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《この事は私から防衛省に報告する。決して口外、もとい露呈するな》
上官殿の凛然とした声が告げる。敵の中に私達と国を同じにする者がいて、この作戦の邪魔をしてきた事はやはり上官殿も息をのんだ。とは言え、国内にいるからと言って自国民であるとも言い切れない。他の国の人間がこの国から攻撃を仕掛けたとも考えられる。その可能性を上官は力んだ声音で私に告げた。そしてしばしの沈黙の後、彼はこう言った。
《本当なのか》
彼も不安なのだろう、何かの間違いであってほしいという気持ちも分からなくはないが、れっきとした事実だった。私が無言でいると上官殿も理解したらしく、通信を切った。
「おもしろくなってきたもんだ」
と彼は言う。彼からしてみれば、この世界の事なんてどうでもよくって、映画でも見ているような気分なのだろう。
「ソマリアと中国、か」
タバコ(ピース)の副流煙がゆらゆら揺れるのを眺めながらそんな事をつぶやいた。そこに繋がりなど一つもないように思える。過去の歴史を彼に集めてもらって見てみても、ソマリア海賊にほとほと困った国の一つである中国がソマリア海域に海軍を送り込んだことくらい。経済支援や、外交関係に関連する資料を見つけ出す事は出来なかった。
「眠れる獅子、重い腰を持ち上げる、か。そろそろ、本気で動くんじゃねぇか?」
と彼は意味深な事を言う。私はどういうことだと聞くと、彼はしばしの沈黙の後、こう切り出した。
「奴らはこうなる事を予見していたのさ。産業革命が起こるずっと前、サイバー空間が、いや、ネットワークが生まれる頃からな。なぁ相棒、なんで中国があんなにネットを規制するか、分かるか?」
私は少し考えてから、
「国としての威厳を保つ意味もあるんだろうが……」
とありきたりな答えを出した。彼はそれもある、と付加的なニュアンスを込めながら言う。
「作戦を考案し、それを実行に移す際、もっとも考慮しなければならない事は」
「情報の露呈を防ぐこと……つまり何か計画を立案していた、と」
「さて。一体どんな機密が漏れる事を恐れたんだと思う?」
私にはわからなかった。そもそも、中国という国がどんな歴史の上に成り立っているかという事さえも知らないし、関心もなかったから、ハッカー時代の『中国はヤバイ』という事くらいしか印象にないのだ。その、ヤバイ、というのはなんなのかも当時は分かっていなかった。私は肩をすくめてタバコ(ピース)を口にくわえた。
「そいつはな、中国台頭時代を築くことさ」
そんな突拍子な返答に私は吸いこんだ主流煙が食道へと入り込むのを自覚しながら咳込んだ。思わず涙ぐんで、嗚咽する。
「じょ、冗……談、よせやい」
「いやいや、冗談じゃあないってな」
笑うでもなく、馬鹿にするでもなく、声そのものはいたって真面目そのもの。合成音声のなめらかさでつやのある、人間味の帯びた声音が本気だという彼の言葉とは裏腹に、嘘っぽく聞こえる。
「なんだって、中国が台頭だって? どこからそんな言葉が出てくるんだ」
「よう相棒、昔ハッカーだったなら知っているだろう。『中国はヤバイ』ってぇ言葉」
「ああ……知っているが、だから?」
「そいつはなぁ、そういう事なのさ」
「どういうことだ」
「中国の時代ってこった。奴ら、何十年も前からこの機を狙ってたのさ」
大量に舞い散り、ズボンに降りかかった灰を振り落としてチェアに座り込んだ。
「ソマリアの作戦はな、相棒、仕組まれてんのさ」
私はタバコ(ピース)をもみ消し、youtubeへとアクセスする。少し音楽を聴いて落ち着きもしなければ、彼の言葉が何か私を縛り付けそうで怖くなったのだ。
「仕組まれてるだって? 馬鹿な、あの大統領襲撃は世論の結果だぞ。市民がイスラム法廷会議アル・シャバブ派を支持し始めて起こった、最悪の事態だ」
「ああ、全くに。市民がまさかイスラム法廷会議アル・シャバブ派を支持するだなんて誰も思いやしなかっただろうな」
そのへらへら言葉が、私に疑心を生ませた。
「……まさか、市民を動かしたのか」
しかしどうやって、と自分の言葉を問いただす。彼は何も言わない。彼はただ、この部屋に取り付けられた監視カメラから、盗聴器から、このPCに取り付けられたカメラから私を観察しているだろう。私の混乱する姿を楽しんでいるのか、それとも、共にこの問題について考えようと歩み寄っているのか、定かではないが。
「お前は……何を知っているんだ?」
「知るべき事を」
私は今まで、疑いもしなかった事を疑おうとしている。この目の前にいる、彼が、何者であるかを。本質的な事は理解しているのだ、彼が人工知能(AI)である事は。しかし、彼のいわば人格、記憶を持ちえた、人間と会話のできる初めての人工知能(AI)という、『彼』についての理解は何一つ出来てはいないのではないか、という『彼』に対する疑問。
「知るべきことって」
《おい、何を一人でしゃべっている》
とイヤホンから上官殿の声が聞こえる。気づけば連絡用無線のランプが点いていた。彼はなりを潜めて、黙り込んだ。まるで、答えをお預けにして逃げ帰る道化師のように