第八話:失脚
まだ世の人々が寝静まっている日の出前、星明りが支配する夜空を、はがき大の紙が列をなして静かに滑空していった。
やがて、トリスティア王国国王が寝ている寝室のドアが、音もなく僅かだけ開かれる。
その、小指の太さほどの隙間から、複数の小さな虫に食わえられたはがき大の紙が、横に立った状態で列をなして侵入してくる。
その光景は、まるで大きな葉切り蟻が、木の葉を運ぶ隊列のように見えないでもない。
隊列はふかふかの絨毯が敷かれた寝室の中央に集合すると、運んできた紙を放棄する。
はがき大の紙を運んできた小さな虫たちは、一匹を残して静かに王の寝室から出ると、ガチャリとドアを閉めて何処かへと飛び去って行った。
明けて早朝、総理官邸の門前に、白いボディに緑の従事マークが入った一台の救急車が静かに停止した。
救急車からタンカを持った男たちが飛び出し、官邸内へと入っていく。
一〇数分後、タンカに乗せられて運び出された総理大臣が乗った救急車は、総理官邸の門前から朝もやの立ち込める道へと消えていった。
総理大臣が急病で倒れるというニュースが、その日のうちにトリスティア国内に流れることになったが、もちろん、彼は病気で倒れたのではない。
強制的に魔術で眠らされ、身柄を拘束されたのである。
彼が拘束されるまでの状況を掻い摘んで説明すると、以下のようになる。
寝室のドアが閉まる音で目覚めた国王は、床の絨毯に散らばっている一〇数枚の写真に気が付いたのだった。
国王はその中の一枚を拾いあげると目を見開き、残りの写真も拾い上げてベッドに腰を下ろした。
しばらく写真を見ていた国王は、立ち上がると、緊急用の魔術式通話機を取り緊急コールをかける。
魔術式通話機の向こうから聞こえてきた声は近衛隊長のリゲルのものであった。
『リゲルよ、不測の事態が起こった。今すぐ予の寝室へと参れ。なるべく人に感付かれるな』
王からの緊急コールを受けたリゲルは、まだ星明りが残る時間に家を飛び出し、王城へと急いだ。
国王の寝室で驚愕の真実証拠と共に伝えられ、王命を受けたリゲルはすぐさま寝室を飛び出し、王城に配備してある救急車に乗って近衛隊詰所へと向かった。
近衛隊詰所に詰めていた近衛隊員を数名叩き起こすと、救急車に再度飛び乗り総理官邸へ乗り込んだのである。
わざわざ救急車まで用意して彼を急病に仕立てたのは大人の事情である。
なにせ一国の総理大臣が諸悪の根源である悪の親玉だったとは、王国の面目を保つ意味でも諸外国や王国民に対して公に出来ることではなかったのだ。
尤も、彼の総理大臣に対しては、黒い噂が絶えることが無かったこともあるので、国王としては彼が失脚したことに対して、安堵していることもまた事実である。
ずいぶんと省略したのも事実であるが、以上が総理大臣拘束までの大まかな経緯である。
ちなみにこの時の王命はこうであった。
「総理大臣が急病で倒れた。至急総理官邸へ出向き、総理大臣を城壁地下施設へと入院せしめよ」
城壁地下施設とは、凶悪な政治犯や重大な罪を犯した社会的に身分の高いものが幽閉される施設であり、王城城壁の地下深くにあって、近衛隊詰め所と連絡している。
国王からの緊急コールは、近衛隊長、王国軍元帥、そして総理大臣へと繋ぐことが出来るのだが、ヘイゼル元帥はポートジニアで、麻薬密売組織壊滅作戦の総指揮を執っている。
総理官邸へと繋がないことは言わずもがな、近衛隊長であるリゲルへと繋げたのだ。
尤も今回の要件が総理大臣の拘束ではなかった場合だったとしても、国王は旧知の間柄であるリゲルへと緊急コールを繋いでいたことになったであろう。
この後、拘束された総理大臣がどうなるかは未確定であるが、ここまでは、灯入とコハルの立案した作戦通りに進行している。
総理大臣がリゲルによって拘束された深夜、灯入とコハルは戦況の確認を行っていた。
『うまくいったわ、総理大臣が拘束された。ここまでは予定通りね』
『それにしてもまさかリゲルさんが動くとは驚いたよ。次は、マフィアの幹部たちがどう動くかだね』
『ええ、今も監視を続けているけど、今のところ動きはないわ』
『密売組織の方は?』
『今は本拠地に身を潜めて沈黙を保っている。けど、麻薬の精製は続けているよ。それに、中和薬の精製も合わせて行われているわ。きっと私たちの血で精製した中和薬の効果に味をしめたのね。中和薬の効果が薄くても無いよりはマシだろうし、中和薬の代金でも儲けられるからね』
『誰の血を使ってるのさ?』
『人身売買の組織から連れてこられた人たちね。たぶん一般の人より魔力が弱いんでしょう』
『俺たちの血が手に入らないからって、そんなことを…… ますます許せないな』
『ええ、彼女らは私たちの身代わりみたいなものだからね――』
麻薬密売組織の余りにも身勝手な動きを知って、彼らへの怒りを新たにした灯入とコハルであった。
総理大臣がリゲルによって王城の城壁地下施設に拘禁されてから三日目、ついに状況が動き始めた。
深夜、トリスティアンマフィアの幹部たちが、ポートジニアにある、とある事務所の地下で一堂に会したのだ。
場所がポートジニアに選ばれたのは、勿論麻薬密売組織のトップがポートジニアを動けないからであった。
彼は、自分の立場を上手く利用して、トリスティアンマフィアの幹部たちを、ポートジニアの会合場所へと安全に案内したのだ。
彼らの話し合いは明け方近くまで続けられたが、このときは結論が出ないまま終了となった。
会合は一日おきに都合四回行われ、とうとう合意に至ったようだ。
しかし、この合意内容は灯入とコハルが予測していた展開とは異なるものだった。
彼らは、争うわけでもなく、静観を続けるわけでもなく、旧トップを奪還しようとすることもなかった。 トップを失ったトリスティアンマフィアであったが、新しいトップを、争うことなく話し合いによって決めてしまったのだ。
当然、只すんなりと新トップが決まった訳ではないが、結論を言うと、全ては金の力で事が収まったのである。
アシェの密売で資金を潤沢に溜め込んだ麻薬密売組織のトップが、トリスタンマフィアの新たな長に納まったのである。
ある意味当然の結果なのであろうが、世の中どこへ行っても金の力は偉大なのである。
作戦計画に無い状況となったわけだが、この状況は灯入とコハルにとってかえって好都合であった。
なにせ、新たなトリスティアンマフィアのトップと、麻薬密売組織のトップを同時に攻略できるのである。
実質的には作戦の第一段階は完了してしまったことと変わりないのであった。
ただし、今すぐに計画の第二段階へと移行することは出来ない。
なぜか、予定よりもかなり早く計画の第一段階が完了したことにより、第二段階と第三段階の準備がまだ終わっていないからである。
よって、灯入とコハルは準備を進めながら、今しばらく通常の学院生活を送ることとなる。
尤も、ここ最近は連日の状況把握とひそひそ会議などに時間をとられ、まともな睡眠を殆ど取っていない。
結果的に、疲れから、いまだに続けている早朝訓練や、学院での活動において灯入の動きに切れがなくなってきていたのである。
このことは、同好会の仲間達やリゲルにも既に感付かれており、灯入は体の調子が悪いのか? 病気でも患ったかと仲間達を心配させていた。
特に、ティータとエリーネが、我も我もと灯入の世話を焼いて来るので、別の意味でも気苦労が耐えない灯入なのであった。
なんにせよ、これで暫くの休養が取れると灯入とコハルは、この予定外の結果に心身ともに癒されることとなったのである。




