警察署四階 署員食堂 2
「夏限定はもう終わっちゃったんですね」
署の四階、署員食堂。メニューから「夏季限定」の張り紙が消えたのを花織が寂しそうに眺める。
「かき氷、単品でいいから残してくれませんかね」
運ばれてきたカツ丼に箸で切れ目を入れながら花織がぼやく。
「出入口に投書箱あるから、そこ入れとけ」
百目鬼が醤油ラーメンをすする。
「かき氷って、夏のいちばん暑い時期に食べればよくない? 涼しくなったら要らないでしょ」
誠は味噌ラーメンを箸でつまんだ。
「わたしは真冬でも食べます」
花織がきっぱりと言う。
「ウソでしょ……」
誠は顔をしかめた。
「暑いくらいに暖房をつけた部屋でかき氷って、また違うじゃないですか」
よく分からない。
誠は無言でラーメンをすすった。
「んで結局、傘井 紫お姉さまが整形した時期っていつだったんですか?」
花織が切り出す。
「明日あたりになればワイドショーでやると思うよ。警察発表あるから」
「ワイドショー見ないですもん」
花織が答える。
誠はラーメンをすすった。
「犯行の三週間くらい前。八巻監督は、小笠原 礼司が脱退届を出すさいに酒々井から有価証券を預かってたのを知ってて、金を脅し取って事務所の運営資金と映画の製作費に当てようとした」
「ぅわお」
花織がよく分からない相槌を打ってカツ丼を食む。
「つまり、小笠原さんは酒々井さんのとこと切れてなかった?」
「切れたことにして脱税やら何やらの隠し場所になってたんだろうな」
百目鬼が顔をしかめてラーメンをすする。
「まだ証拠ねえけどな」と付け加えた。
「ところが小笠原がのらりくらり躱して脅しに乗ってこないので、傘井が色仕掛けで有価証券の置き場所を聞き出して、盗んで現金化してしまおうということになったんだけど」
誠は麺を箸でつまんだ。
「もともと八巻監督と同行して小笠原に会ったことがあったから」
「面が割れてる」
花織が言葉を引きついだ。
あんまりお嬢さまに言ってほしくないセリフだなあと誠は思った。
「そう。それで別人を装って近づいた」
誠はラーメンをすすった。
「相手にされなかったらしいけどね」
「バレてたのかもな」
百目鬼がラーメンをすする。
「でもすごい発想ですね。反社の人のものでしょ? 現金化するさいの名義変更の手続きとかでバレそう」
「まあ……その辺は監督はけっこう疎かったらしいよ。傘井 紫は、資金調達ができたら次の映画の主役にしてあげるって言われて必死だったってさ」
ふぅん、と花織がうなずく。
「わたしなら信じませんね、監督さんのその言葉は。だってあの監督が去年撮った映画で、お姉さまは数秒しか出てないモブだったじゃないですか。そんな評価しかしてなかったんだと思いますよ」
「あ……うん」
誠は相槌を打った。
「そういう見方もあるのか」
あまりそこまでは考えなかったなと誠は思った。
「最低な男ですね。愛人さんに二度も殺人の共犯させて」
百目鬼が無言でラーメンをすする。
「んで、死体がビチャビチャになるほど血糊で血まみれって何だったんですか?」
花織が問う。
「ああ……」
誠は無料提供の麦茶を口にした。
この件のいちばん印象的な部分なのでワイドショーなんかで絶対やるだろうなと思うが、割と間の抜けた理由だったのに個人的には拍子抜けした。
「まず小笠原の会社の社長室が事件現場と思われるのは具合が悪かった。有価証券を保管した金庫があったから」
「ああ」
花織がカツ丼を食む。
「遺体の横に何かが失くなった金庫があったら、目的も犯人もすぐに絞られてしまう」
「ぅむ」
花織がおかしな返事をする。
カツ丼の肉を噛みながらの返事だからだろうなと誠は推測した。
「一年前のエキストラみたいに山中に埋めるという手も考えたけど、小笠原が行方不明になるよりは遺体で見つかった方が、“愛人” は引き続きマンションに出入りしやすいだろうと」
「現場検証にも何度も来てましたしね」
花織がカツ丼に切れ目を入れる。
「実況見分ね、あれ」
誠は答えた。
「何回も出入りする必要あったんですか?」
「あったってさ。有価証券がどこに保管されているか分からない。社長室の金庫じゃないかと見当はつけたものの開け方が分からない」
誠はラーメンをすすった。
「開け方の手がかりをさがしてたって」
「動画で金庫のほうに歩みよりそうな感じでしたけど、はじめから金庫って確信あったわけじゃないんですね」
「たいていはそこでしょ程度には考えてたらしいけど」
誠は麺を箸でつまんだ。
「傘井がスーツケースで遺体をマンションに運んだんだけど、床に横たえたときに今まで出演した推理もののドラマをいくつも思い出してしまったって」
「女優さんならではですね」
花織がカツ丼の肉を箸でつまむ。
「ここで殺されたように見せかけても粗を推理されたらどうしようって、細かい部分があちこち気になってしまったって」
誠はラーメンをすすった。
「特に血のしたたり方で矛盾をつかれたらどうしようと考えすぎてしまった挙げ句、何かで血の痕跡そのものを消してしまおうって発想になったんだってさ」
「木の葉を隠すなら森みたいな発想?」
花織が目を丸くする。
同じかなどうかなと誠は宙を見上げた。
「はじめは撮影用の血糊をうっかり溢したみたいにしたそうだけど、どうやっても矛盾がありそうな気がして」
「しまいには全部かけみたいな?」
花織が言う。
誠はうなずいた。
「殺してみなきゃ分かんないですね。そういうの」
花織がカツ丼の肉を口にする。
「いや、やらなくていいからね」
誠はラーメンをすすりつつ答えた。
「御園さんがまた差し入れしてもいいですかって」
花織が話を変える。
「ああ……まあ、ありがたいけど」
誠は答えた。
いきなりの話題転換に少し戸惑う。
「カポナータとアンチョビのリピエーノとパスタ・アル・ポモドーロとか考えてるそうですけど」
「……ありがとうございますと伝えておいて」
料理の想像が空では無理だが誠はそう答えた。
「トマトメインの料理シリーズってことですけど、お二人ともトマト大丈夫ですよね?」
花織が無邪気に問う。
「トマト……」
「栄養あるし酸味でスッキリするし、夏にはピッタリでしょって御園さんが」
「……ありがとう」
こんな事件の直後にトマトなのか。
百目鬼を横目で見ると、無言で顔をしかめていた。
終




