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偶数崇拝

作者: 緑野タニシ
掲載日:2026/02/26

 偶数は良い数字で、奇数は悪い数字だ。

 お父さんもお母さんも、先生もみんなそう言っている。


 必ず割り切れる安心の数字、平等に行き渡る平和な数字、らしい。


 「じゃあ今日は2月30日だから……出席番号30の市川さん」


 先生に指名された市川さんが黒板に向かっていく。

 昔は1ヶ月の日数がバラバラだったみたいだけど、今はキリ良く30日で統一されている。毎年末の“調整日間”というお休み期間のおかげで、困ることはないらしい。大人も子供もみんなお休みだから、どこにも行けなくて僕は困るのだけれど。


 黒板に書かれた近畿地方の図に、市川さんがチョークを泳がせながら県名を書いていく。

 “大阪県”と書いたところで教室から笑いが溢れ、先生が「人の失敗を笑ってはいけないよ」と注意した。


 しかし、“三重県”と書かれたところで先生は市川さんに対して怒り出した。みんなへの注意より、声色が一段と低い。


 「みなさんもいいですか?ここは“四重県”です。ここが教室だからいいですが、絶対に外で……特に四重県民の前でこのような間違いだけはしないように」


 その日、僕は先生の言葉を思い出しながら帰り道を歩いた。四重県が昔は三重県だったように、八福神は七福神という悪い神様だったらしい。

 最近はピラミッドは三角形か四角錐かと争われて、てっぺんを削って台形にすればいいとも言われてる。


 世界から、奇数が少しずつなくなっていく。

 それはとても良いことだ。悪いものがなくなるんだから、良いことだ。


 ふと、前を歩く2人組が僕の方へ振り返った。

 同じクラスの男子2人だ、朝倉くんと福浜くん、昼休みによくドッジで遊んでる。


 「なあ、これから“マオニ”やんだけどさ、お前も来いよ」

 「まおに?」


 朝倉くんの聞き慣れない言葉に僕は首を傾げた。そんな僕に誇らしげに福浜くんが言う。


 「マンション鬼ごっこだよ。マンションがステージだから、意外と難しいんだぜ」


 名前の通りのマオニということか。


 僕は面白そうだと頷き、あと1人はどうするのか聞いた。その途端に、後ろから肩を叩かれた。


 「あたしんちのマンションでやるよ」

 「お、市川、説教は終わったか!」

 「うっさいな、いつもの掃除当番だよ」


 そこにいたのは今日の授業で四重県の名前を間違えた市川さんだった。あんまり話したことはないけど、ドッジは上手いから、多分鬼ごっこも強いんだろう。


 「ここかよ……おまえんち刑務所なんじゃねえの?」


 市川さんのマンションは4階建のそこそこの大きさで、ステージとしてちょうど良さそうだ。ただ、壁の塗装がまばらで、ベランダの鉄柵は遠目からでも錆びているのがわかった。

 お化け屋敷にも見えるが、有刺鉄線が巻かれた外塀が刑務所っぽさを強めている。


 市川さんは軽口を叩いた福浜くんを小突き、鬼決めの音頭を取った。


 「ぐっとっぱーでわっかれましょ!」


 昔は“じゃんけん”とやらがあったみたいだけど、もうおじいちゃんくらいの世代しかやってない。こっちの方がすぐに組分けできるのに。


 そして、グーを出した朝倉くんと福浜くんが言い出しっぺということで鬼になった。僕と市川さんは4階まで駆け上がり、鬼の足音に耳を澄ます。


 「じゃ、あたしはどっかで隠れとくから、鬼になっても探さないでね!」

 

 そう言ってバタバタと音を立てて走り去る市川さん。次の瞬間、「上だ!」と叫ぶ朝倉くんの声が響いた。


 「あーっ、オトリにしたな!」


 振り向いて舌を出した市川さんに構う余裕はなく、2人の鬼がやってくる。逃げた先で慌てて階段を駆け降りるが、2人はマオニに慣れているのか、猫のような身のこなしで階段を飛び降りて僕にタッチした。


 「よし、10数えたら追いかけていいからな!」


 鬼じゃなくなった朝倉くんはそう言って下へ駆けていくと、福浜くんと2人で10秒数えた。そして、僕はオトリにされた復讐として市川さんを探そうと提案した。


 しかし、20分くらいどこを探しても市川さんは見つけられなかった。ラチが明かないから、朝倉くんも一緒になって市川さんを探したが、それでも見つけられない。

 疲れた僕らは下に降り、諦めて“ギブアップ”と叫んだところ、3階の廊下から市川さんがひょこっと顔を覗かせた。


 「マジかよ市川!そこは反則だろ!」


 不満に頬を膨らませた僕らを他所に、市川さんは得意げに鼻を鳴らした。3階に隠れるなんて、市川さんは僕らが思うよりもかなり破天荒な女子みたいだ。

 そんなことよりみんなでジュースでも飲もうと提案した市川さんは、僕らを自分の部屋へ案内してくれた。イライラムードの緊張がほぐれかけたところで、ドアの前まで行くと、今度は背筋がゾワっとした。


 「おい、お前んち3階なのかよ!」

 「もう、気にしてるんだからあんまり言わないでよ」

 「くっそー、そんな奴は鬼だ鬼!みんな逃げろ!」


 僕はさっと身を翻して駆け出した2人を慌てて追いかけようとしたが、うっかり躓いてドアの向かいの鉄柵に手をついた。


 その瞬間、“ばきり”と嫌な音が聞こえ、毛穴がキュッと閉まる気がした。


 慌てた3人の顔が、上に遠ざかっていく。



 ***



 目を覚ますと、お母さんが泣きながら僕を抱きしめてくれた。体が上手く動かない、知らない白い天井と知らない機械が並ぶ枕元からして、病院のベッドにいるらしい。

 お医者さんが言うには、僕の左足はただの骨折じゃなくて、あの外塀に巻かれていた有刺鉄線が絡まったせいでズタズタになったとか。だから、切るしかなかったらしい。


 僕は何も考えられなかった。ひたすら感じたことのない不安に包まれ、過呼吸とかいう病気にもなった。1本しかない足を見る度に、どうしていいかわからなくなる。


 そうして寝たきりの入院生活を送る中、僕の病室を6人の人が訪ねてきた。

 市川さんと朝倉くんに福浜くん。そして、隣にいるのはそれぞれのお父さんだったりお母さんだったり、片方だけだ。


 僕のお母さんに対して、福浜くんのお父さんが謝ると、他のみんなも頭を下げた。お母さんは慌てて「やめてください、いいんですよ」と遠慮して、申し訳なさそうにお土産?を受け取った。


 「ごめんな、俺が市川をからかったせいで」

 「ううん、うちが貧乏だったから……」

 「いや、もともとマオニに誘ったのは俺だし」


 3人とも自分のせいだと僕に謝ってくれた。まったく恨みがないかと言われたら嘘になるけど、それでも良い友達だなと、少し胸の奥がくすぐったくなった。


 お母さんは「いいのよ、本当に大丈夫なの」と3人に優しく微笑んだ。


 「来週、手術が決まったの。もう1本の足も切ってもらえるのよ」


 お母さんは僕に対して嬉しそうにそう言ってくれた。3人のお父さんお母さんもホッとした様子で、僕に謝ってくれた友達は「良かったじゃん!」と笑顔を取り戻した。


 僕も胸につっかえた何かが消えた気がした。一気に呼吸が楽になり、退院したらみんなとまた遊ぶ約束をした。

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