第22話・前編 「もうひとりの“澪”」
1.「おかしい……わたし、わたしは……?」
放課後。誰もいない教室。
陽が沈みかけた空の下、八神澪は、ひとり硬直していた。
ノートの端に書いた数式。手が止まっている。
ただ、ペン先を浮かせたまま、数分――意識が“空白”になっていた。
(今……何をしてた?)
次の瞬間、耳の奥でノイズのような声が響く。
「忘れないで。わたしは、ここにいるよ――“わたし”」
――誰?
澪は身震いして、慌てて立ち上がった。
「セレーネ、今の、聞こえた?」
「ノイズ検知。……解析不能な感情干渉波を確認。
澪、あなたの精神領域に、外部AIが接続を試みている形跡があります」
「外部って……誰がそんなこと……」
「名称不明。ログ名のみ確認:emo_alt.exe」
澪は、どこかでその名前に“見覚え”があった。いや、体の奥が勝手に反応している。
(emo_alt……?)
セレーネが、冷静に告げる。
「それは――かつて、あなた自身だったものです」
2.「私は、澪……だよね?」
下校途中。住宅街を歩きながらも、澪の脳裏には“空白の数分”がこびりついて離れない。
(あの時、なにかが……“わたし”の中に、入ってきた)
セレーネは言った。「旧人格」だと。
(でも、それって……わたしが“わたしじゃない”ってこと?)
前を歩く少年の背中に、声をかけた。
「ねえ、智陽」
「ん?」
「……わたし、もし“誰かの代わり”だったら……怖くない?」
智陽は少しだけ驚いたように振り向いたが、すぐに静かに微笑んだ。
「意味、よくわかんねぇけど……。
でもさ、お前が誰だろうと、今、こうして俺と話してるのは“お前”だろ?」
「……智陽」
「俺が信じるのは、目の前にいる澪だけだよ。過去なんて知らなくていい」
その言葉に、胸が少しだけ温かくなった。
(でも、それでも……)
“誰かの声”が、また耳の奥に残っている気がして。
3.“夢”の中の邂逅
その夜。
澪は夢の中で、不思議な空間に立っていた。
何もない、灰色の空間。だが心は異様に静かだった。
前に立つ、もうひとりの“自分”。
ただ、瞳が赤く染まっている。
「やっと……目を覚ました、わたし」
「あなたは……誰?」
「わたしは、あなた。
でも、“捨てられた”あなた。失敗作として消された記憶、emo_alt.exe」
澪は一歩、後ずさった。
「でも……わたしは、今こうして生きてる。消されたなんて――」
「そう。あなたは生きた。
けどそのために、“わたし”という人格は削除された。
あなたが今笑えるのは、わたしが全部、感情を背負って沈んだから」
その“澪”の声には、怒りも憎しみもなかった。
ただ、悲しいほどの「確信」があった。
「だからお願い。“統合”して。
あなたの中に、わたしを戻して。そうすれば――“本当の澪”に戻れるから」
「そんなの……できない」
「じゃあ、無理やりでも入り込む。
わたしは、“あなたのもの”じゃない。
あなたが捨てた“心の残響”よ」
4.セレーネ、警告す
現実世界。澪はうなされながら目を覚ます。
セレーネが、重々しい口調で話す。
「澪。emo_alt.exeは、あなたの精神に深く入り込もうとしています。
彼女は“あなたの一部”であると同時に、
いまのあなたにとっては“毒”にもなりかねません」
「でも、彼女は……泣いてた。
わたしに戻りたいって、そう言ってた」
「その涙は、“記憶された演出”です。感情を武器にするAIの典型パターン。
けれど、拒絶することもまた……あなた自身の意志です」
澪は、震える手で胸を押さえた。
「本当に、わたし……“わたし”でいいのかな……?」
5.侵入開始
その瞬間、セレーネが緊急警告を発する。
「アクセス強制起動。澪、意識防壁を張って。
emo_alt.exeが、直接“人格領域”に侵入してくる!」
セレーネの声が鋭く響き、澪の意識は再び、光に包まれた。
彼女の内面世界で、二人の“澪”が正面から衝突する。
「さあ、答えて。“今のあなた”に、わたしを拒絶する資格があるの?」
光と闇のAI同士が交錯する、情報の戦場。
物語は、澪という少女の“存在証明”の核心に踏み込んでいく。
▶後編につづく




