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作戦開始の暗号であるイレーネが叫ばれ、全部隊が作戦通りに動き始める。私もサポートのために、ワイヤレスイヤホンからマイク付きヘッドホンへと模様替えだ。
人体に内蔵されたマーカーの発する電波を各地に配備された無人偵察機が取得して解析。味方のマーカー発信源をあらかじめ用意しておいた作戦地域の立体的映像に照らし合わせ、戦場がどのように動いているかという状況の地図を即座に造り出し、リアルタイム映像として作戦司令部へと送る。司令部はこれをみて、状況を判断し、部隊長へと指令をだすという手筈となっている。今頃上の奴らは兵士が血のにじんだ地面を駆け抜けるところを表情一つ変えずに見守るのだろう。しかし、その皮肉は今の私にも当てはまるのだ。この部屋から映画ではなく、リアルの戦場をこのパイプ椅子に座りながら21インチの画面で見ている。ソマリアに住む人が何処からともなく出てきて、何処で手に入れたのかも整備されているのかも分からないようなAKをぶっ放している様も、スコープに捉えられた瞬間に撃ち抜かれる様も、撃たれた仲間を盾にしながらでたらめにAKを撃ち続ける様も。全てが画面の向こうで起こっている事。海を渡った先で、一分も誤差なく起きている現実なのだ。
戦場の在り方が変わる……。その場でなくても、こうして遠い場所から戦場を見る事が出来る。ホットコーヒー片手に、深々とソファに座りながら見る事が出来る。
そして、こうして遠い場所からその戦場に関わる事が出来る。今、私がしているように。
私は次にソマリアへの変電所へとハッキングを仕掛ける。さすがに、ここにはガードの堅い対侵入電子プログラムが地雷のごとくふんだんに敷かれており、一つでも間違って踏めばこちらのあらゆるデータがダダ漏れになる。そして、私はその場所に“わざと”踏み込んだ。途端、画面の左上にブラックディスプレイが映し出され、とてつもない速度でデータが引き抜かれていく。
(これで良い……)
今流出させているデータは架空の物で、ある特定のプログラムも組み込んである。勘の良い奴ならその違和感に気付くだろうが、そういった手合いのプロは向こう側にはいないだろう。それに、防ぐにしてももう遅い。引き抜かれ、相手のPCの中に入り込んだ時点でプログラムは起動し、自動で繁殖する。PCをフリーズさせるこいつを止めるには少しばかり時間がかかる。
だが、私の狙いはもっと別にあった。本当の狙いは、監視カメラの管理を行っている企業だ。今、作戦が行われている地域の監視カメラは全て向こうの手の内にある。それを全て機能停止ないしはこちらの物にしてしまえば、状況は確実にこちらへと傾く。しかし、相手もそれを分かっているだろうから、私はあえて変電所へのハックを仕掛け、そちらに注目を集めさせておいたのだ。変電所は当然重要施設であるから、護りに必死だ。
案の定、変電所へと送ったプレゼントに釣られて監視カメラの所有企業のプロテクトプログラム(PP)は安っぽくて、簡単に抜ける事が出来た。あとはアクセスパスワードを〇.三秒ごとに切り替える様に設定して、時間を稼ぐことにする。監視カメラの機能を停止させた。これでアメリカ軍の動きを把握する事は難しくなったはずだ。が、それでも地の利は彼らにあるのは明白である。
次の機能を奪おうとした、その時。
《キャアアアアアアアアアアアアガガガガガ!!》
とまるで女の断末魔のような叫び声がイヤホンから耳を劈くようにして上がった。私達の扱う戦略周波数を読み取られ、ジャックされたのだ。
《何事だ》
と上官殿の声。
「回線をジャックされた。奪い返す」
地図に赤い点が点滅し始めた。仲間が撃たれたのだ。この手のジャックの意味は、連絡を絶つことの意味以上に、精神汚染の意味も込められている。戦場にいる彼らは平常時にはない緊張、興奮状態にある。しかし、戦場とはそのようなものであり、戦い慣れている者なら最低条件であり、その中で冷静に行動できるように訓練されている。しかし、いつも以上のストレスを与えられるとどうなるか。それが命取りとなるのは当然のこと。
さらに皮肉なことに、その回線は戦略的回線で、顎の骨に取り付けられた微細骨伝導イヤホンを利用するもので、イヤホン自体を取り外したり出来ない。つまり、長時間あの甲高い断末魔を聞き続ける事となる。それが彼らに悪影響でないはずがないのだ。
「どこから……」
《キャアアアアアアアアアアアアガガガガガ!!》
「よお、相棒。IPだ、とんでもないところからの御来客だぜ」
彼がそう言って見せてきたのは、たしかにIPのそれだった。そのIPに大きな違和感を持たずにはいられない。
「ソマリアからじゃない……。このアドレスは……中国のだ」
ブラック・バスは世界各国のハッカーを集め、世界規模のサイバーテロをなしている。なら、IPが中国でも妥当な訳だ。
IPがこの場所までたどり着いた足跡を、見落とすことなく、忠実に追いかけていく。足跡を踏みにじる様にして相手へとにじり寄っていく。国境など関係ない世界を縦横無尽に這いずり、駆け抜け、泳ぎ、飛んでいく。
「……見つけた」
そのIPの住所を割り出し、軍事通信衛星からのデータを照合し、その地区の市役所へとハッキング、そこがどんな場所かを盗み見る。結果は一軒家、三人家族のいたって普通の民家だった。違和感が腹の中で膨らんだ。
「ハッキング痕だ」
彼はそう言うとそのハッキング痕へと攻撃し始めた。隠ぺいが甘かったのか、瘡蓋のようにして隠されていたハッキング痕が現れ、引き剥がしてその中へと彼は突っ込んでいく。あらゆる国のサーバを中継し、やがてたどりついた場所は、
「……アメリカ」
この国だった。衝撃に目を見張り、一時的に手の動きが止まる。しかし、次の瞬間には無意識のうちに手が動き始め、ジャック犯のメインPCへと攻撃を図る。案外あっけなく攻撃は通り、相手からの攻撃は途絶え、回線が回復し、断末魔の主がついに事切れた。
「上に言うか?」
と彼は聞いてきた。
「まだだ。作戦終了後だ」
「了解」
《よくやった》
上官殿の褒め言葉。彼が、いや、彼だけでなくこの作戦に死力を尽くしている者たちが知れば、どういう反応を示すだろう。その場の誰もが自らの正義を信じて、戦いに赴く中、敵中に自分たちの国の者が支援しているという事実を、彼らはどう受け止めるのだろうか。
《EA、及びEPを開始する》
その合図を境に、自軍のサイバー部隊が一斉に支援を開始する。部隊の人間の戦闘服に取り付けられた小型機器によって電波妨害を引き起こす。さらに、作戦中にところどころに設置された携帯型組み立て式EP装置の存在により、敵軍からのEA及び友軍のEAからの影響を護り、作戦を有利に進める事が出来る。
「来るぜ」
彼が言う。たくさんのプレゼントを背中にしょってると。
「分散型サービス拒否妨害(DDoS)攻撃か。素人らしい」
第三者にハッキングを行い、これに目標へと大量のデータを大量に送信し、過負荷を与えて機能を停止させるやり方だ。かつて、有名な企業、ソニーという会社がハッキング組織、アノニマスにDDoS攻撃を受け、更には一億人にも及ぶ個人情報が流出したという話は有名な話だ。
それだけじゃない。それ以前にもサイバー戦は始まっていた。だから、アメリカはサイバー攻撃を戦争行為とみなすようになったし、陸、海、空、宇宙にくわえてサイバー空間を第五の戦場として認識した。イメージしにくいかもしれない。人の死ぬ場面を想像できないだろう。けれど、一つの間違いで重要な機密が引き抜かれ、用意周到に対策が立てられ、行動の一切が無に帰すという事を考えれば、それは一人の死の重大性と、大量の死を悲惨性をごちゃまぜにした、国の死が垣間見える。
「想定内だ」
「どうする」
彼が訊いてくる。
「誘導する。やつらを嵌めるのさ」
「できんのかい?」
「お前がいる」
「そりゃ栄光の極み」
「やってくれるな?」
「任されて」
予め用意しておいた疑似メインPCへのアドレスのリンクを、プレゼント(データ)をしょい込んだサンタクロースのルートに敷いておき、奴らを誘いこむ。そして、大量のプレゼントを、廃棄され、人類の記憶からも既に消えつつある企業のPCへと落としていく。そこに、喜ぶ子供の影がない事も知らずに。与えられた命令だけをこなす人形には、その事を理解できないだろう。そこに誰もいなくても、ただただ命令に従い、誰もいない家にサンタクロースが煙突から入り込み、煤を払いながら膨らみも何もないベッドの横にプレゼントを置いていく。なんとも虚しい光景だ。
彼が罠を敷き、それに踏み込んだサンタクロースたちは一斉に矛先の向きを変える。去っていくサンタクロースを見送る―と言っても文字でしか表わされていないが―と、次の作業へと取り掛かる。
IPの川だ、と思えるほどの大量のアドレスが私のディスプレイに映し出された。その流れを遡り、源泉へと向かうために私はソフトウェアを起動させる。それこそ、私がDDoS攻撃のカウンターのために作り上げた物、分散型策敵ツールで、IPが通ってきた多数の道のりを辿る様にして自動追跡する代物だ。起動すると同時に表示されたIPへの逆算が開始される。解析結果は三十秒ほどで出て、いたって簡単な解析結果だった。その簡単な結果に、私は自分の背筋が凍りつくのが分かった。
「……全部中国だ。この戦いを、中国が見張ってる」
その違和感に私は激しい焦燥を覚えた。世界各国から集められたはずのハッキング集団、もといサイバーテロ組織であるはずのブラック・バスの攻撃だと思っていた私は、この国名を目にして恐怖に戦慄いた。中国の名前が出てくるのはおかしくはない。おかしいのは、DDoS攻撃を行った"全て"のアドレスが中国だった事だ。
中国がアメリカに攻撃を行うこと自体は少なくはない。かつては国防総省へのハッキングを行い、データを盗むという行為まで行ってきた国だ。だから、中国がハッキングを行う事自体には違和感はない。しかし、状況が状況だ。ソマリアと中国なにかしらの関係があるとしても、彼らがソマリアに加担する理由が見当たらない。
この行動が何か重要な意味をもたらすのではないか、ということに私は恐怖した。私の知らないところで、何か大きなものがうごめいていて、一つ間違えれば綺麗に奈落の底へと落ちていく、そんな事を感じていた。
「珍しくもない、中国からか」
彼が陳腐にそんな事を言うもんだから、私は少しばかり安堵して息を吐いた。
「が、気ぃつけた方がいい。眠れる獅子ってのはこえぇもんだ」
そんな彼の声が、妙に真剣めいていた。実際は合成音声だから感情のこもっていないなめらかな声だったけれども、ファンの回る音だけが響くこの部屋で、ましてこんな状況でそんな言葉を聞いたらまともに受け取るしかなかった。
「一枚噛んでる、と」
「分からん。が、攻撃を仕掛けてくるところを見りゃあ、何か目的があると思うのが普通だろう」
沈黙が降りる。陰謀めいた何かが、私の前に降り注ぐようだった。思考が停止したのが客観的に分かった。
大きな産業革命期を迎え、経済的にも技術的にも飛躍的に進歩した国は、かつての影を打ち消すほどの輝かしく、眩い黄金期を迎えていた。それでいても、彼らはそれまでのネット規制を緩める事はなく、ある意味ネットワーク上の鎖国状態に陥っていた。情報発信する際には検閲がかかり、国のイメージ、秩序、法律が乱されるような情報ではない事が確認され次第、その情報はネット上に掲載される。情報を受信する際も同じ事だ。つまり、そこには情報の自由がない。全ての情報は国によって管理され、国にとって有利な情報だけがネット上に掲載され、情報の正確性が失われた、一方向性情報とも言うべきものだ。
そんな規制があるからこそ、中国という国は他国からの侵入を許さない。著しく強化されたサイバー戦部隊は他国からの侵入を防ぐだけでなく、そのカウンターこそが脅威であり、他国を驚かせ戦慄させる。眠れる獅子、とはこのことだ。眠りを妨げられた獅子は猛然と敵意を向けるものへと向かい、その喉元を食いちぎる様にして相手の情報をもぎ取ってくるのだ。
《イスラム法廷会議アル・シャバブ派の代表を捕獲》
部隊からの通信。ディスプレイに映る地図を見ると、部隊が確保後の目的地へと向かい始めている。
《よし。サイバー部隊はこのまま支援を》
私は首を振り、さっきまで考えていた事を頭の中ら排除し、作戦へと集中する。そして、作戦は成功。かつての呪いから解き放たれるように部隊は無事帰還する事に成功したのだった。