警察署三階 事情聴取室
「名前は」
警察署三階の事情聴取室。
被疑者用の事情聴取室は、逃走をふせぐためにたいてい二階以上の階にある。
殺風景な部屋に、机と椅子。
小さな窓から、花織がいうところの「ムダにいい景色」が見える。
「傘井 紫です」
窓を背にして、薄いカーディガンにロングスカート、アップヘアの女性が答える。
「本名だよね?」
傘井の向かい側に座った百目鬼が、机にタブレットを置き確認する。
「本名です」
「あんたの出演作ちっと見たけど、芸名なんでキャスト見て戸惑った」
傘井が少し目を見開いた。「ああ……」と苦笑する。
「ドラマとかだと、モブばっかで」
「まあ、うん」
百目鬼がうなずいた。
「でもまあ、光るものはあったと思うよ。けっこう引きこまれたっていうか」
「ほんと?」
傘井が顔を輝かせる。
もちろんリップサービスだ。女性、とくに女優をやっている女性の気持ちを解すならこんなところだろうと花織が言っていたセリフをそのまま採用した。
横に立った誠も、百目鬼に合わせて愛想笑いをする。
「今日は朝からご苦労さんね。めいっぱいやっても八時間したら終わるから」
百目鬼はそう説明した。
「あ……はい」
傘井がホッと頬の強ばりを解く。
いつ終わるか分かるだけでも、一般人は安心するらしい。
「取り調べ室って、けっこう明るいんですね。薄暗い部屋でスタンドライトで顔照らされるんだと思ってた」
傘井が苦笑いする。
「スタンドライトなんて置いてたら、犯人が暴れたとき武器にされるから置かねえの」
百目鬼は答えた。
「へぇーなる」
傘井が微笑む。
「あんたの出演作を見たが、整形したのは最近か?」
百目鬼が問う。
傘井は「ええ」と答えた。どこかの時点で聞かれると予想していたのだろう。平気な顔で答える。
「整形したのを機に、本名での活動にしたんです」
「成程」
百目鬼がタブレットを操作する。
「先々月からネット配信してる『麗わしき鬼嫁』以降かい?」
「はい」
傘井が答える。
「『麗わしき鬼嫁』の撮影はいつまでだった?」
「あたしが出演した部分は……ゴールデンウィークの前くらいかな」
彼女が整形した病院は、すでに調べてある。手術したのは先月とカルテにあった。
時期的には不自然ではないか。誠は百目鬼の背後でそう考えた。
「整形したのは何で?」
百目鬼が尋ねる。
「えと……」
傘井が少し目を泳がせた。
「き、綺麗になりたかったというか。分かるじゃないですか」
傘井が苦笑いしてそう答える。
「あんた充分綺麗だったんじゃねえの?」
「でも女優としてというか。やっぱりもっと上に行きたかったっていうか」
ふぅんと百目鬼が相槌を打つ。
「小笠原の好みに合わせてかと思ってた」
「ああ……それですね、それかな」
傘井が苦笑する。
「小笠原の愛人になるために、やつ好みの顔にしたのかい?」
「えと、はい」
傘井が愛想笑いをした。
「となると一年前にバイトの遺体を小笠原と一緒に埋めてたってのは?」
百目鬼がタブレットを操作しながら問う。
「えっと……」
「まだ関係してもいない男の共犯になったのかい?」
「まあ……ええ」
傘井がぎこちなく頷く。
「ずいぶん都合のいい女だな、あんた」
「なんていうか、どうしても小笠原さんに振り向いて欲しくて」
傘井が口元を上げて笑う。
だが目は笑っていないのを、誠ははっきりと確認した。
「そのころ映画監督の八巻 諫也さんと関係してたって証言を得ているんだけど」
誠はそう口を挟んだ。
傘井が、誠を見てニッと笑う。
「なんていうか……小笠原さんと二股? マクラ?」
そう言い、二本指を立てた。
誠と目を合わせて言ったのは、若い男の方がこういった話では動揺させやすいと思ったからだろうか。
誠は嫌悪感を覚えて眉をよせた。
「二股……べつに結構だよ、違法じゃねえし」
百目鬼がそう言う。
「同じく一年くらい前からか? 八巻監督は、個人事務所の資金繰りに困った挙げ句、小笠原と接触してたらしいな」
傘井が軽く目を見開く。
「だいぶ昔、八巻監督はヤクザ映画を撮ったさいに小笠原を取材してたことがあったらしいが」
百目鬼は頬を掻いた。
「取材したついでに握った弱味を盾に、小笠原を脅して金をせびってた……なぁんてことをこっちは考えちまったんだが」
「あー何か疲れる女だな」
事件現場のマンション玄関前。
エンジンをかけ始めた警察車両のワゴン車の車内で百目鬼はシートに背をあずけた。
「幽霊幽霊わめくのやめて落ち着いたかと思ったら、こんどは薄笑いしてみたり愛想良かったり。本音が見えねえ」
百目鬼は眉をよせた。
「まあ、花織さんなんかも疲れますけど……」
「けっきょく女ってみんな疲れんのな」
百目鬼が答える。
意見が何となく一致したなと誠は思った。
「でも、目が笑っていないときが何回かありましたね。そこチェックしていけば、ほかにも何か見えてきますかね」
誠は言った。
百目鬼がタブレットを操作する。取り調べ室で撮っていた傘井 紫の動画を表示させた。
ハンドルを握りつつ、誠はタブレットを覗きこむ。
「一番おかしいのは、何つってもバイトの遺体を埋めた話だろ。まだ愛人にもなってない男の共犯やるか? ふつう」
「小笠原に振り向いて欲しかったなんて言ってましたけど」
誠は答えた。
「そんな純情なタマか、あれ。しまいには二股とかマクラとか言ってお前にピースしてた姉ちゃんが?」
「ピースだったんですか? あれ」
タブレット画面を覗きながら誠は尋ねた。
「ピースじゃねえの?」
「二股の “二” かと思いました」
「ま、どっちでもいいけどな」
百目鬼がタブレットを操作する。
「何より、整形した理由だな。整形について聞くと、どうにも目が泳いだり、答えが曖昧になったり苦笑いしたり」
「単に綺麗になりたいとか、女優としてどうこうという理由じゃないのか……?」
誠は、口元に手を当てた。
つい考えこむ。
百目鬼が「車出せ」という風に前方を指差した。
アイドリングをし続けていたことに気づいてギアを入れる。
「でも、花織さんからの情報、助かりましたね。八巻監督が関係してくるとはまったく思ってなかった」
「映画のスポンサー企業の情報とか。またあの腐女子のお嬢さま経由か?」
百目鬼が眉をよせる。
誠は苦笑した。
コンコン、と運転席の窓を叩く音がした。
先日、酒々井に窓を叩かれ呼び止められたことを思い出し、誠は頬を強ばらせながらそちらを見た。
見たと同時にコンコンコンコンッとせわしなく窓ガラス叩く小ぶりの手。
白い帽子に、黒髪を両脇でおさげにした目の大きな顔がこちらを覗きこんだ。
花織だ。
今日はここに何の用事なのか。友達の家を訪ねたというならいいが、また現場検証だの捜査だの言われないだろうなと誠は思った。
「さっさと車出さねえから……」
百目鬼がぼやく。
誠は運転席の窓を開けた。
「何してんの。この前も言ったよね。危ない界隈の人まで絡んでるんだから……」
「いれて! ここ開けていれて! 早く!」
花織が車体をコンコンコンコンッと何度も叩く。
すがるような表情で誠の顔を見上げた。
「早く!」
誠は花織の背後を見た。マンションの玄関口には誰もいないが、この件には元反社の人間が絡んでいる。
妙に花織のことを口にしていた酒々井の言葉を思い出すと、どこかで絡まれでもして逃げてきたのか。
誠はあわててドアロックを解除した。
「開けたから入って!」
後部座席のほうを指差す。
花織が後部ドアを開け、滑りこむようにシートの上に乗った。
「大丈夫?」
誠は呼びかけた。
「あー涼しいー!」
花織が手で自身の顔を扇ぐ。
誠は、後部座席を振り返った姿勢で固まった。
「わたし、マンション周辺になにか手がかりないかと思って捜査してたんですけど、暑いですねー。日焼け止め必須」
「は……」
誠は口を半開きにした。
百目鬼が、後部座席に向けていた顔をさりげなくフロントガラスの方に向ける。できる限り無視を決めこみたい様子だ。
「捜査……」
「それでね、人見さんと百目鬼さんに」
花織がポーチをさぐる。ハンカチを取り出し、品よく顔をぬぐった。
「捜査って何! 何回言ったら分かるの! 反社の人が絡んでるから危ないって言ったでしょ!」
「その反社の方から、捜査中に伝言頼まれたんですけど」




