍のチーフテン戦車に似ていた。主武装は110mm戦車砲で同世代の戦車の中でも際立った防御性能を持った戦車だ。
「おいおい。こんなんで戦闘になるのか?」
戦車長のライト軍曹は歩くのに手間取っている歩兵たちに呆れる。
戦車はこういった悪路を走破することを考えて設計されているので新雪の上でも問題はない。後続の装甲車なども同様の構造をしているが、徒歩移動の歩兵は前に進むのがやっとなようだ。
「こんな寒い島なんですから、人なんて殆どいないし。戦闘なんておきないのでは?」
「偵察も殆どしていない場所なんだ。敵が居ないという保証はどこにもないだろ?」
部下である装填手の上等兵は問題ないと笑っているが、軍曹はその油断こそが命取りになると知っているのでそこまで楽観的な考えはできなかった。
「それに、この寒さは俺達にとっても経験がないことだ。長期間の戦闘は難しいだろうな」
逆に言えば戦闘になった場合。地の利がある防衛側が有利に戦える可能性があるということだ。こんな進むのに四苦八苦している状態で奇襲をかけられたら満足に反撃すらできずに撃破されるのがオチだろう。
(偵察隊を送ったって話だが、その偵察隊からの情報が一切ないのもおかしい……偵察隊が拘束されたと、考えるのが自然だろうな)
師団長と同様に先行きに不安を感じる軍曹であった。
樺太州 豊原市
帝国陸軍 豊原駐屯地
帝国陸軍樺太方面軍の総司令部が今作戦の総司令部となっていた。
駐屯地の地下にある司令室には陸海空及び海兵隊の指揮官をはじめとした各軍の幹部将校たちが集まり、大型モニターに映し出されている映像に視線を向けている。
「70年以上ぶりの本土への攻撃だな」
皮肉げな笑みを浮かべて呟くのは陸軍樺太方面軍総司令官の田山中将だ。
宣戦布告されていないため、こうして敵の上陸を確認してから本格的な作戦が開始になることに、田山は内心では納得することができなかった。だが、こうして当初の予想通りに相手は樺太に上陸してくれた。これによって、軍に課せられていた縛りもなくなった。
国土防衛のために好きなようにやれるということだ。
「思えば、あの時も宣戦布告なしの越境攻撃だったか」
田山の言っていることは1950年におきたソ連極東軍による南樺太侵攻である。あの時も宣戦布告なしで突如として北樺太にいたソ連軍が南部に侵攻してきて、同時に北千島にもソ連軍が上陸していた。
結局、その戦争は日本が勝利し最終的に北部樺太も日本領に併合する形になった。それ以後、日本本土が戦場になったことはない。その当時、田山はまだ生まれてもいなかったが、軍人であった父親が現地で戦っているので、その時の話は幼少期からよく聞かされていた。おかげで、田山は大のソ連嫌いになったのだが。
「空軍の早期警戒機からです。敵空母から艦載機の発艦を確認したとのこと。大澤・敷香の各基地から迎撃機がスクランブルしたようです」
「本格的な空戦が始まるな」
「はい。相手はF-14のような外観をしているようですが……長射程の対空ミサイルを装備していた場合は少し厄介ですね」
「たしかにな。だが、電子装備はこっちが上だろう。それに――今回の迎撃機には3式も含まれているようだからな」
「3式ですか……あの機体が搭載している長射程の対空ミサイルならば見つからずに敵を排除することは可能ですね」
「そうだ。それに、地上には家の地対空誘導弾大隊もいる。空軍さんの電子戦機が強力な電波妨害も実施するからな。空での戦いは一方的に終わるだろうな」
早期警戒機EJ-4(93式早期警戒機)からの通報により、豊原市の大澤空軍基地から多数の戦闘機が緊急離陸していった。その中には、国産ステルス戦闘機である3式戦闘機(FJ-7)の姿もあった。
3式戦闘機は、2003年に制式化された国産初のステルス戦闘機だ。
世界的に見てもアメリカのF-22に続くステルス戦闘機の開発で外観はF-22よりやや大型化している。性能面もF-22と同格程度と言われている。現在までに帝国空軍では300機ほどが導入される予定で、樺太の大澤、北海道の千歳、九州の築城と沖縄の嘉手納などの北方・西方の前線基地に優先的に配備されていた。
大澤基地の第9戦闘航空団第120戦闘飛行隊は、初めて3式戦闘機を配備した部隊であり空軍の中でもトップレベルのパイロットたちが集まる精鋭飛行隊として知られていた。
その中でも特に腕利きのパイロットとして知られていたのが安住澄香少佐だ。飛行隊の副隊長を務める彼女は、アグレッサー部隊として知られている小松の第2戦技教導航空団に所属した経験や、中東方面への武装勢力に対する攻撃任務を受けた多国籍軍へ派遣された経験もあった。
帝国空軍では1980年代から女性パイロットの採用が始まった。
安住少佐は父親が海軍航空隊のパイロットだったため、幼少期からパイロットを志し、空軍士官学校に入学。優秀な成績を残したことで戦闘機パイロットになった。以後、15年もの間パイロットとして第一線で活躍し続けていた。
『敵機の総数は約20機。まもなく領空に侵犯する。迎撃機全機は武器使用自由。射程に入り次第撃ち落とせ』
今回はどの機体もフル兵装で空に上がっていた。
中距離空対空ミサイルの05式と近距離空対空ミサイルの14式を装備していた。ステルス機である3式戦闘機は胴体のウェポンベイに05式を6発。側面のウェポンベイには2発の14式が装備されていた。
兵器の搭載量でいえば非ステルス機のF-15FJや83式戦闘機に及ばないが3式の特徴はやはりそのステルス性能の高さだろう。海軍のイージス艦が装備している最新のSPY-6レーダー相手には分が悪いが、少なくとも東側のレーダー相手には索敵されない自信はあった。
まあ、そもそもF-15FJと3式では空戦の概念そのものが違う。
3式は長射程の対空ミサイルによって相手に察知されずに迎撃を行うアウトレンジ攻撃を主眼においている一方でF-15FJは対地攻撃任務も行うことから豊富な兵器搭載能力と更に有視界での空戦を念頭において設計されている。視界外戦闘ではステルス性の高い3式が有利だが、近距離の空戦においてはパイロットの技量にもよるのでF-15FJや83式に撃墜されるなんてケースも模擬戦ではそれなりの頻度で見られていた。
ただ、今回は3式が最も得意とするアウトレンジによる中距離空対空ミサイルによる敵機撃墜だった。相手に関する情報は少ないが、少なくとも先日北浜上空で行われた空戦によって得られたデータはある。
相手の戦闘機はアメリカのF-14に酷似した外観をした大型のデルタ翼機であり、格闘戦能力は比較的高そうではあるが電子装備や兵器に関しては数世代遅れているようだ。
とはいえ、油断出来る相手ではない。F-14といえば第4世代に相当するジェット機だ。第4世代機は地球においても改良は繰り返されながら現在でも主力とされている。油断してかかれば逆にこちらが落とされることになるだろう。
「発射ポイントについた。全機ミサイル発射!」
スイッチを押してしばらく経ってウォポンベイから6発の05式空対空誘導弾が発射された。
樺太北西沖 上空
マリス連邦海軍第2機動艦隊に属する2隻の空母から飛び立った第一次攻撃隊の数は20機あまり。そのうち14機が対地攻撃仕様の爆弾などを搭載し、残りの6機はそれらの攻撃機を守る護衛戦闘機の役割であった。
「攻撃目標が何もわからないし、ロイド中尉が戻ってきてないのが不安だが……これも命令だからな」
第一次攻撃隊を指揮するワイズ少佐は今回の作戦に若干の不安を感じていた。海兵隊が戻らず、更に部隊内でも屈指の技量を持っていたロイド中尉が戻ってこなかったからだ。
自分たちはとんでもない相手と戦争をしているのでは?という内心で不安に思いながらも今回の作戦にあたっていた。
作戦内容はシンプルだ。敵の軍事施設を発見次第破壊。あるいは、上陸部隊の障害になりそうな脅威の排除である。
一切の情報がない状態ながらも目的の島に軍が駐屯していることはすでにわかっているので、進軍ルート上を先に飛行して目についた施設を破壊しろ、というのが作戦前に上官に言われた言葉だ。
『隊長は心配しすぎでは?ロイドもきっとどこかで救助を待ってますよ』
声をかけてきたのは護衛戦闘機部隊を率いているフォード大尉だ。
彼もまた少佐が指揮する部隊ではトップレベルの技量を持った優秀なパイロットだ。ワイズ少佐とは対照的にフォード大尉は今回の作戦を楽観的にみていた。
「そういうお前は楽観的に考えすぎだ……それに、仮にロイド中尉が無事だとしても地上の環境はかなり厳しい」
『だからこそ俺達がその救助の妨げになっている連中を排除して、地上部隊の進軍ルートを確保するんですよ。簡単な仕事じゃないですか』
「そうだといいんだがな……ん?」
『どうか――』
ここで異変がおきた。
機体のレーダーが一面真っ白になり、そして先程までクリアに聞こえていた無線にノイズが混じったかと思うとフォード大尉の声が聞こえなくなったのだ。
「まさかジャミングか?だが、対策はしっかりととられていたはず……それを貫通するってことは」
かなり強力なジャミングがかけられているということを意味している。
それに気づいたワイズは表情を青褪めさせると、同時にコックピット内にけたたましい警報音が鳴り響く。ワイズはそれがミサイルアラートであることにすぐ気付いた。
「くそ……どこからミサイルがくる!?」
周囲は真っ暗。こういうときに頼りになるはずのレーダーはジャミングによって殆ど使い物にならない。ともかく、ミサイルから逃れるためにワイズはチャフ・フレアを放出することでミサイルから逃れようとする。
だが、効果は薄いようで警報音がより逼迫をもったものにかわる。
それはまるで死へのカウントダウンのようであった。ワイズはもう回避は不可能だと感じて脱出装置のボタンを押した。大きな爆発と共にキャノビーが飛び、操縦席が射出される。その数秒後、ミサイルはワイズの乗機に直撃し爆散した。
「……これは」
パラシュートで地上へ降下している最中に空を見上げてみればそこは地獄絵図が広がっていた。次々と飛来してくるミサイルとそれを避けようとする友軍機。しかし、1機また1機と回避しきれずにミサイルに被弾する友軍機たち。いくつか、自分と同じように脱出したパイロットもいるようだがその数は非常に少ない。
「……もしかしたら、我々は絶望的な戦いに挑もうとしているのか?」
楽な戦争になる――誰もがそう思っていた。
だが、それは間違いだったかもしれない。しかし、今更後悔したところで遅い。戦争は始まってしまったのだから。




