音喜多ビル付近 2
「夏休み……」
誠は、げんなりと俯いた。
延々と響きわたる蝉の声が、なにか運命のイタズラを嘲笑っているように感じられてくる。
「他には? 中に一緒にきたお友達とかいなかったか?」
百目鬼がビルの入口を覗きこむ。
「わたしの他には誰もいませんけど」
花織が答える。
「一人で入ってたの?! 昼間っていっても、あのね」
「んじゃ、いま中にいるのは変態の性犯罪者と思っていいのか。人見、行くぞ」
「はい」
誠は百目鬼に促され顔を上げた。
「どこのあたり? 一階?」
きびすを返しながら問う。
「女の子の幽霊と会ったのは一階です」
花織は答えた。
「そっちじゃなくて。誰かに襲われたんじゃないの?」
「他は誰もいませんでしたよ?」
花織がそう返す。
誠と百目鬼はふりむいて花織の方を見た。
「んじゃ何で悲鳴なんて」
「女の子の幽霊がいたからに決まってるじゃないですか」
花織がイヤそうに眉をよせる。
「幽霊……って。鏡に映った自分でも見たんじゃないの?」
花織が目を丸くした。
無言で誠の顔を見る。
え、まさかと誠は思った。
花織の場合、写真に映った自分の顔すら他人と区別がつかないらしい。
半分冗談のつもりで言ったが、本当にこれなのか。
「ああー」
花織がぽんと両手を打つ。
「ああって……」
「んでも、いちおう一通り見てくるか。人見、行くぞ」
百目鬼がビルの屋上のあたりを眺め、先にビルに向かう。
「あ、はい」
誠は早足であとを追った。
「こんなとこにいないで、早く帰んなさい」
誠はもういちど花織の方をふりむきそう告げた。
最寄りの生活道路に、白い軽自動車が停まる。
以前、張り込みのさいに世話になった余目家の家政婦、御園が降りてきて、こちらに向けて会釈をした。
誠も軽く会釈を返す。
彼女がいるなら、すんなり帰るよう促してくれるだろう。
誠はホッとして百目鬼のあとを追った。
ビルの中はひどく荒れていて、三階には床に大きな穴の開いている箇所もあった。
殺人以前に、落下事故が起こらなかったのが不思議なくらいだと思う。
天井の建築材が落ちたものなのか、足元に割れた石膏ボードが散乱し、窓ガラスがサッシごと外れている所もあった。
よくこんなところに入ろうと思うなと誠は思う。
懐中電灯の明かりだとあまり見えないので気にもならないのか。
「立ち入り禁止にした方がよくねえか? この建物。どこの管轄だ」
百目鬼が顔をしかめてタブレットを操作する。
先ほどから壁の一角を何ヵ所か撮影していた。
「持ち主に通さないとなんですかね……」
階段を降り、一階。被害者の遺体が見つかった廊下に差しかかる。
百目鬼がタブレットを脇にはさみ手を合わせた。誠もそれに倣う。
一通りビルの中を見て玄関口から出てくると、停めたままの軽自動車に乗った花織が降りて駆けよった。
「お疲れさまです。どうでした?」
「どうって……帰ってなかったの?」
誠は顔をしかめた。
「今日は遅くなることも想定して、御園さん、お夕飯は温めればいいだけにしてきましたから」
「そういうことじゃなくてね」
「わたしも手伝いましたっ」
花織がピースする。
誠は、げんなりと額をおさえた。
「一人で肝だめしか? 根性あんな」
「こんな根性いらないでしょ、百目鬼さん」
誠は顔をしかめた。
「あのねえ、聞いてないのかもしれないけど、ここに肝だめしに来て乱暴されて殺された女の子がいるの。ここと、ほかの心霊スポット二件」
誠は声を上げた。
「犯人がいるのが夜とは限らないんだよ?! 何かあったらどうするの」
「聞いてます。被害者の一人、うちの卒業生ですから」
花織が真剣な表情で言う。
「犯人の手がかりを探して、仇を打ってあげたいと思いました」
誠は呆れて宙を見上げた。
「そういうのは警察にまかせて」
「まかせてたら次々被害者が出たんじゃないですか」
花織が睨む。
「二日前に担当の人員増やしたとこ。僕らもこっちに加えられて一から捜査してるとこだよ」
花織が唇を尖らせる。
「ごめんね」
誠は言った。
「ごめんじゃ済みませんけど。ここは子供じゃないんで、とりあえずグチグチ言いません」
花織が誠の顔を見上げる。腰に両手を当て、ふんぞり返るようなポーズを取った。
「目的を同じくする同士、ここは協力しましょう」
「……それはいらない」
誠は顔を歪めた。




