03.ディルクとアンバーと、ギルドの人たち
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「悪いな、任せっきりで」
広間のカウンターテーブルにディルクが座ると、受付のケイトが隣に座る。そして、鑑定眼を持つ双子のムッチョ&モッチョが、白いタンクトップにフリル付きの腰エプロン姿でカウンター内に並んで揃った。目の前が暑苦しい胸筋の壁に塞がれる。
年配の事務員たちは早々に帰宅するので、今日のミーティングはこの四人だけだ。テーブルに、静音効果の魔法道具でもある魔石式のランタンが灯された。
「新人のF級冒険者アンバーと同居することにした」
隣のケイトが頬を染めてニコニコとしている。何が嬉しいのか知らないが、時々こんな顔をする。彼女もアンバーを気にかけている一人だ。
「「ギルマス」」
ピクピクとする大胸筋が喋りかけてきたのかと思ってしまいそうになるが、視線を上げて双子の顔を見ると、体格に似合わない潤んだ若葉色の二対の瞳が、ディルクを見下ろしていた。ほぼ普段からシンクロして話す。
「「彼が、アレン殿が待っていた青年ですかな?」」
「ああ、そうだ。見下ろすな」
「「失礼」」
ムッチョ&モッチョが中腰になると、無駄に長い睫毛と潤んだ瞳が近くなった。ディルクが渋い顔をする。
「見下される方がマシだった‥‥‥」
「うふふっ」
心が落ち着かない時のディルクは、いつもこんな感じだ。
「アンバーは、ちょっと特別だ。アレンとは姿が対照的だが、彼も精霊たちに好かれているようだ」
「「なんと、精霊の愛し子ですと!」」
「近い近い、見下ろしていいから普通にしてくれ」
「「失礼」」
中年の双子は中腰をやめ、ディルクは溜息を吐いた。
「初日に、ガレイル東の草地で妖精に遭遇されたようですね。ギルマスのご指示で、試しに魔力が多い者にしか見えない分布図の方をお渡ししました」
「「ほお、なんとなんと」」
ケイトは大きな丸眼鏡にランタンの灯を映して、楽しそうに話す。
「無事に薬草採取を終えて戻られた時には、アレン様からお借りしたローブではなく、精霊の力を感じる灰褐色のローブを着ていらっしゃいましたね。かなりお疲れだったようで、心配しました」
「スライムを諦めて帰って来たのは正解だな。精霊でも特に妖精は、接触するだけで魔力も体力も減る」
気に入った人間は死なせたくないと思う精霊なら、魔力が多い者にしか近付かない。一部では人間など死なせてもいいと思う身勝手な精霊もいるが、そんな危ないのはこの辺りには存在しない。
「アンバーにしっかり食わせる。アレンもそのつもりで俺に頼んできたんだろうからな」
* * *
「鉄紺の髪に琥珀の瞳の青年が来たら、保護して欲しい。冒険者になりたいようであれば、ディルク、貴方に預けたい。僕はしばらく側にいてあげられない」
* * *
「アレンは、無理矢理にでも連れて来ようとはしなかった。この街にいることは知っていたはずだ。アンバーが自主的に来るのを待っていた」
「アレン様にとって、アンバー様はそれほど大切にしたい方なのでしょうか?」
「‥‥‥さあな。‥‥‥それから、アンバーの〘ギフト〙が二つある件だが‥‥‥」
ムッチョ&モッチョが目を瞠った。
神からの〘ギフト〙。この世界の限られた者と、異世界転生者・転移者はもれなく〘ギフト〙が与えられると云われている。
それを二つも与えられるなど、初めて聞いた。だがこの世界には、ただ隠しているだけで、他にも存在するかもしれない。
アンバーが 異世界転生者・転移者 だとディルクは言わなかったので、三人はそれには触れなかった。
「ケイト、その〘ギフト〙の一つを明日にでもシークレットにしてやってくれ。アンバーには話しておくから、頼む」
「承知致しました。それから、弟の服を明日持ってきますので、扉の前に置いておきます」
「助かる」
あの忌々しい白いワンピースは、早々に処分してしまおう。
アンバーが来なかった三日間、ギルド員たちも何かあったかと心配したり、無事であるならばアレンを裏切る行為ではないか?と、考えたはずだ。
ディルクは、アンバーがどんな姿でここへ来たのか、皆に話した。ディルク同様、表情には出さなくとも彼らの怒りが伝わってきた。
人身売買は、買い手がいるからこそ、未だに無くならないのだ。
組織が利用していた貴族の別荘の地下室はいくつもあったらしく、その一室に監禁された者たちの中にアンバーがいた。売られるまで何もされていなかったのか、まだ確認できていない。
死んだと思われていたアンバーが起き上がったことに、子供たちは驚いていたと言っていたが、一体何があったのか。
アレンは、何か知っているかもしれない。別荘は跡形もなく吹っ飛んだらしいが。
「アンバーは、自分が何者なのか記憶がない。アレンたちが助けに来たその日に、今の アンバー は生まれたと思ってくれ」
実際、そうなのだからな。
「冒険者として、育ててやってくれ」
「「「はい」」」
そしていつも通りの報告と、最後に、アンバーの姿を見て気にしていた冒険者たちが数人いたとケイトは言った。疲れて戻って来た彼を、階段を上るまでずっと見ていたようだった、と。
「それは、どんな感じに?」
「今はまだ、男か?女か?‥‥‥くらいですね」
路地に入る時は気をつけるよう、言っておくか。
「明日は受付に二人いますし、問題ないようなら午後にでもギルマスが一緒に行動して差し上げたらいかがでしょう?緊急事態には煙筒を使いますから」
「‥‥‥そうだな、そうするか」
仕事は溜まるが、気分転換にもなる。それに、運と体力次第では、アンバーはすぐにD級までなれるかもしれない。
「午前中にアンバー様の髪を整えましょう。襟足は長いままでも素敵ですが、前髪は切るか、ヘアピンで前髪を上げて‥‥‥」
ディルクは、アンバーの白い額をまた思い出した。
「いや、額は出すな。出ても半分。とにかく前髪は切ってくれ」
「「「‥‥‥」」」
「な、何だ?」
三人はコソコソと話しだした。
(もしや、もう何かあったのでしょうか?)
((そうかもしれませんなぁ‥‥‥))
それからディルクを見て、ふふふ‥‥‥と、笑った。
「‥‥‥‥‥‥解散」
「「「お疲れ様でした」」」
「‥‥‥お疲れさん」
正面と職員用の扉を施錠して、階段を上った。二階の資料室・応接室・代表室の戸締まりを再確認して、ようやく三階の住まいに帰る。
鍵を開けると、いつものようにダイニングキッチンは暗かったが、アンバーの部屋の魔石式ランタンの灯りが少し開いた扉から漏れていた。
「‥‥‥ギルマス?」
少し不安そうな声が聞こえた。一応ノックをして扉を開ける。
ベッドには入っていたが、どうやらまだ眠れないようだった。うつ伏せで地図に何かを書き込んでいたらしい。起き上がったアンバーは、ディルクが貸した部屋着の袖を少し折って着ていた。手首の細さが際立ち、ディルクは少し胸が苦しくなった。
「眠れないなら、香草茶でも飲むか?」
「飲む。ルーフバルコニーで飲んでもいい?星が見たい」
「星か?じゃあ、用意するからここで待ってろ」
「手伝うよ」
アンバーはベッドから下りると、鉄紺の髪がさらりと揺れた。嬉しそうにディルクの隣にやって来る。
「こら、裸足で歩くつもりか?」
「ん?」
アンバーは自分の足元を見た。
「あ、そうだった。部屋でも靴を履くんだ。楽な室内履きが欲しいな」
「室内履きなら明日用意する。だからここで待ってろって言ったんだ。後で運んでやる」
「オレは子供じゃないぞ」
そう何度も抱き上げて運んでもらうのは、さすがに恥ずかしい。アンバーは頬を膨らませた。そんな顔をするのが子供っぽいと言ってやろうかと思ったが、ちゃんとブーツを履いて来いと言って、ディルクは先にキッチンへ行った。
湯を沸かす間に、食品収納庫から、乾燥させたカモミール・リンデン・レモンバームのブレンドを用意した。
「香草は、同じなんだな‥‥‥」
ブーツを履いたアンバーが、ディルクの後ろから覗き込んだ。鼻をひくひくさせて、本当に猫みたいだと思った。
「こら、危ないから離れてろ」
「オレは子供じゃないぞ」
「そうだな、ハチミツ入れるか?」
「うん」
‥‥‥少し、アンバーの扱い方がわかってきたな。
「何で、お茶を入れたカップを食品収納庫にストックしとかないの?」
食品収納庫は時間が止まった異空間なので、入れたてのお茶も飲みたい時にすぐに出せる。
「手間かもしれないが、今の俺自身の状態を知るためでもある。味がそのまま、その日の気分に出るだろ?疲れやストレス抱えていたらそれなりの味になるし、心にゆとりがあれば美味いのができる」
「なるほど。じゃあ、微妙な味のが出てきたら、ギルマスの機嫌や気分が悪いってことだな」
「ま、まあ‥‥‥そうだが、それは自分だけで飲むからそうしていただけだ。お前さんには美味いのをストックしておく」
「いやいや、そんな。どうぞお構いなく」
こいつ‥‥‥。
「アンバー、そこの棚からマグカップを二つ出してくれ。お前さんの気分で選んでみせろ」
キッチンの右に、アンバーの胸の高さくらいのウォルナットの食器棚があった。たくさんのマグカップが並んでいる。
「わあ、すっごいな!」
「誰かさんが、みやげにマグカップを買って来るんだ」
「ふーん」
それは、コーディって人かな。
「オレの前世の家でも、雑貨店や旅行先で買ったマグカップがいっぱいあったよ。懐かしいな‥‥‥」
「‥‥‥そうか」
何だ。苦手だと言っても、あの男と趣味が合うじゃないか。
誰かさんとは、冒険者アレンのことだ。彼は以前から、遠方へ行くとみやげにマグカップを買ってくる。
アンバーは、他国の珍しい藍色のペアを選んだようだ。ディルクは少しだけモヤッとした感情を、そっと押し込めた。すると、香草茶は、それなりにまぁまぁの味になった。
「‥‥‥んん、少しハチミツ入れると飲みやすいな」
「‥‥‥」
「大丈夫、美味いよ、ギルマス」
バルコニーのベンチに並んで座り、アンバーは夜空を見上げる。
「もっと暗いかと思ったけど、この辺は屋台や飲み屋の灯りで賑やかだな。でも、高い建物が周りにないから、端から端まで星がこんなに見える」
「お前さんがいた世界でも見られるんだろう?」
「自然が多い田舎や空気のキレイな場所は見えるけど、オレが住んでいたのは街中の高層マンションだったからなぁ」
「香草マンション?」
「‥‥‥ふふっ、たぶんちょっと違う気がするな。高層って、高い建築物。オレは十五階建ての四階に住んでた」
ディルクは目を丸くした。
「そんな、ダンジョンを逆さにしたようなのを建てるのか?魔法も無しに、人が?」
「スゴイよな。もっと高い超高層のタワーマンションってのもあるけど、建築基準法ってのがあるから、どこにでも建てられるわけじゃないんだ。魔法は使えないけど、そういう技術や能力に秀でた人たちがいる世界だったんだよ」
ディルクは飲み終わったマグカップを丸テーブルに置いて立ち上がった。ルーフバルコニーの手すりに寄り掛かり、ベンチで香草茶を飲むアンバーを見つめた。
「驚いたな‥‥‥そして、面白い。そんな世界もあるのか」
「オレにとっては、この世界がそうだよ。物語の中のような世界だ」
アンバーがまっすぐに見つめ返してきたが、風が吹いて、伸びた前髪が琥珀色の瞳を隠してしまった。ディルクはちょっと残念な気持ちになる。
「‥‥‥今、不安はあるか?」
「そりゃあ、あるよ。でも、アレンたちが助けてくれて、ギルマスが居場所をくれたからな。オレは生きてみるよ、この世界で」
アンバーはまた星空を見上げた。ディルクにとっては当たり前の夜空だが、彼にとってここは、異世界の空の下だ。
「ギルマス、月が三つもあるんだな」
「‥‥‥ディルクだ」
アンバーが瞬きして、首を傾げた。
「ギルマスの名前だろ?知ってるよ」
ディルクはムッとして「もう中に入れ」と、アンバーの飲みかけのマグカップを取り上げた。
「え、まだ残ってるのに」
そう言って追いかけると、ディルクはアンバーのカップをキッチンのテーブルに置いた。ルーフバルコニーへの扉の鍵は閉められた。
「俺はこれからシャワーを浴びる。それ飲んだら、今度こそ寝ろ」
「わかったよ」
アンバーは、おとなしくキッチンの椅子に座った。
「明日の朝、コーディの古着を扉の前に置いてくれることになっている」
「コーディって誰?」
「ケイトの弟だ。受付の」
「なーんだ、恋人じゃないのか」
ディルクは顔を顰める。勘弁してくれといった顔だ。
「コーディは恋人ではない。仕事は出来るし掃除もしてくれるが、あいつは口煩いし‥‥‥」
「ふーん?」
「な、本当だぞ?煙を見ろ。それに‥‥‥まあ、会えばわかる。仕事は真面目だし、信用はしていいぞ?」
「ふーん‥‥‥、ふふっ」
アンバーは笑ってしまった。シャワー室へ向かっていたディルクが、キッチンにまで戻って来てしまっている。
「つまり、有能な仕事仲間ってことだろ?」
「そうだ」
「明日になったらお礼と挨拶をしなきゃな。広間のカウンター内にいた人にもさ」
「ああ」
「もう飲み終わったから、これ洗って寝るよ」
「‥‥‥ああ」
アンバーは、ディルクのマグカップも一緒に洗浄魔法をかけた。食器洗いは完璧なようだ。布巾で拭いて、マグカップを棚に戻した。ディルクは頭を掻いて、再びシャワー室に向かった。
「おやすみ、ディルク」
驚いて振り向くと、アンバーはもうそこに居なくて、部屋の扉が静かに閉まった。
「‥‥‥おやすみ、アンバー」
ごめんなさい。
理解もせずに、酷い言葉であなたを傷つけました。
ごめんなさい。
あなたが父を愛していて、
父もあなたを愛していることを、
あの頃の私は、認めたくなかったのです。
ごめんなさい。
どうか、泣かないで。
あなたは、生きてください。
懐かしい夢を見たような気がするが、忘れてしまった。
微かな物音で扉を開けると、薄っすらと煙に包まれたキッチンに立つディルクの後ろ姿を見て、急に気恥ずかしくなる。他人と同居するのは、前世も含めてまだ二回目‥‥‥だと思う。
「お、おはよう」
「起きたか、おはよう」
コーヒーの匂いがする。豆から挽いたようで、コーヒー・ミルが置いてあった。ペーパーフィルターはないだろうから、麻ドリップかもしれない。
今は何時かな?
部屋に時計がないと時間がわからない。昨日は気にしなかった時間だが、キッチンに時計がないかアンバーはキョロキョロと探した。
「まだ六時過ぎだ。手頃な懐中時計を買うか?」
「手頃ってどのくらい?そんなにお金ないよ」
「昨日の薬草は買い取ったから、受付で金を受け取れ。ギルドに何もトラブルがなければ、午後は俺が同行する。ちゃんと稼がせてやるから安心しろ」
「え、本当!?やった!顔洗ってくる!」
アンバーが予想外に喜んだので、ディルクは頬を緩めた。
軽く焼いたバゲットを縦に開いて、昨日の残った生ハムとチーズのサラダを挟んでからカットした。大皿に乗せる。
食品収納庫にヨーグルトがあるのを思い出した。しばらく使っていない小さなガラスの器二個を棚から出して布巾で拭くと、スプーンでヨーグルトを入れ、レモンのはちみつをかけた。昨日の夕食もだが、このダイニングキッチンで誰かと食べる朝食は、久し振りだった。
コーヒーを淹れていると、アンバーが戻って来た。前髪を頭の上でちょこんと結んでいて、額が全開だ。
「うわぁ、美味そう!」
「‥‥‥」
詳しい話は食べながらだ。コーヒーサーバーから、マグカップにコーヒーを入れる。砂糖とミルクが必要かと思ったが、アンバーは「ブラックで飲みたい」と言った。結局は一口飲んで、砂糖もミルクも入れていた。
バゲットサンドは好評で、アンバーはよく食べた。昨夜も様子を見ていたが、この調子なら細い体にも肉が付きそうで、ディルクは安心した。
「ところで、前髪を変に結んでいるその素材は何だ?」
「変て‥‥‥。オレが出した糸で結んでるんだよ」
「何を蜘蛛みたいな‥‥‥」
アンバーは「じゃあ見てろよ」と、両手の人差し指を合わせて集中した。左右に引くと少しキラキラとした糸のようなものが伸びた。
「‥‥‥!」
それを指にくるくると巻いてカットする。ディルクの前のテーブルに置いた。
「周りに合わせて色が変わるんだ。でも手に乗せたら手の色にはならないんだ。不思議だろ?」
「‥‥‥まるで、変色大蜥蜴のようだな」
「変色大蜥蜴?」
それって、カメレオンみたいな生き物かな?
「このくらいの大きさ?」
アンバーは両手を使い、自分の肩幅くらいかと聞いた。
「いや、お前さんの体くらいの大きさの魔物だ」
「デカっ!‥‥‥えっ?蜥蜴ってこの世界で魔物なの?」
「魔力を持って魔法を使えば、魔物だろう?」
「あ、そういう括り‥‥‥」
手のひらの糸はディルクの肌の色に同化しなかった。その下のテーブルの色になっている。糸部分だけ体が透明になったようで、何だか微妙な気持ちだ。再び糸をテーブルに置くと、焦茶色のテーブルに同化した。うっかり失くしてしまいそうだ。
アンバーが、「見たいと思えば見えるよ」と言うのでそうしたら、輝くような糸に見えた。
「‥‥‥妖精が話しかけてきた理由は、コレだな?」
「うん、そう。花の香りがする乳白色の大きいキレイなお姉さんだったよ。糸が欲しそうだったし、休憩する腰掛岩をオレに譲ってくれたみたいだからあげた」
アンバーに「また必要になるかもしれないから、取っておけ」と糸を返した。精霊の中でも人の姿をした妖精に遭遇することはそうないだろうが、何しろアンバーは 異世界転生者 で、〘ギフト〙を二つも持つ美青年だ。精霊が好む容姿で、魔力も多い。痩せていても美しいと思うくらいだ。またどこかで引っ掛ける可能性がある。
「あのローブは、その糸の礼に妖精がくれたんだな?」
「うん、最初は乳白色のローブだったんだ。目立つから困るなぁって思ってたら、微精霊たちと相談始めて、大きな煙水晶を粉にして、気が付いたらディルクみたいな色になってた」
ディルクみたいな色。
口に手を当ててディルクの顔が赤くなった。
「ん?どうしたの?バゲット喉に詰まった?」
「‥‥‥い、いや、何でもない」
ディルクは誤魔化すようにコーヒーを飲んだ。
ステータスに変化はあったか聞くと、どうやら忘れていたようで、「ステータスオープン!」と確認し始めた。そんなところが抜けているが、まだ冒険者二日目なのだからと、大目に見ることにした。
「毎日、部屋に戻ったらステータスを確認する。その癖をつけたほうがいいな?」
「はい‥‥‥」
アンバーは素直に頷いた。目の前のステータス画面の魔法欄に、生産魔法・初級が追加されていた。糸を出したからだろうか。
「生産魔法・初級だって。糸以外にも作れるのかな?」
「‥‥‥アンバー。ギルドカードにもしもそれが書き込まれたら、シークレットにしておけ」
「なんで?」
アンバーは首を傾げて瞬きした。
「この糸で服を作ろうと考えるだろう」
「それ、乳白色の妖精のお姉さんが言ってた。服を作るのもいいわねって」
ディルクは頷いた。
「その妖精はお前さんを好きだからそう言ったんだ。作って欲しい、作りたいから糸をもっと欲しい、とは言わなかったんだろ? もしも誰かがお前さんを囲って、姿を隠せる服を作らせようとしたら?」
アンバーは、目を丸くした。確かに、全てこの糸から服を作れば、透明人間になれる服が出来上がるかもしれない。大変だ。
「ディルクが着たら、やっぱり女湯覗くよね?」
「何で俺が着る前提なんだ。『オンナユ』って何だ?」
「女の人たちが裸で入る大衆浴場」
「そんなのこの国にはない。そもそも覗くか!やっぱりってなんだ!」
「あいたっ!」
ディルクはアンバーの全開の額を小突いた。
「うー‥‥‥、おっかしいなぁ。男の夢だと思ってたのになぁ」
アンバーは小突かれた額を擦る。
「なら、お前さんは女の裸を覗きたいのか?」
「ヤダなぁ、しないよぉ。見たいと思わないし、それって犯罪だろ?」
「どの口が言う‥‥‥」
ディルクは溜息を吐くと、扉の方を見た。ケイトが来たようだが、服を置いてすぐに階段を下りたらしい。
「あ、ケイトちゃん?」
「ああ、待ってろ。その部屋着で出ようと思うなよ?」
「‥‥‥はーい」
既に椅子から立ち上がりかけていたアンバーは、そっと座った。
咥えていた煙草を手に取り、ふうっと吐く。
ダイニングキッチンに薄く煙るもの。これは、ディルクに与えられた神からの〘ギフト〙、【真偽】だ。
この煙の中で言葉に嘘があれば、模様のように煙が動く。だが能力はそれだけではない。煙が濃いほどディルクの魔力で満たされ、結界に似た守る役割もあった。
この能力でギルドマスターになったようなものだが、これのせいで、離れていく者もいた。
息が詰まる?‥‥‥全くだ。
だが、光の勇者は言った。無駄に引き寄せるよりは良い。羨ましい。今、貴方の側にいるのは、本当に貴方を信じる人たちだ、と。
ディルクはその言葉を思い出しながら、アンバーが着替え終わるのを待っていた。
魔法鞄は初心者用なのでたくさんは入らない。入れる服は替えの一着くらいにして、後は部屋に残すことにした。この部屋にクローゼットがあって助かった。
「ほら、ピッタリだった」
「コーディが冒険者になった頃の服だな」
つまり少年の頃の服だと言っているのだ。ディルクの煙は動かない。わざわざ言わなくてもいいのに、そんな顔でディルクを見ると、目を逸らされた。
伸縮する生地の上下で、胡桃色のボトルネックの長袖シャツに黒のスリムカーゴパンツだ。他の服も似たような感じの色違いで、派手な色はなくアンバーの好みだった。そう、年齢など関係ないのだ。
「うん。カッコイイし動きやすい。肉がついて背が伸びるまでは、これを着るよ」
「そうだな。良い服をもらったな」
「うん。それで、これは短剣?」
「ああ、武器屋によくある何の魔法付与もされていない初心者用だ。向き不向きはあるが、取り敢えず持ってろ。スライム単体を倒す時にまず使ってみるといい」
「わかった。これって腰に装備するの?」
「やめておけ。初心者です、と言っているようなもんだ」
「あ、そっか」
シンプルな短剣はボディバッグに入れた。まだ駆け出しだ。ちゃんと考えて、武器は必要な時に出せばいい。
八時になるので部屋を出て扉を閉めると、受け取ったウォード錠でアンバーが鍵をかけた。
前髪を結んでいた糸を半分にカットして、扉の鍵とガレイルのペンを、それぞれボディバッグと繋げて結んだ。誰にも糸は見えないが、バッグから出してうっかり手を離しても、落とさない。
「‥‥‥なるほど、便利だな」
「大事な物はこうすれば失くさない」
「まあ、上手く使え」
「うん」
代表室へ行くディルクとは二階で別れた。ケイトに髪を切ってもらった後は職員の誰かの近くにいるか、誰もいなければ三階の住まいへ戻るよう言われている。
一階まで下りると、始まった受付にはケイトの横に同じ髪色の青年がいた。彼がコーディのようだ。姉は大きな丸眼鏡だが、弟は黒縁眼鏡のオールバックで、真面目そうな雰囲気だ。背は姉より頭一つ高い。
ケイトがアンバーに気が付くと、着ている服を見て笑顔になった。今日も眼鏡が光って目が見えないけど、ありがとう。
掲示板前や受付に並ぶ冒険者たちの視線を感じた。アンバーは前髪が長いので、向こうからは殆ど目が見えないはずだ。品定めをされているようで、あまり気分の良いものではないが、ディルクには前もってこうなるだろうからと教えられている。アンバーを上から下まで見て「男か」「男だな」「男か?」と聞こえた。男だよ。
メキッという音の後に男性の咳払いが聞こえると、視線がスッとなくなった。
受付の二人の後ろの事務室から、五十代くらいのふくよかな女性が顔を出して、アンバーにこっちに来るよう手招きした。アンバーは誘われるままに事務室へ入った。
「あの、おはよう。それから、初めまして、お姉さんたち」
「あらっ」
「まあっ」
事務室には、ふくよかな女性の他にもう一人、細身の六十代くらいの女性がいた。
「おはよう。ケイトちゃんから聞いてるけど、あなたがアンバーくんね?」
「こっちへいらっしゃい。受付に群がる糞餓‥‥‥冒険者たちがいなくなるまで、お茶でもいかが?」
今、糞餓鬼って言おうとした?
「ありがとう」
ふくよかな女性はミーナ、細身の女性はベスと名乗った。
一時間ほど、お姉さまたちが事務室で作業をする横で紅茶とお菓子を頂きながら、様子を見ては会話をした。朝の事務員は忙しいのだ。お仕事の邪魔をしてはならない。
そういえば、ちょうど年齢も同じくらいだ。マンションの同じ階の、親切なおばちゃんたちの顔を思い出した。一人の時に、おにぎりを作ってくれたり、手作りのお菓子をくれたりした。自分の方が二人より先に死んでしまったけど‥‥‥。
「おはよう、ケイトちゃん。カッコイイ服をどうもありがとう。あれ?このカウンターひび割れてたっけ?」
「おはようございます、アンバー様。さっそく着て頂けて私も嬉しいです」
「‥‥‥」
ケイトの弟のコーディだ。姉と同じ癖のある髪はオールバックにしていて清潔感がある。
不思議だ。彼も、どの角度から見ても、黒縁眼鏡が光ってしまい、全然目が見えない。
「お、おはよう。あの、服をたくさんありがとう」
「おはようございます、アンバー様(ケイトちゃんだと?貴様、随分と姉様に馴れ馴れしいな)」
‥‥‥‥‥‥ん?
「どうぞ、お気になさらず。姉の頼みでもありますので(姉様のお願いは絶対だ。覚えておけ)」
「‥‥‥」
「それに、私にはもう着ることが出来ませんので、使って頂けて良かったです(それにしても、私が十三歳の時の服がまさかピッタリだとはな。フッ)」
ねぇ。これ、心の声だよね?
ガッツリ聞こえてるんだけど、心の声だよね?
「‥‥‥ケイトちゃん」
ケイトがハッとして、物凄い勢いで受付カウンターを飛び越えた。
「さあ、アンバー様!前髪を切りましょう!隣の広間のカウンターの中です!コーディ、受付をお願いね?」
「はい、こちらはお任せください(姉様に髪を切ってもらうなんて、本当に図々しい男だ。そして、羨ましい!)」
ケイトがアンバーを押すようにして、受付前から移動した。
「‥‥‥ねぇ、ケイトちゃん。オレちょっと泣きそうなんだけど、コーディくんにすっごく嫌われてるよね?本当に頼んでも大丈夫なんだよね?」
涙目のアンバーに、ケイトが「ひいぃあぅっ!」と変な声を出して飛び上がり、ゴン!という大きな音とともに究極の土下座をした。
読んでいただきありがとうございます。