太田ハイツ201号室、202号室 2
「人見」
魚眼レンズを見つめ百目鬼が呼びかける。
「はいっ」
「消防に連絡しろ。火事だといえば消防なら令状なしで入れる」
「はい」
誠はポケットからスマホを取り出した。
一、一、九とタップする。
「救助協力の体で入るぞ」
「はい」
そう返事をし、誠はスマホを耳に当てた。
「火事ですか救急ですか」という女性オペレーターの声が受話口から聞こえる。
「火事……」
言いかけた誠のスマホを、花織が横からひったくった。
「火事です! 友達の彼氏のとなりの部屋、窓からすっごい火が見えるの! 早く来て!」
「いつの間に……」
誠と百目鬼はそろって顔を歪ませた。
「太田ハイツ! ──そうそう。タクシー会社の向かいのアパート! 絶対フランベとかの火じゃないと思うんです! 大変! 早く来て!」
「出動した? じゃ、もういいから」
誠はやんわりとスマホを取り返した。
「下で見てたら、すごい修羅場ってる声聞こえるんだもん。こっそり階段昇って来ちゃった」
そう言い、花織が怪訝そうに階段の方を振り返る。
「アパートの階段って、揺れとか音とかすごくて、足音忍ばせるの大変なんですね。セキュリティ上そういう作りになってるんですか?」
誠は軽く目を見開いた。
「安アパートの階段ってだいたいそうじゃ……」
冗談だろうかと思ったが、花織は真面目な顔で階段を見ていた。
やっぱりお嬢さまだとこんなおかしなところで思う。
「まあ、消防が来るの待とうや。すぐ到着するだろ」
百目鬼が言う。
件の部屋の騒ぎと花織の火事だとの通話の声で人が集まってくるかと思ったが、込み入った場所にあるアパートのせいか、周囲の住人が二、三人窓から覗いている程度だ。
「今のうち署に連絡入れます」
「おう。入れとけ」
百目鬼がそう返事をする。
経緯を手短に伝え、誠は通話を切った。スマホをポケットにしまう。
「突入のために嘘ついたって消防にバレなければいいですけど」
誠は苦笑した。
「でしょ。だからわたしが話したんです。刑事さんの嘘より一般人の勘違いの方が角が立たないでしょ?」
花織がピースする。
「……ありがと」
誠はそう返した。
「一般人の手が必要なときはいつでも呼んでね」
「……呼ばないよ」
誠は顔を歪めた。
消防車のサイレンが聞こえる。
途中から車の入れない場所のため、付近の道路に停車したまましばらくサイレンだけを鳴らしていた。
「俺、誘導してきます」
誠は急ぎ足で階段へと向かった。
「わたしが行った方がよくないですか?」
花織が小走りであとを付いてくる。
「人見さんと百目鬼さんは、通りすがりの刑事さんのふりしてて。わたしは善良なとなりの部屋の住人の彼女の友達だから」
ややこしいことを言い、花織が階段を降りて行く。
「いやなに指示してんの……」
同じように階段を早足で降りながら誠は顔を歪めた。
「あ、こっちです! こっち!」
アパートの敷地内に入ってきた二人ほどの消防士に向け、花織が階段下で手を振る。
「中に人がいるの! 早くして!」
消防士が立ち止まった。何かをやり取りし、一人が近くの一戸建ての家へと向かう。
誠は二階の通路に戻った。
「あれ大家の家か?」
通路の手すりに寄りかかり百目鬼が言う。
「合鍵借りてくるんだろ」
「令状なしでもそれやれるのは強いですね……」
誠は消防士の動きを目で追った。
「まあ緊急事態に限られるけどな」
「こっちです! こっち!」
花織が消防士を連れ二階の通路に戻る。
「うさぎちゃん、神尾さん! もう少し頑張って!」
花織がドンドンドンとアパートのドアを叩く。
少々演技過剰だなと誠は思った。
「さっきからなんなの! あたしとあーくんの愛の巣の邪魔すんなあああ!」
中から女性の絶叫する声が聞こえる。
もしや放火心中という事態なのだろうかと消防士は思ったようだった。頬をこわばらせ急いで鍵を開ける。
屋内から、ダンッと大きな音がした。
「痛い! なんであーくん分かってくれないの! もう一緒に死んでやるからあああああ!」
消防士がドアを開ける。誠はとっさに消防士を押し退けて屋内へと入った。
二十代後半ほどの女が、拘束された男性の腹を膝で踏みつけ顔に着火ライターを近づけている。
部屋のすみでは、宇佐美 澪緒と思われる小柄な女性が頭を抱え縮こまっていた。
「あんたは澪緒の記憶がないのをいいことに……!」
男性が怯まずにそう叫ぶ。
誠は、女の腕をつかんだ。絨毯の上に引き倒す。
女が落とした着火ライターを、あとから来た百目鬼がハンカチで包み拾った。
「火は……」
百目鬼がわざとらしく部屋を見回す。
「とりあえず着火未遂みたいだな、お嬢ちゃん」
「マジ? お騒がせしましたあ」
入口から顔を覗かせた花織が、消防士に向けてそう言う。
「澪緒ちゃん! この人たちはあんたを殺しに来たの! せっかくあたしが匿って変装までさせてあげたのに!」
誠に取り押さえられながらも、女が身をよじって叫ぶ。
「イ……イヤ! 殺さないでください!」
澪緒が部屋の隅で頭を抱えて震えた。
「だからそれ、この女の嘘だって! 澪緒!」
拘束された男性が声を上げる。手首には数本の結束バンド、両腕は布テープでぐるぐる巻きにされ、一目で素人が必死で拘束したものだと分かった。
百目鬼がキッチンのシンクにあるハサミを持ってきた。男性の結束バンドを切ってやる。
「ともかく、署で話聞くから」
誠はいまだ身体の下でもがく女に告げた。




