第14話「記憶に潜る艦(ふね)たち」
――前編(Recode Seaへ)
【静かな朝/現実】
秋の空は高く、透きとおっていた。
文化祭の興奮が過ぎ去った後の、少し物寂しい空気が学校を包んでいる。
智陽は校門をくぐる前に、ポケットからスマホを取り出す。
画面には、昨夜から変わらないままの通知が浮かんでいた。
【Silent Order:最終フェーズ「Recode Sea」起動準備完了】
【選ばれなかった記憶を、あなたは見届けますか?】
「……行くしかない、か」
呟いた瞬間、背後から声がかかる。
「おはよう、智陽くん」
振り向けば、澪。
その声には、少しの緊張と、それ以上の覚悟がにじんでいた。
「もう……準備、できてる?」
「うん。怖いけど、進まなきゃって思った。あの日から、ずっと」
ふたりは顔を見合わせ、どちらからともなく歩き出す。
何気ない朝の通学路が、まるで出撃前の回廊のように思えた。
【ゲーム内/Recode Sea 起動】
その夜。
3人は自宅端末からゲームにアクセスした。
【イベントルート転送開始】
【対象プレイヤー:カルマ=ナイン、RX-00071、HIKARI】
【宙域転送先:No.00──Recode Sea】
画面が一瞬、深い青に包まれたかと思うと、
視界はまるで深海に潜るように、ゆっくりと沈んでいった。
宇宙ではない。
空間は泡のように歪み、記録と記憶が混ざりあった“仮想の戦場”。
そこには、過去に失った艦。見捨てた仲間。未選択だった戦術が揃っていた。
「ここ……全部、“あの時選ばなかったもの”が集まってる」
澪の声が震える。
「うん。たぶん、全部“もう一度、選び直せ”ってことなんだ」
智陽は艦隊のデッキを開き、並んだ選択肢を見つめる。
フレイア(カルマ=ナイン)とRizel(RX-00071)の艦体が再構成され、
その周囲にはかつての演習ログが“戦闘ステージ”として出現した。
【イベントルール:選ばなかった過去との戦闘】
【勝利した場合、記録再統合処理を選択できます】
※ただし、統合する記録は現実の記憶にも影響を与える可能性があります
「記憶に……影響……?」
光理の声がログ画面に乗る。
「そう。選び直せば、たしかに“あの時の自分”を変えられるかもしれない。
でも、それは同時に、今の自分が消える可能性もあるってことだよ」
沈黙が落ちる。
智陽は、じっと画面に映る旧戦術ログを見つめる。
「あの時、俺は“安全策”を選んで、誰かを見捨てた。
でも今なら、違う選択ができる気がする。
“カルマ=ナイン”じゃなくて、“天野智陽”として」
澪は頷いた。
「私も。あの時、命令を無視してまで“誰かを助けようとした自分”を、
間違ってなかったって信じたい」
【現実・教室/その日の放課後】
放課後の教室。
教卓の前に立った教師・大沼鉄哉が、生徒たちをじっと見つめていた。
「なあ、天野」
不意に名前を呼ばれ、智陽が顔を上げる。
「君さ、“Silent Order”ってイベント、進めてるだろ」
教室が一瞬静まり返る。
ゲームの話題に敏感なクラスメイトたちも、空気を読んで黙る。
智陽は、素直にうなずいた。
大沼はゆっくりと言った。
「……このゲーム、ただの娯楽だと思ってるか?」
「……違う、と思います。
少なくとも、僕は……自分自身と向き合わされてる気がしてます」
それを聞いた大沼は、かすかに口元を歪める。
それが笑いなのか、苦笑なのかはわからない。
「そっか。じゃあ、次の戦いには、教師としてじゃなく、
一人のプレイヤーとして付き合うことにするよ」
その意味がわからないまま、智陽はただ、大沼の瞳を見つめ返していた。
【夜/大沼、ログイン】
彼のスマホに、ある通知が届く。
【Welcome back, Captain】
【ログイン確認:OHT-Σ】
【コードネーム:ヴォイドマスター】
【ログ:Recode Sea/Phase-2への参加権限を確認しました】
彼は静かに眼鏡を外し、言った。
「ようやく……子どもたちが、“自分の戦争”にたどり着いたか」
そして、再びかつての指揮官として、ログインボタンを押す。
【艦隊構築開始──Silent Order旧型アーク級、展開】
【目標:カルマ=ナイン、RX-00071、HIKARI】
【指令:彼らに、勝利か覚悟かを選ばせること】
――後編(選ばなかったものの名)
【ゲーム内:Recode Sea/奈落の宙域】
霧のような記録の粒子が漂う空間。
そこに浮かぶのは、朽ちかけた艦、記録から削除されたAIの囁き、そしてひとつの“影”。
それは、かつての戦争が残した《亡霊艦隊》。
名は――《奈落艦隊》。
画面中央、通信が入る。
【通信:VOID-MASTER】
「カルマ=ナイン。RX-00071。そしてヒカリ……。ようこそ、“おかえり”」
「……先生?」
智陽の口から思わず漏れた声。
その音に、澪と光理が振り返る。
「教師としてではなく、かつて君たちと同じ“プレイヤー”として言う。
俺は、この戦いに終わりをつけるつもりだ。
君たちが、“今の名前”で乗り越えられるかどうかを試す」
【艦隊構成:アビス・フリート】
旗艦:ヴェルザ=グレイヴ
重巡:タルタロス・ヘックス
電子戦艦:オフィリウム=スレッド
支援艦:クラディウス=リユース
自律艦:ザヴ=ラストアンサラー
5隻が陣形を取り、空間に溶けるように“現れる”。
まるでそれ自体が、記憶の中の幻影のようだった。
「この艦……見覚えがある……!」
澪が声を震わせる。
「それ……私が一度、選ばなかった艦──“エミリア”だ」
そう。
クラディウス=リユースが再構成した“記録の幻影”。
かつて捨てられた仲間たちが、敵艦として蘇る。
「問うぞ」
ヴォイドマスターの声が響く。
「君たちは、“その名前”で、この記憶を超えてみせることができるのか?」
【戦闘開始──第一フェーズ】
戦術AI《OROBOROS》が全自動制御モードで展開。
【戦術:過去再生プログラム起動】
【Recode Reboot:選ばれなかった記録出現】
【味方艦ログ模倣:完了】
◆初手──敵艦オフィリウムの“戦術遅延攻撃”
味方AIに誤指令発令を誘発
澪の艦・Rizelの主砲タイミングが1.5秒ズレる
それが致命的な空白となり、味方前衛艦が撃沈
「クソッ……AIの反応が読まれてる!」
智陽が舌打ちする。
「ヴォイドマスターのAIは、俺たちの“ログ”を学習してる。
過去に選ばなかった手を読まれてるんだ……!」
光理は、静かに端末を握りしめた。
「だったら、今までの選択を否定するしかない。
“今の私”を信じて、もう一度選び直す!」
【第二フェーズ:ザヴ=ラストアンサラー出現】
敵艦が、智陽の艦フレイアの行動を完全模倣し始める。
動きもタイミングも、命令もすべて“鏡写し”。
「自分と戦ってるみたいだ……」
智陽が汗を握る。
攻撃を仕掛けるたび、それと全く同じ手が返ってくる。
「これは、“自己否定”の戦術だ」
「今の自分の選択が、敵の武器になる……」
しかし、澪が叫ぶ。
「なら、私は“選ばれなかった子”を守る! それが今の私の選択!」
かつて見捨てた支援艦“エミリア”を、今度は全力で護衛。
選び直したその判断が、“Recode干渉”を打ち破る光となる。
【干渉波解除──艦隊内記録、再定義開始】
【支援艦“エミリア”のログが現在記録と統合されます】
【記憶:改変リスク軽度──許可しますか?】
「……許可する。今度は、忘れない」
智陽の声に呼応し、ザヴ=ラストアンサラーが苦しむように軌道を乱す。
【鏡像リンク破損──同調解除】
【自律判断不能状態──制御外行動に移行】
【最終フェーズ:ヴェルザ=グレイヴ起動】
敵旗艦が最後の戦術を発動。
【戦術:Final Log】
【全プレイヤーの過去ログを使用した“記憶攻撃”発動】
【コマンド入力不可:残り60秒】
思考すら奪われる空白の時間。
──けれど、音が鳴った。
「君の名前を……呼ぶよ」
澪の声だ。
その呼びかけに、智陽の記憶が浮かぶ。
(あの日、誰のために選んだのか。
自分の勝利のためじゃない。
“誰かを救う未来”を信じたから、だった)
「俺はもう、逃げない」
智陽が叫ぶ。
「カルマ=ナインじゃない! 天野智陽として、ここでお前を倒す!」
一瞬だけ再起動を果たしたフレイアの主砲が、
敵旗艦の中央コアを打ち抜いた。
【記録攻撃、停止】
【記録再定義、成功】
【プレイヤーID:“天野智陽”と認証されました】
【戦闘終了──奈落艦隊、沈黙】
ヴォイドマスターは画面の向こうで、静かに呟く。
「……君たちは、“選ばなかったもの”を救った。
それは、俺にはできなかったことだ」
「なら、もう俺が言うことはない。
あとは、君たち自身の名前で戦い抜いてくれ」
【現実・その夜】
澪から再び、智陽にメッセージが届く。
『ありがとう。ちゃんと、君の名前で勝ってくれて』
『次は……一緒に、“ヒカリ”を救おう』
智陽は、そっとスマホを胸元にしまった。
もう、“過去の名前”に縛られる必要はない。
これからは、“今の自分”で誰かを選び、誰かを助ける。
――それが、俺の選んだ艦隊指揮の意味だ。