14:近づく脅威
新世界歴元年 1月10日
樺太州 奥端支庁 奥端市
国鉄 奥端駅
奥端市の中心駅である国鉄奥端駅は、大泊から続く国鉄「樺太本線」の終着駅であり、日本最北の駅だ。ホームは頭端式でありホームの先に駅舎はある。奥端市の中心駅ではあるが、豊原から奥端へ向かうメインルートは飛行機であり、朝夕を除けば基本的に駅構内は閑散としている。
しかし、避難命令が発令されたこの日は普段とはまるで様子が違った。
避難準備を済ませた住民たちが大きな荷物を持って次々とホームに停車している列車に乗り込んでいる。
普段は短い編成の列車が停車する奥端駅のホームだが、避難命令が発令されたことに伴い普段では決して見ることのできない12両という長編成の列車がホームには停車していた。
「まさか、生きている間に避難命令が出るとはなぁ」
そんなことを呟くのは、地元テレビ局の奥端支局に務めているカメラマンだ。彼は現在、国鉄で避難する住民たちの様子を撮影していた。
カメラマンは生まれも育ちも樺太で、昔から「ソ連が攻めてくる」なんていう話は子供の頃から聞かれていた話だ。実際に攻めてくることはなかったが、報道の仕事に入った時、実はソ連の工作員がかなりの頻度で上陸していた――なんてことを聞いて肝を冷やしたことも多いし、ソ連軍が樺太近海で演習をしていたというニュースを聞くたびに不安にもなったが、ここ数年は「ソ連が日本に攻め込む余裕なんてない」と思うようになっていた。
そんな中でおきた今回の騒動。
そもそも、日本が「異世界に転移した」というだけでも信じられない大ニュースだったのだが、その上で「攻撃を受ける可能性があるので北樺太に避難命令」だ。
豊原の本社からの指示もあって、彼は急いで人が最も集まりそうな国鉄の駅へやってきたのだが、その予想通り普段と異なり多くの人が駅に押し寄せていた。それでも、避難命令が出た割には住民たちは落ち着いているように見える。これも、日頃の避難訓練のおかげや住民たちの危機意識の高さによるものだろう。
「よう。竹村」
「ん?久保田か。やっぱりお前もこっちに来たのか」
カメラマンに声をかけてきたのは地方新聞の支局に勤めている新聞記者だった。それほど大きくない地方都市に常駐しているということもあり、取材現場で遭遇することも多いので顔なじみだ。
人事異動などで顔ぶれは時折変わるのだが、カメラマンや記者はもう何年も奥端勤務。なので、プライベートでも付き合いがある程度には親しい間柄になっていた。
「ここが一番、住民の話を聞きやすいからな――一見すると冷静に見えるがやっぱり誰も困惑していたよ」
「だろうな。避難命令が発令されるなんて初めてのことだからな。しかも、今度の相手は色々と知っているソ連じゃなくて『異世界』だからな」
「せっかくもう一つの異世界の国とは仲良くやれてたのにな」
「まったくだよ――それで、軍はもう迎撃準備を整えているのか?」
「さあ?知り合いの兵士に聞いてみたけれど誰も彼も忙しいの一点張りで何も教えてくれなかったよ」
「もう、情報統制に入っているのかもなぁ……それで、お前も避難するのか?」
「本社からは限界までここで取材しろってさ」
「ウチも同じだ。恐らく最後の便あたりで敷香へ行くことになりそうだ」
メディアにとってみれば、今回の件は視聴率を稼ぐ絶好のチャンスなので、現地にいる記者たちに対してなるべく最後の瞬間まで現地にとどまるように指示を出していた。現場の人間からすれば「勘弁してくれ」と文句をいいたくなるような指示だが、一部はむしろ乗り気で前線に近い位置でカメラを構えようと画策している者までいたほどだ。ただ、この二人はさっさと戦場から離れたいと考えていた。スクープのために自分の命を投げ出したいと思うほど、二人共取材に命をかけてはいなかった。
程なくして、大勢の避難民を乗せた臨時列車が発車する時刻となる。
ホーム上では駅員によって次の列車はすぐにやってくると繰り返しアナウンスされていることもあって、ホーム上はさして大きな混乱は起きていない。やがて発車ベルが鳴り響くと列車はゆっくりと奥端駅を発車していった。
それから10分後。後続の臨時列車が奥端駅のホームへ進入してきた。
新世界歴元年 1月9日
日本帝国 樺太 北方沖3000km
マリス連邦海軍 第2機動艦隊
旗艦「キーモス」
樺太から北方3000kmほど沖合にマリス連邦第2機動艦隊はいた。
旗艦である空母「キーモス」を中心に、ミサイル巡洋艦1隻、ミサイル駆逐艦2隻、フリゲート艦5隻からなる機動艦隊で、その後方には陸軍1個師団をのせた揚陸艦隊が続いている。
彼らの目的地は、樺太だった。
マリス連邦政府は、この世界に転移して早々に発見した未知の島「樺太」を自国領にすることを決定して、そのために主力艦隊である第2機動艦隊と陸軍1個師団を送り込むことを決めたのだ。
旗艦である空母「キーモス」は同国海軍最新鋭の空母だ。
満載排水量7万トンほどの中型空母で3基の蒸気カタパルトを設置しており、艦載機約60機を運用することができる。同型艦は2隻で「キーモス」は2番艦にあたるが、現在更に2隻の建造が予定されていた。
その外観は地球における一般的な空母のものと同じだが、日本海軍関係者がみれば「40年前の艦隊のようだ」という程度にはステルス性にあまり考慮した外観とはなっていない。レーダーも昔ながらも回転式のもので、飛行甲板に駐機されている艦上機の姿も地球からみれば1世代、2世代ほど前のものに酷似していたが、マリス連邦があった世界「ユーリス」では最新鋭のものばかりだ。そう、彼らの暮らす世界「ユーリス」は地球とは半世紀ほどの技術の遅れがあったのだ。しかし、そのことに彼らは気づくのはまだ先だ。
この時点では、1個機動艦隊と1個師団を送り込めば島は普通に占領できる、と誰もが思っていた。
「上陸した偵察隊と連絡がとれない?それは本当なのかね」
第2機動艦隊の司令官は参謀から、偵察のために樺太に上陸していた海兵隊と連絡がとれないことを伝えられ怪訝な顔をする。
「はい。彼らを送り込んだ『ジ・アス』との通信も不通となっています」
「最後に連絡をとったのは?」
「昨日の夕方です。今朝の提示連絡から一切応答がありません」
「……まさか、やられたのか?」
「可能性はありそうかと」
「ふむ……」
司令官は考える。
事前の潜水艦などによる偵察によって樺太は自然環境は厳しいながらも、沖合にガス田や油田が点在するなど天然資源は豊富にありそうな島であるという報告を受けていた。自然環境が厳しいというのは気がかりだが、天然資源があるならば占領する価値はあると本国は判断して部隊を送り込んだわけだが、島に駐屯している防衛戦力に関しての報告は一切なかった。
人が居住していることから軍は駐屯しているとは考えていたがその規模は環境から見て限定的であろうと判断していたのだ。
「戦力は限定的と見ていたが、間違いだったかもしれないな」
「如何しますか?」
「作戦の中止はないし、この第2機動艦隊と陸軍1個師団があれば島の守備隊くらい軽く潰せるだろう。このままの状態でいく。ただし、航空偵察はより念入りにやろう」
偵察隊や潜水艦との通信が途絶えたのは気がかりではあるが司令官は攻略を続けることを選択した。
それが、自分たちを破滅の道へ進むことも知らずに。