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13:避難命令

 新世界歴元年 1月10日

 日本帝国 樺太州 間宮市

 間宮駐屯地

 第25歩兵師団 司令部



 北樺太の西部にある間宮市。

 その名の通り間宮海峡の側にある港湾都市であり、人口は約20万人。北樺太最大の都市だ。

 第25歩兵師団は北樺太防衛を担当する師団であり、間宮に司令部をおいていた。樺太には南樺太に第23・24歩兵師団と第2機甲師団が、更に北千島には離島防衛を担当する第50歩兵旅団が駐屯しており、連携して主にソ連から樺太を守備していた。



「侵入者は春崎駐屯地へ移送されました。なお、意思疎通は現時点でできていません」

「ここにきて言葉が通じない者たちと遭遇するとはなぁ」


 駐屯地にある会議室において、師団の主だった幹部たちが顔を揃えている。

 参謀の一人が北浜演習場であった一連の出来事を報告している。侵入者は5人組であり、いずれも戦闘服を身にまとっていたことからどこかの国の軍人であることはわかる。

 だが、お互いの言葉が通じないので現時点で意思疎通ができない。

 日本からすれば彼らの発する言語は英語のようにも聞こえるのだが全体的に意味が違っているらしく、会話が成り立っていないのだ。向こうもこちらが発する言葉はわからず困惑しており、筆談をしても文字形態が異なっていることからこちらでも意思疎通はできていない。

 ガトレアはある程度、地球側の言語と似た言語を使っていたこともあり意思疎通はできたのだが、どうやら今回接触した相手は更に別世界からやってきた国のようだ。もしかしたら、元々この世界にあった国からやってきた可能性もあるが、これも意思疎通ができなければわからない。


「今回拘束した5人は恐らく偵察兵だろう」

「つまり、今後追加部隊がやってくる可能性があるということか……」

「どれくらいの規模の国なのかもわからないが、沿岸部の警備はより厳重にしなければな」

「そういえば、海軍の海防艦が国籍不明の潜水艦を発見していたな……」

「今回の件と関係は大いにあるだろうな」


 地球の常識ならば「攻め込んでくるにはリスクがある」と考えるのが一般的だが、ここは異世界だ。地球の常識なんてもので相手が行動してくるとは限らない。


「確実に攻め込んでくるだろうなぁ」


 師団長の山本が苦々しい顔で断言する。

 ちなみに、これには根拠というものはなく山本の勘によるものだがこの場にいた幹部たちから「そんなことはおきない」という楽観的な言葉は一切出てこない。

 とはいえ、彼らとしてできることは最悪の事態に備えることくらい。

 住民の避難などを決めるのは行政であり政府だ。

 すでに、この情報は北部方面軍を通じて陸軍参謀本部、国防省そして総理官邸に伝えられており、今頃閣僚たちが対応を協議しているころだろう。その協議次第で陸軍の動きも変わるのだ。




 同日

 日本帝国 東京市 千代田区

 総理官邸



 

「住民の避難をなによりも優先すべきでしょう」

「だが、奥端支庁の人口は約18万人。周辺支庁の人口をあわせれば30万人になる。いくら北樺太は我が国の中で人口が少ないとはいえ短期間に30万もの人間を迅速に避難させるのは難しいのでは?」

「そもそも、本当に他国が攻め込んでくるのですか?ガトレアのように何らかの理由で漂着したと考えるべきでは?」


 官邸地下で行われている国家安全保障会議。

 今回は、北樺太で発見された国籍不明の武装集団に関するものである。

 軍からは「何らかの勢力が軍事行動をする前兆である可能性は高い」という見解が先に述べられており、それを受けて内務大臣は迅速に住民を避難すべきだ、と主張したが、一部の閣僚からは「そもそも本当に攻め込んでくるかわからないのに住民を避難させるのはリスクが大きい」という反対意見が飛び出た。

 東西冷戦が続いていることもあり、日本帝国は現代日本に比べればだいぶ政治家の危機意識は高いのだが、それでもどこかに「そんな危険な行動を相手がとるわけがない」という楽観的な考えを持つ者は多い。

 今回も、住民を避難させて「何も起こらなかった」場合の政府に対してのバッシングを恐れているのか、避難に慎重な姿勢の閣僚が数人いた。自己保身に走っているわけで、そんな閣僚たちに対して内務大臣は蔑んだ冷めた視線を思わず向けてしまう。

 そして、現在まで一言も口を発していない総理に視線を向けた。


「数日前。占守島近海で国籍不明の潜水艦が発見されています。恐らく今回の件と関係があるのでしょう。更に、報告によれば使われている言語が未知のもので全く意思疎通ができないといいます。最悪の事態を想定して動くのは間違いではありません。北樺太の一部に避難命令を発令しましょう」

「しかし……何も起こらなかった場合のことを考えたほうがいいのでは?確かな証拠もないのに市民生活を混乱させることになりかねません」


 総理の安川まで内務大臣の意見に賛同したことに避難に反対する閣僚から再度異論が出る。


「松宮さん。もし本当に『何か』あったときどうするんだ?土壇場になって住民避難させるほうが問題になるだろう。もし、何も起きなかったらその時は国で見舞金でも出せばいい。ここは俺達の知っている『地球』じゃないんだ」

「し、しかしですね……森田さん。30万人を避難させるんですよ?政府が徒に国民の不安を煽ったと追及される可能性だってあるんです」

「その時はその時だろう。むしろ何も対策をとらずに『何か』があった時のほうが世間からは叩かれる」


 異論を唱えるのは農水大臣の松宮。

 その、松宮を説得にかかっているのは国防大臣の森田だ。

 二人は同じ派閥に所属しているので自然と森田が説得にかかったようだ。

 松宮が心配しているのは「空振りになった時」のことだ。

 30万人もの大人数を強制的に避難させて「何も起こらなかった時」のメディアを中心としたバッシングを松宮は警戒していた。ただ、森田から言わせれば「何か起きる前兆があるのにそれを見逃して『何か』があった」ほうが世間への印象は悪いのだ。

 もちろん松宮もそのことを考えていないわけではなかった。

 だが、どうしても「地球での常識」が彼の思考を邪魔していた。

 そして、二人が言い合っている中。安川はすでに結論を出していた。


「明日より一週間以内に奥端支庁を含めた2支庁の住民全員に避難命令を発令し、全員を南樺太へ避難させます。輸送支援には陸海空軍及び保安隊と樺太警察が行うこと――全責任は私が背負いますよ」


 安川の一声で、北樺太の住民約30万人の集団避難は決定された。




 新世界歴元年 1月10日

 日本帝国 樺太州 豊原市

 樺太道庁



 樺太全域と北千島を管轄している「樺太州」は約400万人が暮らしているが、その人口の大部分がもとより日本領であった南樺太に生活していた。

 特に道庁所在地である豊原市周辺の「豊原都市圏」には約200万人が居住しており、半数が豊原市とその周辺に集中していた。

 北海道より北にある樺太は、北に行くほどにその環境は厳しい。そのため早くから開拓された南部の大泊や豊原周辺に人口が集中していた。


 樺太州の州庁所在地である豊原市の人口は約50万人。

 古くから南樺太の開拓拠点として港湾都市である大泊についで開発された街だ。新規に開発された街なので、北海道などに見られる碁盤目状に道路が広がっており、市街中心部は信号の間隔が狭い。そんな、市街中心部はここ30年あまりで大規模な開発が行われており、高層ビルが多く立ち並ぶようになっていた。札幌以北では最大の人口を抱えているだけあって、極寒の冬でも中心市街地は買い物客などで賑わっている。


 さて、樺太の地方行政の中心といえる州庁であるが、今は部署問わずに職員たちが「非常対応」に追われていた。

 総理官邸と内務省から昨晩、北樺太の約30万人に対して避難命令が発動されたからだ。理由は、国籍不明の武装勢力による軍事侵攻の可能性が高まったためとされていた。

 昨晩、北樺太の演習場で国籍不明の武装集団を発見したという報告はその日の内に道庁に届いていた。避難命令が届いたのはその報告があったすぐのことだ。元から、転移による特別体制がとられていたこともり道庁には深夜にも多くの職員が集結していたが、避難命令が発令されてからはほぼ全ての職員に招集がかかり、避難先の確保などに奔走していた。

 あちこちから怒号が聞こえてくる――というような混乱ではないが、それでも転移によって正月休みが潰れたと思ったら、今度は軍事侵攻の可能性があるから住民を避難させろ、という話が国からおりてきたので職員たちは内心で「勘弁してくれ」と思っていた。



「まったく、慌ただしい新年だな……」



 安川総理との電話会議を終えた州知事の生田はボヤく。

 生田知事は元々現与党である保守党選出の国会議員だったが5年前に知事に転身していた。

 安川との会談において、安川からは「確実に攻め込んでくるという証拠はない。だが、何かあった場合には遅いので住民を避難させる」という説明を受けた生田。

 この、安川の説明は一応納得がいくものだった。

 樺太は昔からソ連との前線地帯であり常に「ソ連が攻めてくるかもしれない」という警戒の下で暮らしているし、定期的にソ連が軍事侵攻してきた場合に備えた避難訓練も全域で行われていた。

 住民がまだ残っているときと、避難が完了した時とでは作戦も違う。

 前者は住民の避難を優先させ積極的な防衛行動はとれないし、戦力の多くを避難へあてなければならない。だが、後者ならば住民の被害を気にせずに戦う事ができる。住民たちも砲弾が飛び交う中避難するよりも、何も起きていないときに避難するほうが気持ちも楽だろう。

 まあ「何も起こらなかった」場合は、色々と不満の矛先が向かうかもしれないが。避難せずに何か起きたほうがダメージは大きい。

 なので、政府の避難の判断は何も間違ってはいない。ただ、現場としてはできるならば起きてほしくなかったことだった。対象となる自治体は連絡を受けた今朝から職員を総動員にして対応にあたっているが、それでも人が足りない自治体が多いので道やそれ以外の市町村から応援の職員が急遽派遣されている。元々、こうなることも想定されていたので樺太の全市町村は数人ほど緊急時に送り込める人員を常に確保していたのが幸いした格好だ。

 更に、政府からも避難の調整にあたる人員が今朝の内に奥端に入っていた。


「それで、一週間以内に避難は完了できそうか?」

「避難ルートは複数確保されていますし、空軍の輸送機が奥端と豊原の間をピストン輸送。海軍の輸送艦も4隻、奥端へ向かっているので順調にいけば一週間以内に全住民の避難は完了できます、ただ……もし、相手がこちらの見込みよりも早く仕掛けてきた場合は間に合うかどうかは微妙なところですね」

「相手次第か。一応、大軍がこちらに向かっているという情報はないのだろう?」

「はい。今のところ軍が確認しているのは小規模な艦隊くらいのようです。軍いわく、偵察艦隊のようなものだろうということです。領海の外なので軍としても監視以外できることはないようですが」

「そればかりは仕方ないな……ともかく住民の避難が済むまで相手が仕掛けてこないのを祈るしか無いな」



 同日

 樺太州 奥端市

 奥端市役所



 唐突に発令された避難命令に、対象地域の自治体は対応におわれていた。

 とりわけ、避難地域で最大の人口を抱える奥端の市役所は、全職員を招集して避難開始に備えていた。すでに、住民たちには避難命令が発令されたことは知らされており、一部の市民は朝の時点で南樺太へ向け自家用車やあるいは、国鉄の特急列車に乗り込んで南樺太へ向かっているが、特に大きな混乱は見られなかった。一部にはパニックになった住民が駅に押し寄せて警察が誘導にあたる――という場面もあったが、これも国鉄側がすぐに臨時ダイヤで列車の運行を始めたあたりから落ち着いていた。

 市役所には道庁から派遣された職員や警察の他に、軍からも連絡要員が派遣され最新の情報がほぼリアルタイムで道庁や内務省などと共有されていた。


「海軍の哨戒機が、樺太北方3000キロ地点で多数の軍艦を発見したとのことです。このままいけば、数日以内に北部沿岸に接近するとのことです」


 連絡要員の陸軍大尉の報告に顔を引き攣らせる幹部職員たち。

 まさか、本当に国籍不明の艦隊が樺太の沖合にいるとは彼らは思っていなかったのだ。だが、軍側はご丁寧に哨戒機から撮影した写真まで提供しており、それが事実であると彼らに突きつけている。

 さて、樺太北方沖に出現した艦隊は空母型の大型艦とその護衛艦と思われる水上戦闘艦があわせて10隻ほど。更に少し離れた位置には多数の揚陸艦と思われる艦艇も確認することができた。

 機動艦隊だけならば演習などと言えたが、ここに揚陸艦も入ってくると話は違ってくる。


「つまり、想定よりも早く軍事攻撃が始まるということですか?」

「もう少し、近づいてみないとわかりませんが。やはり1週間以内に何らかの軍事行動が行われると我々は見ています」

「ある程度の避難は今後3日で終わらせないといけないわけですね……」

「すでに、空軍の輸送機が2機。奥端空港に待機しています。更に追加の輸送機が逐次投入される予定です。また、輸送艦3隻も大湊から奥端へ向かっており、明日には到着予定です」

「すでに、国鉄などで避難した住民をあわせればなんとか間に合うか……。問題は、市外からの避難だな」

「そこは、陸軍の輸送ヘリコプターを総動員する予定で、各自治体と調整中です。調整がつき次第すぐに奥端へ向かわせます」


 今回の作戦において幸いだったのは、住民の多くが奥端周辺に居住していたことだろう。本土のように集落が分散していないので避難誘導は最低限の人員で済む。すでに、離れた町村には奥端駐屯の連隊の兵士たちが散らばって警察などと共に避難誘導にあたっており、人員輸送用のバスなども現地に向かっていた。

 ともかく、今回の避難作戦は時間との勝負だった。


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