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1−2 リュネの五男坊

お越し下さり、ありがとうございます。


 翌朝、レティは、侍女に綺麗にしてもらった布を持って、昨日通った道を池の方へと急いでいた。


 布には、見たこともない印の刺繍があった。この国で王家以外に印の使用が許されるのは、四公家の本家に生まれたものだけだから、この布は、リュネ本家の誰かから、あの男の子に下賜されたもののようだ。


 それにしても、四公家の印は全員分覚えたはずなのに、知らない印があるなんて、自分もまだまだ勉強が足りない。今日の午後にでも、リュネの図書館から四公家名鑑を借りて勉強し直さないといけない。



 レティは息を切らしながら、池のほとりまで走った。期待を込めて辺りを見回したが、男の子はまだ来ていない。倒木に座り込んで、池を眺めながら男の子を待つ。しばらく待っても、男の子は一向に来る気配がない。


 待ちきれず、池の周りを探してみたが、男の子も、釣りの道具も見当たらない。レティはがっかりした。時間がだんだんと過ぎていく。これ以上城を離れることはできない。


 やっぱり名前を聞いておけばよかった。名前さえわかれば、居場所を調べてさせて、返しに行くこともできた。

 もう会えないかもしれないと思うと、何だか急に気持ちが塞いだ。


 諦めて、レティはとぼとぼと屋敷に向かった。来た道を取って返し、こっそり出かけていたことがばれないように、庭を散歩しながら屋敷へ向かう。その間また気持ちが塞いで、美しい庭を見る気も起きない。



 城に近づくにつれて、楽しそうな子供の声が響いてきた。ギュンとアイの声だ。二人は、声をあげて走り回っている。どうやら誰かを追いかけているらしい。見ると、ギュンとアイ、そしてもう一人の少年が、すごい勢いで庭を駆け回っている。


 ギュンとアイが同時に少年に飛びかかった。少年は二人に捕まって転び、三人は折り重なるようにして地面に倒れた。ギュンとアイは、大きな声で笑いながら、少年の上に乗って喜ぶ。


 あまり他の子と馴れ合わないギュンとアイが、知らない子とこんなに楽しく遊ぶ姿は珍しかった。レティは少し離れたところに立って、三人を眺めた。すると、ギュンがレティに気づいて嬉しそうな声をあげた。


「姉上!」


 下敷きになっていた少年が、むくりと起き上がる。レティの心臓が、急に早くなった。少年がレティの方にゆっくりと歩いて来た。ギュンとアイが、少年の後ろをじゃれるようについて来る。弟たちにまとわりつかれながら、レティの前にたった少年は、緑の縫取りのすごく上質な服を着ている。服装と、整えられた髪のおかげでだいぶ印象は違ったが、昨日、池で出会った村の男の子だ。


「うちの末息子、アレクスだ」


 近くにいたサイカが、息子を紹介した。


 アレクスはしきたりにのっとって、レティの前で片膝をついて、レティの手を取り挨拶をした。


「初めまして。アレクス・リュネです。」


 田舎育ちの変わり者と聞いていたが、挨拶は完璧だった。この完璧な挨拶に対して、そこにいる大人達は、レティも完璧に挨拶を返すだろうと期待していた。

 ところが、あろうことか、レティはすごい勢いで手を引っ込めてしまった。周りの大人たちに、動揺が走った。

 無意識にしでかした自分の失敗に、レティは内心青くなった。挨拶を返さずに、手を引っ込めるなど、レティたちの階級では、失礼極まりないことだ。


「あ…の…」


 しどろもどろになったレティを、アレクスは不思議そうに見上げていたが、すぐに立ち上がってサイカの方を振り返った。


「何か間違った?」


 サイカは、表情一つ変えず、答えもしない。レティの失態について、その場ではっきりと答えを出すことを避けてくれたのだ。レティは下を向いて、手をぎゅっと握った。すると、アレクスが明るく笑いながら言った。


「ほんというと、宮廷式の挨拶したのなんて、初めてなんだ。父さんがどうしてもやれって言うから、やってみたんだけど。やっぱり、慣れないことは、するものじゃないね」


 周りに漂っていた気まずい空気も、アレクスの一言ですっかりどこかへ消えてしまった。

 アレクスは気を取り直したように両手をぱんと叩いた。


「そうだ。もう庭は全部見た?父さんが、君が庭に興味を持っているから、案内しろって。まだなら案内するよ」


 レティに答える隙も与えず、アレクスはレティの手を取った。ギュンとアイは、クルトが連れてきた小犬に夢中になっている。


「庭を見てくるよ」


 サイカにいうと、アレクスは、勢いよく駆け出した。二人を追うものは、誰もいない。アレクスは庭の小道や、木々の合間を抜け、道無き道を突き進む。レティは、手を掴まれて、ただついて走るだけだ。

 色々な趣を凝らした庭を通り抜け、二人は、花々が咲き乱れ、草木の生い茂る異国情緒あふれる庭に出た。アレクスはそこの東屋にレティを座らせた。


「今朝は行けなくてごめん。行こうとしたら、君の弟たちに捕まったんだ」


「問題ないわ」


 レティは、アレクスを見もせず答えた。


「怒ってる?」


 アレクスが、レティの顔を覗き込んだ。


「怒ってないわ」


「いや、怒ってるでしょ」


 アレクスが妙に明るく言ったので、レティは少し苛つきを覚えた。


「怒ってないって」


「じゃ、なんでこっちを見ないのさ」


「それは…。昨日の人が、まさかリュネ家の人だったなんて思わなくて」


 レティは口ごもりながら答えた。


「どうして?リュネの人間だったらまずいの?」


「その…、私、泣いていたから」


「え? どうして? 泣いたらだめなの?」


 アレクスは矢継ぎ早に聞いてくる。


「どうして、って。それは、私がプロガムの長子だからよ。私は人前で、取り乱したり、泣いたりしちゃいけないって言われてるの。私の表情一つで、皆が不安になるからよ」


 アレクスはきょとんとした。


「え? でも、それって、無理じゃない?」


「無理でも、やるのよ。それがプロガム長子の努めなのよ」


 レティは、すっかりアレクスの調子に乗せられ始めていた。


「ふーん。だから、昨日、人のいないところで泣いてたんだ」


 レティは、嫌なところを突かれて、思わず不機嫌な表情になった。


「そうよ。私が泣くと、周りのものも、弟たちも困るでしょ」


「でも、君が泣きたい時はどうするのさ?」


「それは、あなた…、我慢よ。こらえるのよ」


「さっきから、いろいろと気持ちが顔に出てるけど」


 アレクスはからかうように言った。普段の自分ならば、どんな時も顔色ひとつ変えすに済ますのに、最初に大泣きしているところをみられたせいか、この子の前ではどうも思っていることがうまく隠せない。レティは悔しくて、しばし黙り込んだ。


 アレクスは、黙っているレティの顔を覗き込んだと思ったら、話題を変えた。


「君の名前、聞いてなかった」


「レティよ。レティ・プロガム。プロガム家の第一子」


「レティ。レティね。何歳?」


「あなた、宮廷のこと何も知らないの? 私とあなたは同い年よ。四公家同士なんだから、知ってて当然だわ」


「いやいや。俺、宮廷には行ったことないんだ。王都の屋敷は何度かあるけど」


「どうしてあなたは四公家の一員なのに王都ですごさないの? 何か理由があるの?」


「俺、ずっとこっちで育ったんだ。俺の母さん、俺を産んだ時に死んじゃったから。その時にこっちに預けられて、そのままずっとここにいる」


 リュネも女主人をなくしていることはレティも知っていた。しかし、それが理由で、五男をずっと領地に置いていることは知らなかった。

 レティは、アレクスの触れられたくないことに触れてしまったかと心配になって、アレクスの顔をちらりと見た。


「お、やっとこっちを見たな。俺が生まれて、その時、母さんが死んで。俺はおじさんのいるこの城に預けられて、おばさんや乳母に育てられたんだ。みんな、落ち着くまで、って思ってたらしいけど。なんだかんだずっと落ち着かなかったんだってさ。それで、気づいた頃には、宮廷に出すには、ちょっと難しい感じに育っちゃってたってわけだ」


 話しながらアレクスは草をちぎって、手のひらに乗せ、ふっと吹いた。


「でも、いずれ、務めを果たさないといけない時が来るわ。四公家に生まれた以上は、義務がある。宮廷なんて関係ないって言える立場じゃないわ」


「…真面目だな。でも、君のいうとおりだ。こうやって、年の近い君たちを呼んだのも、父さんにしたら、少しでも俺に宮廷に慣れて欲しいからなんだと思うよ」


 アレクスはしばらく黙って、草をいじっていた。それから、真剣な顔になった。


「さっきの。挨拶だけどさ。本当に、失礼があったのなら、謝るよ」


 レティは大きく首を振った。


「いいえ。違うの。あなたは正しかったのよ」


 アレクスの顔がちょっと明るくなった。


「そうなの?良かった。手を引っ込められたから、俺、すごくおかしなことしちゃったんだと思って焦ったよ」


「だって、昨日思いっきり泣いてるとこを見られた相手が、よりによって四公家の人間だったなんて。私、すごく驚いたのよ。あなたが、村の子だったらびっくりしなくて済んだんだけど」


「あはは、そうだね。じゃ、俺は、いきなり重大な秘密を見ちゃったってわけか」


「ほんと、恥ずかしすぎるわよ」


 アレクスが話しやすい子だからか、最初に大泣きしているところを見られてしまったせいか、レティはなぜかアレクスの前では自然に振る舞えた。人と話すときは、いつもどう話そうかよく考えながら話しているのに、出会ってすぐの子に、何も考えずに、こんなに自由に話せるのはとても不思議な感じがする。


 レティは、ポケットにしまってあった布を取り出した。


「どうりで村の子にしては、いい布を持っていると思ったわ。印があったから、てっきり四公家のどなたかから下賜されたものだと思ったわ」


「それ、俺の印だよ」


 アレクスは、気にも留めない様子で言って、ごろんと草の上に寝転がった。


 レティは、布を取り出してよく見た。


「これ、あなたの印なの?どうりで見たことないはずだわ。印を使う身分の方なんて、王家と四公家以外にはいないものね。四公家の方達の印なら、全部覚えてるんだけど、あなたのは見たことがなかったわ」


 アレクスは驚いて起き上がった。


「全員の印を覚えてるの? すごい!」


「すごいって……。あなたのお兄様たちも、全部覚えてらっしゃるわよ。何かの際に、必ず使うもの」


「へぇー。そういうもんなんだ」


 レティは、アレクスが王都に来た時のことを想像して、かなり心配になった。


「あなた、本当に、大丈夫?」


 レティに言われて、アレクスは少し暗い顔になった。


「そうなんだ。…そうなんだよ。俺、四公家の子だけど、まったく四公家らしくなくてさ。なのに、父さんが、俺を王都に連れて行くとか言いはじめた。王都に行ったら、王宮に集められて勉強させられたり、夜会で踊らされるんだって? 俺、兄さん達みたいに頭もよくないし、踊りだって村祭ぐらいでしか踊ったことない。それに、王都に行けば、覚えなきゃいけないことや、しきたりだらけだろ。想像しただけで逃げ出したくなる」


 悩んでいるアレクスを見ていると、レティはだんだんおかしくなって来た。わらってはいけないと我慢していたが、レティはついにこらえきれずに、吹き出した。


「なんで笑うんだよ」


「ごめんなさい。なんだか、おかしくって」


「おかしい? 俺は真剣に悩んでるのに」


「あははは。……ごめんなさい」


 あやまってはみたものの、やっぱりアレクスを見ていると笑いがこみ上げて来て、レティはお腹を抱えて笑った。


「なんだよ!」


 アレクスは不満そうだったが、その様子がまたおかしくて、レティは涙が出るほど笑った。やっと笑いが収まってから、レティはアレクスに言った。


「大丈夫よ。ここにいる間に、私がいろいろ教えるわ」


「君が?」


「ええ。任せて。弟たちにも教えてるんだから」


「あの子たち、二つも年下じゃないか!」


「そうだけど……。あなたも似たようなものよ」


 アレクスは、ちびっ子たちと同じと言われて顔をしかめていたが、すぐに気を取り直した。


「双子と変わらないって言われるのは、ちょっと微妙だけど。でも、今の俺じゃ、双子以下かもしんないな。そうだ。君がここにいる間にいろいろ教えてよ」


「ええ、いいわ。でも、かわりと言ってはなんだけど、昨日見たことは誰にも言わないで」


「わかったよ。君が困るようなことはしない」


「ありがとう」


 レティはそういうと、何も考えずに微笑んだ。それを見たアレクスはうれしそうな顔をした。


「俺の前ではさ、普通でいてよ」


 アレクスの言っている意味が、レティはよくわからなかった。でも、それも面白くて、レティはまた大声で笑った。


「そうだ、あなたの印を覚えたいの。この布、貸しておいてくれる?」


「ああ、そんなのあげるよ。覚えたら、捨ててくれていい」


「そう。ありがとう。しっかり覚えるわね」


 そういうと、レティは、布を眺めてから、大事そうにポケットにしまった。

読んでくださってありがとうございます。


短編、思ったより難しく、苦戦しております(涙)


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