第2話 おかえり
聖騎士団第3部隊がエルダー地域の魔物討伐に動き始めて半月が過ぎた。
聖騎士長は子供が寝ている時間だけ部隊に加わりつつ、食料を調達して孤児院に戻る。
―― アレス。シャンダだ。その孤児院を建てた奴は慈善事業家を自称して街のあちこちで寄付金を募ろうとしていたらしい。だが、財政的にも食料事情的にも孤児に構っている余裕がないエルダーでは上手く行かなかったようだな。エルダー支部も神聖教会は孤児院事業は担っていないと支援を断っていたそうだ。
セレスティア皇国では、国も神聖教会も孤児院は開設していない。
神聖教会に登録することでどこの家の子供か戸籍管理されるが、登録されていない子供には基本的に関与しないのがルールだった。
孤児を拾って働き手にしようという者は、真っ当な者であれば後で誘拐と言いがかりをつけられないように教会に保護登録する。登録には一定額以上の寄付金が必要になるので、あえて登録しない家庭も少なからずあるが、登録しなければ国は民とも家族とも認めない。
今回の孤児院についても、建設許可を取り付けた以外に所有者は教会に登録を行っておらず、孤児たちは十中八九戸籍管理されていない。
「シャンダ。調べてくれて有難う。子供たちの処遇については考えてみる」
―― アレス。育てたいなら相談に乗るぞ。
「なんだ急に」
―― アレスが役目以外で自分から他人に関わろうとしたのは今回が初めてだろう。なんだか嬉しくなってしまった。その建物ごと土地を教会が買い取るのは難しくない。子供8人の登録くらい根回ししておくまでもないくらい容易だが、お前が名乗り出れば騒ぎになりかねんし根回しをしておいてやろう。
普段なら有難くもない迷惑だと断る。
だが、今日は断る気にはならなかった。
「シャンダ。子供たちがある程度自立するまで育児休暇を取ることは可能かな」
―― アレス。久しぶりにお前の意味の分からない言葉を聞いた。育児休暇とはなんだ?
そういえばそういう制度は神聖教会にはなかった。
面倒に思いながら説明すると、シャンダは笑いながら花祭りには参加してくれるんだろうなと駆け引きを持ち出した。
聖騎士長は唸りつつ、子守りに付き合ってくれるならと応じる。
「ごはーんっ!」
ここ最近の子供たちの寝起きの口癖が聞こえてきた。すぐにドタドタと足音が聞こえてくる。
「テーブル拭く」
「俺、皿並べる!」
「僕はスプーン」
「今日お肉ある?こっちのお皿もいる?」
キッチンになだれ込んでくる子供たちの声が通信魔石を通して聞こえたのか、シャンダの笑い声が聞こえてきた。
―― アレス。子育てというのもいいものだろ。
「なぁ、お前たち。ここではない場所で、俺と一緒に暮らしてみるか?」
「ご飯はー?」
「お腹空いた!」
「はいはい、今冷ましてるから少し待て」
子供には出来立てのスープは熱すぎるのだ。
風属性の魔術で冷ますのを急ぐ。
「じゃあ、一緒っ!」
「わーい、ごはーんっ!」
一緒に暮らすことへの答えではなく、今すぐご飯が食べたいという催促かと思いきや、子供たちの想いは違ったらしい。
聖騎士長ははしゃぐ笑顔に拍子抜けして思わず笑った。
いつか、なにを聞いてもご飯ばかり気にしていた食いしん坊たちの話を笑い話にする日が来るだろうか。
そんな未来をつい思い描いて、遠い昔の日常を思い出した。
街の外の建物なんていつ魔物に襲われるかわからない。となれば、街の中に新しい住居が必要になる。
それに、子供8人を成人まで育てることを考えると、それなりの規模である必要もある。
花祭りついでに内見でもどうだ。ついでに子供たちの登録準備をしよう。
張り切った様子のシャンダに予定を決められた聖騎士長は、孤児院をゼクターに任せてセレスティア皇国首都ヴェルリウスに戻った。
「おかえり、アレス」
花祭りの準備に賑わう首都上空を通り過ぎて神聖教会本部の教皇室のバルコニーに降り立つ。
優雅にお茶をしていたシャンダは、用意していたカップにハーブティーを注いで向かいに座るように促した。
「エルダーの対応はどうだ?」
「魔物の討伐は完了した。今は侵攻ルートの確認と浄化作業中だ。農業地域が踏み荒らされていて農民もかなりの数が逃げ遅れたようだ」
「ほぉ……となると、復興には時間がかかりそうだな。そんな中、子供たちが無事というのも反感を買いそうだ」
「だから開門の前に引き上げさせようかと思っている」
それがいいとシャンダは頷きながら空き家の資料を差し出した。
パラパラと眺めて、いくつか抜き取り手早く内見対象を決めていく。
「本気で子供を育てる気なんだな」
「なんだか放って置けなくてな。いつかに世話を焼いた魂たちなのかもしれない」
「ほぉ……それは運命的だな」
あんなにご飯ばかり欲する奴に覚えはないけれど。内心思って、ふっと笑う。
「そうだ。教会への登録には名前を魔術具に登録する必要があるが、名前はあるんだろうな」
無ければ付けなければなるまいと言われて、問題ないと答えた。
だが、そこでシャンダがにやりと笑う。
「家名も必要だぞ?神の御使いだからとお前の登録をあえてしていなかったが、お前も登録しなければ親子登録にはならんがどうする」
名前をついに告白する時。
そんな思惑が見えて、聖騎士長はシャンダの額を資料の束で叩き、乗り出した身体を戻させる。
「老人を労わらんか」
「よく言う。名前は神聖力との組み合わせで識別に使うだけで仮名でも構わないんだろう?アレスの名前を使わせてもらうよ」
「おぉっ!ならば、家名は我が……」
「ルーン。彼らの名前がルーンという文字に基づいて名付けられているように思うからそうする。ついでに俺の家名も合わせてそれにすればいいんだろう?」
自分の家名を提案しようとしたシャンダががくりと肩を落とした。
そして、むむっと首をかしげる。
「ルーンとは?初めて聞いたぞ」
「この世界では別の呼び方なのかもな」
「ふむ……」
世界が違えば言葉が違う。
名前は決まって後は何が必要かと思えば生年月日。
しかし、それこそわかりようがない。
「登録時に成長度合いから年齢の推定は可能だ。日付は登録日で構わんだろう」
「ならそれで」
「育児書の類も見繕っておいてやる」
「……それはどうも」
シャンダを連れて首都の街に降りて内見に向かうと、外壁内だが街の喧騒から少し離れた丘の上に立つ屋敷に決める。
周囲に自然が多いので子供たちは伸び伸びと過ごせるだろうし、見た目がどうしても目立つ聖騎士長も出入りするのに住宅街は考えものだった。
シャンダも確かに街中よりいいのかもしれないと納得した。
合わせて家具を手配して、聖騎士長の部屋係を呼びつけて掃除と搬入を任せた。
「シャンダ。子供用の衣類も揃えたいんだが、子供は成長も早いだろ?人数も多いし、一旦似合いそうなものを手当たり次第に買っても問題ないかな」
「子供8人だろう?店ひとつ買い上げるつもりか」
どんな親馬鹿だと言いながらも、シャンダは孫の服を買いによく行った店を紹介する。
止める人のいない買い物をして、最後に花祭りの為に無地のハンカチを大量に購入した。
花祭りでシャンダの孫娘と踊ってすぐに、聖騎士長はエルダーに戻った。
街が神の御使いが降り立ったと騒がしくなる中、魔力で背中に純白の翼を作り出してそれらしく飛び去って見せれば、神の御使いが戯れに現れたのだと教会関係者がいいように言い訳してくれる。
セレスティア皇国の中心部は今日も平和だった。
「ただい、ま?」
出入り口にしている窓を開けると、揃って座り込む子供たちと床を掃除するゼクターとシグがいた。
「聖騎士長っ!おかえりなさいませっ!」
ギンッと鋭い目で寄ってきたシグの勢いに思わず顔面を掴んで引き離すと、その間に子供たちが突進してきてシグを押しのける。
「ご飯っ!」
「ごーはんっ!」
いつも通りのご飯コール。
しかし、ゼクターは「今食べさせたばかりです」と空になった鍋を見せてくる。
床の汚れもスープを食べ散らかした後の様だった。
お腹が空いているわけではないのにご飯コールは第3部隊が到着した日以来だ。
「お前ら、こういう時はおかえりって言うんだぞ」
「おかえり?」
「おかわりっ!」
「おかわりー」
食いしん坊にも程がある。
飛び跳ねておかわりを繰り返していた子供たちだったが、やがてうとうととし始めてウインやエイルはいつの間にか床に転がって眠っていた。
「聖騎士長が帰ってくるまで寝ないと言い張ってずっとここに座り込んでいたんです」
ぐったりとしたゼクターの報告に苦笑しながら子供たちを部屋に連れていく。
「任務の方は?」
「明日には報告がまとめられるかと」
「そうか。任せきりになってすまないな。お前たちは素直に動いてくれるから助かるよ」
他の部隊だったら面倒だったといえばゼクターはまた眉間にしわを寄せる。
その顔が褒められて嬉しさを噛みしめている顔だということは長い付き合いでわかっているので、頭を撫でてやる。
「ごはん……」
ベッドに並べて部屋を出ようとしたところで、テイワズが聖騎士長の手を掴んだ。
「明日はパンもあるから、楽しみにしているといいよ。良い夢を」
テイワズの頭も何度か撫でてやると寝息を立て始める。
ゼクターとシグに物音を立てないように注意して、今度こそ部屋を出る。
「ゼクター。ここを出る時にあの子たちも連れていくことにした。食料の手配は済んでいるし、世話は俺がするから迷惑をかけるが協力してくれ」
「聖騎士長とは言え部隊の私物化はいかがなものでしょうか」
むすっとしたゼクターを振り返って、聖騎士長は眉間に寄ったしわに指先を伸ばしてぐりぐりと解す。
「嫉妬するなよ。ちゃんとお前たちの事だって我が子のように思っているよ、俺は」
「うっ……」
ゼクター率いる第3部隊は領土戦争の敗戦国から引き取った戦争孤児の集まり。
教会学校を経て聖騎士団の訓練生となり、影で差別を受けて一時はやさぐれるも、聖騎士長の教育を受けて精鋭部隊に成長した。
「花祭りに間に合わせてやれなくて悪かったな。せめてもの詫びだ。部隊の連中に配っておいてくれ」
窓の下に置きっぱなしにしていた荷物から花の模様と共に名前を刺繍したハンカチの束を取り出すと、シグが受け取って刺繍の金糸を指先でなぞった。
「これは、他の部隊に羨ましがられそうです」
「流石に一晩じゃ聖騎士団全員分は無理だ」
「聖騎士長。子供たちには不評でしたが、花水を用意しています。就寝前にでも良ければ」
「有難う頂くよ。それじゃあ、良い夢を」
「良い夢を」
就寝前の挨拶を交わすとゼクターとシグは窓から野営地の方へと出て行った。
家族になる準備中。