04.アンバーとディルクと、麦藁色と夕焼け
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土下座文化は、どうやらこの世界にもあるようで。
アンバーがしゃがみ込んで、顔をあげるようケイトに言うと、衝撃的なものを目にしてしまった。
「‥‥‥ねぇ、ケイトちゃん。硬そうな石の床が割れているようなんだけど、もしかして、そのおデコで割ったの?」
「アンバー様、アンバー様、申し訳ありません。失念しておりました。実は、精霊の愛し子には、弟の心の声が聞こえてしまうようで‥‥‥!」
「床の件はスルーなんだね。‥‥‥精霊の愛し子って?」
「精霊の声が聞けて、愛されている方のことです。アンバー様は精霊の中でも妖精に会えるほどですから」
「‥‥‥へぇ」
オレって、精霊の愛し子だったんだ。ディルクはそんな風には言わなかったな。好かれているくらいしか。
「どうしてコーディくんの心の声だけ聞こえるの?」
「実は‥‥‥」
ケイトとコーディの姉弟は、遠い先祖に人の姿をした妖精がいたそうだ。気まぐれか、本気で人間と恋をしたのかはわからないが、子孫はそれぞれ特別な力を持って生まれた。
ケイトは幼い頃から力が強かった。なるほど、この割れた床を見れば納得する。
コーディは鉄のメンタルと、思いに力が宿ってしまう体質らしい。そして強い思いが込められた心の声は、ごく一部の人間には聞こえてしまうのだそうだ。
「私もそうですが、弟はまだ未熟なのです。受付で色々な人間と話すことでコントロールできるようになれば、そうギルマスに言われています。弟は、姉の私から見ても正直で真面目なので、有り難いことにギルマスは有能だと言ってくださって、代表補佐の話もあるのです」
「えっ、スゴイじゃないか」
「ありがとうございます」
確かにディルクはコーディを、真面目だし信用していいと言っていた。せめて心の声が小さくなれば、聞き流せるかもしれない。
アンバーが割れた床に触って確かめていると、「あの‥‥‥」と小さな声でケイトが言った。
「それで、弟は心の中でアンバー様に何と‥‥‥?」
「‥‥‥」
アンバーは、まだ正座をしているケイトに手を差し出した。女の子をいつまでも冷たい床に座らせてはいけない。ケイトは微笑むアンバーの手を取り、立ち上がった。
「ケイトちゃん」
「‥‥‥はい」
「大丈夫。オレ、頑張って耐えてみせるから」
「アンバー様‥‥‥」
「‥‥‥」
「‥‥‥」
「‥‥‥」
「それほど酷いでのですね」
「うん」
残念なコーディくんの話はそこまでにして、さっそく前髪を切ってもらおう。
「額は半分までしか出さないようにと、ギルマスに言われています」
「オレの前髪なのに?」
ケイトが「うふふ」と笑いながらアルビーの前髪を櫛で梳かす。
鉄紺の髪は昨日よりも艷やかで、ディルクのシャワー室にある洗髪液の効果だと満足した。
これを用意したのはケイトで、置いたのはコーディだ。洗えれば何でもいいと考えているディルクのために用意した物だったが、これからはアンバーのためにもなるのだと、そう考えるだけで楽しくなった。髪に良い香油も買いに行かなくてはならない。
手鏡を渡されたので、アンバーは自分を顔を見た。大きな琥珀の瞳で、睫毛も長い。今まで外に出ていなかったからか、肌も白い。自分で言うのもなんだが、美形だと思う。
助け出された後、一番最初に鏡を見た時は衝撃だった。髪色も瞳の色も黒くないし、何とも儚げな美人だったのだ。その後に、体が男だと気が付いた。当然叫んでしまって、周りにはどうしたのかと驚かれた。
「斜めに切ってみたのですが、いかがでしょうか?」
前髪とサイドも整えてくれた。何もしなくてもオシャレに見える。アシンメトリーのウルフカットのようになった。
「すっごくいい!カッコイイ!どうもありがとう!」
「うほぉぅっ!どういたしまして」
彼女は変な声を出すが、優しくて髪を切るのがとても上手だ。大きな丸眼鏡が光って目が全然見えないけど。姉弟で似るのはそこなの?と思うが、本当にどんな仕組みになっているのだろう‥‥‥。
「ところで、タンクトップの人は今日はいないんだ?」
「午後からの出勤なので、もう少ししたら会えますよ」
「じゃあ、挨拶したいし、ここにいようかな」
切った髪の毛は集めて袋に入れて渡してくれた。捨てないのかと聞くと、呪いや魔術、薬の材料に使われると厄介ですよと教えてくれた。怖い話だった。
カウンター席に座って地図を見ているからと、ケイトには仕事に戻ってもらった。
昨日行った場所に印を書くために、ガレイルのペンを出した。薬草の群生地と、乳白色の妖精のお姉さんに会った腰掛岩の場所だ。
どんな印にしようかと考える。誰にもわからないようにするためには、漢字とか使うといいかもしれない。
「漢字一文字を◯で囲んで‥‥‥」
薬草は 薬 で、乳白色の精霊は 乳 だ。
「‥‥‥あれ?」
乳だけど、乳とも読めるぞ。お姉さんの色のことなのに、これじゃお姉さんの乳みたいじゃないか。
腰掛岩の 腰 を追加したら、乳と腰が並んだ。
「‥‥‥エロくなった」
なんだよ腰って。岩にしろよ。
馬鹿かオレは? この変態!
「そうだ、単純に乳の上に平仮名で、にゅうって書けばいい。これで解決。変態回避だ」
「「変態回避ですな」」
「ぅわ、ビックリした!」
顔を上げると乳の壁、大胸筋の壁があった。
「なーんだ。昨日は疲れてたから二人に見えたのかと思ったよ。双子だったんだな」
鑑定士の資格を持ち、魔物の解体も出来る双子のギルド員、ムッチョ&モッチョだ。それでいてマッチョ。ややこしい。
「「アンバー殿とお呼びしてもよろしいですかな?」」
「うん、お好きにどうぞ。オレもムッチョ殿とモッチョ殿って呼んだほうがいい?」
「「ほほっ、どうぞお好きに」」
「じゃあ、Wマッチョ」
「「‥‥‥」」
お気に召さなかったようだ。どうぞお好きにって言ったのに。
それならムッチョくんとモッチョくんは?と聞いたら、喜んでくれた。二人の大胸筋がリズミカルにピクピクしているから、たぶん喜んでくれたんだと思う。
それにしても、二人とも睫毛がバッサバサで長いし、中年のマッチョに美女の目の部分だけを嵌め込んだかのようだ。そんなスマホアプリ、ありそうでなさそう。
「二人の若葉色の瞳はキレイだな」
何だか安心する色だ。緑茶が飲みたくなった。
「「おお、光栄ですな。アンバー殿の瞳こそ、夜空の月の如く美しいですぞ」」
「わぁ、詩人だね。ありがとう!」
三人で紅茶を飲みながら褒め合っていると、薄茶色の上下の服の壮年男性が麻袋を抱えてやって来た。栗色のソフトモヒカンの髪に、顔はディルクのような無精髭だ。
「よぉ、塩大蛇の抜け殻が入ったって?」
「「いらっしゃい、ジェイク殿」」
「金貨一枚分くれ」
「「少々お待ちを」」
モッチョがカウンター奥の大型食品収納庫へ取りに行くと、カウンターに残ったムッチョにジェイクという男が麻袋を渡した。袋の口から見えるのは、変わった形だがジャガイモのようだ。
「たくさん手に入ったから、皆で分けてくれ。新品種らしいが、味は良かった」
「いつもすみませんなぁ」
双子が一人で話すのを初めて見たアンバーが衝撃を受けていると、次はアレンの話になっていた。ついさっき聞いたばかりの噂のようだ。
「領主の娘の事で、アレンがとうとう領主にキレたらしいぞ」
「おやおや」
マジか。誰にでも優しい感じのイケメンヒーローっぽいのに、キレるんだ。‥‥‥あ、でも、貴族の別荘が吹っ飛んだんだっけ?‥‥消したんだっけ?どうだったっけ?
「領主に頼まれて、仕方なく娘をパーティーに入れてやったんだったよな?」
「ええ、あの娘はギルマスにも何とかしてくれと、泣きついてきましてなぁ」
「領主の娘じゃ、強くは言えねぇだろうな」
「あの時のギルマスは、相当イライラしてましたぞ」
うっわ、目に浮かぶわぁ。領主の娘って冒険者なんだ。ってことは、あの中にいたんだよな?‥‥‥あのちょっと派手な女の子かな?アレンが居ない時にオレに嫌がらせしてきたんだよな。どんな顔だったかなぁ。化粧が濃かったんだよな。あれぇ?どんな顔だったかな?
どうも自分は記憶力が良くないらしい。領主の娘の顔を頑張って思い出そうとしていたら、ジェイクがカウンター席に座るアンバーを見た。
「‥‥‥よぉ、お嬢ちゃん。見かけない顔だな」
「アンバーだよ。オレは、昨日冒険者になったばかりなんだ」
「おっと‥‥‥悪いな」
ジェイクから微かに香草やスパイスの香りがしたから、イタリアンっぽい店の店主か料理人かもしれない。
モッチョが戻って来た。両手には折り畳まれた白く乾いた蛇の抜け殻がある。
でかっ!抜け殻だろ?縮んでアレなの?
‥‥‥ってか、あのエグいのを料理に使うの?!
「アンバーは、今日は外に出ないのか?」
「午後から行くよ。約束してる」
ムッチョ&モッチョが、ジェイクが欲しい部分を聞いてから抜け殻を丁寧に切った。素早く手際が良い。
「アンバー殿。ジェイク殿の料理店は、ここからすぐ近くにありますぞ」
「よく我々やギルマスに料理を差し入れてくれましてな」
「え、それって、スパゲッティ?グラタン?」
トンと、カウンター席の高い椅子からアンバーが下りた。冒険者にしては体が細く肌が白い。ジェイクはそれが少し気になったが、琥珀色の瞳と艷やかな鉄紺の髪は魅力的だった。有名になる冒険者には、やはり人を惹きつける何かがあるものだ。
「ん?ああ、俺が昨日持って来たのは、ベーコンのトマトソーススパゲッティだったな」
「オレ、ディルクと一緒に食べたよ。すっごく美味かった!」
ギルマスをディルクと呼び、一緒に食べたと聞いて、ジェイクは目を丸くした。
「へぇ‥‥‥、そりゃあ良かった。午後の約束ってのはギルマスか?」
「うん。‥‥‥なぁ、それどうやって食べるんだ?」
「初めて見るのか?」
一メートルくらいの白い抜け殻を、カウンターテーブルにそっと置いてアンバーに見せた。その様子に、破れやすいのかもしれないと思い、アンバーは触らなかった。全体的に表面はザラザラとしているようで、キラキラとした白い砂のようにも見える。
触れようとしたら止めようと思っていたジェイクは、じっくりと観察するに留めたアンバーに好感を持った。
「塩大蛇って、海に近い地方の砂丘にいる大蛇だ。これは脱皮した物だが、なかなか入手出来ない。この通り薄くてすぐに乾くから、大体が風に飛ばされて海に流されるのがオチだ。これは粉末にして、特別な時の料理に使う。美味いし、料理が輝くんだ。高級な粉塩だと思えばいい」
「へぇ‥‥‥美味いのか。なるほど、確かにこれだけで金貨一枚もするんだもんな」
教えてくれたことに礼を言うとジェイクは笑って、抜け殻を慎重に巻くと魔法鞄に入れた。
「また料理を作ってきてやるからな。二人分でいいんだろ?今度店にも来いよ」
「うん!ありがとう」
金貨一枚を双子に渡すと、ジェイクは帰って行った。
「あのジェイクって人は、元・冒険者?」
「「うーん、惜しいですなぁ」」
「まだ冒険者だ」
いつの間にかディルクが入口に来ていた。既に煙草を咥えていて、広間にも薄く煙が広がる。アンバーの前髪をチラと見るが、何も言わなかった。
「ジェイクは、まあいろいろあって‥‥‥今は休んでいるだけだ。以前から料理が得意で、小さな空き店舗で店を始めたが、思いのほか繁盛したな」
夜は冒険者の溜まり場になるが、昼は子供連れの家族でも入りやすいほど落ち着いた雰囲気の店なのだそうだ。
「行くぞ。そこらの屋台も教えてやるから、昼は食べ歩きでいいな?」
「やった!いってきます」
「「お気をつけて」」
「後は頼む」
「「承知しました」」
受付はケイトだけだった。コーディは休憩のようで、アンバーはちょっとホッとした。
ケイトにギルドカードを渡すと、生産魔法・初級は書き込まれなかったので、〘ギフト〙の一つをシークレットにしてもらった。
【自己管理】の方にしようと思ったが、誰もステータスだと思わないのでは?と考え、【状態異常無効】を選んだ。ディルクもそれでいいと頷いた。
「お前さんが強くなれば、シークレットなど必要なくなる」
「強くって、A級のアレンくらい?」
「あの男は元・勇者だし、とっくにS級レベルだ。試験を受けるのも、頻繁に他国に呼び出されるのも、どこかのギルドマスターになるのも嫌なだけだ。我儘のように見えるだろうが‥‥‥」
「大丈夫、わかってるよ。勇者は、勝って当たり前、強くて当たり前って思われてたんだろうな。きっと、どこへ行っても‥‥‥」
ディルクは、アンバーの肩に手を乗せた。
「お前さんたちを助けに行った時は、凄まじい形相だったそうだ。騎士団長からは、協力への感謝と、元・勇者様があんなにヤバイ奴だと思わなかった‥‥‥と言われた」
「うわお」
オレが初めて会った時は、めちゃくちゃ良い笑顔で眩しかったけどなぁ。‥‥‥あ、そうか。他にも小さい子供がいたし、オレたちを怖がらせないようにしたんだな。
「‥‥‥まあ、アレンは置いといて、自分の身は守れるようになれってことだ。行くぞ」
「うん、じゃあね、ケイトちゃん」
「いってらっしゃいませ」
「ケイト。この受付カウンターと広間のカウンター内の床、補修しておけよ」
「うひゃぃいいっ」
ケイトちゃん‥‥‥。
そっか。あの時のメキッって音、ケイトちゃんだったんだ。ってことは、咳払いの方はコーディくんかな。
もしかして他の冒険者の視線から、オレのこと助けてくれたのかな?
「‥‥‥似合うじゃないか」
少し歩きだしてから、最初の屋台でワンハンドピザがあった。今、チーズ増量にしてもらって、出来上がるのを待っている。
「髪型?‥‥‥カッコイイ?」
「ああ」
アンバーは前髪を触って、ディルクにヘヘっと笑った。褒められると嬉しいものだ。
アツアツのピザを受け取り、ディルクが支払ってくれた。今日はどれも奢ってくれるそうだ。カッコイイ。
「ハフハフ‥‥‥んんーっ! ふっごいチーズおいひい!」
「‥‥‥美味いな」
今は、認識阻害魔法は使っていない。
昨日はギルドを出てすぐの路地に入り、魔法をかけたと話した。
ディルクは、路地に入る時は周囲に誰もいないかしっかり確認するように言った。アンバーが疲れて戻ってきた時に、階段を上る後ろ姿を他の冒険者が見ていたらしい。
「お前さんは自分の容姿について、どう思っている?」
「儚げな美青年」
「‥‥‥当たり前のようにサラッと言うんだな」
「客観的に見れたからだよ。初めて鏡を見た時には女の子かと思った」
「‥‥‥まあ、だから気をつけろ」
「うん」
シナモンシュガーをまぶした棒状の揚げ菓子を見つけて「チュロがある!アレも食べるアレも!」と騒ぐアンバーに、本当に大丈夫か?とディルクは心配になった。
初心者にギルマスが付くことはまずないが、アンバーはこの世界を知らないから特別だ。余計に目立つのをわかったうえで、行動をしている。
口の周りについたシナモンシュガーをぺろりと舐めたアンバーは、最初こそ呑気に歩いていたが、しばらくすると、誰かに見られていると気が付いたようだ。
「ギルドの冒険者かな?」
「アンバー。この気配を覚えて、後でギルドで答え合わせするといい」
「‥‥‥趣味悪くね?」
「‥‥‥」
小さな時計店に入った。「いらっしゃい」と聞こえた方を見ると、六十代くらいの細身の店主が作業台にいた。小さな丸眼鏡で、いかにも職人って感じの人だと思った。
懐中時計は、修理済みの中古も多くあった。この店は下取りをしていて、客はまた中古か新しいのを買うようだ。
古い懐中時計は毎日の手巻きが必要なイメージがあって、向き不向きがあるのではと思ったが‥‥‥。さすがに魔法の世界。魔石式になっていて、魔力を毎日少しだけ入れたら良いのだそうだ。
「寝る前の習慣にすれば良いだけだ。自分に合いそうなのはあるか?」
「中古でも今のオレには高いなぁ‥‥‥。あ、これ、シンプルだな」
何の装飾もないハンターケースの懐中時計だが、逆にそれがアンバーの目を引いた。リューズを押して開いてみると、数字も大きいので薄暗い場所でも見やすい。
「ああ、確かに良さそうだ。銀貨八枚か。それくらいなら今日にも稼げるだろう。俺が立て替えておくから、これに決めるか?」
「うん!大事にするよ!」
時計店の店主は少し微笑むと、なかなか売れなかった懐中時計だったからと、銀貨五枚にしてくれた。
ベルトクリップタイプで付けやすいが、落とさないか心配になる。スリムカーゴパンツのポケットに入れたアンバーは、カラビナがあればと思って、店主に聞いてみた。
開閉できる部品が付いた固定具と説明して、絵も描くと、店主は瞬きをして、それから動かなくなった。
「えっと、ごめん‥‥‥説明が下手で」
「‥‥‥ああ、いや、違うよ。この形は知らないだけだ。‥‥‥他に話してもいいなら、馴染みの金細工職人に相談して作ってみたいが‥‥‥どうだろう?」
店主は、アンバーとディルクの両方に確認する。
「本当?頼んでもいいの?」
「その懐中時計に合わせた真鍮でいいかね?」
「うん!それ作ってもらえたらオレも落とす心配ないし、魔法鞄にも付け替えられるから嬉しい。本当はチェーンも着脱できたら固定具だけで‥‥‥」
「アンバー」
ディルクの声にハッとした。この世界に無い物を言ったから、怒られるかもしれない。
カラビナ付きの時計は前世にあって、トートバッグに付けていたことがある。あれもシンプルで、気に入っていた。
「ディルク、あの‥‥‥」
「アンバー、俺もそれに興味がある。チェーンのない時計なら、魔法鞄に付けるのにちょうどいいな」
アンバーは目を見開いて、それから笑顔になった。
ディルクは店主に、固定具をまずは二つ頼みたいと言った。急がないので、手が空いた時で構わないと伝えると、店主は頷いた。
「では、出来たらギルドの受付に伝えておくから、その後に店に来てくれるかね? アンバーくん、だったかな?」
「うん」
ディルクは忙しいから、オレが来ればいいよな。
時計店を出ても先程と同じ視線と気配があった。もう十分だし、そろそろ鬱陶しい。
林の手前で休憩を装いディルクが胸ポケットから煙草を出した。アンバーは分布図を見るフリをする。地図が逆さまだ。
やがて、濃霧のようになった煙の中で、ディルクがアンバーを抱えて走った。部屋の中だけでなく、周辺にまで煙を広げられることに驚く。
「アンバー、このままで魔法が使えるか?」
「う、うん」
「俺にも出来るか?」
「やってみる」
アンバーは抱えられながら、自分とディルクに認識阻害魔法をかけた。気配がなくなったのを確認すると、アンバーを下ろした。互いの顔がよくわからない。
「‥‥‥誰かを認識できないって、変な感じなんだな」
「今、その目で見ている俺が、自分と重ねられるか?お前さんは、昨日もその前の三日間も、ガレイルの街の中で人々からこう見られていたんだ」
「‥‥‥普段は、使うのやめるよ」
街の人に顔を覚えてもらえないのは、寂しいからな。
「ただ、お前さんはまだ気配すら消せないし、今日のように誰かに尾行されてしまう。一人で街を出て行動する時は必ず使うんだ」
それでも、認識阻害が通用しないアレンのような奴もいるがな。
「‥‥‥」
ディルクはアンバーの頭に手を伸ばす。ポンと乗せられた大きく温かい手に安心する。
「アンバー?」
「わかったよ、ディルク」
低級魔物の生息地図を広げて、ここに行きたいと言ったアンバーの言う通りに進む。基本的に今日のディルクはサポートだ。危険だったり、使い方を間違えそうな時には口を出すし、手も貸す。
「‥‥‥これはまた」
たくさんいるな。昨日は薬草の群生地を見つけ、今日はスライム畑か?
「‥‥‥いや、本当に畑か?」
「水色のスライムが次々に畑に集まって来るよ。この畑にも微精霊がフヨフヨしてる」
『ああ、人間の子らに見つかってしもうたか』
ディルクがピクッとして、前にいたアンバーのすぐ後ろに立つと、小声で「認識阻害を解除だ」と肩に手を置いた。アンバーは言う通りに解除した。
「俺たちは迷い込んだだけだ。すぐに立ち去る」
『おお、可愛い子らじゃ』
「‥‥‥」
アンバーは精霊がいる場所をなぜ選んでしまうんだ?
ディルクは小さく息を吐く。麦藁色で長い毛と髭に覆われた妖精だ。アンバーの背丈の半分ほどしかないが、ちゃんとした人の姿だ。男の妖精はそう多くないので珍しい。
「ここは、おじさんの畑?」
おじさん! ディルクの顔が青くなって、アンバーの口を手で塞いだ。
『そうじゃが』
「んーっ」
「俺たちはスライムを探しに来たら、ここに着いた」
『可愛い子らよ、冒険者か?』
「んんっ!」
「‥‥‥そうだ」
『ここのスライムは手を出してくれるな。雨が降らん時は、こうして畑に水を運んでくれとる働き者のスライムじゃ。ほれ、もっとずっと向こうの人家に近い奴らにしてくれんか?あれらは黒く毒され人間を襲うでのう』
アンバーが、口を塞いでいたディルクの手を外した。
「‥‥‥ここに来るスライムは仕事仲間なの?」
水色のスライムは、やって来ては畑に入りまた出て行く。そのまま消えるスライムもいた。この畑の土は輝いているようにいる。
『ここで消えるのは死んでゆく奴らじゃ。水のスライムとして生きた後で、いずれ微精霊となる』
「そうなのか‥‥‥知らなかった」
ディルクが目を丸くして驚いていた。
この畑にいる微精霊の前世が、水のスライムってことなんだ。
日本人として死んだ後、アンバーはこの世界にまた人として存在する。命の違いは、何で決まるのだろう。
水のスライムがアンバーたちの足元を通った。同じ場所ではなく、ちゃんと乾いた土の所を選んでいた。少し小さくなったスライムがまた畑を出て行った。
「妖精のおじさん、ここジャガイモ畑だろ?人間にも売ってる?」
『おお、そうじゃ。可愛い子は物知りじゃのう。金はたくさんは要らぬから、美味しくしてくれと頼んでのう。もらった金は帰りの屋台で使い切る。食べ歩きは最高じゃ』
髭と髪の境目がわからないほどのモジャモジャの妖精が、小さな瞳を輝かせた。
「チュロは食べた?ピザは?」
『おお、あのピザは美味いのう!‥‥‥はて、チュロとは、どんなだったかの?』
「シナモンシュガーがたっぷり付いた、棒状の揚げ菓子だよ」
『なんと、チュロというのか。昨日食べたばかりだが美味かったのぉ』
「あの店では 揚げ菓子 だ。アンバー」
そうか、この世界ではチュロとは言わないんだな。
『可愛い子らよ、そろそろ戻るかの?』
そうだ。妖精との接触は魔力も体力も減る。アンバーにはまだ体力がない。
『おお、そうじゃ。これで良ければたくさんあるから持って行くとよい』
麦藁色の妖精が革袋をアンバーに渡すと、いつの間にか消えていて、ジャガイモ畑も、どこにもなかった。
「昨日もこんな感じ、体が重い‥‥‥」
アンバーは咥え煙草のディルクに背負われていた。回復薬は飲んだので、効くまではこのまま移動する。
「‥‥‥ディルクって、いい匂いだ」
「こら、擽ったい」
ディルクの首の後ろに顔を埋めたアンバーがクスクスと笑った。香草と魔力で作られた煙草の煙だけではなく、どこか安心するディルクの匂いが、不思議と好ましいとさえ思えるのだ。
「‥‥‥アンバー」
「ねぇ、ディルク。麦藁色の妖精のおじさんが言ってた黒い毒のスライムはどうするの?」
「ああ、ブラックスライムだな。この時間だと隠れているだろうから無駄足になるかもしれないが‥‥‥。せっかく教えてくれたんだ、このまま様子を見に行くか。数が増えているのが確認できたら、ギルドから冒険者に依頼を出す」
「うん、良かった」
先程もらった革袋の中には、スライムの魔石がたくさん入っていた。畑のキラキラは、死んだスライムの魔石が落ちていたからだった。スライムを倒さなくても魔石が二十個あればいいので、アンバーはギルドに戻れば今日にもE級冒険者になれる。
次のD級になるには、薬草では、回復草と毒消し草を各二十本、鎮痛草・鎮静草を各二十本。魔物では、ゴブリン二十体、大鼠が三十匹だが、レアの魔物ならば一体を倒すか捕縛で条件クリアになるそうだ。
結局、ブラックスライムは見つからず、今向かっている場所は昨日の草地からはもっと南だが、先程の場所はガレイルの南地区なのでとても近い。回復草と毒消し草は、多めに摘んでいたので既に魔法鞄にある。これから向かう場所では、鎮痛草・鎮静草を手に入れたい。
「ゴブリンと大鼠は、せめて体力、魔法と武器の使い方にも慣れてからだな。俺か他のギルド員、信頼出来る冒険者の誰かにサポートしてもらえば、問題なく倒せる」
「やっぱり、レア魔物は無理だよな?」
「まあ、レアだからな。だがお前さんなら、もしかしたら‥‥‥」
「ディルク、そろそろ下ろしてくれても大丈夫だ」
「‥‥‥ん?‥‥‥ああ」
少し残念な気持ちになったが、アンバーを下ろした。何が残念なのか?と考えてみれば、ディルクの中でアンバーへの好意が大きく育っていることに、すぐに気が付いた。
* * *
俺が言えた立場じゃないことはわかってる。だが、頼む。人を好きになることを、愛することを、諦めないでくれよ。
* * *
そう言ったのは、ほぼ毎日のように料理を持って来る友人だったと思い起こした。
ディルクは煙をふうっと吐いた。アンバーは薬草の分布図を見ている。十七歳の青年に自分がこんな好意を向けていると知ったらどう思うだろう。
「今は、この辺り?‥‥‥オレ、こっちに行ってみたい」
「次に妖精に遭遇しても、長話はするなよ」
「うん。あ、そうだ。ディルクも精霊の愛し子だよな?」
先程の妖精とも話をしていたし、『可愛い子ら』と言われていた。
「‥‥‥まぁな。〘ギフト〙持ちは、精霊たちに好かれやすい」
愛し子という言葉は、自分では使いたくないのだろう。立派な大人だから「俺は愛し子です」とは恥ずかしくて言えないのかもしれないと、そう思うことにした。
「‥‥‥」
「今更だけど、ディルクって何歳?」
「本当に今更だが、言ってなかったな。二十九だ」
「え」
「ん?」
「あ、ううん」
三十代後半くらいだと思っていた。実年齢より老けて見えるのは、疲れた顔と‥‥‥髭だ。きっと無精髭のせいだ。伝わったのか、ディルクが目を細める。
「ディルク、その無精髭は、ずっと前から?」
「つまりお前さんは俺が老けて見えると言いたいんだな?」
「‥‥‥」
ディルクの煙が広がるこの場所で、どう答えればいいだろう。
「老けて見える」
「‥‥‥遠慮がないな」
薬草の群生地を見つけた。また微精霊がフヨフヨしている。「今日は疲れているから、薬草もらったらすぐに帰るよ」と言ってみたら、何も起こらないまま鎮痛草と鎮静草を無事に摘み終えた。
「言ってみるもんだな」
「うん」
夕方になり、ポケットの懐中時計を見たら五時少し前だった。後は魔物が出やすい時間を待ち、ある程度の魔石を入手したら帰るだけだ。
腰掛岩があった。見つけたらお礼だけ言おうと思っていた。ディルクにそう言うと頷いてくれた。
「妖精のお姉さん、昨日は格好良いローブをどうもありがとう」
『綺麗な糸をくれたお礼だから、いいのよ。可愛い子、ああ、疲れているわね』
声だけが聞こえた。白い花が降って来たのでアンバーは手を出すと、両手いっぱいになった。
「‥‥‥カモミールの花だな」
「お茶にして飲んでいいの?」
『そうすると、とても良いわ。可愛い子たち、今日はもうお帰りなさい』
「どうもありがとう、またね」
「‥‥‥ありがとう」
アンバーとディルクは、夕暮れ時の空を見上げた。
「ディルク、手を繋ぎたい」
「‥‥‥まるで子供だな」
そう言いながらも手を差し出すディルクに、街に入るまでだからと約束をした。認識阻害は解除しているので、顔を晒して街を歩くことになる。
ギルマスのディルクが新人冒険者と手を繋いでいたと噂になったら、申し訳ないからな。
「‥‥‥」
「ディルクは恋人いないよね?」
「‥‥‥なぜそう思う?」
「いたら、オレを部屋に住まわせないだろ?」
「そうだな」
するりと繋ぎ方をディルクが変えた。
「ちょっと、ディルク知らないの?‥‥‥これ、恋人繋ぎって言うんだぞ?」
「そうだな」
「何で?」
「お前さんも恋人いないよな?」
「‥‥‥いないよ。いるわけないだろ」
ギュッと力を入れて握るとディルクは目を丸くしたが、フッと微笑んだ。その顔があまりにも絵になって、夕日を背にしたディルクが格好良くて、アンバーの顔が真っ赤になった。
この夕焼けに溶けて、バレないといいのに。
「‥‥‥」
ディルクの手から、煙草が消えた。
「‥‥‥どこに消えたの?」
「これは魔法道具だと言ったろう?ポケットに戻った。ほら」
「常に一本あるってこと?」
「そうじゃない。全て俺の意志だ。二本を口に咥える意識をすれば‥‥‥こうして出る。俺の耳にあるピアスが魔法道具の本体だ」
ディルクの両耳には煙水晶の魔石が付いたスタッドピアスがある。
「へぇ‥‥‥。あ、それなら、咥え煙草にしなくてもいいんだ?」
ポケットからでも、ポケットじゃなくても、煙さえ出せればいいってことだよな?
「‥‥‥」
ディルクが黙って反対側を向いた。何も知らないで言ったので怒ったのだろうかと、アンバーは顔を覗き込む。
「‥‥‥‥‥‥だ」
「え?なに?」
「十代の時に、煙草にしたらカッコイイと思ったんだ」
「‥‥‥」
目を丸くしたアンバーに「何だ、悪いか?」と唇を尖らせるディルクがあまりにも可愛くて。
「悪くない!カッコイイよな!」
「そ、そうか?」
頭を掻いて、はにかむように笑う。
灰褐色の癖のある髪と夕焼け。微精霊がいつの間にか集まっていた。すごく綺麗だ。すごく‥‥‥。
「アンバー?」
ああ、どうしよう。この人が、好きかもしれない。
読んでいただきありがとうございます。