第6話 留守番
―― 聖騎士長。通信局のルビリアです。第一部隊より魔族と思しき敵影ありとの報告が入りました。ウェスタン地方リーゼルバインの北側地域になります。急行願えますか?
皆でお風呂の時間を終えて、聖騎士長に髪を乾かしてもらっている最中。
聖騎士長の耳に下がっている通信魔石のピアスから女性の声が聞こえてきて子供たちの注目を集めた。
「なにそれっ!かっこいい!」
「きらきらしてる……」
「はいはい。ちょっと待っていてくれ。ルビリア、承知した。聖騎士長よりヴォティス隊長。状況報告を求む」
子供たちに黙っていてもらうべく唇の前に指を立てる。
路地裏時代に息を潜めることを覚えている子供たちはすぐに自分の口に手を当てて黙る。
―― 聖騎士長、ヴォティスです。休暇中にお手間おかけします。ウェスタン地方リーゼルバイン支部より要請を受けての魔物討伐中、魔物の動きが統制されているように感じまして。思い過ごしかもしれませんが、斥候部隊より不穏な個体を感知したと報告もあり、救援を要請した次第です。
交戦中と思しき音が通信に混じる。
夜は勢いを増す魔物が多いので距離を取って結界を張り休息を取ることが多い。それなのに既に日は落ちている中で交戦中ということは、一時退却の目途もつかないほどに魔物が溢れているということ。
「状況了解。死傷者は」
―― 死者はおりません!重傷者はおりますが、退路確保まで結界に留めて、駆けつけてくれた医療班に治療に当たらせています。
前線まで出てくれる医療班の人員が同行していたことが幸いしている様子。
非戦闘要員に数えられる医療班は支部や野営地などの拠点に留まりがちで、前線部隊は負傷者を運ばなければならない。
だが、稀に前線に同行を志願する者もいる。運ぶ負担が減り、早い段階で治療を受けられれば、その分、前線の生存率も上がるというもの。
「ヴォティス。撤退後は結界を強化し、私の到着を待て。聖騎士長よりルクス。第一部隊の救援要請に応じる。これからそちらに向かうので出撃準備を整えておいてくれ」
神聖教会本部聖騎士団棟の部屋係にも連絡するとすぐに了解の返事がきた。
必要な業務連絡を終えると、子供たちに向き直る。
「皆、よく聞いてくれ。俺はこれから仕事に出なければならなくなった」
話をしながらまだ乾かしていない子供を乾かす。
「これから出ても明日中に帰ってこれるかわからない。ラーグには、緊急時に俺と連絡可能な魔術具を渡すから、俺が戻ってくるまで皆のことを頼む」
「わ、わかった」
緊張しながらも兄として力強く頷く。
「アンス、食糧庫にサラダとサンドイッチの具材があるのはもうわかるよな?ソーンやユウルに手伝ってもらっても構わないから、皆のご飯の用意を頼んでもいいかな?」
「うん」
「ご飯なくなったらどうするの?」
「お前たちが朝昼夕以外にお腹いっぱい食いつくさない限りは大丈夫。調理しておかなきゃいけない食材は余裕を見て下拵えしておく」
アンスと頷き合えば、食いしん坊たちは安堵した。
ラーグを部屋に呼んで通信用の魔術具の使い方を説明したら、すぐにキッチンでハムやトマトを刻み、備蓄用のパンもスライスしてアンスが手に取れる場所に置いておく。
それ以上のことはしてやる暇がない。家を出るなり地面を蹴って神聖教会本部に向かって飛行する。
聖騎士長が飛び立つ姿を窓から見ていた子供たちは、元々子どもしかいない世界で暮らしていたはずなのに少しの寂しさを感じていた。
朝起きるとアンスは気合十分に一緒に寝ていたユウルを起こした。
顔を洗って歯を磨いたらキッチンで皆の分の朝食づくり。
ユウルにはサラダ用の野菜をちぎってもらって、アンスは皆の分のサンドイッチをつくる。といっても、パンに具材を挟むだけ。
「アンス。手伝おうか?」
「ぁ、ソーン。お皿持ってきてもらっていい?」
「うん。エイルも行こ」
起きてきた子供たちは協力してサラダとサンドイッチを完成させて運ぶ。
テーブルも拭いて、皆の分の水も用意して朝の食卓が完成する。
「あれー、スープないの?」
「え?ぁ、うん。お鍋の中は空だったから、作る時間なかったんじゃないかな」
「えー!いつも違うから楽しみにしてたのにー」
「エイル。わがまま言わないの。食べよ」
むぅっと不満そうに頬を膨らませるエイルを宥めて、食前の儀式を済ませる。
「ねぇねぇ、アンス。ヨーグルトはないの?」
「どうだろ……どこにあるのかわかんない」
「もしかして、今日デザートも無し?」
「おやつ……」
しょんぼりとしていく皆にアンスはあわあわと食卓を見渡す。
精一杯作ったつもりだが、いつもの食卓に比べたら寂しい食卓になっているのは明らか。
これまでの暮らしと比べれば贅沢なのだが、たくさんお皿が並ぶ食卓に慣れてきてしまっている子供たちには足りなく感じる。
「つ、作るっ!お昼にはもっとちゃんと作るよ!」
「アンス。無理しなくていいんだぞ。食べられるものがあるだけいい」
「作るもん!ヨーグルトはどこにあるかわからないけど、スープなら作るの何度も見てたし。野菜はある場所知ってるから作れるよ」
ラーグが宥めるもアンスは意気込む。
皆は勉強しててねと言って、朝食を食べ進める。
お気に入りの可愛い服に着替えてさらに気合を入れると、アンスは一人キッチンに向かった。
奥にある踏み台を取り出して、アンスには少し高いところにある棚から包丁を取り出す。
野菜が入っている引き出しを開けてスープによく使っている人参と玉ねぎを人数分台の上に乗せる。
人参は葉が伸びている部分は肥料にしていたはずと切り落としにかかる。少し硬いが、包丁が刺さった状態で人参を台に叩きつけるようにすればなんとか切れた。途中、切った人参の欠片が床に落ちるが一生懸命に切っていき、ふぅっと一息。
「あ、アンス。凄い音してるけど大丈夫?」
「包丁使ってる時は近づいちゃ駄目だよっ!ちゃんと作るから待ってて」
様子を見に来た皆にぎらっと輝く包丁を見せると怖がるように走り去っていった。
一回包丁を置いて、鍋に人参を放り込んでいく。
落ちた人参にも気づき、拾い上げて鍋に放り込む。
次は玉ねぎ。
黄色い皮は肥料にする部分だからと剥いていく。
そして、これも人参と同じく切っていく。
「あうっ、な、なんでだろう……涙が……うぅっ、頑張る……ちゃんと皆の役に立つんだもんっ」
情けなさがこみあげてきているようで強がりながら、涙で濡れた玉ねぎを鍋に放り込んだ。
「お肉どこにあるのかわかんないぃ……ぁ、サンドイッチのハムでいいかな……」
ぐずぐずと中々収まらない涙をぬぐいながら、ハムも人数分枚数を手に取って鍋に入れた。
「後、なんか水みたいの入れてた」
食料庫の冷蔵品を入れている扉を開けると、アンスにはまだ読めないラベルが貼られているボトルが並んでいる。
「んー……これかな」
ここから取り出していたのは間違いないと、ベジブロスのボトルではなく、果実水(柑橘)のボトルを取り出して両腕に抱えながら鍋いっぱいに投入する。
「よし。後は火を付けて暫く待つんだよね。あれ、火って、どうつけるんだろう……」
鍋はコンロの上に置いていたが、コンロの使い方がわからない。
コンロのボタンに手を触れていたのは間違いないが、触れても何も起きない。
「えー、どうしよう。後、火をつけるだけなのに」
早くしないと昼食の時間になってしまう。
おろおろとしていると、にゅっとユウルが顔をのぞかせた。
「ユウルっ!?」
「勉強終わったから、お手伝いする。包丁使ってないからいいよね?」
「ぁ、うん。またサンドイッチも作らないといけないもんね」
ユウルに困っているところを見せたくなくて笑ってごまかそうとするが、ユウルの視線はじっとコンロに向いていた。
「ユウル。ここも火が出て危ないから……」
「んっ……」
とりあえず、調理台の方へ誘導しようとしたその時。
ユウルがコンロの操作部に触れて、一瞬のうちに鍋を覆う程の炎が上がった。
「ひゃああああーーーっ!!!!」
「ふぇっ!?」
思わず悲鳴を上げて、アンスはユウルを抱きしめて床に座り込む。
「どうしたっ!って、はぁっ!?」
悲鳴を聞いて駆けつけてきたラーグが、燃える鍋に驚く。
後ろからばたばたとテイワズたちも駆け寄ってくる声が聞こえてきた。
「だ、だめだっ!皆危ないから避難しろっ!」
「避難っ!?」
「アンスっ!ユウルっ!こっちだっ!」
恐怖で動けなくなっているアンスとユウルにラーグは焦れたようにキッチンに飛び込んでユウルを引っ張り上げ、テイワズに持っていくように伝えて渡す。
自分はすぐに戻ってアンスを抱えてキッチンを離れる。
「ラーグっ!父さんに連絡っ!」
エオに言われて通信用の魔術具の存在を思い出した。
握りしめると中で魔力の流れが出来て相手に声が通じる。
「父さんっ!父さんっ、助けてっ!火が出たっ!皆死んじゃうっ!」
早く返事をしてくれと念じながら、ラーグは必死に叫んだ。
ウェスタン地方リーゼルバイン北部。
魔族を片付けた後は、魔物は統率を失って散開した。
それをヴォティスの部隊が討伐していく様子を上空から援護しながら見据える。
「ヴォティス。左翼の足並みが揃っていない。このままでは魔物の包囲網に入っていくぞ。援護の部隊は」
「はいっ!くぉらっ、ドーマンッ!無暗に突進するなと何度言えばわかるんだぁっ!」
粗方強敵が片付いた後は、聖騎士長としては部隊の教育の為に一歩下がると決めている。
この世界の人間が強くなって魔物に立ち向かえるようにならなければ、自分が別の世界に渡った時に世界の安寧が保たれない。それではいけない。
―― 父さんっ!父さんっ、助けてっ!火が出たっ!皆死んじゃうっ!
不意に耳に飛び込んできたラーグの声と子どもたちの泣き声に、聖騎士長は息を飲んだ。
「火?……ラーグ。何があった?皆無事か?家の中で火が出たならすぐに外に出ろ。家から離れて川の近くで待機だ」
―― わかったっ!皆っ!外に出るぞっ!
「ヴォティスッ!済まないが急用が出来た。魔物を掃討するっ!後始末は任せたぞっ!」
「へっ……?」
聖騎士長は足元に魔法陣を展開すると、そこから地上の魔物たちめがけて光の矢を一斉掃射した。
地上部隊から悲鳴も聞こえるが、一応人は避けている。
9割がた魔物の気配が消えたことを確認して、手を止めた。
「では、武運を祈る」
「聖騎士長の救援に心からの感謝を!」
有難うございましたっ!という声を聞き流して、これまでにない速度で家に急行する。
こんな時にワープが使えれば。どこかの世界に転がっていないのかと悔しく思う。
やがて子供たちが川の近くで泣いている姿が見えてくるとキッチンの窓から炎も確認できた。
コンロは魔力がないと使えないはずなのにと思いながら、窓を突き破る勢いで水を流し込む。
幸い、コンロから出た火は収まっていて、燃え広がった炎だけだったのですぐに消し止められた。
「父さんっ!」
ほっと一息ついて子供たちの方へと向かうと、ひっと引かれた。
その反応で、魔物討伐の汚れが付いたままだったと気づき、魔術で自分を丸洗いにする。
「これで怖くないか?」
「ごめんなさぁいっ!いい子に出来なくて、ごめんなさいっ!」
涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしたアンスとその横で一緒になって泣いているユウルとエイル。
「ラーグ。何があった?」
「ぇっと、わかんない。けど、アンスは俺たちの為にスープを作ろうとしてくれてたんだ」
「エイルがわがまま言ったのぉっ!アンスは悪くないのっ!」
聖騎士長は状況を把握して、その場に膝をついた。
「俺もごめん。スープもちゃんと用意してやればよかった。今度からはなにを用意しておくか相談する。アンス、皆の為に頑張ってくれてありがとう。ラーグもすぐに連絡してくれてありがとう。おかげでキッチン以外に被害を出さずに済んだ」
―― 聖騎士長。ヴォティスです。ウェスタン地方リーゼルバイン北部の魔物の掃討完了を確認しました。第一部隊総員死傷兵0。これより帰還行動に移ります。ご報告まで。
子供たちを宥めている最中に入ってきた通信に、空気を壊す奴めと内心恨み言を言う。
「ちなみに、アンス。コンロに触って火が出たんだよな?」
「うん。私は使い方がわからなかったんだけど、ユウルが触った途端火が出たの」
ユウルはアンスに隠れるようにしがみついて泣いている。
その姿を見て、聖騎士長はうむっと悩まし気に唸った。
「私が困ってたから、助けてくれようとしたんだよっ!私がねスープを作るって、」
「わかってる。怒ってないから大丈夫だよ。今度ちゃんとスープの作り方を教えるから、一緒に作ってみような」
「うん……」
順に頭を撫でてやり、落ち着くのを待つ。
そうしている間に他の子たちも周りに来て、マントに包ったりしながらすり寄ってきた。
「あぁ、皆怖かったんだな。ごめんな、置いて行ってしまって」
「もう、どこにもいかない?」
背中から聞こえてきたのはウインの声だった。
「そういうわけはいかないけれど。ちゃんと帰ってくるということは約束するよ。ラーグ、魔術具に魔力を補充するからおいで」
「ぁ、うん」
ラーグの手の中の魔術具に触れる。
消費した魔力は多くなかったのですぐに補充は完了した。
「今回は少し遠い場所にいたから待たせてしまったけど、次はもっと早く駆けつけるからな。お前たちを守るお守りだと思って持っていてくれるか?」
「うんっ!」
「後で、ペンダント用のひもを用意するから、それまで無くさないようにな」
ラーグの頭を撫でたところで、泣き声が落ち着いてきた子供たちが寝始めていることに気づいた。
リビングに寝かせたら夕飯を買ってこようと考えて、キッチンの修理は誰に尋ねたら手配先を教えてくれるだろうかと悩む。
子どもだけで留守番はまだ早かったと反省する聖騎士長。
この後、シャンダに連絡して色々と怒られます。