17:バルカンの危機
新世界歴元年 1月6日
バルカン半島 ギリシャ共和国 北東部
かつては「世界の火薬庫」と呼ばれたバルカン半島の南端とエーゲ海などに浮かぶ島々によって構成されているのがギリシャだ。
古代文明などで知られる観光の国だが、ギリシャという国家ができたのは意外にも最近で1830年のことだ。それまでは長らく隣国のトルコを前身であったオスマン帝国によって支配を受けていた。現在でも、そういった歴史的経緯がある関係でギリシャとトルコの関係は非常に悪い。
同じNATOに属していながら、武力衝突を起こすくらいには仲が悪い。
まあ、そんな仲の悪い隣国も1週間前に突如として消え、代わりに未知の陸地がトルコとの国境になっていた川の対岸に出現した。ギリシャ政府は陸地の調査のために陸軍1個中隊を派遣したが、派遣して数日経っても調査部隊からの返答はなく、追加の部隊派遣を検討していたところで現地から耳を疑うような報告が届いた。
「1個機甲師団規模の国籍不明軍が川を超えてきた」と。
後に「ガリア戦争」や「第三次バルカン戦争」と呼ばれる戦争の始まりであった。
新世界歴元年 1月7日
ドイツ連邦共和国 ベルリン
大統領官邸
ヨーロッパ最大の経済力と工業力を持った大国・ドイツ。
第一次・第二次世界大戦では敗戦国となり一時的にアメリカ・イギリス・日本など西側陣営による占領下に置かれた経験もあるこの国は、主権を回復した1952年以降にその持ち前の勤勉の国民性を発揮してか、瞬く間にヨーロッパ最大の工業国へと返り咲き、フランスやイギリスと共に欧州統合を謳ったヨーロッパ連合で主導的な役割を果たし、更には国際連合の安全保障理事会の常任理事国に名を連ねるなど、かつてのドイツ帝国以上の存在感を国際社会で発揮していた。
「すまないが。もう一度言ってくれないか?」
ドイツ連邦共和国の国家元首である連邦大統領のイザーク・シュナイダーはたった今秘書官から耳を疑うような報告を聞き、思わず聞き返した。
「は、はい。現在、ギリシャとブルガリアが国籍不明の軍隊による攻撃を受けているとのことです」
「……どうやら聞き間違いではなかったようだな。続きを頼む」
聞き間違いであることを祈っていたが秘書官から同じ言葉が続いたのでシュナイダーは現実を受け止めることにした。
報告によれば、ギリシャ北東部に――1週間前までトルコとの国境であった――繋がっていた大陸から国籍不明の軍隊約1個師団が侵攻を開始。瞬く間に西トラキアと呼ばれる地域が占領された。更に、隣接するブルガリアも別の国籍不明軍による侵攻を受けているという。
両国共に欧州連合。そしてNATOに加盟しており、すぐに両国政府は欧州連合とNATOに対して軍事支援を要請したのだという。
「わかっている情報は少ないな……」
現時点でわかっているのは相手の装備がかなり近代的なものであること。
都市部への攻撃に一切躊躇がないこと。練度事態はかなり高く戦争慣れしていることなどが、現時点でわかっている情報だった。
「今、出せるのは?」
「即応体制がとられている2個装甲師団と1個航空師団です。すでにギリシャへ向かう準備が行われています」
ギリシャもブルガリアもNATO加盟国であり、要請があった場合はNATO加盟国は速やかに部隊を派遣することになっている。そのために常になにかあった時のために即応待機している部隊が各国にはあった。
ヨーロッパ最大の陸軍国家であるドイツにおいては、2個機甲師団と1個航空師団がそれに当てはまった。ドイツ陸軍の兵力数は約70万人。これはソ連を除けばヨーロッパ最大。空軍も約10万人の将兵が所属しており、戦闘機を中心とした作戦機は1200機とこちらもヨーロッパ最大規模の空軍戦力を擁していた。
世界大戦で2度敗北した国とは思えない戦力だが、それだけドイツの工業力と経済力は他国を圧倒するものにまで成長したといえる。
「各国の対応は?」
「在欧米軍は偵察機を現地へ派遣。イタリアは1個飛行隊をスクランブルさせており、ユーゴスラビアも部隊の移動を始めているようです」
「さすがに米軍は動いたか。たしか、アメリカ本土との通信はまだ回復していなかったはずだが」
「現場指揮官の対応で派遣を決めたようです」
「政府の横槍が入らない分、むしろいつもより早い行動が期待できそうだな」
「現政権はまだこちらに融和的だと思いますが」
「たしかにそうだ……いや、前政権があまりにも自分のことしか考えていなかっただけで、それより後の政権は何をしても融和的に見えるだけだな」
そう言って渋い顔になる大統領。
それだけ、ローベンス政権の前に大統領をやっていた人物は強烈だったともいえる。政治家ではなくビジネスマン出身の大統領はそれまで大統領を独占的に輩出してきた2大政党ではない第3勢力として大統領選に参戦して、既存政治の停滞具合を憂いていた有権者の支持を受けて大統領になった。
2大政党以外の候補者が大統領になったのは第二次世界大戦後では初めてのことで、当時は世界中でニュースが駆け巡った。
彼は「強いアメリカを取り戻す」というスローガンの下、普通の政治家がしないような改革を次々と実行した。
ただ、それはアメリカの利益のみを求めた改革であり、他国にとっては迷惑なものばかりだった。特に、関税の引き上げは最大の同盟国である日本からも強い反発が出たほどだが、前任者はそれを強行。逆に各国が連携してアメリカへの関税を大幅に引き上げるなどの対抗策をとられる事態となり、1ヶ月後には元の関税に戻すなどした。
更にヨーロッパに対しては「軍拡しろ。できないなら我が国の軍隊への予算を増額しろ」などと言ってきた。ヨーロッパで最も多くの米軍が駐屯しているのはドイツであり、当然ながらドイツ政府は反発する。
現時点でもドイツはヨーロッパ最大の陸軍力と空軍力を抱え、更にはヨーロッパで最も多くの米軍の駐屯を認めており、多額の予算を米軍関係に投じていただけに、彼の発言は横暴にしか聞こえなかった。
こちらは撤回されることはなかったが、逆にその通りに動いた国も少なかった。各国共に事情があってのことだが、前大統領は退任するまで不満だったようで退任会見でも「NATOはすでに崩壊している。ヨーロッパは我が国の軍事力のみを目当てにしている」とヨーロッパ批判を繰り返していた。
アメリカ国内でも深刻な対立を生み出したと言われている前大統領はいろいろな意味で「劇物」だったといえる。
後任の大統領であるローベンスは2大政党の一角である共和党出身であり、彼が就任して最初に行ったことは前任者のやった改革の見直しで、更には前任者が怒らせた各国への謝罪行脚だった。
とはいえ、ローベンス大統領も前任者に比べたら穏健というだけで、端々にはアメリカ大統領らしい傲慢さが出ている――というのがシュナイダーの感想だった。
ヨーロッパからみればアメリカはやはり「新参者」でしかなく、もとを辿ればアメリカ人の大半がヨーロッパからの移民や植民という認識がまだまだ強く残っている。なので、そんな国が自分たちの上の立場にいようとするのが純粋に面白くないのだ。
まあ、最近ではそんな考えを持つヨーロッパ人も減ってきていたのだが、「劇物」の出現によって反米感情が強まりヨーロッパとアメリカの対立は双方と対立していたソ連にとっては両者の離反工作を促進させる「贈り物」ともなった。
今回の騒動で幸いだったのは、ソ連が物理的に消えたことだろう。
恐らくこの世界のどこかにはあるのだろうが、少なくともこれでソ連の脅威は消えた。代わりの脅威が別からやってきているのからは目を背けたいがそうも言ってられない。
「それで、相手の戦力は現状2個師団だけなのか?」
「現時点で確認できるのはそれくらいですが、現在は更に増援が送り込まれている可能性が高いかと」
「アメリカからの報告待ちか……」
こういうところでアメリカ頼みになってしまうことに若干の不満を感じるシュナイダー。すべてが終わったらヨーロッパを主体にした軍事同盟を提言しようと内心決意するのだった。
同日
ギリシャ 北東部
西トラキアの主要都市であるアレキサンドポリ。
人口5万人ほどのこの街が、現在ギリシャにとっての前線であった。
防衛にあたっているのはギリシャ陸軍の第4機械化歩兵旅団。元々、この地域に駐屯していた部隊でありギリシャ陸軍の中でも精鋭部隊の一つとして知られていた。
ギリシャにとっての仮想敵は同じNATOに属するトルコだ。
そのため、元々北部はギリシャ軍の中でも練度の高い部隊が駐屯しているのだ。だが、今回は相手の物量にギリシャ軍はやや押されている状態だった。
「正面。敵戦車!」
街は前日から続いている戦闘によって多くの建物が破壊され瓦礫があちこちに散乱していた。そんな瓦礫の中から出てきたのは直線的な外観をした現代的な戦車が1両。
瓦礫の物陰に隠れているギリシャ兵には気づいていない様子で、すぐにギリシャ兵は持っていた対戦車ミサイル「ジャベリン」を敵戦車に向かって発射する。発射されたミサイルは戦車に命中し、戦車は行動を停止する。
兵士たちはそれを見届けることなく、敵に見つからないように潜伏場所を変えていった。ギリシャ軍は所謂ゲリラの戦術を使っていた。真正面からぶつかったところで簡単に相手に押し負ける。できるだけ部隊を温存しながら増援を待つ方法は、ゲリラ戦術しかなかった。
「NATOからの増援。いつくるんだ?」
「航空部隊はもう来ているらしいぞ。何機か敵の戦闘機を落としている。地上に関してはユーゴは今日中に到着予定って話だ。ただ、ドイツと米軍はもうちょっとかかるだろうな。なにせ、距離があるからな」
「ユーゴが来るだけでもまだマシか……」
兵士たちがそんな会話をしている最中にも、あちこちで爆発音が聞こえ続いてジェット機の音も聞こえてくる。これは、敵国の攻撃機によるもので中心部を無差別に爆撃しているのだ。
「奴ら好き放題に爆撃しやがって……」
「国際条約もあったもんじゃないな」
自分たちの国を好き放題に攻撃する敵に憤りを隠せない兵士たち。
しかし、真正面からぶつかったところで自分たちが勝てるわけではないのでグッと堪えている状態だ。しばらくすると、上空に戦闘機が2機やってきた。地上からだとよく見えないが、先程まで爆撃をしていた敵の攻撃機に対してミサイルを発射しているところを見るに友軍の戦闘機らしい。
地上の戦いに関しては、数の暴力で耐える時間が続いているが。一方で空に関してはドイツやアメリカ、イタリアの戦闘機がやってきているので比較的ギリシャ側が有利に進んでいた。
もっとも、ギリシャ空軍に関しては前線に近い基地が攻撃を受けているなどして飛ばせる戦闘機の数はかなり限定されていた。
「あれ、米軍のF-22だな。ドイツから飛んできたみたいだ」
「ならしばらく空はなんとかなるかもな。奴らがF-22に対抗できる戦闘機を持っていないことが前提だが」
アメリカ空軍の主力ステルス戦闘機のF-22。登場してからすでに30年ほど経っているが未だに世界トップレベルの性能を持った戦闘機であり続けている。まあ、その分調達費用が跳ね上がり更には機密情報の塊になってしまったため同盟国でさえ売ることができなくなった戦闘機でもあった。後に同盟国へはF-35が売られることになり、ギリシャもF-35を40機ほど購入しており、今回の防衛戦でも投入されていた。
しばらくすると、敵の攻撃機の姿が見えなくなった。
殆どが撃墜か、あるいは逃げていったようだ。
だが、まだ油断はできない。地上の敵はまだまだ健在だからだ。
ガリア帝国陸軍 第37騎兵師団 第370騎兵連隊
「蛮族相手に何を苦戦している!?」
豪奢な軍服を着た恰幅の良い男が唾を飛ばさん限りの怒号を装甲車の中で発する。
この男は、今回ギリシャに軍事侵攻を行ったガリア帝国陸軍の大佐であり「伯爵家」の三男坊だった。彼が連隊長を務めている第370騎兵連隊は、ギリシャに侵攻した第37騎兵師団に所属する歩兵連隊で、師団の中で真っ先にアレキサンドポリに進軍していた部隊だった。
ガリア帝国はガトレア王国と同じ世界「テラス」にあった君主制国家で「6大国」には及ばないものの広大な国土と人口を抱えた大国だ。
皇帝や貴族が大きな政治的権限を持つ「絶対君主制」国家であり、軍の要職も貴族が占められていた。
ロンガリア大陸の北部に位置するガリア帝国はこの世界に転移する前は、日本と交流をもったガトレア王国と「フローリア諸島」という島を巡って対立していた。元々、亜人種を迫害する「人間主義国家」であったガリア帝国とエルフ族を主体とした「亜人国家」であるガトレア王国の関係は悪かったが、ガリア帝国の北方に位置していたフローリア諸島に豊富な天然資源があることがわかると、ガリア側が「元からフローリア諸島はガリアの領土だった」という難癖をつけて軍事的挑発を繰り返すようになってからは両国の関係は一層悪化した。
特にこの20年間はガリアが何度もフローリア諸島を占領すべく、軍を進めてはガトレア側に排除されるというのを繰り返していたほどだ。これは、ガリアが歴史的に陸軍国家であり海軍戦力が脆弱だったからだが、近年はガトレアに対抗するために海軍の戦力も増強していた。
権威主義国家であるため国際社会からは孤立しているものの、同様の思想を持つ国々との交流は積極的に進めていた。
特にルーシア人民共和国とは軍事同盟を結ぶほどに良好な関係を築いていた。
転移によって突如としてバルカン半島とガリア南西部が陸続きになったことで、ガリアはバルカン半島に少数の偵察部隊を送り込んだ。その偵察部隊から「攻め込むのに容易」という報告があったことから、バルカン半島への軍事侵攻を決め、実際に侵攻を行ったのだ。
しかし、彼らにとってギリシャ軍の抵抗は完全に想定外のことだった。
連隊長にとってみれば、このまま苦戦が続けば貴族社会や軍部での立場がなくなるので、面白くなかった。なので、部下たちに八つ当たりのように怒鳴り散らしていたのだ。
「て、敵の抵抗は想像以上ですが。このまま攻撃を続けていればやがて鎮圧することは可能でしょう。兵力は我々が上ですから」
「そうだといいがな……くれぐれもこの私の顔に泥を塗るようなことはするなよ?」
副官である少佐の報告に連隊長はそう言って鼻を鳴らした。
それから2時間後。住民の避難を確認したことからギリシャ軍の部隊が撤退。抵抗がなくなったことからガリア軍はアレキサンドポリの町を占領したが、連隊長は部下たちに町の建物を徹底的に破壊するように指示した。
その理由は「蛮族が我々に抵抗したから」という非常に幼稚なものだった。
そして、戦争が起きているのはヨーロッパだけではなかった。
 




