多喜川ハイツ
多喜川ハイツ、二階右から三部屋め。
古く薄汚れた部屋番号の表示を百目鬼が見上げる。
陽が暮れるまでもう少しだろうか。
空が薄暗くなってきた。
学生の多いアパートらしい。隣の棟の窓を見渡すと、大半にカーテンがかかっている。夏休みで帰省中なのだろうか。
「ここですか」
誠は青色のドアを見つめた。
「もしかしたら逃げ出すか暴れるかされるかもしれん。気をつけろよ」
「はい」
誠は呼び鈴を押した。
「小崎さん? すみませんご在宅ですか?」
返事はない。
「小崎さん?」
誠はもういちど呼び鈴を押した。
百目鬼がアパート敷地内の駐車場を見る。
浮㐂坂トンネルで出会った紺色の軽自動車が確かに停めてある。
「小崎さん?」
誠はもういちど呼び鈴を押した。
「……まあ、徒歩で近くのコンビニに行ってるってパターンもアリかもしれんけどなあ」
百目鬼がその場でしゃがむ。青色のドアにぴったりと耳を付けた。
誠の顔を見上げる。
「いる」という意味だと誠は受け取った。
「小崎さん?」
呼び鈴の故障かもしれない。誠は今度はドアをノックした。
「出ねえかああ。しゃあねえ、人見。二、三日交代でここ張りこむかああ!」
百目鬼が大きな声を張り上げる。
ドアの向こうから息を呑むような音がした。
「……す、すみませんけど」
ドア越しにおずおずとした男性の声が聞こえる。浮㐂坂トンネルで話した男性に間違いないと思われた。
「小崎 洸さんですか?」
誠はドア越しに話しかけた。
「なななな何も見てないです」
「少々お話を聞かせてくれませんか?」
誠はつとめて静かに話しかけた。
「ほほ本当に何も見てないです。そそそうやってアパートにまで。け警察呼びますよ」
「警察ですが」
何だこのやり取りと思いながら、誠は警察手帳を取り出し魚眼レンズのあたりで開いた。
見えるかな、と眉をよせる。
というかトンネル内で警察と名乗ったはずだが。
「そそそんなの偽造できるって知ってます! ネットでも売ってるし!」
「……そっちはそっちで別口として話聞きてえな、おい」
百目鬼がしゃがんだままつぶやく。
「いや、何なら電話で署に問い合わせてもらっても」
「小崎さん!」
百目鬼がややドスの入った声で呼びかける。
「ぶっちゃけあんたには今、連続強姦殺人の疑いがかかってる。見た見てないって問題じゃないんだが」
ドアの向こうが静かになった。
百目鬼が顔を上げて誠に目配せする。おもむろに立ち上がった。
いきなり飛び出されるか、ベランダから逃げられるか。
誠は、最悪ドアを破るところまで想定して身構えた。
「な……何ですか、それ!」
男性があわてた様子でドアを数センチほど開ける。細い目に細い肩幅。花織の言った通り、ニキビ跡のある頬。
すかさず百目鬼が男性の腕をつかみ引きずり出した。
男性が「ひぁっ」と裏返った声を上げる。
「令状なしで入るわけにもいかんからなあ」
「ちょっ、待っ! 殺さないで!」
男性が身をよじって抵抗する。
「お話聞くだけですから」
誠は警察手帳をしまい、駐車場に停めてあるワゴン車を指差した。
「ほほほ本当に警察の方ですかっ?!」
後部座席で誠と百目鬼に挟まれ、小崎 洸はワゴン車の中で縮こまり怯えた。
「はははは反社の人とかじゃ」
「あ゙あ゙?! どこがそんな風に見えんだ」
百目鬼が声音を低く落とす。
いや見えはする。内心で誠はそう思った。
「音喜多ビルは知ってるか。この前、女の子が強姦されて殺された心霊スポット」
「いいいい行ったこともありません!」
小崎は声を上げた。
「はああ? 隠すとためになんねえぞ」
百目鬼がさらに低い声を出す。
「よよよ夜ちょっとドライブ行って、心霊スポットだっけと思って寄って、外から眺めて帰りました、すみません!」
「何時ごろ。外からって本当に外から眺めただけか?」
百目鬼がタブレットにメモする。
「何も見てません!」
「……何を見たの?」
どうにも話が噛み合わない。
犯人というより、見たものに怯えているんだろうか。そう考えの角度を変えて、誠は問うてみた。
小崎がこちらを見る。青ざめて頬が強ばっていた。
「悪いようにしないから。何を見たの?」
誠はもういちど問うた。
とたんに小崎が泣きそうに顔を歪める。
「優しそうなお兄さん……!」
今にも縋ってきそうな様子だ。
誠は複雑な気分で眉をよせた。
「ほほほ本当にあそこにいた人の仲間の反社とか半グレとかじゃないんですか?!」
「だぁから、警察って言ってんだろうが」
百目鬼が声を上げる。
小崎は誠のほうを向き、口元を震わせながら話し出した。
「おおお女の子が。高校生か大学生くらいの女の子が、もう一人の女の子の首をヒモか何かで絞めてる感じで……! 女の子がグエッていって倒れて……!」




