第6話 古書店デート
「メリンダ、よかったら今日は出かけないかい?」
シリル様のお休みの日、朝食を食べている時にそう言われた。
「あれ、今日は領地の勉強の続きじゃなかったでしたっけ?」
料理長の作ってくれたふわふわのオムレツを食べながら、目をパチパチさせた。
伯爵家で食べるものはなんでも美味しくて、いっぱい食べてしまっている。
スカートが履けなくならないように、セーブしなくちゃ…。
それにしても、どうかしたんだろうか。
出かけるって、夜会…な訳ないか。
だとしたらもっと前もってわかっているはずだし。
社交ならそれこそ出かけていないで、勉強したり、練習したりした方がいいよね。
領地を見に行くにしても、何日もかかるし。
なんだろう?
「いや、なんだね。ちょっと、行きたいところがあるんだよ」
「それならお留守番していますよ。せっかくの休日なんですから、ゆっくりしてきてください」
「…そうか」
シリル様は珍しく歯切れ悪く、相槌を返した。
あれ、変なこと言ったかな?
深く考え出す前に、シリル様の声が届いた。
「…では、お土産は何がいいか。古書店に行くから、何か欲しい本があったら買ってくるよ」
「古書店…!」
お行儀が悪いので、身は乗り出さなかったが、いつもより大きい声が出てしまった。
魅力的な響き…!
嫁いできてからは家の図書室が充実しすぎていて、自ら本の調達に行っていなかったけれど、耳にしたら久しぶりに行きたいかも…。
最近は隣国のものばかり翻訳しているし、たまには違う国のものもいいよねえ。
シリル様は目を細めて、顎に手を置かれた。
「そうなんだよ。『トウガキ古書店』という店でね、専門書ばかりなんだが」
「トウガキ古書店って、あのですかっ!?一見さんお断りの!?」
「ああ、そうだよ。やっぱり知っていたんだね、メリンダは物知りだなぁ」
「王都で入れない本屋さんとして有名ですもん!」
私は立ち上がりたい衝動を抑えて、なんとか大人しく座っていた。
トウガキ古書店は、王都の奥まったところにある小さいお店だ。
人気の店というわけでも、ものすごく繁盛している店というわけでもない。
それでも本好きたちは、一度は訪れたい店として有名だった。
その一番の特徴と言えば、トウガキ古書店に行ったことのある人の紹介でないと、お店に入れないところだ。
なんでも今や手に入らないような本、古すぎて読める人間の限られている本、宝石以上の値段のする本など、とにかく普通の本屋さんや王宮図書館でもお目見えできない本が勢揃いしているらしい。
そんな噂だけは聞いたことがあるものの、当然入れたこともなく、どうやったら入れるのだろうと考えたことのあるお店だった。
「仕事関係でお世話になっていてね。今日もその相談に行こうと思うんだよ」
「トウガキ古書店…」
「ふふふ。メリンダが、興味があるなら一緒に行こう」
「い、行ってもいいんですかっ!?」
もうダメだった、立ち上がっていた。
淑女としてあるまじき行為だが、シリル様はくすくす笑うだけだった。
それどころか、優雅に微笑むと、当たり前だと頷いた。
「もちろんさ。どうかな、奥さん。一緒に古書店に出かけるというのは」
私はさっきと言ったことを覆して、元気よく返事をした。
「ぜひ、連れて行ってくださいっ!!」
それからというものの、マーサたちの手伝いで身支度が始まった。
「急に誘ったんだから、気にせずゆっくり支度しておいで」と言われたものの、あまりお待たせしたくない。
「奥様、何色のお洋服になさいますか?」
「マ、マーサ」
「はい、奥様」
「私、その、男の方と出かけたことがないのだけれど、どのように選んだらいいのかな?」
鏡越しに映るマーサと目が合って、早くもヘルプを要請した。
マーサは、あらまあと驚いたあと、うんうんと頷いた。
「何でも良いのですよ、奥様のお好きなものにしたら」
「シリル様の隣に立つのに、おかしくない格好がいいもの…」
「奥様が一緒なら、旦那様もご機嫌でしょうに」
「そうかなぁ。古書店について行きたいなんて、わがまま言っちゃったし。せめて邪魔しないようにしたいけど」
「奥様が邪魔なはずあるわけないじゃないですか!」
マーサの言葉に、私の部屋にいた使用人が全員うんうんと頷いた。
「旦那様はあれで意外と、物事に対してははっきりしていますのよ。ついて来て欲しくなかったら、最初から奥様をお誘いなんてしていません」
そういうものか。
なんとなく、私が喜びそうだからと誘ってくれた気がする。
気を遣ってくれたのかと思ったけど、シリル様が嫌じゃないならいっか。
「古書店での用事が終わったら、街を散策するのもいいでしょうね」
「シリル様はお忙しいから、連れ回したりしないと思うよ?」
「何言っているんですか!奥様は新婚なんですから、遠慮しなくてよいのですよ!」
「えええぇ?」
そんなんじゃないんだけどなぁ。
ただ、シリル様も私と一日中一緒にいなくてもいいかなって思っただけなんだけど。
私は…、一緒にいられたら嬉しいけどさぁ。
「旦那様は多少ボーッとされているところがありますし、連れ回すくらいがちょうどいいですよっ!」
マーサの言葉に、またもや部屋の使用人全員がうんうんと頷く。
さっきよりも力強く頷いている。
「よし!街を歩かれるなら、重たくないドレスがよいでしょうね!そうしましょう!」
マーサはそう言い切ると、クローゼットに楽しそうに向かった。
まだ街を散策すると決まっていないのに、その方向で話が進んでいく。
心なしか、使用人の動きがよりテキパキと動いていく。
「こちらの黄色いドレスか、紫色のドレスがよいかと思います」
そう言って用意してくれたのは、この家に嫁いできた時にはもうクローゼットにあったドレスだった。
これだけに限らず、必要以上にドレスも装飾品も揃っていたことに驚いたのは、記憶に新しい。
シリル様も「我が家に来てくれたんだ、これぐらいは普通だよ」と言うだけだった。
私も一応、お父様が持たせてくれたものがあったけれど、伯爵家のものはもっと上質だった。
すごく恐れ多かったけれど、断る理由もなかったし、何より私が受け取らないとじゃあこれらはどうすんだということになるので、大人しく受け取ったものたちが今日はじめて役に立ちそうだ。
私、嫁いできてからますます引き籠もりだもんなぁ…。
私としてはそれで全然問題ないどころか、ハッピーだけど、このドレスたちは使ってあげないと可哀想かもしれない。
2つのドレスを見比べて、どちらがシリル様の隣に立っても変じゃないかを考える。
…多分、シリル様と調和するのは紫色だと思う。
美的センスに自信がないから合っているかはわからないけど。
でも、でも…、紫はっ…。
シリル様の瞳の色すぎる…!!
夫の色を纏うのは、全身で『私はこの人のものです!』もしくは、『私のものですのでお近づきにならないでください』アピールにしか見えない!
いやそんなことはないし、そんなつもりもないけど、それにしか見えない!
居た堪れないっ!
これで街を歩くなんて無理よ!
素っ裸で駆け回った方が、まだいくらかマシじゃない…!?
世の中の愛し合っている男女というのは、すごいことをやり遂げていたんだなぁ…。
「…黄色のドレスにしようかな」
私の消え入りそうな声とは違って、マーサたちはにんまり笑顔で支度をしてくれるのだった。
「さあ、おいでメリンダ」
「な、なんか足が震えてきた気がします」
「ははは、大丈夫だよ。店主は少し気難しいが、悪い人ではないから心配いらないよ」
黄色いドレスを纏いながら、コクコク頷いた。
シリル様は微笑みを携えて、トウガキ古書店の扉を開けた。
カラン…。
ドアのベルが鳴って、その奥は仄かに灯りがついているだけで暗かった。
「すごい…、本の魔窟だ…」
想像していたよりもずっと、本が密集していた。
カウンターの上にも、入りきらなかったのか床にも本が平積みだ。
あと、掃除をしていないのか、かなり埃っぽい。
綺麗なドレスのご令嬢が来たら、さっさと逃げ出してしまう場所のようだ。
でも、紙とインクの匂いも詰まっている。
…素敵、本だけの隠れ家みたい。
店の中がぎゅうぎゅう詰めで、棚と棚の間は果たして人が通れるのかというほど狭い。
他のお客さんはいないみたいで、静かだ。
というか、店主も見当たらなかった。
「くふふ、いい表現だね。この店だったら、奥で悪魔召喚をしていても驚かないな」
シリル様は、肩を震わせながら進んでいく。
「足元、気をつけてね」
「は、はい」
シリル様に言われるままに、足元を見て歩く。
今日は特に慣れていないドレスだから、平積みの本たちを倒しでもしたら困る。
私はドレスの裾をなるべく折りたたんで、シリル様の後をついていった。
棚にもびっしり本が詰まっている。
これ、本は引き抜けるのかな…?
「ネイデン〜、いないのかい?」
シリル様が奥の方に向かって声をかけたが、返事はなかった。
「いないんですかね?」
「店が開いているから、いるにはいると思うんだが…」
「なんだあ、見たことない奴がいるじゃねえか」
上から声が降ってくるなあと、声の方を見上げると、棚の上に人が寝ていた。
「!?」
えっ、そこで寝られるの…?
無精髭に、モジャモジャの髪に、なぜか白衣姿の男性がこちらを見下ろしている。
「ネイデン、そこから落ちても介抱しないよ?」
「うちはお嬢ちゃんの来る場所ではないよ。しっしっ、帰んな」
「彼女は私の連れだ。邪険に扱わないでくれ」
「んああ?司書殿の連れだあ〜?」
ネイデンと呼ばれているその人は、どこからかルーペを取り出して、私のことを見てくる。
…さ、査定でもされている?
この店の出入りに相応しいかどうか、とか…?
見た目で判断されたら終わりだ。
ドレスがかろうじて、私を貴族らしく見せているだけなのだから。
「…本当に連れなのかあ?司書殿が、人を連れてきたことなんてねえじゃねーか」
「彼女は私の妻だよ。再婚したんだ」
妻…!
つま、妻か、そ、そうだよね。
家族以外にそう紹介されたのは、はじめてかもしれない。
なんか、鼓動が速くなった気がする。
「そりゃあまた、珍しいこともあるもんだあ。司書殿は女に興味あったんか?」
「なんだい、その下世話な物言いは」
シリル様が眉を顰めて、やや低い声色で嗜めた。
あんまり見たことないシリル様で、ちょっとだけびっくりする。
シリル様も、不機嫌そうにされたりするのね。
「あんたはオイラと同じで、人間には興味ないのかと思っていたのに」
「まあ、他の女性だったら興味を惹かれなかったかもしれないが、メリンダはなかなか興味深い人なんだよ」
「そのパッとしないお嬢ちゃんがかあ〜?」
「私の妻を愚弄しないでいただきたいね」
シリル様がキッパリと強い声で言うから、それにもちょっと驚いた。
シリル様の意外な一面ばかり見る…。
でも、私が知らないだけで、シリル様は名家の当主様だ。
こうやって、強く言ったり、誰かに指示を出さないといけない時もあるだろう。
そういう時は、今みたいな感じなのかも。
ネイデンさんに、じとーっと見られながら、私は一礼しておいた。
挨拶は大事よね、うん。
目線を下げた時に、平積みの本の表紙が見えた。
その中の表紙に釘付けになって、一瞬固まった。
それから勢いよく、シリル様の方に振り返った。
「シリル様!砂漠の国の本がありますっ!」
私の声が弾んでいたからか、はたまた同じく興味が湧いたのか、シリル様の口が弧を描いた。
「おや、それはまた珍しいものを見つけたね」
「しかも、『歴代の王族の失敗談』ですって!」
「おやおや、とんでもないものをまとめたものだ」
「たしか、砂漠の向こうにある小国でしたよね?」
「ああ、我が国からだと半年以上かかるかなぁ」
「へえ〜!そんなところからやってきたのか、キミはっ!」
私はしゃがみ込んで、表紙をじっくり見た。
触っていいのかわからなかったので、覗き込むだけにした。
遠いところからやってきたからか、表面はかなり擦れていた。
砂漠の国の翻訳は、今まで3冊ほどしたことがあるけれど、どれも難しかった記憶がある。
独特の文字と、使い方で、辞書を見ていても、「だからなんで?」と頭を捻ったものだ。
そもそも砂漠の国の辞書はあるにはあるんだけど、なんせ薄っぺらい。
貿易や交流がほとんどないからか、辞書自体の中身が豊富ではない。
それ以前に、砂漠の国の書物が入ってくることが少ない。
我が国では間違いなく貴重な本の部類だ。
マニアやコレクターなら、すぐにでも買い付けたいだろう。
…私も、欲しい!
それでまた翻訳にチャレンジしたい!
王族の失敗談、翻訳しがいがありますっ!!!
これは比喩表現として受け取って欲しいんだけど、今にもよだれが出そうだった。
「…なんだい、そのお嬢ちゃんは。頭がおかしいのかい?」
「ネイデン、怒るよ?」
「いやあ、だって、それが砂漠の国の本ってわかるなんて、オイラたちの同族だぜい?頭がイかれた奴だろう?」
「もう少し言い方があるだろう…」
「お嬢ちゃん、それ読めているんだよなあ?」
「え、はい。『王族の失敗談〜十三世の罪を暴くために〜』と書いてありますよ、ね?」
しゃがみ込んだままネイデンさんを見上げると、なんとも言えない顔で無精髭を撫でていた。
「…こりゃあ、たまげたな。自国のお嬢ちゃんで、それが読める奴がいるとは」
「言っただろう、興味深い女性だって」
シリル様はニヤけるように笑って、私に手を差し出してくれた。
私はハッとして、おずおずとその手を取って、立ち上がった。
…また、淑女らしくない動きを。
しゃがみ込むって、メリンダ、あなたここは草原じゃないのよ?
…お恥ずかしい、シリル様に嫌な思いさせてないといいけど。
ちらりと見た横顔は、いつもと変わらないように見える。
シリル様って、全然怒らないんだよなぁ。
今のは叱られてもおかしくないのに。
「メリンダは翻訳が好きで、他国の言語にはかなり精通しているんだよ」
「へえええ〜〜〜!?へ〜!そいつは司書殿も興味を示すわけだ」
「な、素敵だろう?」
「ああ、頭がおかしくて最高だなあ〜!」
ネイデンさんはギャハギャハ笑って、そのまま体が傾いた。
と思ったら、するりんと上から落ちてきた。
「えっ!?」
びっくりしたのも束の間で、猫のような見事な着地を見せた。
サ、サーカス…?
パンパンと手の埃を白衣で払って、ツカツカとこっちに来ると、手を差し出された。
「お嬢ちゃんはいい。これからは司書殿がいなくても、好きなだけおいで」
ニカっと笑ったネイデンさんを見て、私はシリル様にお伺いを立てた。
目線を送ると、大丈夫と頷いてくれたので、その手を握り返して握手をした。
「ありがとうございます、ネイデンさん」
す、すごいことが起きている…。
知る人ぞ知る限られた人しか入れないトウガキ古書店の入店許可まで得られて、実は心臓がバクバクしていたのだった。




