第七話:迷子
リゲルが王城を後にしたころ、灯入は遅い昼食を終え、歩き疲れた様子でふと見つけた公園の中を歩いていた。
人工的に植えられたであろう木々に囲まれた公園には、小川に沿って舗装されていない遊歩道が設けられており、道に沿って短く草を刈り込まれた、連なった丘にはところどころにカップルやら家族連れが腰を下ろしている。
灯入がまだ日本で生活していた頃には見たこともない広大な公園に、驚きながらも、さわやかに吹き抜ける風や、鳥のさえずりなどを楽しみつつも癒されて、遊歩道を歩いていた灯入は、道のわきにしゃがみ込んで泣いている、赤いワンピースを着た桃髪おかっぱ頭の幼い少女と出会った。
灯入は少女に歩み寄り、しゃがんで少女に目線を合わせ、優しく話しかける。
「どうして泣いているの?」
「ひっく、ひっぐ…… おかあさまがいないの。ひっく」
灯入は、真っ赤に泣きはらした少女の顔を優しくハンカチでぬぐった。
「そっか、はぐれちゃったんだね。おなまえは? どこから来たの?」
灯入に顔を拭われて少し落ち着いたのであろうか、少女の目からもう涙はこぼれていない。
「リーナ。おかあさまと、おかいものをしてたの」
「俺は灯入だよ。よし、リーナちゃんいっしょにお母様を探そう」
「うん、トーイおじちゃん」
さすがにこの年でおじちゃん呼ばわりされた灯入は、ショックを隠せないようだったが、そのことは顔に出さず。
「灯入お兄ちゃん」
と優しく訂正してリーナの頭を軽く撫でた灯入は、手を取って立ち上がった。
さて、どうやって探そうかと歩き始めれば、前の方から白いリボンのついた麦わら帽子をかぶったさらさらとした癖のない明るい水色で、長い髪の見覚えのある人物が歩いてきた。
たしかティータといったか、今日は学院の制服姿ではなく、肩が露出しているが、上品な感じのする水色にピンクと白の花柄をあしらった、ひざ上のワンピースを着ている。
灯入は思わずティータと視線を合わせてしまった。
「あら、あなたどこかでお会いしまして?」
「先日、学院のベンチで」
ティータは灯入の言葉に「はっ、あの時の」と気が付いたようだった。
「たしか…… そう、エリオと一緒におられましたね。ところで、その娘は貴方のご家族? 泣いておられるようですが」
ティータが怖かったのか、恥ずかしいのか灯入には分からないが、リーナは灯入の後ろに隠れるようにティータをうかがっている。
「いえ、母親とはぐれたらしくて、これから一緒に探そうかと思っていたところです」
灯入はそういうと、リーナににっこりと微笑んでから、「行こっか」と手を引いて歩き出そうとしたが、ティータに呼び止められた。
「少しお待ちになって、わたくしも、お手伝いしますわ」
これは、プライドが高く自尊心も強めなティータであったが、困っている人を(この場合はリーナだが)見ると放っておけない性格と、負けず嫌いな性格からの発言であった。
リーナが自分を怖がって、灯入に懐いていることが気に食わないらしい。
「わかりました。一緒に探しましょう」
了解した灯入に。リーナは不安そうな表情をしているが。
灯入は「だいじょうぶだよ」とリーナの頭を撫でる。
「ところで、探す当てはありますの?」
ティータの疑問に灯入は、そういえば、と、思い出したようにリーナに問いかけた。
「リーナちゃん。どっちの方から来たかわかる?」
「あっち」と、歩こうとしていた方向とは逆の方向を指差したリーナに「えらいねー」と褒めて、また頭を撫でる。
灯入は内心で、やべー、やべーと考えながらも照れ隠しの行動に出るのであった。
ティータとしては、この人大丈夫なんだろうかと灯入の評価を少し下げたのだったが、リーナが少しも気にしていないことに、まあ、仕方が無いかと追求はしなかった。
リーナの指差した方角に歩きながら、迷子を捜していそうな人がいないか、留意しつつ歩いていた三人だったが。
「トーイおにいちゃん。おしっこ」
と言って立ち止まったリーナに、灯入は何か懇願するような視線をティータに向けた。
幼い従妹の小用を世話したことは幾度となくあるのだが、たとえ迷子で今は頼るあてが灯入とティータしかいない幼女であっても、男の自分が年頃の少女の前で、幼女の小用の世話をすることは勇気のいることだった。
せっかくティータがいるのだからここはお願いしますと考えるのが自然であろう。
「仕方ありませんわね」と言いながらティータはリーナに手を差し伸べたのだが、リーナは灯入のそばを離れようとしない。しっかりと灯入の手を握って灯入を見上げている。
灯入は、どうしたものかと考えたが。
しゃがみ込んで。
「怖くないから、お姉ちゃんと行ってきなさい」
と、後押しをした。
リーナを安心させるために「行ってきなさい」の後に「見ててあげるから」と言おうかとも考えたが、取りようによっては危ない人とも取られかねないので踏みとどまった。
素直に手を握ってくれないリーナに、ティータも内心ではショックを受けているようだが、必死に笑顔を作ってリーナに手を差し伸べて続けている。
ティータの笑顔を見て、灯入の行ってきなさいという顔を見て、リーナはおずおずとティータの手を握った。
その時灯入は、かなりヒヤヒヤものであったのだが、ティータの笑顔が少し自然になったと感じ、安心したのであった。
小用が済んで灯入の所に駆け寄ってきたリーナは、灯入の手を握ると恥ずかしそうにティータにも手を差し出して、手をつないでほしいという顔をする。
今度はティータが嬉しそうに照れながら三人で手をつないで歩き始めた。
先ほどリーナが「トーイおにいちゃん」と言ったことを思い出したティータは、そういえば編入してきた異世界人の名前が「トーイ」だったと気付き、そういえばまだ自分の名前を二人に告げていない、と、二人の方を向いて名乗ったのであった。
灯入とリーナもほっとしたように名乗り返した。
「わたくしはティータよ」
「リーナ」
「俺は灯入だ」
その後も歩きながらリーナの母親を探した三人だったが、結局見つからずにティータに案内されて近くの王国軍詰所にリーナを連れて行った。
王国軍の軍務は魔獣や敵国に対して軍事行動を取ることと、都市の治安を守る警察活動である。
戦争はここ一〇〇年ほど起こっておらず、トリスティアの王国軍人に戦争経験者はいない。
よって、農村部や都市部を魔獣の脅威から守る事と都市の治安を守る警察活動が軍務のメインとなっている。
警察活動では当然のことながら犯罪への対応や、拾得物、遺失物への対応なども含まれ、迷子の捜索などもこれに含まれる。
運がいいことに灯入たちがリーナを連れて行った王国軍詰所には、リーナの母親が来ており、リーナ捜索の手続きを行っているところだった。
母親の姿を確認したリーナはうれし涙を浮かべて一目散に母親に駆け寄った。
灯入とティータは互いに見合って、良かったと安堵し、リーナの母親はリーナを抱きすくめながら灯入たちに何度も何度も礼を言っていた。
「見つかってよかったね」とリーナに声をかけ、立ち去ろうとした灯入たちだったが、リーナの母親の対応をしていた王国軍の担当者から呼び止められ、リーナ捜索完了の報告書に、リーナを見つけて連れてきてくれた灯入たち二人の名前が必要だということで、二人は学院の学生証を提示したのだった。
「トーイ・イリフネさんと、ティータ・フォーマルハウトさんですね。ご協力感謝します。ティータさんはもしかして、カノープ・フォーマルハウト中将のご家族ですか?」
「ええ、カノープはわたくしの父ですが、なにかありまして?」
ティータの問いかけに慌てて他意はないと恐縮した担当者は、ご協力ありがとうございます。
と言って、書類を持って詰所の奥に消えて行った。
王国軍詰所からの帰り道、方向が同じだということで、連れ立って歩いていた二人だったが。
「捜索する前にリーナが見つかったんだから報告書必要無くね?」
「あれは詰所の軍人さんが、きちんと仕事をしていますよという、点数稼ぎの報告書ですわ」
「なるほどね、どこの世界も警察のやることは同じってことか」
「ケーサツ、とはなんですの?」
「ああ、俺たちの世界の治安維持部隊みたいなもんだ」
「そういえば、トーイ殿は異世界から来られた方でしたね。ずいぶんお強いとか、噂になってますのよ」
ティータの顔が今までのすました上品なものから、何やら悪いことを考えている顔に変った。
灯入は、ああ、この人もリゲルさんと同類か、と頭が少し痛くなるのであった。
ティータの問いに灯入は「へー、そうなんですか」とあまり関心が無いような感じで言葉を濁した。
ティータは少し憮然としている。いや、目が怒っている。
結局そのまま「ふんっ」と澄ました顔に戻してティータは足早に帰って行った。
失敗したかなー、などと考えながらものんびりと歩いていた灯入は、そういえば今日は俺たちの歓迎パーティーだった。
と思い出して早足に家路を急いだ。