2−2 女の茶会②
「リトヤ様、あの言い伝えは、どこまで本当なんですか?」
リトヤは、観念したようにため息をついた。
「全部本当のことですわ。ほとんどの方が、結婚してすぐに、最初の子を授かっています。二人目以降は、人それぞれですが、それでもリュネ家が多産の男子家系なのはご覧のとおりですわ」
広い芝生の方に目をやると、リュネの小さい子供達が楽しく駆け回っている。乱暴に動きまわって、ガヤガヤと落ち着かないその様子は、レティに自分の軍を思い出させた。
子供たちを眺めていると、リトヤが話し始めた。
「レティ様、私は貴族の生まれではないのです」
それは、レティも聞き知っていた。レティの記憶では、リトヤは地方の豪族の娘だったはずだ。それが三男とはいえ、四侯家の本家の息子と結婚したのだ。当時、かなり話題に上ったのを覚えている。
「クルト様は…」
そう言って、リトヤは慌てて言い直した。
「つい、癖で…。私が夫と出会ったのは、夫がまだ建築の仕事をしていた頃です。私の住んでいた地域でちょっとした工事があって、夫はそこに赴任して来ました。私はそこでお部屋を提供した家の娘だったのです」
四侯家の息子と、豪族とはいえ、平民の娘。普通に考えれば、ありえない組み合わせだった。レティはリトヤの気持ちを慮った。
「夫は、おおらかで明るくて、誰とも分け隔てなく接する方で、私はすぐに彼のことが好きになりました。当時、私は年の割にまだ子供で、クルト様に節度を持って接するようにと、親から厳しく言われていたのに、その意味が理解できなかったのです。日が経つにつれて、私はクルト様に夢中になりました。クルト様も、優しく接してくださっていました」
リトヤは、とつとつと話し続ける。
「工事が終わりに近づいて、クルト様が帰る前日、…今思えば許されることではないのですが、勇気を出してクルト様のお部屋に行きました。もう二度とお会いすることがないなら、一夜でいいから、一緒にいたい。そう思いつめてのことでした」
レティは思わず、リトヤの手を取った。
「最初は拒まれていたクルト様も、しまいには私の要求に折れて、願いに応えてくださいました。私の家は、リュネの言い伝えなど、およそ関係のない家でしたから、私も両親も、本当に何も知りませんでした。私は、たった一晩だけでも、クルト様と一緒に過ごせて、満ち足りた気持ちでした。でも、それも、長くは続きませんでした。すぐに、月のものが止まってしまったからです」
当時のことを思い出したのだろうか、リトヤの目は少し潤んでいた。
「誰にもいい出せず、途方に暮れていると、ある日、クルト様が前触れもなく屋敷に来られました。私はもう、無邪気に振る舞うことができませんでした。クルト様は、両親に、私を妻として迎えたいとおっしゃいました。両親も、私も、そんなことはできないと頑なにお断りしました。すると、クルト様は、私のお腹の中に自分の子がいるとおっしゃったのです。驚いた両親は、私を問い詰め、クルト様を責めました。クルト様は、その際、一言も私のせいにはなさらなかった。私から事の顛末を聞いた両親は青ざめました。両親は、身分違いの結婚は娘を不幸にするだけだと、クルト様を追い返してしまいました」
リトヤはここで息を切った。レティはリトヤの肩を抱き寄せて、優しく背中をさすった。リトヤはレティを見上げた。
「レティ様は、お美しいだけではなくて、お優しい方。とても、羨ましいですわ」
そういって、リトヤはまた話し始めた。
「お腹はどんどん大きくなって来ました。クルト様は仕事の合間を縫って、なんども私のところへお越しくださいましたが、両親はいつもクルト様を追い帰してしまいました。月が満ち、子供が生まれたら、私は子供と離されることになっていました。子供は、どこかへ養子に出され、私は修道院に入ることが決まっていたのです。屋敷に、私のことを哀れに思ってくれる侍女がいて、その侍女が、クルト様に、私の書いた手紙を渡してくれました。手紙には、愚かな自分のことをお許しください、そして、自分と子供のことは忘れてください、クルト様にはなんの咎もないのですからと書きました」
リトヤがどんな気持ちでその手紙を書いたのかと思うと、レティは胸が痛んだ。
「産み月が近づき、お腹が大きくなってきたある晩、夜中に誰かに揺り起こされました。真っ暗で、とても恐ろしかったのを覚えています。その人は、私に黙るようにいって、私を暖かい布で包みました。抱き上げられてすぐ、それがクルト様だとわかりました。あの侍女が手引きをしてくれたのです。叫び声をあげて家人を呼ぶこともできました。でも、私はクルト様にしがみついて、屋敷を抜け出しました。馬車に乗せられて、着いた先は、この城でした。王都の建物に比べたら、全く質素ですが、それでも私には見たこともないような場所でした。私は、初めて両親の言ったことがわかりました。クルト様と私の身分は、あまりにも違いすぎたのです。気後れして部屋に閉じこもるようになった私に、アグネタ様はおっしゃいました。『リュネの男は、結婚相手以外とは関係を持ってはならないことになっている。クルトが自ら承知したのであれば、身分など気にせず毅然と振る舞うのがあなたの務めです』と」
アグネタとは、先ほどまでここにいた、この城の女主人のことである。確か彼女は、シンドに連なる、申し分のない家の出だったはずだ。
「クルト様は、身分やしきたりの違いに戸惑う私のために、建築ではなく、農政に携わることで、なるべく私をひとりにしないで済むようにしてくださいました。そして、アグネタ様も、まるで私を実の娘のように可愛がってくださって…」
芝生をかけまわるリュネの男子たちの騒ぎ声が、聞こえて来る。
「そうそう。一度、クルト様に、どうしてあのとき応えてくれたのですかと聞いたんです」
「クルトはなんて?」
「私の屋敷にいた間、どうしようかずっと迷っていたけれど、兄弟が五人もいるし、自分は長子ではないから、一人ぐらい、好きな人と結婚しても構わないだろうと思ったんですって」
そう言うと、リトヤは嬉しそうに微笑んだ。
「クルト様は、そういうのは、アレクス様がやりそうだと思っていたんですって。確かに、アレクス様は好きな方と一緒になられましたが、お相手がレティ様だったから、結果的には自分一人になったと、おっしゃっていましたわ」
レティとリトヤは顔を見合わせて笑った。
「レティ様も、遠くない将来に、一人目の子を宿しますわ。しばらくは馬に乗るのはおやめください」
リトヤは兄嫁らしく、レティに忠告した。レティは素直に頷いた。
今朝のリクハルドは、馬に乗って行ったらリュネのご婦人たちを心配させると言いたかったのだ。総じて気の利かない男たちの中で、リックだけは女というものをわかっているらしい。
「そういえば、リトヤ様。言い伝えが本当だとして…。女の子は絶対に生まれないと言い切れるのですか?」
リトヤはちょっと考えた。
「絶対というわけではないと思いますわ。ご婦人たちも、出てくる子全部が男だから、次こそは女の子をと思われていて、みんな期待はしてるんです。ご婦人たちの間では、ある種、悲願のようになっているんですよ。だけど、どうしてか男の子しか生まれない」
リトヤ自身も腑に落ちないような顔をしている。
「もし、女の子が生まれたら、それこそ、一族あげての大騒ぎになりますよ。全員が、目に入れても痛くないぐらい、可愛がるでしょうね。男所帯に生まれた女の子なんて、それはもう…。だから、女の子が生まれて来るなら、よっぽど器が大きくないと務まらないなんて、みんなで話しています」
リトヤはそういうと、くすくすと笑った。
「そうそう、レティ様には、一人ぐらいは女の子が生まれるかもしれないと、ご婦人たちは期待しています。生まれる子はプロガムの子ですから。リュネの言い伝えの効力が薄まるかもしれないという理屈だそうです」
そういうと、リトヤは、可憐な花が咲いたように笑った。レティは、派手さはないが、優しさ溢れるリトヤの笑顔に、クルトがこの人を妻に選んだ理由がわかった気がした。
レティは立ち上がってリトヤの方を向いた。
「理解が足りなくて、ご心配をおかけしましたわ。帰りは馬車で帰ります」
レティが差し出した手を、リトヤはにっこりと笑って取った。そしてよいしょと立ち上がった。リトヤの中にいる、三人目の子供は、母が立ち上がる際に、よいしょと声を掛けざるを得ないくらいに、大きく育っていた。
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