さおとめテナントビル三階
「百目鬼さん! 下にいて応援呼んでください!」
二、三度あたりを見回してから、誠は自動ドアのカーペットの上で足踏みした。
「なに指示してんの、お前……」
言いながら百目鬼がスマホを取り出す。
上を見上げると、窓から身を乗りだした奥重 彩が、髪をつかまれ必死で抵抗していた。
誠はビルの自動ドアから入ると、駆け出した。
一瞬エレベーターの方に目が行ったが、間に合わないだろうと階段をさがす。
三階の手前まで駆け昇ると、ふたたび奥重 彩の悲鳴のようなものが聞こえた。
「奥重さん!」
声と物音を頼りにさがす。
いくつかある空きテナントのスペースを見回した。位置的には目の前の大通りに面した場所のはずだ。
当たりをつけてそちらと思われる方へ向かった。
「奥重さん!」
もう一度呼びかけると、ガンッと何かを投げつけるような音がする。
奥重 彩が殴られた音かと思ったが、前方にあるベニヤ板の壁の向こうを、カランカランと音を立てて事務用のペン立てのようなものが転がった。
ベニヤ板の向こう側に回る。
奥重 彩が大柄な男に床に押し倒され、首を締められていた。鬱血しかかっているのか、顔を赤くしながらも置き忘れられた事務用品を手に必死で抵抗している。
奥重 彩が夢中で上下させた手が、男の目に当たる。
「このくそアマ!」
男がそう声をあげながら片目を押さえた。
奥重 彩がその隙に顔を少し背けて咳をする。
「この人! 人殺しです! 通報してくださ……!」
ゴホッ、ゴホッと咳をしながらも奥重 彩がそう訴えた。
「警察だ! やめろ!」
誠は男を背後から拘束した。
男が誠の顔を肘打ちしようとするが、男の背中に顔を密着させているので思うようにいかない。
男が背後の誠を振り払おうとがむしゃらに腕を回す。
誠は、渾身の力で男を彩から引き剥がし、自身の身体ごと床に引き倒した。
男の腕をつかみ、後ろ手にする。そのまま腹這いにさせて男の上に乗った。
「おつ」
いつの間にか来ていた百目鬼が歩みより手錠をかける。
「応援いま到着した」
階下から警察車両のサイレンが聞こえていた。
「やっぱ養子縁組してた。認知症で介護施設入ってる奥重 彩の祖父とだ」
数日後。
余目総合病院の三階に着いたと同時にかかってきた通話に出つつ、百目鬼はそう告げた。
オフホワイトの殺風景な廊下を歩きながら話す。
花織が差し入れに要求した署員食堂のカツ丼が誠の手にした紙袋から匂いを漂わせていた。
ひと昔前のように医療機器への影響を心配しての携帯電話禁止というのは最近はないそうだが、余目総合病院では単純に他人への迷惑という観点で、基本的には院内の通話を禁止している。
看護師らしき足音が聞こえるたび、誠はヒヤヒヤしてそちらを見た。
「籍が変わると前の名前は記載されなくなるからな。奥重 彩の祖父と養子縁組してんのはすぐ分かったが、他の人間との養子縁組も何べんも重ねてたから、元の名前調べんの大変だったってよ」
百目鬼がそう言い通話を切る。
やはり病院スタッフに咎められるのを懸念したのか、そそくさとスマホをポケットにしまった。
「元の名前は、尾合 巧。下の名前も違うってことは、どこかの時点で改名もしてやがったな」
そうと続け百目鬼はチッと舌打ちした。
「何べんも事件で名前上がってる反社の奴だ」
「奥重 彩の両親は不動産がらみで詐欺行為をやっていて、以前から五反田 太平と手を組んでた……」
誠は呟いた。
「脅されてたのではなく手を組んでたってのがちょっと驚きました。奥重さんとは印象がそぐわなかったというか」
「不動産屋のお嬢さまって雰囲気はあったろ。なんとなく裕福っぽいというか」
百目鬼が頭を掻く。
「奥重 彩が余計なことは言いたがらなかったはずだよな。何とか親のことには触れずに、五反田 太平だけ逮捕してもらおうとしたのか」
「そんなことになるわけないのに」
誠は眉をよせた。
奥重 彩も回復を待って昨日から事情を聞かれている。
通っていた大学はまったく別のところで、一年前に卒業し就職したものの五反田 太平を何とか親から引き離したくて彼を手伝うふりをして犯罪の証拠をさがしていたと話した。
「見かけによらずしたたかな人だなと思いましたけど……何ていうか」
「猛毒親のせいでな」
百目鬼が呟く。
花織の入院している病室の前に到着する。
誠はノックした。
「あ、人見さん、お見舞いのグァバ食べますー?」
中からそう聞こえてくる。
なぜ分かったんだと思ったが、前に呼び鈴の押し方のクセまで個別に把握していたのを思い出した。
「署員食堂のカツ丼の差し入れ要求した割に、グァバかよ」
百目鬼が顔をしかめる。
「お嬢さまですね……」
南国フルーツとカツ丼の食べ合わせをなんとなく想像して、誠は顔をしかめた。
終




