第一話 出会う
「また古いのを更新しちゃったの!?」
季節は6月。日差しは日に日に圧力を増し、夏の到来を告げる。
「2週間前もやったばかりでしょう!」
それにしてもオフィスは熱い。クーラーは聞いているが、大量にあるパソコンから発せられる熱が
それを中和してしまっている。
「まぁ、とにかく、修正いそいでね。」
ここのオフィスは居心地は悪くない。しかし使っているシステムは古いし、考え方も
典型的な大企業思考だ。総合的に勘案して、やっぱり居心地は良くないと訂正する。
「わかりました。」
力なく応えて、修正に入る。
最新のコードではなく、古いコードを更新して保存してしまい、
矛盾が出来てしまう事がある。今回は、いや、今回もやってしまったようだ。
しかたなく最新のコードと今のコードの差分を表示して、少しづつ修正する。苦手な作業だ。
こういう時はとにかく無心になるに限る。
「お疲れ様でしたー。」
結局、22時近くまで掛かってしまった。いかに定時に上がるか?それが僕の至上命題だが、
今日は残念ながら達成出来なかったようだ。
へばるような足取りで鴨川へ向かう。駅まで大体、10分くらいだ。
プログラマーとして復帰して半年。復帰に失敗した事をようやく自覚出来てきている。
僕はプログラマーにはとことん向いてない。いや、プログラミング能力はそこそこ向いていると思う。
しかし、管理能力が徹底的に欠如している。データや書類を上手く管理するのが苦手なのだ。
技術の先端を走る企業や、ベンチャー企業ならいざしらず、大手企業となると
プログラミング能力よりも周辺環境構築能力がモノを言う。自分の仕事が何なのかわかなくなりそうだ。
プログラムの世界は大雑把に分けて2つある。
主に企業向けのソフトウェアを開発するシステム・インテグレーターと、
消費者向けに開発するWEB系だ。
実際はもっと沢山分け方があるが、僕はこの基準で考えている。しかし、コレに
気がついたのは今の会社に入ってからだ。気づいた時はもう遅い。
僕はWEB系に行きたかったのだ。より消費者に近いものを作りたかった。
もっと言えば、どうすればお客さんの問題を解決出来るか?それを考えたかったのだ。
そんな事を考えながら歩いていると、あっという間に四条大橋についた。
今日はのんびりと考え事をしたい気分だったので、鴨川の川べりを歩いて帰ろうと思っていたのだ。
うちは烏丸御池、会社は四条烏丸なので、だいぶ大回りだ。
ファミマでアイスコーヒーを買って、鴨川へ向かう。
ここの橋はいつも人で溢れかえっている。
中国語の団体、ロシア語の団体、中学生くらいの団体。日本屈指の国際観光都市なだけあって、
その顔ぶれは多彩で、見ていて飽きない。僕が京都が好きな理由の一つだ。
橋を渡り、川端通りを上がって、川沿いへ降りる。空気が少しひんやりとして心地よい。
対岸沿いでは大学生らしき団体が踊ったり歌ったりしている。
こういう光景も学生の街らしさがあって、面白い。
三条大橋を抜けて、途中にある飛び石をわたって対岸へ移動する。
橋を渡った意味が無いなぁと思いながらも、飛び石を飛びたい誘惑に勝てなかった。
対岸についたので、適当な場所に腰をおろして、両手を体の後ろに置いた。
左手に、何かがあった。
黒革のカードケースのようだ。
中を開け見ると、免許書、保険証、それにICOCAが入っている。
名前は…下原えり、と書いてある。
ひょっとして、と考えて、後ろでウロウロしている女性に声をかけてみた。
「あの、ひょっとして、このカードケースあなたのですか?この免許書の方?」
「ああ!はい!それです!私です!あぁ~良かった!ありがとうございます!」
柔らかな、それでいてはっきりとした声で返事が返ってきた。
声のイントネーションは関西弁だが、どこか違う感じを受けた。
しかし、どこかで聞いたことがある。はて。
「夕涼みしようと思ってさっき来たんですけど、紅茶を買ってこようと思って。
買いに行く途中で落としたことに気がついて、探してたんです!
あー、ほんとに良かった!ありがとうございます!」
「いやいや、見つかってよかったですよ。」
彼女が一礼して、顔をあげた。肩まで掛かる、ストレートの黒髪に、凛とした笑顔。
「良かったら、一緒に夕涼みしませんか?」
思わぬお誘いに少し警戒しつつも、断る理由もない。
「ええ、いいですね。でも夕涼みって時間じゃないですよ。」
僕が軽く笑うと、彼女もはは、そうですね、と笑った。