鴨川にて
一緒に夕涼みとは言ったものの、いったい何を話せば良いのか、思いつかない。
僕は専ら聴き手専門で、積極的に話す方では無いからだ。
人に語るような趣味も無いし。そんな事を考えてると、彼女の方から話しかけてきた。
「鴨川の川沿いって面白いですよね。他の場所とは違って空気はヒンヤリしてるし、川の音がずっと鳴ってる。違う世界みたい。」
「あ、わかります。都市部の中にポカンと空いた別世界というか。」
鴨川は、繁華街である木屋町や先斗町と、祇園の真ん中にある。これほど都市部と一体化している川は珍しい。これも僕が京都が好きな理由だ。
「楽しそうに騒いでる大学生がいたり、ジョギングしてる人もいたり、カップルがイチャイチャしてたり。いろんな人が、いろんなことをしてる。不思議と落ち着く場所なんですよね。」
「ほんと。いいなぁ、私も大学生に戻って騒ぎたい。」
ふと、彼女は幾つなんだろうという考えがよぎるが、そんなデリカシーのない質問はしづらい。
「あの、お名前は?」
「ヤマガタヒデカズ。」
「どんな漢字を書くんですか?」
「山形県の英和辞書。」
「わかりやすい!」
「英語苦手なんですが、小さい頃から英和なのに英語苦手なのかよ!ってからかわれました。」
ふわっと、涼しい風が吹き抜けた。京都はあまり風が吹かない。だからこそ、夏は蒸し暑いのだが、
鴨川の辺はまわりより2,3度は低く、心地良い。
夏には名物の「川床」も出てくる。
「下原さんの名前の由来は?」
「ふたつの意味があるんです。いつも笑みを絶やさずに、というのと、これからはグローバルな世界になるんだから、海外でも呼びやすいように、って。ひらがなにしたのも日本らしいし、なによりオシャレで可愛いからって。父と母が相談してきめたんですって。」
そう言うと彼女は、またニコッと笑った。暗がりでよく見えないのがもったいない。
僕はふと気になったことを聞いてみた。
「関西の方、ではないですよね?」
「はい、松山、愛媛県の出身です。ちょっと関西弁っぽいでしょ?よく、ヘタクソな関西弁やなーって突っ込まれちゃいます。関西弁じゃないのにね。」
「どうりで!友達に愛媛出身の奴がいて、何処かで聞いたことあるなぁって、さっきから考えてたんです!あー、スッキリした!」
愛媛はイントネーションや言葉が関西弁に似ているところがあり、彼女が言うようによく間違われやすい。
「松山はいいところですよね!程よく都会で、ノンビリしてて。」
「ひでかずさんは、どちらの出身なんですか?」
「山口県です。何にも無いところですよ。名産品は政治家くらいなもんです。」
「え!山口県なんですか?私、行ってみたいところがあるんです!」
僕の中では、山口県は[出身地を言われてコメントにこまる県第3位]だと思っていたので、彼女の反応は意外だった。
「秋吉台とか、萩とか、ですか?」
山口県で観光というと、国内最大のカルスト台地がある秋吉台、幕末の吉田松陰で有名な萩、あとはフグの下関くらいなものだ。ちなみに、フグは縁起を担いで「福」と呼ばれる事がある。
「いえ、ええと、角島大橋、あと周防大島!」
角島大橋というのは、山口県下関市と角島を結ぶ橋のことだ。2000年に開通して以来、下に広がるエメラルド・グリーンの海を1780メートル堪能出来るということで、人気スポットになっており、車のCMでよく利用される場所だ。
「角島大橋は僕も行ってみたいと思っていたんです。でも周防大島なんて、よくご存知ですね。そんなに有名な観光地でもないのに。」
山口県は横に長く、僕は広島よりの場所に住んでいる。そのため、角島大橋まではかなり距離があり、1度も行ったことがない。どちらかと言えば、周防大島の方に縁があり、ここは何度か訪れたことがある。のんびりした島で、みかんや魚が美味しいく、綺麗な海で出来る海水浴場も気持ち良い。だが、全国的には無名で、彼女が知っていることに驚いたが、よくよく考えてみると知っていて当然だということに気がついた。
「あ、そうか。松山の出身でしたよね。」
「はい。よく、周防大島ゆきのフェリーを見たことがあるんです。でもフェリーに乗る期会が全然なくて、絶対にいってみたいなぁと思ってて。」
僕は彼女との意外な共通点があることに微かな嬉しさを感じた。
そんな中身の無い、とりとめのない会話を彼女としていたが、ふと携帯を覗くと時刻はすでに0時を回ろうとしていた。
「あ!もうこんな時間!終電大丈夫ですか?」
「えぇ、家は市役所のあたりですから。一人暮らしですし。ひでかずさんは大丈夫ですか?」
「僕は烏丸御池のあたりです。歩ける距離ですから、大丈夫。市役所のあたりまで送りましょう。」
うら若き乙女を一人で歩かせる訳にはいかないという、僕の中に極細ボールペンの先っちょくらいほど残っている、男としての矜持が働いたのだ。
「ありがとうございます!あの、連絡先、教えてもらってもいいですか?」
ここは僕が聞くところだったのだろうが、さっきも言ったとおり、僕の男としての矜持は極細ボールペンの先ほどしかないのだ。
「ええ、もちろん。」
断る理由があるはずもなく、お互いの連絡先を交換した。
「さ、帰りましょう。」
僕は残っているコーヒーを飲み干して、ゆっくりと立ち上がった。
ここから僕の家までは歩いて25分。えみさんは市役所のあたりといっていたから、10分か15分ほどだろう。
川をゆっくりと下り、御池通の橋をくぐって、川辺から街のとおりに登る。
余談だが、京都では方向を指すときに北へ向かうのを「上ル」南へ向かうのを「下ル」という。碁盤の目になっている街ならではの方向感覚だ。
「ここまでで結構です。ありがとうございました。たのしい夕涼みになりました。」
えみさんがまたニコッと笑うと、僕も釣られてニコッと笑った。
「また、一緒に夕涼みしましょう。」
「よろこんで!」
男としての矜持はもはや極細ボールペンの先というより、素粒子1つ分くらいしか残っていなさそうだ。