19:空の戦い
新世界歴元年 1月13日
日本帝国 樺太 北方沖
マリス連邦海軍第2機動艦隊は、樺太の北西沖300km地点に展開していた。前方には陸軍1個師団をのせた輸送艦や揚陸艦が上陸地点予定である海岸を目指している。
旗艦「キーモス」の飛行甲板上には1機の戦闘機がカタパルトによって発艦していった。
マリス連邦海軍の主力艦上戦闘機「ML-11(プロヴァー)」で、外観はF-14に似ていたが、可変翼ではなく一般的な翼をしていた。
今回の発艦したML-11の任務は樺太の上空偵察である。
本来ならば海兵隊の偵察部隊から上陸地点周辺の地形などの情報が伝えられる予定だったのだが、その偵察部隊は上陸早々に拘束されてしまったため本隊に殆ど樺太に関する情報が送られてこなかった。海兵隊を送り届けた潜水艦も消息不明になっているなど、マリス側からすれば不穏な事態が続いていたのだが、本国の意向もあって作戦は継続されることになっていた。
もし、この場で引き返す選択をすれば事態の結末は違ったものになったかもしれないが、この時点で誰も自分たちがドラゴンの尾を踏みに行っているなどと思いもしなかった。
『「クロクター1」今回の任務に関して改めて説明するか?』
「いやいい。単に偵察をするだけだろう?」
『そうだ。上陸にあたっての脅威になる施設などがあるかどうかを念入りに探してくれ』
「了解。海兵隊の連中がちゃんとしてりゃ空から見つける必要はなかったんだがな」
『連絡が取れない以上仕方がないことだ。敵地への潜入になる。迎撃機が来た場合は戦わずに引き返せ』
「反撃はなしかよ」
『それよりも情報がほしいからな』
「……了解」
『いいな?絶対に迎え撃とうとするなよ』
「わかってるよ。命令はちゃんと守るっての」
パイロットは不満に思いながらも命令違反をする気はなかったのか渋々ながら頷いた。
(このプロヴァーが他国の戦闘機に遅れを取るとは思えねぇけどな)
ML-11(プロヴァー)は今から5年前に、海軍航空隊に正式に配備が始まった新型機だ。海外の同世代の戦闘機に比べても優れた機動性を持っていると言われているが、実戦を経験したことは一度もない。それでも、パイロットはML-11の性能に絶対の自信を持っていた。
同じ頃。敷香の空軍基地ではスクランブルを伝えるサイレンが鳴り響いていた。北部のレーダーサイトが領空に接近する国籍不明機を確認したためだ。
この世界に転移してから初めての警報に、待機していたパイロットたちは一斉に準備してあった戦闘機に向かって走り出した。
敷香空軍基地には第24戦闘航空団が駐屯している。
第24戦闘航空団には2つの航空隊が所属しており、1つは82式戦闘機を配備している第268戦闘飛行隊。
もう一つはF-15FJを装備している第265戦闘飛行隊だ。今回、スクランブル発進したのは第265戦闘飛行隊のF-15FJであった。
F-15Fは、戦闘爆撃機であるF-15Eをベースにして作られた多用途戦闘機で、外観は既存のF-15Cなどと変わらないもののエンジンや電子装置などはすべて最新のステルス戦闘機で用いられているものがそのまま使われている。 ステルス機やそれ以外の新型機よりも安価で性能面で実績十分なF-15をベースにしているということもあり日本以外にも複数の国が導入しており、アメリカ空軍も既存のF-15Cの代わりに導入していた。
『ついに来たようだな』
「そうね……レーダーサイトからの情報によれば不明機は1機だけってことのようだけど」
『ということは偵察飛行か。地上の偵察部隊がこっちに拘束されたから向こうは樺太の地形はまるでわかっていないんだろうな』
今回、スクランブルで上がったのは第265戦闘飛行隊に所属している早見皐月大尉と笠原雅也大尉が操縦するF-15FJだ。
最大で12発の05式中距離空対空誘導弾(AAM-7)を搭載でき、今回もそれぞれ8発のAAM-7と4発のAAM-8(13式空対空誘導弾)を装備していた。
『こちら<オオワシ>。不明機はすでに領空に侵入した模様。飛行高度は低空でありこちらのレーダーから逃れようとしているようだ。再三に渡って警告を無線で流しているが一切の反応はない』
『やっぱり、こっちと話す気はないみたいだな』
「地上で拘束された戦闘員も殆ど言葉が通じていないみたいだし、多分言葉の意味がわからないんでしょうね」
『ニュアンスでわかるだろうから明らかに意図的に無視しているな。普通に撃墜したほうがいいんじゃないか?』
『<フォルコ2>撃墜命令は出ていない。くれぐれも勝手な真似はするなよ?』
『わかってますよ。軍法会議なんて受けたくないんでね』
理解はしているが納得はしていない。
笠原の声音はそんな不満が多分に含まれていた。
誰が見たって相手は樺太を攻撃しようとしている。ならば、その前にさっさと叩くべきだし。そのチャンスがあるのに上陸してこなければ何もできないことにもどかしさを笠原は感じていた。
(笠原くんの気持ちはわかるけどねぇ……)
一方の早見は比較的冷静だ。
まだ、日本は実害を受けていないし、更に艦隊は公海上にある。
先手必勝とばかりに先に攻撃を仕掛けるのはリスクが大きく、これが侵略目的ではなく対話目的だった場合は途端に日本から戦争をふっかけたことになってしまう。いくら、転移によって近隣国以外との通信が殆どとれていない状況であっても、通信網が復活したときにこの事が露呈したら、ソ連や北中国からの攻撃材料になりかねない――と、日本政府は考えていた。
これが、向こうから宣戦布告をしてきた場合ならば「防衛」という口実で接近してくる艦隊を攻撃することもできたのだが。
(それにしても、殆ど情報がない場所を攻め込むって相手は相当切羽詰まっているのかしら?)
その頃、ケビン・ロイド中尉がパイロットを務めるML-11は北浜演習場の上空を飛行していた。基地を探すためにカメラを起動するが、カメラに映るのは森と雪原くらいなものだ。
「本当にこんなところに基地なんてあるのか?」
しばらく飛んでも変わらない景色に首をかしげるロイド中尉。
実は、眼下には演習場を管理する部隊の駐屯地があったのだが雪の影響で建物の屋根と地面の区別がつかずに中尉は見落としていた。
更にしばらく飛んでいると、レーダーに2機の機影が映し出された。
「チッ……もう迎撃機が上がってきたのか」
いずれ迎撃機が上がってくるとは思っていたが、予想以上に早い接触にロイドは思わず舌打ちをする。実はかなり前から日本側がロイド機の存在に気づいていた。
慣例に則って無線で警告もしていたが、意味のわからない言語での警告は集中力を削がれると感じたロイドが無線を切ったことで物理的に聞こえなくなっているが、現在でも繰り返し警告が無線を通じて行われていた。無線封止状態ではあるが無線そのものを切るのは規則違反だ。だが、理解できない言葉を延々と聞かされるのがロイドにとって我慢できなかったようだ。
「まだ、基地すら見つけてねぇのに……」
迎撃機が上がってきた場合は無理をせずに撤退しろ、というのが事前の打ち合わせで決まっていたことだ。しかし、基地を撮影せずに母艦に戻るというのは与えられた仕事はしっかりとこなすことを一番にしているロイドのプライドが許さなかった。
偵察任務ということで武装は最低限だ。一応、自衛用の空対空ミサイルはある。
「プロヴァーの性能は確かだ。どんな相手だってタイマンならなんとかなるはずだ……」
ロイドは、当初にあった指示を無視し迎撃機に挑むことにした。
「米軍のF-14みたいな見た目をしてるわね」
国籍不明機はアメリカ海軍でかつて運用していたF-14に似た外観をしていた。北浜演習場付近を飛行していた不明機は、後退するのではなくこちらに近づくという選択をとった。F-15FJはステルス機でもないので向こうのレーダーにもしっかりと映っているはずだ。それなのに、目視できるところまで近づいたということは交戦の意思があるということなのだろう。
それは、偵察任務ならば完全に間違えた行動だ。
偵察任務の優先事項は生きて情報を持ってくること。だから、無駄な戦闘を避けるように事前に言われているはずだ。仮に迎撃機が上がってきても接敵する前に退避をする――それが一般的なはずだ。
確かにもしものために最低限のミサイルなどは装備している場合もあるが、少しでも機体を軽くするために殆ど武装を搭載しないというケースも多い。今回こちらに向かってくるということは最低限自衛ができるだけのミサイルは搭載しているのだろうが、だとしてもパイロットとしては悪手だと早見は思った。
「相手のパイロットは血気盛んみたいね」
『それか、俺等が相当嘗められてるかだな』
「偵察任務の片手間で処理できると思われているってこと?」
『じゃなけりゃ、普通に情報を持ち帰るのを優先する』
「たしかにね――随分と嘗められているわね」
『だろ?それで<オオワシ>さんよ。向こうから仕掛けてきたら反撃しても構わないよな?』
『――ああ、もちろんだ』
少しの間を置いて、早期警戒機のオペレーターは「反撃」を認める。
それまで止めたら貴重なパイロットを失うことになる。それはオペレーターとしても避けたいことだ。それに、再三にわたる呼びかけに一切反応しない相手側にオペレーターもまた思うところはあった。
司令部も、反撃に関しては制限をかけていなかった。司令部が恐れているのは「日本が先に仕掛けた」と思われる事態になることだ。逆に向こうから仕掛けてくるならば、むしろ日本が堂々と反撃できる大義名分になるとさえ考えていた。
そんな会話をしている最中。ミサイルアラートが笠原機のコックピットに鳴り響いた。
「見た目は、ダストニアの戦闘機に似ているな」
迎撃機を目視で確認したロイドの感想はこうだった。
ダストニアというのはマリス連邦と対立している列強の一つだ。マリス連邦を上回る軍事力を持っており、多くの海外領土を抱えていた。そのうちの主力戦闘機とF-15FJは似ているとロイドは感じた。実際にはダストニアの主力戦闘機はF-15A相当のもので、F-15Eをベースに再設計されたF-15Fは外観こそF-15Aに似ているものの中身はかなり違っている。
「ともかく先手必勝だ!」
迎撃機のうちの1機をロックオンして、ロイドはトリガーを引いた。
発射されたミサイルは射程20キロほどの近距離空対空ミサイルだった。
性能は初期の近距離空対空ミサイルであるサイドワインダー相当のもので、誘導方式は赤外線誘導であった。
一方の笠原はすぐにフレアを放出して回避行動をとった。
ミサイルの性能が進化し続ける中で、その妨害手段もまた日々進化し続けている。笠原機に向かっていた対空ミサイルは、フレアによる妨害によってあらぬ方向へ飛び去り――そして爆発した。
笠原はお返しとばかりに同じ空対空誘導弾である13式を2発発射する。
13式は赤外線妨害に対応した新型の赤外線シーカーを装備した近距離空対空ミサイルであり、高い命中精度を誇ることで世界的に知られていた。他国へも輸出されているほどで、アメリカの最新型のサイドワインダーと並んで西側陣営では一般的な近距離空対空ミサイルであった。
「チッ……外したか」
ミサイルが回避されたことに気づいたロイドは再度舌打ちをする。
その直後、ミサイルアラートがコックピットに鳴り響いたが、ロイドはこの時点ではまだ落ち着いていた。ML-11の機動性とフレアをあわせれば十分に回避できるはずだった。
だが、ミサイルアラートは鳴り止まない。それどころかより逼迫したものにかわっている。ようやく、ここにきてロイドの表情に焦りが見えた。
「くそっ!振り切れない!」
なんとか振り切ろうと操縦桿を操作するがその足掻きは長く続かなかった。13式空対空誘導弾はML-11の右翼付近に命中。機体の制御がきかなくなり雪原へと落ちていった。
パイロットのケビン・ロイド中尉は衝撃によってか意識を失い脱出することもできず機体と運命を共にした。
空母「キーモス」
「偵察機が戻ってこないだと?」
マリス連邦海軍第2機動艦隊司令長官、ヘンリー・ルックフォード中将は参謀から偵察に出ていたML-11が戻ってこないという報告を受けていた。
「はい。偵察に出ていたML-11が1機、予定時刻になっても戻ってきておりません」
「無線は?」
「現在のところ一切応答はありません」
「では、撃墜されたということか」
「……それか、何らかのトラブルにより不時着した可能性もあります」
「では救難信号は?」
ルックフォードの問いに参謀は青褪めた表情で首を横に振った。
パイロットは海軍航空隊の中でもトップレベルの技量を持っていたことをルックフォードは知っていた。そんな彼が撃墜されたというのは信じられないことだが、時間になっても戻ってこないということは最悪を想定したほうがいいだろう。
「相手への認識を変えなければいけないな……」
この時点でルックフォードは相手は、他の列強並だと認識を修正する。
だが、これ時点でもまだ「なんとかなる」と心の片隅では思っていた。
それが、間違いだと知るのはそれから数日後のことだった。




