FILE-52 幽崎・F・クリストファー
どこかの真っ暗な室内に、スマートフォンの頼りない明かりがチカリと点灯した。
持ち主の指先が画面に表示された番号を押す。数回のコール音が鳴った後、低い女性の声で応答があった。
『幽崎か? 貴様、今どこでなにをしている?』
開口一番に糾弾する口調が問い質して来たが、幽崎・F・クリストファーは無視して今回の要件を口にする。
「『全知の公文書』を見つけた」
『本当か!?』
途端、女性の声が歓喜に震え上がった。
『よし、よくやった! すぐに戻れ!』
「落ち着けよぉ、オバサン。まだ見つけただけだっつの。手に入れるにゃ、もうちと苦労が必要そうだ」
嘲るように言うと、女性は熱が一気に冷めたのか先程よりも声のトーンを低くした。
『どういうことだ?』
「学院の地下深くにでっけぇ空洞があった。俺はそこに例の魔導書が隠されてんじゃねぇかと思ってよぉ、穴開けるために多少無茶して魔王クラスを召喚したんだが……見当違いだったわ」
『魔王クラスの召喚だと!? 貴様、世界を滅ぼすつもりか!?』
「ぷっ、悪魔の崇拝者が世界の心配かぁ? 笑える冗談はやめてくださいよぉ、傷に響くじゃないですかぁ」
『……貴様は帰って来たら一発殴らせてもらう』
「怖い怖い、帰りたくなくなっちまったぜ」
わざとらしくおどけてみせる。
「安心しろよぉ。もうその悪魔はいねぇから」
幽崎が召喚した悪魔の王の制御権を黒羽恭弥に奪われたことには驚いた。ガンドの融合で守護霊として取り込められる程度の悪魔ではないので、恐らく悪魔側からの提案――契約を呑んだのだろう。
やってくれる。
アレほどの悔しさを感じたのはいつ以来だろうか?
その悔しさも『全知の公文書』らしき魔導書を見た後では吹っ飛んでしまったが、今になって思い返せばやっぱり腹立たしい。
まさか黒羽恭弥も幽崎と同じ『悪魔憑き』になるとは。しかも魔王クラスというところまで一緒である。
幽崎は複数の上級以上の悪魔と契約しているが、その最たるモノは肉体に取り憑かせている魔王クラスだ。もしそんな特殊な身体でなかったならば、幽崎はあの時〈フィンの一撃〉を受けて内側から弾け飛んで絶命していた。
別に幽崎が望んでこんな身体になったわけではない。
『幽崎、貴様はよもや、我らに命を救われた恩を忘れているわけではあるまいな?』
「命を救った? 違ぇだろ。そこに都合のいい死にかけのガキがいたから利用しただけの間違いじゃねぇのか?」
組織によってそうさせられたのだ。
「そもそもてめぇらのせいだろうが」
幽崎はイギリス人の父と日本人の母との間に生まれたハーフである。家は小さな魔術結社を取り仕切っていた。犯罪にも手を染めていた世間的には最低の組織だった。
過去形なのは、もうそんな組織などないからだ。BMAに粛清されたわけではなく、とある商談の途中で別の犯罪組織に横槍を入れられたことで壊滅した。
その横槍を入れた組織こそが〈血染めの十字架〉である。
『未だに根に持っているのか?』
「いいや。おかげさまで大変面白い人生をエンジョイさせてもらってますよぉ。あんなクソッタレな家で腐っていくなんてごめんだったからなぁ」
魔術師としてのレベルも低ければ、やっている犯罪もコソ泥じみた小さいことばかりだった。つまらない。退屈という地獄だった。幼いながらに幽崎は不満を抱き、いつか家を出るつもりでいた。
「だが、別にあんたらに感謝はしてねぇ。あんま恩着せがましいことほざいてっと――ぶっ殺すぞ?」
「……」
いつもの飄々とした挑発的態度とは違う、ドスの利いた口調。女性は沈黙し、息を呑む気配が電話の向こうから伝わる。
本気になった幽崎を敵に回すリスクは重々承知しているからだろう。
女性も〈血染めの十字架〉の幹部の一人で地位は幽崎よりも上だが、実力は遥かに劣っている。幽崎が地位に固執する性格だったらとっくに引きずり落とされていてもおかしくはない。
ククッと幽崎は小さく笑う。
「まあ、ジョークはこの辺にしとくか。俺が睨んでた地下は大ハズレだったが、魔王を召喚したことで偶然にも在り処は判明したわけだ」
もう一度同じことはできない。流石に学院側がさせてくれないだろうし、幽崎にとっても二度目はリスクが大き過ぎる。
リスクを度外視して強引に魔王クラスの悪魔を召喚しようと思えばできなくもない。しかし、それでまた都合よく空間に穴が開いたとしてもほんの一瞬だ。そこからの到達は無理だと判断した。
「『全知の公文書』が安置されてるっつうダンジョン。そいつは意外にもすぐ傍にあった。が、簡単に入れる場所じゃねぇな」
『話が見えん。どこにあるというのだ?』
幽崎の回りくどい言い方に、女性はやや苛立ちの籠った声で訊く。
「異空間さ。この学院がある空間とは別のな」




