20:それぞれの準備
新世界歴元年 1月11日
日本帝国 広島県 呉市
大和記念館
広島市から電車で30分ほどのところにある呉市。
人口は約30万人で県内では広島・福山に次ぐ第3の都市だ。
呉は、横須賀・佐世保と共に日本を代表する軍港都市として知られ、市内の沿岸部には巨大な呉軍港がある。呉軍港には艦隊の後方支援を行う呉鎮守府や、第2艦隊。そして第2潜水艦隊といった艦隊司令部が置かれていた。
軍港から少し離れた海岸沿いには帝国海軍で活躍した戦艦や空母などが記念艦として保存されている。主だった記念艦は、空母「瑞鶴」、戦艦「長門」。そして、近年まで予備役として整備を受けていた世界最大級の戦艦「大和」などがある。
日本に滞在していたガトレア王国の使節団は、日本の歴史を学ぶ一環で国内各地を探訪しており、この日は朝から軍港都市・呉に来ていた。
「これが『ヤマト』か……実物のほうがやはり迫力があるな」
岸壁に停泊している巨大戦艦を見上げて、使節団の代表である外務副大臣のロバート・レストは感嘆の声をもらす。
「我が国でもこれほどの大型戦艦は建造したことがありませんからね」
「早々に空母の優位性に気づいたのもあるからな。ニホンも空母の優位性に早くから気づいていたようだが、それでも戦艦の建造はやめなかったみたいだな」
「この資料によれば、つい最近まで予備役として動かせる状態にあったようですからね。新型戦艦配備に伴い記念艦となった、と書かれていますよ」
「今の時代に新たに戦艦を作るという発想ができるとはな」
「我が国では絶対に考えられませんよ」
「まったくだ」
外交官の呟きに苦笑いを浮かべながら同意するレスト。
パンフレット――というには分厚い本には大和の基礎スペックや、更にそれまでの経歴が事細かに記されていた。歴史資料館ということでスペックよりもその艦歴やそのときに日本や世界で何が起きていたのか、という説明がメインだが。日本や地球に関して殆ど知識のないレストたちにとってはこの分厚い資料集は有り難い存在だった。
「それにしても、日本は大丈夫なのでしょうか?国籍不明艦隊が近づいているという話ですが」
ニュースで普通に流れているのと日本政府から情報をもらっていたので、レストたち使節団も樺太に接近する国籍不明艦隊のことは知っていた。それもあって、本来ならもっと滞在する予定だったのだが安全を考えて、明日の昼頃に日本を発つ予定となっていた。
「艦隊が接近しているカラフトという島には陸軍だけで10万は駐屯しているという話だし、先日フジの演習場で見た実弾射撃演習を見る限り防衛は成功できるのではないか?」
この件、レストはさして心配はしていなかった。
不明艦隊の陣容はわからないが、少なくとも日本側からの説明を聞いていると防衛に関してはどうとでもなりそうだ、という感想だった。
なにせ、樺太だけで陸軍が10万人規模の兵力があるのだ。上陸部隊の陣容は不明だがそれなりに規模のある国でも一度に運べるのは1個師団が限度だろう。
それに、日本は島国だ陸軍以上に海軍と空軍の規模と練度が高いというのはこれまでの視察で嫌というほど理解させられた。一緒に来ていた国防省の役人や、中堅将校たちも「戦争になったらガトレアが負けるかもしれない」と語っていたほどだ。
「それにしても……我が国は大丈夫なのでしょうか」
「今のところ異変は見つかっていないようだが。北に何があるか不明だからな」
少なくとも2000km以内には大陸は見つかっていない。島は見つかったがいずれも無人島だったという話だ。だが、油断することはできないだろう。すくなくとも現代文明レベルをもった国があった場合、いずれ接触する可能性はあるだろう。
友好的な接触ができるのならば、再度外務副大臣であるレストがその国の外交官たちと交渉することになるだろう。願わくば、日本のように穏やかな気風の国であればいいのだが、と内心思うレストであった。
新世界歴元年 1月13日
日本帝国 東京市 麻布区
『――本日未明、樺太北方にて領空侵犯機と日本軍機の間で空戦が発生しました。この空戦によって領空侵犯機が墜落した模様です。空軍によると、墜落地点は北浜演習場の敷地内であり墜落による人的被害は確認されていないとのことです』
「いよいよ始まったか」
昼食のために立ち寄った食堂で樺太でおきた空中戦に関してのニュースが流れていた。そのニュースを見た新聞記者の田辺は小さくついに戦争が始まったか、と呟く。
田辺以外に数人の客がテレビ画面を食い入るように見ていたが、それ以外の客はさして興味を示していないようだ。
『領空侵犯機とはいえ、他国の軍用機を撃墜するなどあってはならないことです!これは軍の暴走といってもいい。政府はちゃんと軍人たちの――』
テレビでは一人のコメンテーターが軍批判を展開している。
このコメンテーターは日頃から反政府的な論調を展開することで知られており、今回の件でもやはり噛みついているようだ。
(この人も、旬はとうの昔に過ぎているよな)
田辺は引き続き「この件は大問題だ!」といい続けるコメンテーターに冷めた視線を向けながら、頼んでいた生姜焼き定食を口に運ぶ。
彼の世間の評価は当然ながらあまりよろしくない。政府批判をするために憶測だけで語ることが世間ではあまり良く思われていないらしい。だが、こういった情報番組では彼のような人物は重要らしい。
「情報を知るにはやはり樺太に行くのが一番か……デスクは認めてくれるかねぇ」
生姜焼き定食を食べ終えた田辺は、樺太へ向かうことを決意した。
もっとも、それを上司が認めてくれるかは別問題だ。
彼の上司は慎重な性格をしているし、「豊原にいったところで戦地の様子なんてわからんぞ?」と言われるのが関の山だろう。どうやって、上司を説得しようか、と田辺は社に戻る中ひたすら考えるのだった。
同日
日本帝国 東京市 新宿区 市ヶ谷
国防省
「市ヶ谷」の愛称で知られる国防省本庁舎。
内局と呼ばれる官僚組織と、統合参謀本部や陸海空軍の参謀本部が置かれる名実ともに日本の軍政の中枢である。
国防大臣の森田康之は、この日の未明に樺太上空でおきた国籍不明機との空中戦に関する報告を受けていた。
「不明艦隊は引き続き南下を続けているのか」
「はい。揚陸艦が先行する形で南下しています。このままいけば、2日以内に沿岸に到着するかと」
「上陸予想地点は北浜演習場だったか……人家が殆どない場所でよかったといえるか」
「一部からは、上陸される前に敵部隊を叩くべき――という意見もありますが」
「それができれば苦労はしないが、我が国は法治国家だからなぁ。明確に宣戦布告を受けていない中では直接攻撃されなければとれる手段はほぼない。領海侵犯した潜水艦や、不明機に関しては警告を無視して行動を続けたといえるが、艦隊に関してはまだ公海の上だからな」
しかも、相手とは言語による意思疎通がまだできないのも問題だった。
言語解析を行っているが、結果がわかるのはまだ先だ。更にいえば、国に関する情報を一般兵がすべて知っているとも限らない。なるべく上位の指揮官クラスも拘束して話を聞きたい――というのが政府の考えだった。
野党などからは今回の空中戦を批判する声も出ているが、日本政府の考えは基本的に「対話」で一貫している。好き好んで戦争を起こそうなんて考えをしている者は政府内にはいない。
戦争には金がかかる。今回だって、相手が引き返してくれるならそのほうがよかったくらいだ。
「幸いな事に住民の避難はすでに終了した。早期に艦隊を発見できたおかげでもあるし、避難がスムーズに進んだおかげだな。もし、土壇場になって避難を決定していたら今頃は避難の対応を優先して防衛線を築く暇さえなかったからな」
早期の避難命令には各所で懸念の声もあった。
なにせ、見つけた時点では本当に日本に向かっているのかといった声が霞が関の中でも多く上がっていたほどだ。与党の政治家からも「これで間違いだったら政権が吹き飛ぶかもしれない」などと言って政府の対応に批判的な者までいたほどだ。
だが、実際に艦隊が樺太に近づいてくるに従って、政府の対応は間違っていなかったという意見が多くなっており、与党内で苦言を呈した者たちは肩身の狭い思いをしているという。
そういった苦言を呈していたのは党内で「反主流派」と呼ばれる勢力が主であり、これを機会に主導権を握ろうと画策したのだろうが、見事に裏目に出てしまったわけだ。
(一大事に政争をしようとするから、こうなるんだ。まあ、これで少しは風通しもよくなるだろう)
与党といっても一枚岩ではない。様々な利権やら思惑やらが混ざり合っているのが政界というものだ。だからといって、国家の一大事なのに政争ばかりにかまけている政治家は後々痛い目にあう。彼らが次の選挙で議席を確保できるかどうかは、背後にいる支持組織次第だろう。
樺太州 豊原市
陸軍 西豊駐屯地 捕虜収容所
北浜演習場で身柄を拘束された、マリス連邦海兵隊の兵士5名は豊原市にある陸軍駐屯地内に設置された捕虜収容所に収容されていた。
捕虜収容所といっても、国際法を遵守する姿勢を見せている日本は捕虜に対して拷問などは行っていない。毎日、定期的に事情聴取が行われるがそちらも高圧的な取り調べではないし、三食もしっかりついている。
収容されている部屋は逃走防止を徹底しているので監獄にいるようなものだが、その待遇に兵士たちは特に不満を持っていなかった。
「なぁ。本当に作戦は実行されると思うか?」
偵察隊の一員であるジョンソン上等兵は同僚のウィルコット上等兵にそんな話をふられた。
「やるだろうな。上の連中は乗り気だって話、部隊の中でも聞いてただろ」
「やっぱりお前もそう思うかぁ。上陸部隊が勝てると思うか?」
「無理だな。戦力の差が激しすぎる。そういうお前はどうなんだ?」
「俺だって勝てるとは思ってないさ」
そう言ってウィルコットは肩を竦めさせた。
収容所に入れられて数日。すでに二人共祖国と日本の国力の差をまざまざと理解させられていた。辺境の島だと思っていたこの島が、実はかなり巨大でなおかつ400万人も暮らしているというのだ。更に、この島を防衛するために10万人以上の陸軍が駐屯しているオマケつきだ。
いくら、マリス陸軍の精鋭たちによって構成されているとはいえ1個師団レベルでこの島を落とすことは不可能だろう。なにより、日本は明らかにマリスよりも技術力が高い。それは、収容所の中にいてもわかるほどだ。
はじめは、徹底的に日本側に情報を割らないと豪語していた小隊長もすっかりと戦意喪失して、大人しく日本側の事情聴取に応じているほどだ。
「戦争が始まれば、陸軍の連中もここにやってくるんだろうな」
「ここにやってくる連中は幸運だがな」
「違いない。ここにやってくるということは生き残ったということだからな。俺達も、先に発砲していたらここには居られなかっただろうからな」
運が良かったと、頷きあう二人。
捕虜ならば少なくとも戦争が終われば国に戻ることが出来るのだから。