グランメゾンやつるぎ玄関前 1
事件現場のマンション玄関前。
誠と百目鬼は、警察車両のワゴン車の車内からマンションの外観を眺めた。
百目鬼が先ほどからタブレットで例のBLドラマを見ては渋い顔をしている。
「顔、ぜんぜん違いますよね」
誠は話しかけた。
「たぶん名前も違う。キャストにない」
百目鬼が答える。
「芸名じゃないですか? 傘井 紫は本名でしょ」
「まあそうなんだろうが……」
百目鬼が何度も高級クラブのシーンを繰り返す。
「これは去年の春ごろの回って言ってたよな、お嬢ちゃん。んで映画監督と海外にいたのは去年の夏」
「ただそのときに整形済みだったのかどうか分からないんですよね、花織さんには」
「それだよな。まあ、分かってても整形が事件に関係あるのかどうかも分からんが」
百目鬼がタブレットの画面を眺める。
「……おい」
しばらくして低い声で声をかけてきた。
「何ですか」
「この世界観で女だけの高級クラブとかどうやって儲けてんだ?」
「知りませんよ」
誠は答えた。
「ツッコミたいとこがありすぎてモヤモヤしてくるな」
百目鬼が眉をよせる。
コンコン、と運転席の窓を叩く音がした。
誠と百目鬼はほぼ同時にそちらを見る。
酒々井 令人だ。
背後に数人の男性を引き連れ、長身の身体を少しかがませてもういちどガラスをコンッと叩く。
百目鬼が、ガラス窓のほうに向けて顎をしゃくる。
誠はうなずいて窓を数センチほど開けた。
「今日はあのかわいい彼女さんは連れてないの、刑事さん」
酒々井が誠に向けて話しかける。
「何やってんのあんた。こんなとこで」
百目鬼がそう話しかける。
「小笠原の愛人とやらは、いま留置所かどこかかい?」
酒々井が問う。
「ノーコメント」
百目鬼が答えた。
「俺と百目鬼さんの仲じゃないですか」
「ただでさえゲロ吐きそうになってるときにな」
百目鬼が眉をよせる。
酒々井の取り巻きの男性のうちの二、三人が、誠を睨む。誠も無言で睨み返した。
「んじゃ、愛しい愛しい百目鬼さんに情報提供」
酒々井が窓ガラスに顔を近づける。
百目鬼はこれ見よがしにオエッと舌を出した。
「あの愛人、映画監督の八巻 諫也の愛人だ。小笠原とはおそらくまるっきり関係してない」
誠は目を見開いた。
百目鬼のほうを見ると、やはり同じような表情をしている。
「……根拠は?」
「八巻 諫也の弟子やってる元俳優を締め上げて吐かせた」
なんてね、と酒々井は付け加えた。
「証拠能力なさそうだな」
百目鬼が目を眇める。
「愛人でも何でもない女が被害者の愛人を名乗って実況見物やらせて、その実況見物のさいにも、もっともらしい騒ぎを起こしてる」
酒々井が口の端を上げる。
「愛しい百目鬼さんなら、これどう判断するかなあ」
百目鬼が再度オエッと舌を出した。
「何うろちょろしてんだ、あれは。敵討ちってガラでもねえだろうに」
酒々井が「従業員」とともに去って行くのを車内で見送りながら、百目鬼はぼやいた。
「傘井 紫が小笠原とまったく関係してないって本当ですかね」
ハンドルに手をかけ、誠は酒々井が迎えの車に乗りこむのを眺めた。
「少なくとも映画監督と関係してたってのはお嬢ちゃんの証言と一致してるな」
百目鬼が言う。
「ホテルで見かけたのは去年の夏ってことですし、そのあと別れて小笠原に乗り替えたと言われれば別に不自然ではないんですけど……」
誠は答えた。
「整形したのはどの時点だ? 関係あんのかないのか知らんが」
百目鬼が顎に手を当ててつぶやく。
「小笠原の愛人ってのがまったくのウソだと仮定すると、第一発見者ってのはどんな状況だったんでしょう。どういうわけで室内にいたのか」
「それ以前に、小笠原が殺したバイトを埋めてた話はどうなるんだ? 一緒に埋めたっての、傘井はけっきょく肯定してたよな?」
百目鬼が言う。
誠はフロントガラスの向こうの景色を眺めて首をかしげた。
署の四階、署員食堂。
すっかりここの常連になった感のある花織は、食券を店員に渡し席に着いたとたんにスマホを取り出した。
今日は、編み込みにした髪型、服装はリネン素材のチュニックとロングスカート。
「わたしの情報網を駆使して例のお姉さまの出演作をすべてチェックしてきました」
「あ……うん」
冷やし中華を食べていた誠はかなり複雑な気分で返事をした。
「傘井 紫お姉さまが出たら教えてくれ、お嬢ちゃん」
横で百目鬼が麺をすする。
「どうしたんですか? お二人とも。やる気なさそう。夏バテですか?」
花織が目を丸くする。
また強烈なBLだったりしないかと引いているんだが、まったく伝わってないんだなと誠は思った。
「大丈夫。続けて」
誠は麺をすすった。
「おっけー続けます」
花織が注文したカツ丼が運ばれてくる。花織は割りばしを手にした。
「舞台女優さんってことなんで、さすがにテレビドラマ出演作は少なかったです。映画は何本か出てますけど。八巻 諫也って監督さんのやつ」
「おぅ」
百目鬼がモゴモゴと口を動かしながら返事をする。
「海外のホテルで一緒にいたの、この監督さんですけど」
「それについてはこっちでもつかんでる。不倫関係って」
誠は答えた。
先日の酒々井からの情報だが。
「この監督さんが個人事務所の資金繰りでカツカツだったってのと、撮影中に亡くなったエキストラの人がいたらしいってウワサはつかんでました?」
花織が問う。
「え……それはまだ」
誠は鼻白んだ。
「やったー。捜査能力で勝ったー」
花織が握りこぶしを上げる。
「勝ったって、あのね。そういうのじゃないの捜査って」
誠は顔を歪めた。
「亡くなったエキストラって何だ、お嬢ちゃん」
百目鬼が麺を箸でつまみながら問う。
「当時撮ってた映画のスポンサー企業の間のウワサだそうです。八巻監督が酔っぱらって撮影所に現れて、殴って殺しちゃった若いエキストラがいたらしいって」
誠と百目鬼は、顔を見合せた。
小笠原の話と似ている気がするが。
「遺体は……? というか身内には何て説明したの?」
誠は尋ねた。
「遺体を埋めて隠蔽したんじゃないかって。ここまでがウワサです」
花織がカツ丼に切れ目を入れる。
「だって身内と揉めた様子がぜんぜんないし、ネットの報道すらないし」
「だから逆に信憑性のない話って考え方もふつうにできるんだが……」
百目鬼が眉をよせる。
「でも、小笠原の話と」
「似てんな」
百目鬼がそう答えた。
「被害者さんの話? なんかあるんですか?」
「何もないよ」
誠は即答した。
「情報提供ありがとう。捜査はもういいから、あとは夏休みの宿題やってて」
誠は冷やし中華の麺をつまんだ。
「おおむね終わりました」
「すげえな。俺なんか最終日に必死こいてやってたけど」
百目鬼が麺をすする。
「傘井 紫の出演作って? 見せてくれる?」
誠は手を差し出した。
花織が唇を尖らせてスマホを操作する。しぶしぶという感じだ。
「この前も言ったけど危ないから、なるべく関係するところには近づかないで。今回は反社の人までうろうろしてるんだから」
誠は言った。
「人見さんが好きだから協力してるのにぃ」
スマホの操作をしながら花織がつぶやく。
「え」
「なんちゃって」
言いながら花織がスマホの画面をこちらに向ける。
誠は顔を歪ませつつ画面を覗きこんだ。
「去年の秋のはじめごろ出演の映画です。タイトルは『真珠貝夫人』。これの波止場の娼婦役です」
大正ロマンらしき背景。花織がキセルを咥える女性を指す。
「整形……」
「まだだな」
百目鬼が答える。
多少はアップになったが一場面しか出ていなかったらしく、花織はすぐに別の作品を表示させた。
「去年の冬のネットドラマ。タイトルは『牡丹と黒薔薇』。これのメイドさん役」
花織が大きな屋敷の廊下を通るメイド服の女性を指す。
整形はまだしていない。
花織がスマホをタップし、次の作品を表示させた。
「今年の春ころのBSドラマ。タイトルは『偽りの花園線』。漁師町のお葬式に出てるこの人です」
祭壇を前に目頭にハンカチを当てる女性の一人を花織が指差した。
整形はまだ。
「今年の春というと、けっこう最近ですけどね……」
「撮影時期を調べなきゃなんとも言えんが、仮に小笠原と関係してたとすると会ったのいつだ? 小笠原と付き合ってから整形したのか?」
百目鬼が顔をしかめた。




