第5話 フェルナンドと読めない手紙
「…あの、どうかされましたか?」
私は、ダイニングルームで取り乱しているフェルナンド様に声をかけた。
…だって、読めない手紙って何!?
気になりすぎる!
こういう時は好奇心が勝つ、それが世の常ということで!
「え、あ、義母上…、すみません騒がしくしました」
フェルナンド様は、普段前髪をあげているけど、今日は下ろしていた。
その姿に、シリル様が重なって、親子なんだなとぼんやり思った。
いや、それにしても、『義母上』か…。
うーん、それはそうなんだけど、あまりにも私っぽくない。
無理矢理呼ばせている感が漂っていて、なんとも言えない気持ちになるな…。
「あの、フェルナンド様、私の方が年下ですので。その、呼びにくかったら、名前呼びでいいですよ…?」
「あ…、そうですね。では、メリンダさんと」
「はい。で、その、お手紙がどうかされたのですか?」
「…ああ、すみません。気にしないでください、婚約者から届いた手紙に、困っていただけですので…」
婚約者からの手紙が読めないって、何事?
うむむむ、ますます気になる…。
でも、私的な手紙を勝手に読むわけにもいかないし。
「そうでしたか。いいですね、仲が良くて」
「…いえ、仲がいいのかはあやしくなりました」
フェルナンド様の低い声が唸るようだった。
シリル様の声は男の人の割には高い方なので、フェルナンド様の声は少し怖く聞こえる。
…機嫌を損ねてしまったかしら、やらかした?
「手紙のやりとりなんて、素敵ですけど…」
「そうですね…、でもこの手紙でどうやら怒らせていることだけはわかりました」
「お、お怒りなんですか?」
お怒りの手紙、怖いな…。
何をしたんですか、フェルナンド様。
フェルナンド様は眉間に皺を寄せて、また唸るように声を絞り出した。
こうして見ていると、シリル様はいつもニコニコしてくれているなぁ…。
「多分。怒っていると思います」
「…婚約者様は、明確に怒っているわけではないのですか?」
「…お恥ずかしい話、何が書いてあるのかわからないんです」
「…?」
首を傾げると、フェルナンド様は諦めたように苦笑いした。
そして、そのまま持っていた手紙を私の方に突き出した。
「えっ、読んでいいんですか…?」
「はい、読めないので構いませんよ」
ますます意味がわからなくて、渡された手紙をそっと受け取った。
文字のある面に返すと、そこには3行だけ文章が書かれていた。
これって…。
「…くふふ、フェルナンド様の婚約者様は可愛らしい方なんですね」
「どういうことですか?」
「だって、書かれている内容が怒ってはいますけど、可愛いんですもの」
「読めるのですか…!?」
「はい、これ古代語ですよね?」
「え…、古代語はこんなに複雑な文字じゃありませんよね?」
フェルナンド様は困惑顔で、もう一度手紙を読み直した。
「一般的に習う古代語は簡略化されたものなんです。今から700年以降のものですね。それ以前の古代語はもっと一文字一文字が難しいんです。旧古代語と呼ばれるもので、今時知っている人はあまりいないでしょうし、婚約者様は随分と言語にお詳しいんですね」
私がなんでもないことのように言うと、フェルナンド様の目が点になって、それから何度も瞬きをした。
ものすごく不思議そうに、こっちを見てくる。
「メ、リンダさんは、これが、読めるんですか…?」
「ええ、書物以外の旧古代語ははじめて見ました!素敵ですねえ〜!」
思わずうっとりしていると、フェルナンド様が必死の形相で手紙を差し出してきた。
「こ、これっ、代読していただけませんか!?」
「ええ、いいですけど…。いや、やっぱりダメですね」
「えっ…」
私の言葉に、フェルナンド様は表情こそ変わらなかったけど、明らかに肩を落とした。
ふふ、婚約者様のことが大事なのが伝わってくる。
こういうところは、親子なんだなあ。
「だって、旧古代語にするだけの想いがあるはずですもの。フェルナンド様がご自身で読まれるのがいいと思いますよ」
「…でも、僕には、読めないですし」
「ふふっ、大丈夫ですよ、フェルナンド様」
「…?」
「旧古代語の辞書をお貸ししますからっ!」
私はパチンと両手を合わせて、にっこり笑った。
「どうですか、次の単語はわかりそうですか?」
「…これは、『訪問』で合っていますか?」
「合ってます、さっき調べたものと掛け合わせて『訪ねてくるなら』になりますね」
私は旧古代語の辞書と一緒に、ダイニングルームでフェルナンド様と手紙の翻訳をしていた。
フェルナンド様は、一生懸命手紙と辞書を睨めっこしている。
なんかいいなあ、こういうの。
王が残した手紙なんかの資料としてなら見たことあるけど、人の想いが詰まった手紙の翻訳に携われるなんて…!
しかも、いつもは1人で翻訳しているから、誰かの手助けになっているのが、だいぶこそばゆい。
1人じゃない翻訳も、楽しいんだなぁ。
「…これは、『許す』だ」
「ええ、そうですね。これで2行目まで完成して、ほぼ終わりですね!」
「でも、まだ3行目が…」
「3行目は単語ではないので、辞書の後ろの方をお使いください」
「…単語では、ない?」
「はい。ページの後ろには音素文字が載っていますよ」
フェルナンド様は渋い顔をされたけれど、私はそれ以上は言わなかった。
一字一字辞書を確認していくフェルナンド様は、途中でハッとされた。
「名前だ…」
「ええ、おそらく婚約者様のお名前かと思います」
「はい、『ルイーゼ・オルドリッジ』と…」
「よかった、全部翻訳できましたねっ!」
フェルナンド様は、手紙を改めて見返した。
ぎゅっと皺が寄りそうなほどに、強く握っていた。
『私、怒っているから。
大きい薔薇の花束を持って訪ねてくるなら、許してあげる。
ルイーゼ・オルドリッジ』
手紙の内容は、このようなものだった。
やっぱり婚約者様は怒っているみたいだけど、でもこれはすごく可愛いと思う。
何で怒っているかはわからないけれど、ちょっとした反撃なんだとしたら、子どものいたずらみたいで微笑ましい。
しかも、大きい薔薇の花束で許してくれるらしい。
そこまで怒っていないみたいでよかった。
「…前回の休みの日、急病が出て代わりに仕事に行ったんです」
ぽつりぽつりと、フェルナンド様は低い声を零した。
「それで、ルイーゼと約束があったんですが、すっぽかしてしまいまして…」
「ああ、それで…」
「ええ、今日穴埋めをすると伝えてあったのですが、ずっと返事がなくて。そしたら今朝これが届いて」
なるほど、それは困っていたわけだ。
「じゃあ、早く行かなくちゃですね。待っていますよ、ルイーゼ様」
「行ってきます。メリンダさん、ありがとうございました」
「お役に立てて何よりです!」
「何かお礼を…」
「ああ、いいんですよ。好きでしたことですし」
「でも…」
「じゃあ、『家族』の手伝いをしたってことで!ねっ?」
そう言うと、ようやくフェルナンド様の無表情の顔が少しだけ緩んだ。
「ありがとうございます、息子の手伝いをしていただいて」
フェルナンド様は急いで着替えて、出掛けて行った。
よかったなあ、翻訳も役に立って。
フェルナンド様とも少し打ち解けた気がするしっ。
何より、旧古代語の手紙なんて、私も貰ってみたいなあ〜〜!!
そんなことを思いながら、私は遅めの朝食を食べて、いつものように図書室に行くのだった。
「おかえりなさいませ、シリル様」
「ただいま、メリンダ」
「今朝はごめんなさい、私起きられなくて」
「あはは、いいんだよ。ぐっすり眠れたかい?」
「…はい」
…いや、そこまで眠れなかったです。
今朝はフェルナンド様の手紙のことがあって、すっかり忘れていたけど、昨日の夜、シリル様におでこを…、ああああ、考えるのはやめよう!
頬が赤くなりそうで、それ以上を考えるのをやめた。
「今朝、フェルナンド様にお会いしたんですよ」
「ああ、今日は休みだと言っていたね」
「それで、面白い事件があったんです」
「事件なのに、面白かったのかい?」
「はい!すっごく素敵だったんです!」
私がその話をしようとした時、ちょうど扉が開いた。
「あ、父上、お帰りだったんですね」
「ああ、おかえりフェルナンド」
「ただいま戻りました」
「おかえりなさいませ、フェルナンド様」
「メリンダさん、今朝はありがとうございました」
フェルナンド様は、律儀に頭を下げた。
私は、いえいえと手を振った。
「大丈夫でしたか、婚約者様は」
「ええ、驚いていました。『読めるわけないと思って、意地悪したのに!』と」
「あははっ、やっぱりいたずらだったんですね、可愛らしい〜!」
「おかげで許してもらえました。それで、これ今朝のお礼なのですが…」
そう言って、フェルナンド様は小さい花束を出した。
赤とピンクのカーネーションだった。
びっくりして、フェルナンド様と花束を交互に見てしまった。
「メリンダさんがどの花がお好きかわからなかったので、これにしてきたんですが…」
「えっ、わざわざ私の分までありがとうございます…!」
「命の恩人ですので」
「それは大袈裟では…?」
「…ルイーゼは怒らせるととても怖いんです。命拾いしました」
「ふふふ、じゃあ、そういうことならいただきますね。ありがとうございます」
くすくす笑いながらも、私はカーネーションを受け取った。
ふわっと花の匂いがして、自然と頬が緩む。
なんか、ほんとに家族みたい、…ちょっとニヤけるかもしれない。
「なんだい、随分と仲良くなったんだねえ」
シリル様が不思議そうな顔をしながら、私たちを見ていた。
「はい、これからもよろしくお願いしますメリンダさん」
「こちらこそです」
「では、僕は失礼します。また夕食で」
今朝より強張りの取れた声で、フェルナンド様は去っていった。
よかったよかった!
ルイーゼ様、許してくれたみたいで!
しかも、私までお花をいただいちゃったわ。
あとでマーサにお願いして、部屋に飾ってもらおうかな。
「…何が、あったんだい?」
シリル様の表情が一瞬曇った気がしたけど、すぐにいつもの笑みになって尋ねてくる。
気のせいだったかな?
私はカーネーションを大事に抱えながら、いつものように報告する。
「聞いてください、シリル様!私、今日翻訳でお役に立ったんですっ!」
思い出すと嬉しくて、つい声が弾んだ。
こんな嬉しい話、シリル様に早く聞いてほしいっ!
シリル様は、少しだけ間があったあと、私の頭を撫でた。
「それは興味深い話だね、ぜひ聞かせておくれ」
「はい!」
私はそのまま談話室にシリル様と向かった。
「…それで、全部旧古代語で書かれていたんですよ!」
事の顛末を話し終えると、シリル様は声を出して笑った。
「はははっ、フェルナンドはいっぱい食わされたわけか」
「もうすごくよくないですか!?怒っているのはバシバシ伝わるのに、とっても可愛らしくて!私、キュンとしちゃいましたよっ!」
「ルイーゼ嬢も、こんなに早く解読されるとは思わなかっただろうねえ。それで、『意地悪したのに!』だったのかぁ」
「旧古代語だとはお教えしましたけど、解読は全部フェルナンド様がされましたし、今回はフェルナンド様の勝ちでしたね」
「ふふふ、我が家に翻訳家がいたことが大勝利だったろうねえ」
シリル様は、可笑しそうに肩を震わせて笑っている。
やっぱり少年のようで、その姿を見てなんだかホッとしてくる。
私は喋り終えたのもあって、紅茶を啜った。
笑っているシリル様を見られるのも、嬉しいことの一つだ。
「私、今日はじめて翻訳が自分以外のためになりました」
呟くように静かにそう言うと、シリル様は笑い涙を拭ってから、鷹揚に頷いた。
「メリンダが今まで夢中になってきたからこそだね」
「そうかも、しれません」
「愚息を助けてくれてありがとうね」
「…私、なんか、こう、グッとなって、…うーん、言語を追いかけているくせにうまく言葉にできません」
「ふふふ、そのままを言ってくれたらいいんだよ」
そのひだまりの声に導かれて、私は、まとまらない気持ちを紡いでいく。
「フェルナンド様は、シリル様と一緒で、翻訳のことで嫌そうな顔をされませんでしたし、お礼どころか花までくださって。私、自分が好きでやったことだけど、よかったなあって」
「ああ」
「この胸のあたりがほわんとあったかくなったみたいで。つまりですね、翻訳が身についていたことで、自分の好き以外に嬉しいことが待っていると、思わなくて…」
「うん」
「感動、したんだと思います」
「ふふふ、とてもいい顔をしているよメリンダ」
「…どんな顔、ですか?」
「自信がついたような顔かな」
そう言って、シリル様の手が私の髪に触れた。
撫でるのではなく、頭をポンポンとされた。
その手に励まされているようで、泣きそうになった。
うん、嬉しかった。
馬鹿にされてからは隠れてするようになった大事な趣味を、認められたような気がして。
好きこそものの上手なれだったかもしれないけど、それでもうれしかったよ。
「私の奥さんは、自慢の奥さんだからねえ」
「…ふふ、ありがとうございます」
涙は見せまいと、笑ってみせた。
そうすると、紫色の瞳が見つめ返してくれる。
ああ…、シリル様に聞いてもらえてよかったな。
「…あと、旧古代語のお手紙がもらえるの、羨ましかったです」
「くふふ、メリンダらしいね」
「ロマンの塊でしたよ…!」
私がそう言うと、シリル様はやっぱり声を上げて笑うのだった。




