おとぎ語りのおんなのこ
むかしむかしあるところに、一人の女の子がいました。
なめらかなはだの白さは大理石、二つのひとみは青空の宝石でした。
ころころとよく笑う、かわいらしいようすは、まるでふつうの女の子のよう。
けれど女の子はいつまでたっても年をとらなかったのです。
女の子はかみさまの子なのだと大人たちはいいました。
女の子はかみさまののこした「たからもの」でした。
しかし女の子は、まつりごとも学問も、歌や絵も、できませんでした。
足がわるく、一人で出歩くこともできません。
たくさんのものごとを、覚えることはとくいでも、ちしきの使いかたはわかりません。
女の子はこころもずっと女の子のままだったのです。
大人たちはそれでもいいと言いました。女の子のえがおを守ろうとしました。
子どもたちは女の子のとなりで、笑いつづけました。
しあわせだったのです。
色ガラスの大きなまどからさしこむ光はきらきらと。あざやかな色に、白い女の子をそめてゆきます。
たとえかみさまの子だとしても女の子は女の子でした。
子どもたちは大人になりました。大人たちはとおい国へと旅立ちました。
女の子は女の子のまま、みんなをそっと見送ります。
さみしくなかった、というのはうそです。かなしくなかった、というのもうそです。
けれども女の子がつぎに目が覚めたときには「さみしい」も「かなしい」も、よくわからなくなっていたのです。
女の子の時計はうごきません。
変わらないものと変わるものがありました。
変わらないのは女の子、変わるものはそれ以外のすべて。
大事に大事にされた女の子はいつしかわすれられ、うごかない足を、ひざをかかえて眠ります。
しかたがありません。なにもできない「かみさまの子」は、そっとしずかに人を見守ることしかできませんから。
女の子は自分にそう言いきかせます。
次の日にはさみしいことをわすれても、その次の日もさみしいまま。女の子は「さみしい」をだれかのものがたりのように、いつしか覚えていました。
女の子は大人になれなくても、時計は動かなくても、けしてちいさなちいさな子どもではもうなかったのです。
月が数えきれないほどのぼって、女の子が「さみしい」きもちに飽いたころ。
おだやかな時間をとりもどした大人たちは、だれもいなくなった教会からおんなのこを見つけ出しました。
女の子はもうおとぎ話のなかのことになっていました。
女の子の知っているものごとは、失われたものがたりに変わっていました。
なにか知っていることを話すだけで、人々はとてもよろこびました。
それを「うれしい」と思ったのです。
まいにち「うれしい」をかんじて。「うれしい」を覚えて。
なにもできないかみさまの子はもういません。
ただあいされるだけの女の子ももういません。
古い教会のなか、みがきなおされた色ガラスの下、女の子はものがたりを語りつづけました。
月曜にどうわを、火曜にぐうわを、水曜にこいものがたりを。木曜にえいゆうたんを。金曜にかいだんを。土曜にしを。日曜日にしんわを。
そんな日がながくつづきました。
けれどそんな日々は、ゆっくりと終わりにむかっていったのです。
人のかおは、くるくると入れかわっていくほどに、女の子のものがたりもすりへっていきます。
あたらしいお話はふえても、ふるいお話はもうふえません。
ここはちいさな町でしたから、あたらしいお話もそれほどたくさん入ってくるわけではありませんでした。
それでも女の子は町いちばんのおとぎ語り。
町の人々は女の子とものがたりをあいしていました。
かみさまのいなくなった町はおだやかにまわっていました。
かわっていく速さはとてもゆっくりでした。
人々は女の子に気づかせないようにしているかのようでした。
女の子もまた、気づかないふりをしていました。
だから、いつのまにかまた、女の子はひとりになっていたのは仕方のないことだったのです。
いくど日がおちたでしょうか。
女の子はもう数えることができません。
しずかになった世界に、男の子の声がふわふわとひびきました。
「こんにちは、おじょうさん」
「あらあら『ぼく』。今はひるだというのかしら」
「いいえおじょうさん。今はまっくろなよるですよ」
そう、今はよるなのね。女の子はそのことばをかみしめます。
女の子のよるが来たのはいつぶりのことでしょうか。
いいえ、もしかしたらずっとよるだったのかもしれません。
にっこりと女の子はほほ笑んで言いました。
「では、こんばんはと言うべきですね」
「いいえおじょうさん。このばしょでよるなど、なんのいみがありましょうか」
「よるにはよるの、ものがたりがあるのですよ『ぼく』。それからおとぎ語りのわたしは、じつはとーっても長生きなのです」
「ならばぼくも、とーっても長生きかもしれませんよ、おじょうさん。あなたは『おじょうさん』とよばれるのは、おきらいですか」
「いいえ『ぼく』。かわいらしくてくすぐったいよび方ですけど、そうよばれるのはひさしぶり」
どちらにしろ女の子には名前がありませんから。
おじょうさん、とよばれたのはむかしむかし、女の子がおとぎ語りでなかったころ以来のような気がします。
「あなたに名前はあるのかしら」
「ぼくはたびびと。風をあるき、空をかたり、地をおよぐもの。ことば以外のなにものをも、もたぬもの。なまえなどはいりません。どうぞお好きにおよびください」
男の子のこえは歌のようにつらつらとながれていきました。
「それではたびのかた。あなたはどうしてここへ」
人が一人もいなくなった教会へ、男の子がなぜおとずれたのかふしぎでなりません。
男の子はにっこりとわらっていいました。まっくろなよるですから、女の子には見えないのですけれども。
「それはあなたに会うためですよ、おじょうさん」
それはとてもやさしい音だということはわかりました。
くすり。女の子が笑います。
「ようこそ、をわすれていましたね。たびのかた、この古びたわたしになんのごようでしょう」
男の子はそのしつもんにすこしだまりこんでしまいました。
「──おじょうさんは星のかずほどものがたりをお持ちだといううわさをききました。しかし、かく言うぼくもたびびとです。あまたのものがたりを語りながら行くものです。
ひとつ、勝負をうけてはくださいませんか」
そんなことを言われたのは、はじめてのことでした。
女の子は困りがおで口をとざします。
でもながく迷いはしませんでした。
「わたしにできることならば」
女の子にできることは多くありません。
むしろ、女の子にはもの語ることしかできないぐらいです。
しかし、おとぎ語りとしての女の子にかぎれば、できることはきっと少なくはないでしょう。
男の子はこう言います。
「地のそこから天へと続く、とうの高さほどにおじょうさんの知らないものがたりをつみ上げてみせましょう」
「ならばわたしはお日さまがしずむ、海のふかさまでものがたりをしずめてみせましょうか」
「先に約束の数にとどいたほうが」
「ええ、なんでもひとつおねがいを聞くということで」
それで良いのですか、と問いました。女の子に叶えられるおねがいなんていくつもありません。
けれど男の子はゆったりとした声でそれでいいのです、と答えるだけ。
「わたしはもしかしたら、うそつきかもしれませんよ」
「ぼくはたびびとですから。うそを見ぬくのはとくいです」
「あらでも、わたしはあなたのうそがわからないわ」
男の子のへんじはかえってきませんでした。
「ふふふ、そんなこまったようにしないで。あなたはうそなんてつかないでしょう」
女の子が手をたたきます。音は、なりませんでした。
「さあはじめましょうか」
星がいくつ空にすいこまれていったでしょうか。
月はいくど海におちていったでしょうか。
数えることはできません。
二人のあいだに時はなく、うえものどのかわきも知らぬまま。
永遠のようであり、たったひとときのようでもある教会の中、ふたりのおとぎ語りは言葉をつづけました。
月曜はありません。火曜はくだけてすなになり、水曜もあわになってとけ、木曜金曜土曜日もなみに流されてしまいました。ながいながい日曜日はおわりです。
泡の数ほど、魚の数ほど、くちる貝がらの数ほどに。
ものがたりはいつまでも続くように思えました。
けれども二人はよくよく知っています。
次のものがたりが約束の数にとどくだろうということを。
女の子の語ったぼうけんたんが鳴らした、はなやかなひびき。それをたち切るように男の子は飲みこみます。
のどがいたくてたまりません。
「今からするおはなしは、けしておもしろいものではありません。たのしいものでもありません。とても短い、ただ、終わるためのおはなしです」
──むかしむかし小さな町には小さなかみさまが住んでいました。
かみさまは毎日、人のなやみをきき、ときにはささいなおねがいをかなえ、しあわせを見守ってすごしていました。
ほんの、気のまよいだったのです。
外のせかいをすこしだけ見てみたいと思っただけなのです。
かみさまのいないあいだ、町を守るだれかがひつようでした。
だからかみさまは、みずからのたいせつな石像にいのちをふきこんだのです。
とおいところへたび立ってしまった友人がくれた「たからもの」に、ただそこにあるだけで町の人々を守るよう、ねがいをこめて。
ちいさなかみさまはいろいろなことができました。けれどもわかく、あまりものを知りませんでした。
はじめて見るものばかりのせかいは、色ガラスのまどよりもきらきらとかがやいてみえました。
すべてのことがかみさまを呼んでいるかのようでした。
数えきれるほど日がのぼるぐらいの月日のつもりで。
数えきれないほどの日がしずんだあとで。
生まれそだった町も。かわりをまかせた大理石の女の子も。じぶんがかみさまだったことすらも。
すべてをわすれてしまったのです。
長い長いたいくつを、かみさまとはちがい何もできない、おきものの少女におしつけて来たことを思い出したのは。
とおいくにの海にしずんだ町の、なまえを聞いたときでした。
はだをなでる風は重たく、つめたいものでした。
風はすべて水でできていました。
「ぼくがここに来たのは、きみを終わらせるためです」
本当はまずはじめに、そう言うつもりだったのです。言わなければならなかったのに。
男の子──いいえ、かみさまは女の子のこわれて開かなくなったまぶたをなでました。
こびり付いたこけと小さな貝が、ぽろぽろとはがれていきます。
「知っていました」
いつぶりにか開かれた青空のひとみが、くらい海の中で笑います。
うそであるはずです。それがうそだと言うべきだ、とかみさまはわかっていました。
女の子はなにも知らないむじゃきな女の子であるように、そう作ったのはかみさまです。
たとえ本当だとしても、次のものがたりを語ればいいのです。
女の子とはちがい、せかい中をたびしてきたのですから。
ものがたりなんてあきるほどに、かかえて来たのですから。
しかしかみさまにはどうしても、それがうそだと言うことができませんでした。
「よかった、町の人たちは助かっていたんですね」
「──はい、きみのおかげで」
女の子はしんぞうのないむねを、ほっとなで下ろします。
「動けない私のかわりに、海がこちらに会いにきてくれたと思うと、そうわるいものでもありませんね」
女の子はたくさんのことを知っていても、たくさんのことは見たことがありませんでしたから。
海のそこにしずんだ町がどれだけくらくても、そのほほ笑みはとても明るいものでした。
「かみさま」
女の子の声は、にげだしたくなるほどやさしくて。
「そんなふうにぼくを呼ばないで下さい。にげ出したぼくはもうなにものではありません」
「あなたはなにを、わたしにねがうつもりだったのですか」
「きみにすべてをおしつけたことを、ゆるしてほしいと」
かみさまの、よる色のひとみがゆらりとゆれます。
女の子はなにも言わず、なにかを思うように首をかしげるのみ。
女の子はかみさまにへんじをかえしてはくれませんでした。
ただそっと、こうして白いくちびるをうごかすだけ。
「では、次はわたしの番ですね」
──むかしむかしあるところに、一人の女の子がいました。
それは結末のわかりきったものがたり。
女の子がひとりぼっちになっておわるだけのものがたりです。
だからかみさまは、かなしそうにまゆをよせて、目をふせて、耳だけはふさがずに聞いていました。
けれどものがたりの中の女の子はいくつも笑顔の数をつみ上げていくばかり。
女の子の語るしんわの中にはかみさまへのうらみごとは何一つなく、ただただあたたかいだけでした。
「ふふ、知っていましたか」
かみさまはゆるゆると首をふりました。
「きみは、つらくはなかったのですか」
「わたしにもできることがあると、知ったから」
かみさまはむかしのことを思い出します。
じぶんにできることをさがして、町中をとびまわったあのころを。
女の子はおかしそうに、くすくすと笑いました。ぽこぽこ、と小さな泡が生まれます。
「でもわたし、まんぞくを知らないんです。だって朝になればわすれてしまいますもの」
「だから、ずーっとわたしのしたいことを、わたしにできることをさせてくださいな」
もうかみさまには、まだまだ知っているはずのものがたりが、一つも思いうかんでは来ませんでした。
「あなたの勝ちです、おじょうさん」
くらいよるももうおわり。光の布がくらげのようにふわりと女の子にかかります。
「では約束どおり」
女の子は耳元でそっと、ねがいをささやきました。
かみさま──いいえ、男の子はすっかり温かくなった女の子の手をとります。
ぱりりと、大理石のかけらは海へとおちてゆきました。
「ええ、おじょうさん。おのぞみとあらばいつまでも」
たびびとの男の子とおとぎ語りの女の子のおはなしはこれでおしまい。
きっと二人は今もどこかで、ものがたりを語り続けていることでしょう。