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ロサンゼルス&アスンシオン

作者: 小松八千代

日本に二ヶ月ほど滞在して、帰りの飛行機の中。隣に座ったブラジル二世の青年と楽しく話しをしながら、やがて飛行機はロサンゼルスに着いた。

ニューヨークの世界貿易センターのテロ事件以来、アメリカはうるさくなった。

ただ通過するだけの乗客も、セキュリティーチェックを余儀なくされる。

以前はロスに着けば飛行機を降りて、少々長い通路を通ってトランジットルーム(経由便の搭乗待合室)に入り、ここで顔を洗ったり化粧をしたり、煙草を喫んだりして一時間半ほどくつろいだものである。

まあここを通るたびにいろいろ変わってはいるが、この時は長い通路を通って、エスカレーターを降りて下の出入国審査場まで行き、ここでパスポートを見せて審査を受ける。二〇〇二年三月半ばだった。

日本に行く時は日本から里帰りした娘といっしょだったので、みな娘に任せて何事もなく直ぐに通れた。行く時は簡単に通れたんだから帰りも簡単に通れるように思って、ここまでさっさと歩いてきて、辺りを見まわしてみると、VARIGの飛行機の中で見たような顔は何処にもない。私はちょっと不安になったが、長い行列の後について並んだ。飛行機の中で貰ったEDカード(出入国カード)を持って順番の来るのを待った。

飛行機の中でじろじろ人の顔を見たわけではないが、降りる時はいっしょに降りたのに見たような人は一人もいない。広いロビーを見まわしてみたが何処にも見当たらない。そのうち自分の番が来て、カウンターまで進み出てパスポートとEDカードを見せた。カードには名前やパスポート番号、便名など書きこんである。私が、だいたいこれでいいんだろうと思いながら書きこんだのである。

顔の角張った白っぽい金髪の、五十歳ぐらいな審査官が、№1と書いた小さい紙をくれる。そして、体を後ろにひねって、並んでいるカウンターの方角を指差して「ヌーメロウノ」と言った。

えっ、ヌーメロウノ?なにウノ?ウノって一のことか。ははん、荷物が一番のところに着くということだろう。

受託手荷物もいったん受け取って、再度VARIGの受付カウンターに運ばなければいけないのだ。

私は荷物が運び出されているターンテーブルの上にぶら下がっている番号を見て一番を探した。近くだったのですぐに見つかった。ぐるぐると回転するギアのようなターンテーブルの上にトランクが乗っかって流れている。何人かの人がまわりにいて、自分の荷物を探しているようである。でも見たような顔の人はいない。おかしいなあと思い係員に聞いてみた。すると係員が「VARIGは七番ですよ」と言う。

それで七番まで行ってみると、いるいる、同じVARIG便の見た事ある人たちが。ほっとして、ターンテーブルの上を見ると、もう私のトランクが流れているではないか。私はカートを引っ張ってきて、重いトランクを二つ、よっこいしょと乗せた。そしてカートを押して出口へと向かった。

この出口のところにも、布のテープが張られていて、係りの人がいてパスポートを調べている。いつもこんな所で止められるはずはないのだが、布テープを張って即席に作ったようである。ここでまた詰まってしまって、行列をつくっているがパスポートとEDカードを見るだけなので早い。皆スムーズに通って行く。私の番になってパスポートとEDカードを見せると、係官がちょっと目を通して「ノー」という。

えっ、どうして。わけが判らずボーっとしていると、肩を押して、回れ右のようである。私は税関を通ってきたのだから間違いない、どうしてこんな所で止められるんだ。と、言いたいのだが英語がだめなので、ただ手を振りかざして「ノー」と言った。するとでっぷりした中年の係官は私の身体を無理やり押し出そうとする。なおも両手を振って「ノー、ノー」と逆らったが、私の小柄な身体は直ぐに外へ押し出されてしまった。

そして私のトランクが乗ったカートも布テープの外へ押し出された。

仕方無しに、もう一度さっき通った審査官のところへ行って、パスポートとEDカードを見せた。するとこんどはカードもろくに見ないで、首をちょっとひねっただけで、後ろを指差して「ヌーメロウノ」という。

私は訳が判らないまま「ヌーメロウノ」と指差された方角へとカートを押して小走りに歩いた。早くしないと飛行機において行かれると思って、気は焦っている。なにしろこのロサンゼルスの飛行場は大きくて、ここから「ヌーメロウノ」まで行くのに、ゆうに百メートルはあるだろう。

半分ぐらい行ったところで、胸に名札をつけた若い男がスペイン語で

「どうしましたか」と問いかけてきた。スペイン語は解かるので

「通れないんですけど」と言って、パスポートとEDカードを見せた。

若い男はEDカードを見ながら

「全部書きこんでないからでしょう」

と言って、記入してなかったところを全部書きこんでくれた。

英語なので解からなくて、そのままにしておいたところがニヶ所ぐらいあったのだ。こんどは通れるぞと、私は喜んで、またさっきの審査官のところへ持っていった。するとまた後ろの方を指差して「ヌーメロウノ」と言う。

えっ~、なに!どうして。私がぽかんと口を開けてビックリしたような顔をして立っているのに、この白っぽい金髪のオジサン顔色ひとつ変えない。顔はこっちを向いているが私の顔など見てないようである。中間に目を据えて知らん顔。

後で思ったのだが、この人どうもスペイン語は「ヌーメロウノ」しか知らないらしい。でも、どうしてナンバーワンじゃなくて、スペイン語なのか。

さっぱり訳がわからないまま、仕方無しにまた「ヌーメロウノ」の方へ。

すなわち一番のカウンターへ向かった。

一番のカウンターのところには、アジア系の人が五、六人並んでいる。でもこの一番のカウンターを通るとまたもとの所へ出てしまうことになる。私は出入国審査のカウンターを通過して内側にいるのである。無事通過したのに、外へは出れない。袋のねずみになってしまった。

これは誰か日本語のわかる人を探さなければと、左手でカートを押しながら、髪の毛の黒い東洋人の顔をした人を見つけては、右手の人差し指を一本立てて顔を覗きこむようにして聞いてまわった。

「日本語」「ノー」「日本語」「ノー」「日本語」「ノー」

日本語のわかる人は一人もいない。さっきのスペイン語の若い男もいないし。どうしたらいいのよ、もう。私は半分泣きべそをかきながら、またヌーメロウノの方へ行ってみた。

あれ、いるではないか。いつのまにか私と同じようにトランクを積んだカートを持った人が三人いる。六十歳ぐらいな小柄な奥さんと、イガグリ頭を茶髪にした、二十二,三の男の子と背の高い中年の男性。私は小柄な奥さんに

「奥さんも通れなかったんですか」

「そうなのよ。通れなくて困ってたらVARIGの係りの人が来てくださって」と言って、傍にいたすらりと背の高い女の子を見上げるようにした。女の子といっても二十五、六歳。え~、VARIGの人。私も女の子を見上げた。

女の子はにこにこ笑っている。来るのが遅いんだよ、もう。と私は思ったが、だまって列の後についた。

私は前の方にいる茶髪の男の子に

「あんたも通れなかったの」と聞いてみた。茶髪の男の子が後ろを向いて

「僕はロスに来たんですけど、入国できないんですよ」と言って不服そうな顔。背の高い中年の男性は落ち着いていて何もしゃべりそうにない。

それにしてもさっきからヌーメロウノのカウンターに並んでいる、アジア系の六人はまだ調べられている。これでは飛行機が出るまでに間に合うのか。

VARIGの女の子もいらいらしている様子。そのうち女の子、二番目のカウンターの人となにやら話をして

「こちらのカウンターの方へ行ってください」と言う。また女の子が

「荷物はここにおいといていいですから」と言うので、皆トランクを積んだカートはそこに置いてバックだけ持って二番目のカウンターに並んだ。

ここは早い。直ぐに私の番が来て、パスポートとEDカードを見せると、審査官が「観光」と言う。

「えっ、カンコウ?...ん。はいはい」と、訳がわからないまま返事をして、またすぐ横の開いているカウンターをぐるりっと回って、トランクを積んであるカートのところに出た。

内側から並んだので、Uタウンしてもとの所へ出たのである。

皆終わったところでVARIGの女の子が

「私の後についてきてください。急いで」

と急いでを強く言って小走りに走り出した。皆、カートを押して後をついて走る。途中ゆるい上りになっているところがあって、心臓の弱い私はぜえぜえ言いながらやっと皆の後をついていった。

これは後で思ったことだが、審査官は私のことをロスに来た観光客だと思っている。それなら飛行機を降りた時貰った、トランジットカードを見せればよかったのではないか。カードはハンドバックの中に仕舞い込んだままである。せめてブラジルとでも言えばよかったのではないかと思ったりした。TRANSITトランジットの一言が抜けていたのだ。いずれにしてもロスへ観光に来た怪しげなおばさんと思われたことには間違いない。 

荷物をVARIGのカウンターに預けて、またVARIGの女の子の後を付いて行くとエレベーターのあるロビーに出た。いるいる、機内で見かけた顔の人が。やれやれと思う間もなく、エレベーターのドアが開いて皆吸いこまれるように中に入っていく。広いエレベーターで、普通のエレベーターの三倍ぐらいあって何十人も乗れそうである。私も、もう遅れをとるまいと走りこむ。

エレベーターの中に入ると、水色のオーバーを着た、私よりちょっと若い(このとき私は五三歳)細面のきれいな奥さんが、私の顔を覗きこみながら遠慮がちに「あのう、アスンシオン」と言う。

アスンシオンはパラグアイの首都である。アスンシオンがなにか懐かしい言葉に聞こえた。私は美人の奥さんの顔を食い入るように見て

「そうよアスンシオンよ」と言うと、

「うわあ、よかった。私もアスンシオンよ。一人でどうしようかと思ってたのよ」

私も小躍りして

「よかったあ。私もさっき大変だったのよ」

二人はまるで戦場で味方にあったような気持ちだったのではないか。味方が居るとなると気持ちにゆとりが出て来た。

くつろいだ気分になって、エレベーターから降りて保安検査の長い列についた。靴も脱いでX線を通さなければ行けない。白いお盆のようなトレーにハンドバックとスーツケースと靴を入れてX線を通す。裸足で戸の枠のような金属探知機を潜って、カウンターの上に流れ出てきた手荷物と靴を受け取る。 美人の奥さんは私より先に通ったのだがビーと探知機が鳴ったので、横の方にまわされて、調べられている。

ここで、機内で横の席に座っていたブラジル日系二世の青年も見かけた。この二世の青年も横に回されて、なにやら長い懐中電灯のような探知機を身体中に当てられている。

私は、ここは難無く通れて、美人の奥さんを待とうかと思ったが同じ便の飛行機に乗る人はまだいっぱい居るようなので、大丈夫だろうと思って、先にVARIGの搭乗ゲートに行く事にした。

皆の流れに付いていくと、VARIGのゲートは直ぐ近くだった。

皆飛行機に乗りこんだが、私はここで美人の奥さんを待つことにした。

VARIGの係員の人達はなにやら楽しそうに話しをしている。まだ飛行機は出ないようである。美人の奥さんなかなか来ない。どうしたんだろうと心配していると、やっと来て疲れたような顔で、「裸にされた」と言う。

「え~、ハダカに」まさかブラジャーまで取られたわけではあるまいが。

探知機がビーと鳴ったので横にまわされて、上着を脱がされて腹に巻いてあったお金を指差して、これはなにかと、言われたという。

日本で稼いだ札束をストッキングに入れて腹に巻いていたのである。これなら絶対安心なので誰でもよくやることだ。

「だけど何故鳴ったの」と私が聞くと

「時計を三つしてたのよ」

「ええっ、時計三つ」私がびっくりしていると彼女オーバーを脱いで見せてくれた。なんと時計からネックレースからガラガラするぐらいひっつけている。これじゃあ鳴るのはあたりまえだわ。腕時計は右手の腕の根元辺りに、そして肘の辺り、次に手首とつけている。

金属探知機を通過するときは、時計や金属の物ははずして通るのだが、全部はずさなかったのだろう。

それで美人の奥さん

「この時計は従兄に貰ったの。これは友達にもうひとつは頼まれたの」と言う。誰かから持っていってくれと頼まれたのだろう。

話はこのぐらいにして、早くトイレに行って飛行機に乗らないと、飛行機が出てしまう。手荷物は椅子の上に置いたままで、交代でトイレに行って飛行機に乗り込んだら、もう皆乗っていて安全ベルトを締めている。座って間も無く飛行機は離陸した。

隣の席に座っている二世の青年に、なかなか通してくれなくて困ったことを話すと

「ひどいですよ。僕ラジオ取られましたよ」と言う。

「ええ~、ラジオ取られたの」

ラジオと言っても最新型の物で私の頭には入らないような名前がついていた。それにしても成田からロスまでは大丈夫なんだから、ここから先で危ないなんて事はないはずなのに。何でとられたんだろうと思いながら、疲れていたおかげで私は直ぐに眠り込んでしまった。

サンパウロに着いてからも次の飛行機まで四時間ほど待たされる間、美人の奥さんと話をして、退屈しなくてすんだ。この美人の奥さんは、パラグアイのイタプア県に住んでいて、小さい時移住してきて、こんど初めて日本に行ったという。名前はIさん。

ちょうど息子さんが研修で高知県にいたので、最初二ヶ月ほど高知に居たが、知り合いの派遣会社の世話で神戸に出て、お弁当屋さんで四ヶ月ほど働いて帰るところだという。飛行機の世話も派遣会社で世話してくれたらしい。

前々から日本に行きたかったと言うことだ。

私はアスンシオンに住んでいてリサイクルショップをしていること、小さい時にピラポ移住地に入植したことなどを話した。

やがてサンパウロ、アスンシオン便の小型機に乗って、指定された席に座った。飛行機が飛び経ってからは、すいていたので、Iさんの横に座って、またおしゃべりした。パラグアイの日系人社会は狭いので

「あーその人知ってるわよ」などと話が弾んだ。

またアスンシオン空港の荷物を運ぶ人夫は性質が悪いので、荷物は運び屋には頼まないで自分で持っていこう、と約束した。

この運び屋は、乗客のトランクや荷物をチップを貰って、空港の外あるいは中に運ぶ人夫で、マレテーロと呼ばれている。ここでは運び屋ということにしておこう。空港から荷物を外へ出すだけなのに、時々沢山のチップをせがんだり、トランクに結び付けているベルトがなくなったりすることもある。

やがてアスンシオンのシルビオぺチロシ空港に着いた。ここがまた厄介な関所で、身を引き締めて飛行機を降りる。  

ほんとに小さい空港で、ゲートを二十メートルぐらい歩くともう出入国審査場に着く。出入国審査のカウンターを通ると、目と鼻の先にあるターンテーブルの前で荷物が出てくるのを待った。すぐに荷物が出始めた。

ここのターンテーブルは下から荷物が出るようになっている。次々と青やら黒やらのトランクが出てくる。と、大きな袋式のトランクが飛び出してきた。この袋式のトランクは、チャックの開閉によって大きさの調整が出来るようになっている。チャックの部分を全部はずして積め込んだらしく、高さが私の背丈ぐらいある。(私は背丈一メートル五十センチ)すごい荷物と思っていると、美人の奥さんIさんが手を伸ばした。

「えっ、それ奥さんの荷物」と私が言うと

「はい」とIさんは言って袋式のトランクを抱えるようにして、やっとカートに乗せた。そしたらまた一つ同じようなトランクが出てきた。そのトランクにもIさんが手を伸ばす。私が

「ええっ、これも」と目を丸くすると、Iさん

「もう一つ小さいのがあるのよ」と言う。

「奥さんそれは頼まないと無理よ」と私が言うとIさん

「これいくらで持っていってくれる」と傍に居た運び屋と交渉し始めた。 

トランクを外へ出すのにいくらかなんて交渉してるのは、アスンシオンの飛行場だけだろうか。

私は出てきたトランク二つをカートに乗せて税関へと向かう。運び屋が運ばせと言って付きまとってくる。「ノーノー」と手を振って断る。

税関のカウンターのところに行って、カウンターに持ち上げるのに苦労していると、待ってましたとばかりに、運び屋が横から手を出してさっとトランクを持ち上げる。

あ~もう。やっぱり頼んじゃお。それで後のトランクも運び屋に任せてカウンターの上に乗せてもらって、結局外まで運んでもらうことにした。

ここは、免税も課税もない。いつもはここで隅から隅へと調べられるのだが、今日は税関も混雑していたせいか荷物はちょっと見ただけでパス。

美人の奥さんIさんのことが気になるが、運び屋がトランクを積んだカートを押してさっさと行くので後を付いていかざるをえない。まあ私は問題なく通れたのだから、よかったなと思いながら外に出ると主人が迎えに来ている。

「ただいま」などと一応挨拶していると、運び屋のオッサンどんどん進んでずっと向こうの方に。主人が慌てて追いかけていった。

私はまだIさんのことが気になって後ろを振り返ってみるが、まだ出てこない。まあいいや御主人も迎えに来てることだし大丈夫だよね、と勝ってに決めて主人の車の方へ走っていく。

そういえば後からカウンターに上げたトランクのベルト外したままだった。この前ベルトがなくなたんだっけ。と思い出した。車に着いてみると、もうトランクは積んであって、外してあったひとつのベルトが見えない。

「ベルトは?」と主人に聞くと「知らんぞ」と言う。私はくるりっと向きを変えて、後ろに居た運び屋のオッサンを睨み付けて

「ベルト持ってるでしょう。出しなさい」と言うと運び屋のオッサン決まり悪そうな顔して、そろりっとポケットからベルトを出した。やっぱりね。

腹が立つけどベルトも取り上げたことだし、一万ガラニー(約200円)

やって車に乗ったらほっとしました。



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