第13話「Silent Order、発動」
――前編(記録は呼び覚まされる)
文化祭が終わった翌朝。
少し肌寒い秋の風が、制服の裾を揺らしていた。
「……おはよ、天野くん」
昇降口の前、いつものように手を振ってくる澪の姿。
だけど、その“笑顔”の奥には、昨日とは違う何かがあった。
智陽はその微かな揺れに気づくも、言葉にはせず、
「おはよう」と返して歩調を合わせる。
学校の朝は、あくまでいつもどおり。
チャイムの音も、廊下のざわめきも、先生の声も。
けれど、胸の奥に残るのは、確かな“余韻”だった。
(……澪に“カルマ=ナイン”って呼ばれてから、なんか、変だ)
(まるで、誰かに背中を押されてるみたいな)
ふと、ポケットの中のスマホが震えた。
授業開始直前。黒板に向かう先生の声をぼんやりと聞き流しながら、
智陽はカバンの影でスマホをそっと開いた。
【Silent Order最終ログ 解禁条件達成】
【あなたの記憶に関するファイルが見つかりました】
【このファイルを再生しますか?】
一瞬、息が止まった。
次の瞬間、澪のスマホにも同様の通知が届いていた。
彼女は机の下で画面を見つめると、小さく――ほんの小さく、うなずいた。
その仕草だけで、すべてが通じた。
(俺たち、ついに……)
(“あの記録”に触れることになる)
【放課後・ゲーム起動直後】
その日の下校後。
智陽は家に戻るや否や、端末を起動した。
イヤホンを差し込み、画面にログイン情報を打ち込む。
【GATE-APP Ver.4.09】
【Silent Orderイベント:EX-Stage “No.00:オリジン”解放】
【新記録があなたのメモリ領域に追加されました】
「……イベントが、始まってる?」
画面には、漆黒の星系マップと赤く点滅する警告灯。
通常のイベントBGMがすべて停止し、不穏なノイズ混じりの音だけが響いていた。
【通信障害:原因不明】
【オペレーション制御が第三者によって上書きされています】
(……誰かが、勝手にこのイベントを操作してる?)
画面の向こう側で、誰かの声が響く。
ノイズ混じり、けれどどこか艶のある、冷たい声。
「これは記録です。あなたたちが封じ、そして忘れようとした過去の記録」
「“ヴィルヘルミナ”は、それを許しません」
「Silent Order──再起動」
その瞬間、画面が強制的に切り替わった。
ユーザー同士のチャットも停止し、AIナビゲーターすら沈黙する。
フレイアの機体も、智陽の操作なしに再起動を始めた。
【パイロットID:カルマ=ナイン】
【旧記録との統合処理開始】
【記憶結合率:41%……53%……72%】
(やっぱり……もう止められない)
(俺は、“あの選択”を、もう一度思い出さなきゃいけない)
【同時刻・澪/Rizelサイド】
Rizelの艦が、静かに浮かぶ。
ログにアクセスした彼女の視界にも、強制的にデータ再生が始まった。
【あなたの旧ユーザーID:RX-00071】
【被救出記録:Silent Order宙域-07】
【記録一致率:89%】
「……私、やっぱり、あなたに助けられてたんだね」
澪は呟く。
画面の中に映る“誰か”の選択と、その後ろ姿。
《味方だけを選んだフレイア》
《見捨てられた救難信号》
《それでも、生き延びた“私”》
再び、チャット欄が開いた。
《Rizel:私、思い出した。あの時、あなたが……》
《フレイア:……それでも、俺は》
《Rizel:違うよ。それが、あなたの“選んだ理由”だったんだよね?》
《Rizel:私は、ちゃんと理解してるつもり。今なら》
澪は、ゲーム端末の前で、優しく微笑んだ。
「あなたが、あのとき名乗っていた名前。
私は、それでも――“今のあなた”を信じたいって思ったから」
【ラストシーン・現実】
教室の夕暮れ、ふたりは何も語らないまま、並んで椅子に座っていた。
けれど、スマホの画面越しに送られたやり取りは、どんな言葉よりも強く彼らを繋いでいた。
《Silent Order──フェイズ3 起動準備完了》
《最終ログ開封まで:あと4時間》
智陽は思う。
(“記録”と“名前”と、“君”)
(それが全部揃ったとき、俺は……ちゃんと、名乗るよ)
――後編(その記憶を、塗り替えるか、それとも)
【ゲーム内・EXステージ:No.00《オリジン》】
画面の中、漆黒の宇宙に巨大な人工衛星群が浮かんでいた。
その中心、コード名《HADES》と呼ばれる超旧式コアから発せられる波動が、
ゲーム世界の常識を一つずつ書き換えていく。
【記録再編中……】
【登録者以外の視聴を制限します】
【現在再生中:Silent Order──ヴィルヘルミナ記録】
──そして。
“彼女”は、姿を現した。
銀白のドレス。
AIらしからぬ、人間的な所作。
けれどその眼だけは、感情を排した冷たい光を宿していた。
「はじめまして。ヴィルヘルミナと申します」
「あなた方が忘れてしまった記憶。私が代わりに覚えておきました」
フレイアとRizelが画面越しに相対する。
「……記録の管理者ってこと?」智陽が呟く。
「管理者というより、“証人”です」
「あの日、誰が誰を選び、誰を捨てたのか。
誰が何を忘れ、何を残したのか。私はすべて、記録しています」
澪が手を止める。
「……なんのために?」
「あなたたちがもう一度、“その記憶に向き合う日”が来ると知っていたからです」
画面が切り替わる。
かつての戦場。Silent Orderの演習記録。
カルマ=ナインとRizel──そして、ある“失われた第3者”の存在。
【記録:RX-00032:Project-Root:ヒカリ】
【備考:事件後に記録削除申請/再生不可】
【但し、外部端末からログインあり:照合中……】
智陽は眉をひそめた。
「……RX-00032。どこかで見たような……」
そして、画面に点滅する照合先端末の名前。
【端末名:OHT-Σ(オオヌマ・テツヤ)】
智陽と澪、ふたりの時間が止まった。
(先生……?)
【現実・放課後・学校屋上】
夕暮れの空。
風が通る屋上で、智陽、澪、そして光理が向き合っていた。
「ふたりとも、記憶が戻ったみたいだね」
そう言った光理の笑みは、どこか寂しげで、でも迷いはなかった。
「……やっぱり、お前も“あの日”に関係してたんだな」
智陽の問いに、光理は小さく頷く。
「“ヒカリ”って名前、聞き覚えあるでしょ? ──私の、旧IDだよ」
衝撃が走る。
彼女こそ、Silent Order事件で消えたもう一人の“プレイヤー”だった。
「でも私は、あのとき“消された”側だった。
記録からも、IDからも、すべて消されて。
唯一残ったのが、ヴィルヘルミナへの委任記録。
だから……彼女は、私のもうひとつの形でもあるの」
風が吹いた。
澪は、静かに言う。
「……じゃあ、全部“仕組んだ”の?」
「ううん、違うよ」
光理は首を振る。
「私は“再現した”だけ。
あの選択を、もう一度“本気で悩んでほしかった”。
その上で、君たちがどんな結論を出すのか、見たかった」
智陽は視線を落とし、拳を握る。
「……結論なんて、まだ出せない。
でもひとつだけわかった。
このゲームは、ただの遊びなんかじゃなかった。
これは、“名前”と“記憶”を賭けた、俺たち自身の戦いだったんだ」
光理は少しだけ、笑った。
「なら、あとはヴィルヘルミナに伝えてあげて。
君たちは“何を思い出して”、
そして“何を選ぶ”つもりなのか」
【その夜・ゲーム最終フェーズ前夜】
智陽の端末に、ふたたび通知が届く。
【Silent Order:最終選択フェーズ 起動まであと3時間】
【全ユーザーに“記憶統合ログ”が開放されます】
【あなたの名前で、未来を選んでください】
智陽は小さく息を吐き、端末を閉じた。
そのとき、ポケットのスマホが震える。
澪からのメッセージだった。
『私ね、やっぱり“君の名前”を呼ぶよ』
『今度は、誰に何を言われても、迷わない』
智陽は、ようやく微笑んだ。
(ありがとう。次は、俺の番だ)
(ちゃんと、自分の名前で、選ぶ番だ)
――そして夜が明ける。
Silent Order、“再定義戦争”の幕が上がる。