プロローグ.自称・孤児院長
セレスティア皇国の西側ウェスタン地方の街のひとつ、エルダー。
そこに住むとある老人は憂いていた。
この国において、孤児が心穏やかに過ごせる場所はない。
彼らは、路地裏でひっそりと息を潜め、時折ゴミを漁っては、わずかな時を繋いでいる。
普通に生活している傍らに視界に入る姿を見る度に哀れに見えてならなかった。
かつては小国であったエルダーは子供の出生を確かに管理していたが、セレスティア皇国に取り込まれた時に戸籍制度が変わってしまった。
皇国は神聖教会に信徒として登録していない者を民とは認めない。
それをいいことに、生活苦だからと、多くの家庭が子供の登録をあえてしないことで、罪に問われることなく子供を捨て始めた。
こんな状況になったそもそもの原因は明白。
数十年前、空に浮かぶ月が赤く染まった日を境に、世界中に魔物が溢れ、それらを指揮する魔族が現れた。
国防の為に首都のみならず国内の街に外壁を設けるようになり、民には国防費の為の税負担が重たくのしかかった。また、国防に力を注いでいるとはいえ、魔物による農村の被害は多発しており、収穫量や流通量が減って物価が上がり続けている。
小国のエルダーは瞬く間に立ち行かなくなった。
皇国に下ったことで、流通は改善されて、神聖教会の加護を受けられるようになったとはいえ、魔物の侵攻は続いているので油断はできない。
魔物がいなくならない限り、これからも孤児は増え続けることは想像にたやすいことだった。
「あぁ、ならば、孤児が住める場所を作ってやればいいのか」
老人は動き出した。
年齢を理由に仕事を辞め、後は余生を過ごすのみ。
貯めてきた金が親族に狙われていることは知っている。彼らにみすみす取り上げられるより、社会の為になることをしたい。
「何を言い出すのよ!」
「そんなことをしてどうなるっていうんだ」
「子供を育てたいなら私たちの子の面倒を手伝ってちょうだい」
子と孫の反発は想定内。
老人は止まることなく、安価で借りられる家はないかと役所に相談した。
「孤児は民ではない。わかっているのか?」
それでも粗末に扱われていい命などない。
彼らを救いたいのだと主張したが、いくつかの空き家を巡っても持ち主は孤児院と聞くといい顔をしなかった。
「そもそも孤児なんて人様のモノを盗んで奪って生きてるんだ。いなくなってくれた方がいいって連中のほうが多い」
「そうよね。そういう子がここに住むって……私だけじゃなく、近隣の人たちにとっても不安にしかならない」
犯罪者のように扱われている孤児たちに老人は何と嘆かわしいと憂いを深くした。
元々はお前たちが大事に育てようと産んでおきながら、路地裏へと捨てたが故ではないか。
「民でもない孤児が、壁の中に住んでいること自体おかしい話だ」
とある街人の言い分に、気づいた。
壁の外に建物を用意する分には誰も文句あるまい、と。
新築は懐が痛むが、子供部屋など男女別で2部屋くらいあればいい。なるべく単純な間取りで、相場より多くの金を積んで仕事を請け負ってもらった。
そして、街の外壁の外に孤児院が建った。
土地を買うにもぼったくられたが、試算してみれば、自分が死ぬまで10年……いやほんの数年の間孤児を養うくらい出来そうな金は手元に残っている。
あとは、養うのに苦労しない程度の適当な年齢の孤児を迎えるのみ。
「君。大丈夫かい?うちに来る?」
路地裏から食べ物を探しに出てきた子供にお菓子を片手に声を掛けると、飢えた犬猫のように寄ってくる。
一人、二人と孤児院に連れ帰り、食事を与えてやる。獣のように食べ物に直接噛みつく姿はおぞましさを感じることもあったが、スプーンやフォークには見向きもしない。孤児などこのようなものかと諦めた。
薄汚れた服が目についたが、子供の成長は早い。古着屋でいくつか選んでみたが、すぐに汚されて破かれてしまった。モノを大事にしない彼らには必要になった時に、少し困らせてやることで覚えさせるよりないか。
老人は無自覚のうちに疲弊していた。
「君は、イス……と名付けようかな」
名前も与えられていない痩せ細った子供たち。
覚えていない、話せないだけかもしれないが、名前を付けたその子たちは自分が庇護する対象だ。
彼らには自分がいないといけないのだと、怯えた顔をする子供に自分の名前を覚えさせた。
8人の孤児を家に住まわせた。
姉弟を一組入れたことで、部屋の区別が曖昧になったが些末な問題。
所詮10歳にも満たない子供ばかり。好きにすればいいと割り切った。
「なぁ、小麦がまた値上がりしたのか?」
「そうなのよ!ここ最近全然入って来なくってね。廃棄してた焦げ端の袋詰めだって売れちゃうんだ」
値札を睨んで、パンは買えないなと諦めた。
野菜も、形崩れしたものや切れ端を詰め合わせたものが従来価格で、何の問題もない小ぶりの野菜が値上がりしていた。
良い物は先に料理店などに卸しているからだというが、その料理店とてこのご時世にどれだけの人が通っているというのか。
「今日は、これだけもらおうかな。しかし、数日のうちにこんなに値上がりするものかね」
「はいよ。これから寒くなったらもっと値上がりするに決まってるでしょ。一々、聞かないでよね」
男は買ったものを受け取りながら絶望した。
ならばもっとここで、と思うが、老いた身にこれ以上の荷物は持てない。
出て行った孤児が再び街に入ってくることは良しとされておらず、手伝いを頼むことも出来ない。
「兄さんっ!」
去る背を呼び止めたのは弟だった。
まだかろうじて仕事を続けているが、彼もまた老いた身だ。
違うのは弟は子や孫と共に暮らしていて、不自由を一切感じていない様子だということ。
「また、街の外に行くのか?さっき、魔物を見たって噂してる奴がいたぞ。危ないから街にいたらどうだ」
「子供たちに飯を与えてやらなければならないんだ」
「……なぁ、覚えてるか?明日はお前の孫の結婚祝いだぞ。準備をするから、昼にはうちにきてくれ」
街の中でのうのうと暮らしている家族より、今を必死で生きている孤児の方がこの手が必要だ。
とはいえ、この誘いは無下には出来ないと承諾した。
「兄さん。偽善はもうやめろ。近くの畑がやられて、冬を越すのに食料を確保するのだって身内の分が精一杯なんだよっ!」
親族が集まるなり始まった話に、深いため息を吐いた。
何度も何度も聞かされた。
だが、間違ったことをしているなんて思わないし、思いたくない。
「子供たちには未来がある。この街の繁栄には、子供を育てることが必要なはずだ」
「なら、私たちの子供を育てるのを手伝ってよ。孤児に買い与えてる食料があれば、この子たちはもっとお腹いっぱいにご飯を食べられるのよ」
「どうせ暇なんだろ?子供たちを見ていてくれたら、俺たちも気兼ねなく働ける」
誰も理解してくれない。なにもわかっていない。
やれやれと首を横に振る。
「そういう話なら、俺はもう帰る」
「はぁ……拗ねないでよ。可愛い孫の結婚祝いよ」
「そうだぞ。どうせまた酒場で寄付を募ろうってんだろ?そんなことより、孫が結婚したんだ。早くひ孫の顔を見たいって思わないか?」
自分の私財だけでは、当初の想定より早く底が尽きるとわかっている。
今だって孤児を増やした分、1人の食べられる量を減らしてしまっている。
だから、夜な夜な酔った勢いで金を出してくれる者がいないかと目を光らせているのだが、それもまた噂になっていたと知って唸る。
「一人で安酒を飲んでいるより、成人した孫と飲み交わす方が絶対に楽しいぞ」
「……いつか、あの子たちと酒を飲み交わせれば、それでいい」
セレスティア皇国の成人年齢は16歳。まだ10年以上ある。
きっと叶わない未来だろうが、夢を見ることは自由だろう。
「あの家で、冬を越せるの?」
「あぁ、聞いたが、暖炉を作らなかったんだろう?言われた間取り図通りにしてくれというからそのまま建てたと聞いたぞ」
その時老人は絶望した。
孤児がどうやって冬をしのいでいるのかわからない。
時折ボヤ騒ぎがあるから、路地裏で何かを燃やして暖を取っている気はする。
だが、あの家には屋内で何かを燃やせるような場所はない。
冬の寒さを凌ごうと思えば、毛布や厚手の衣類を揃えなければならない。
「……問題ない。なんとかなるさ」
衣類を揃えたら来年も使いまわせばいい。
水を温めて飲ませるくらいなら出来ないことは無い。
老人の自己満足と言われても仕方がない。
それでも、あの孤児院は大事な居場所なのだった。
賑やかな食卓。
結婚を嬉しそうに喜ぶ親族。
その光景は、ここに残ってよかったと思わせた。
「あらやだ、雨……」
「風も強いわね。嵐?これ以上農地に被害が出たら、本当にどうなるのかしら」
祝いに演奏をしたり歌ったりと賑やかに過ごしていて外の音に気付かなかった。
「この荒天じゃ、兄さんも帰れないわね」
「じぃじ!いっしょにねよー」
「ぁ、あぁ……仕方がないな。今日は、泊まらせてもらおうか」
幼い孫にせがまれて、つい気が緩む。
孤児院のあの子たちも、いつかこうして慕ってくれたならば。
そう夢を見て、一夜を過ごした朝。
激しく打ち鳴らされる警鐘で目を覚ました。
一緒に寝ていた孫が怖がって身を寄せてくる。
外は夜かと思うくらいに暗く、嵐が続いていた。
そんな中で鳴り響く警鐘など、嫌な予感しかしない。
「お、おいっ!あの鐘は何事かっ!」
孫を置いてリビングに駆けつけると、大人たちが集まっていた。
「魔物が出たみたい。街が封鎖されるんですって」
「この前は1か月近く門が開かなかったのよね」
「あぁ、こんなことなら昨日の食材もう少し取っておけばよかったわ」
備蓄が何日分あったかと確認に向かう彼らの会話に男は頭を抱える。
孤児院には3日分の食料だって蓄えられていない。なにより、孤児院があるのは外壁の外。魔物は街の中には入れないが、外にある孤児院は狙われかねない。
「兄さん。孤児院はどうせもう駄目だ。これで、諦めもついただろう」
安堵して見える親族たちの表情に、ふっとこれまで縋っていたものが消えうせたのだと悟った。
「あぁ……そう、だな……」
「じぃじーっ!」
「すまんな。晴れたら、私の家にとってあるお菓子を持ってきてあげよう」
「ほんとっ!やったぁーっ!」
「よかったわねぇ」
男は結局のところ、居場所を作りたかっただけだった。
家族がこうして迎えてくれるなら、それもまた良いか。そう思って、窓から目をそらした。
孤児たちサイドのプロローグ。