12:不法上陸
新世界歴元年 1月9日
日本帝国 樺太州 奥端支庁 北浜村
帝国陸軍 北浜演習場
北浜村は奥端支庁西部に位置する人口2000人あまりの村だ。
支庁所在地の奥端からは車で1時間ほどのところにあり、非常に広大な村域を持っているが村域の半分は、帝国軍の北浜演習場に占められていた。村役場や集落の中心は村の東端に固まっており、演習場以外の地区には集落がいくつか点在しているだけだ。
北浜演習場は、帝国軍の中で最大規模の演習場で長射程のロケット砲などの実弾射撃演習ができる数少ない演習場であるため、本土の師団を含めた多くの部隊の演習に用いられていた。
年末年始でも、地元樺太に駐屯している3つの師団が演習で使用しているのだが「転移」という騒動に巻き込まれた今年は、年始の段階から演習場は使われておらず、演習場には演習場の管理を行っている1個中隊のみが駐屯していた。
広大な敷地を1個中隊のみで管理するのは一見すると難しそうに見えるが、現在はドローンや監視カメラなどの監視装置がいたるところに設置されているため異変があれば離れた場所でも把握することができる。
仮に異変が見つかれば異変の状況によっては少し離れた奥端駐屯地の大隊や更に離れた街にある連隊・師団本部へ連絡すれば事態解決のための部隊が送り込まれる手筈となっていた。
この日の深夜、演習場の管理施設でアラームが鳴り響いた。
「どこだ?」
「北Eブロックの海岸のようです。映像出ます」
当直の兵士たちがアラームの原因を探るためにモニターに注目する。
演習場には複数のドローン発着拠点がある。監視用に運用しているドローンは赤外線カメラなどを搭載しているため、夜間でも異常をすぐに見つける事ができるのだ。
ドローンはすぐに異常が見つかった海岸に到着した。
上陸戦などの演習の時に使われる海岸の一角にはよく海兵隊の上陸などで使われるゴムボートが乗り上げていた。海岸付近には人感センサ―などが設置されており、今回アラームを発したのはそのうちの一つだった。
ソ連と対峙していることもあって、演習場からソ連軍が上陸してくるということを軍は常に想定していた。実際、過去にはソ連の工作員が樺太北部の海岸から日本に入り込んだというケースもあったし、警備を厳重にする前はそれが頻発していたほどだ。警備を厳重にしてからは、ソ連側も割に合わないとばかりに演習場付近で工作員を上陸させることはやめたが、演習場の警備体制は引き続き高いレベルを維持していた。
ドローンはアラームを発したセンサーの近くへ向かうと、そこには身を低くして周囲を警戒しているように見渡している数人の人がいた。人の目をごまかすためなのか、黒尽くめであり普通のカメラでは認識できないが赤外線カメラを使えばそれもすぐにわかる。
「5人か……どこかの国の工作員かもしれないな」
「すぐに奥端へ連絡します」
「そうだな、1個中隊くらいは送り込んでもらったほうがよさそうだ」
管理室にいた兵士はすぐに、異常事態を周辺の駐屯地に伝えるボタンを押すのだった。
マリス連邦海兵隊の偵察隊5名は、ゴムボートにのって近くににあった海岸に上陸した。まさか、そこが軍の演習場だとは思わずに。
夜間に上陸したが、それでも彼らは周囲を警戒しながら身を低くして移動する。冬ということもあり草はほとんどなく砂浜を一歩出ればそこは雪原が広がるばかり。まさか、自分たちの足元に人感センサ―が仕掛けられているとは思いもしていなかった。
「近くの集落までかなり歩きそうだな」
「そもそも、こんな場所に人が住んでいるのが驚きですがね」
指揮官である少尉のつぶやきに、部下がボヤく。
防寒着をしっかりと着込んでいるのにそれでも身を刺すような寒さは彼らにとって経験したことのないものだ。更に降り積もった新雪も厄介だ。足をとられるのもそうだが、自分たちの位置を容易に相手側に知らせてしまう。
こういった足跡を残さない装備というのも存在はしているが、残念ながら彼らにはそのような装備はなかった。そもそも、雪事態あまり降らない国に暮らしているので雪の中で作戦をする機会もなく、当然ながら訓練すら殆どしたことがなかった。
もし、ここが敵地ならば自分たちはかなり間抜けなことをしているな、とベテランの兵士でもある少尉は内心苦笑する。
「本隊が到着するのは3日後だが……温める場所を探さないといけないな」
じゃないと凍死してしまう、と少尉は表情を歪める。
「近くに小屋とかがあればいいんですがね……」
辺り一面に広がっているのは雪原のみ。
とても、小屋などある雰囲気はなかったが少尉は先を進むことにした。
このまま、この場所にとどまっていても意味はない。リスクはあるものの身を隠せる小屋などが見つかる可能性にかけて、部隊は先へ進むことにした。
先に進んで10分ほどで、彼らにとって一番の幸運が舞い込んできた。
風雪に耐えられそうな小屋を見つけたのだ。
この小屋は演習で用いるために設置されたものだが、ここが演習場だということを知らない少尉たちは、この小屋は漁具などを保管する倉庫か作業上なのだろうと判断して、中へ入った。
本来ならば、この小屋の存在に疑問を持ってあらかた外の様子を調べてから入るのだが、あまりの寒さにとりあえず中に入ってこの寒さから身を守ることを彼らは優先したのだ。
「……漁業関係の小屋かと思ったが何もないな」
「それに思ったよりも広いですね」
中に入って小屋の内部に違和感を感じる小隊メンバーたち。
だが、この小屋以外に潜伏に最適な場所が見つかるとも限らないのでひとまず今晩いっぱいはこの小屋で過ごすことにした。
同じ頃。演習場から70kmほど離れた奥端市の駐屯地から数機のヘリコプターが飛び立っていった。
奥端市には北樺太の防衛を担当する第25歩兵師団隷下の第79歩兵連隊が駐屯しており、今回演習場へは1個中隊が派遣されることになった。ヘリコプターに搭乗しているのは先遣部隊であり、残りの中隊主力は陸路でもって演習場へ向かう。
「海岸付近にはゴムボートがあり、雪原には複数の足跡が確認されている。足跡は海岸からすぐのところにある小屋で止まっているので、不審人物は小屋の中にいる可能性は高い。武装勢力の可能性もあるので十分に警戒するように。いいな?」
『はいっ!』
ヘリの中で部下に状況を説明しているのは第3小隊を率いる村本少尉。
叩き上げの少尉であり、多くの海外派遣などにも参加したベテランだった。
彼が、入隊する以前。ソ連は樺太の沿岸部に工作員を上陸させた過去がある。彼が入隊してからは情勢が変わったからなのか、それとも日本側が厳重な警戒態勢を敷いたためか、ソ連が樺太へ工作員を送り込む頻度は下がったが。それでも、樺太の沿岸部に不審船が流れ着く――という事件は年に何件か起きていた。
(ただの難民が流れ着いただけならばいいんだけどな……)
難民も難民で対応が面倒なのだが、他国の工作員に比べればずっと楽だ。
ただ、難民を装った工作員の可能性もある。
(最近は平和だと思っていたんだがなぁ)
近年、日本の脅威の一つであるソ連はヨーロッパ方面に注力しており極東へはあまり介入してこなかった。まあ、北中国が動けばソ連も一緒になって動くということはやっていたし。毎日のように領空付近をうろつくという「挑発」はしてきたが、それ以上のことはしなかった。
なので陸軍側から見れば「平和」だったのだ。
空軍や海軍からすれば「どこが平和だっ!」とツッコミを入れていたかもしれないが。
15分ほどで、小隊を乗せた陸軍の96式汎用ヘリコプター(UH-3)は演習場北部の海岸地帯に到着し、兵士たちが地上へ降下する。
「小隊長。複数の足跡です!」
すぐに、一人の兵士が新雪の上につけられた足跡を見つけ、村本に伝えた。
「今日は雪が降っていなくて助かったな。よし、行くぞ」
ここ数日の嵐が嘘のように、今晩は快晴だった。
まあ、気温はこの時期らしい寒さでマイナス10度を大きく下回っている。ただ、樺太の真冬では当たり前の気温であるし、内陸部にいけばマイナス30度近辺であることを考えればまだ「マシ」ではあった。
「今日はまだマシだが、これでも本土の人間は寒さに震える。侵入者が寒冷地に慣れていないなら寒さをしのげる場所へ向かうはずだ」
「この付近に、訓練などで使う小屋があります」
「なら、そこへ向かった可能性が高いな。よし、小屋へ行くぞ」
村本は内心で「侵入者は三流もいいところだな」と思っていた。
ソ連の工作員ならばここまで痕跡は残さないし、そもそもいくら人気がないとはいえ演習場に上陸することはまずない。より、人里に近い場所を上陸地点に選ぶし、実際にソ連工作員はそうしていた。
今回の侵入者はゴムボートは放置しているし、愚かにも足跡を残している。
冬季での潜入任務に不慣れか殆どしたことがないと考えていい。
工作員ならば三流に等しいが、だからといって油断はできない。
侵入手段は杜撰だが、それが即ち完全な素人というわけではない。戦闘に関してだけは一流――なんてこともあるので、村本は小隊員たちに対して「絶対に油断するな」と注意していた。
しばらく歩くと、足跡は小屋の前で終わっていた。
この小屋は演習時に使用される施設の一つで武装組織の拠点をイメージして作られた。そのため、見た目は小屋だが地下にもいくつか部屋があり特殊部隊などの突入訓練などのときに用いられている。
ただ、地下への入口は巧妙に隠されているので見つけていなければ彼らは1階にいることだろう。
他にも数個の小隊が小屋の前についており、その場所には全体指揮をとる中隊長の姿も確認できる。
「よし、突入だ」
中隊長の静かな一声でまず最初に数名の兵士が小屋の中へ突入する。
相手の待ち伏せなどを警戒しながらだが、幸いなことに待ち伏せられてはいなかった。それどころか、侵入者たちは少しリラックスした様子で身体を休ませており突然入ってきた兵士たちを一瞬困惑した表情で見て、すぐにあわてて武器を構えようとしたがその前に日本兵たちが小銃を向け、複数言語で「動くな!」と叫ぶ。
どの言語にも彼らは反応しなかったが、今動いたら撃たれることは本能的に理解していたようで、ほどなくして諦めたように武器を捨て両手をあげて戦闘の意思がないことを示す、その間にも更に2個小隊が小屋の中に入っておりマリス連邦の海兵隊員たちは完全に日本兵に囲まれていた。