なぜ私が振られるのでしょう?
「フレヤ、君との婚約を破棄させてもらいたい」
ダンスホールに響いた声に、思わず耳を疑いました。今、この方はなんて仰ったのかしら。
私との婚約を破棄? 私が、婚約を破棄されるのですか? 逆ならまだしも、私が?
「殿下、なぜ”私が”振られるのでしょう?」
ざわつく周囲が煩わしくて仕方がありません。思考に集中したいというのに。
……ああ、また駄目。言われてから今までにもう何十回もシミュレートしているけれど、私が振られる要素がない。
*
『おとうさま、これはなんですか?』
『……え、は? メリッサ! 今すぐ来てくれ、フレヤが喋ったぞ!!』
私、フレヤ・グラントが話し始めたのは、一歳半のことでした。今までまったく言葉を発さなかった分、お父様とお母様はとても驚かれました。それも平均的な子供のように単語でなく、大人のように話したものですから、グラント家では三日三晩の祝宴が開かれました。
『お母さま、私は本が読みたいのですが』
『……まだ文字を教えた覚えはなかったのだけれど』
『いたるところにあるので覚えてしまいました』
三歳になる頃には文字が読めるようになりました。お祖父様は祝いにと別荘を新しく買われました。
四歳の時、私は幼児用の簡単な童話から大人向けの哲学書まで、家の書庫の本をすべて読み終えてしまいました。お祖母様は喜んで私の名前の村を作りました。
『も、もう教えすることがございません!』
『先生のおかげです』
六歳で学園の一般教養科目を、八歳で淑女教育まですべてを終えました。そしてこの事を知った国王陛下のご用命により、第一王子殿下の婚約者となりました。
『殿下、これからよろしくお願いいたします』
『……うん』
その後も色々なことをしました。お兄様からの勧めで王立研究所で新薬を作ったり、音楽家のお姉様と共にステージに立ったり。お父様の事業に加わったりして、それなりに楽しい日々を送っていました。
『フレヤ、この間の続きの話をしてほしい』
『かしこまりました』
殿下との婚約関係もつつがなく続いておりました。殿下は、第一王子としてとても適切な方でした。少々知りたがりではありますが、真面目な努力家で、国を愛し国に愛される才のあるお方でした。その上、私のことをそれはそれは丁重に扱ってくださいました。私はその信頼に応えるべく、学園に進学してからも令嬢方の統率をしてきましたし、誰に見られても恥ずかしくない振る舞いを心がけておりました。
『ルーカスさまぁ』
と媚びたお声で殿下にすり寄っていた男爵令嬢のことは知っています。しかし取るに足らない相手だと放置していました。身の程知らずにも私の婚約者に手を出す……つまり私を敵に回した時点で、評判は最悪、味方はどこにもいないと言っても過言ではありません。そんな思慮の浅い相手が、私に勝っている部分はどこにもない。そして、殿下がそれを理解できていないとも思えないのです。
……つまり私は自分の有能さを自覚しておりました。
この国の重鎮であるグラント家に生まれ、容姿にも恵まれております。王女様のいないこの国において私より地位の高い娘はおらず、また薄紫色の髪と黄金の瞳は他国でも流行になったほどです。地位、名誉、美貌、学力。すべてを持っていると言えましょう。
ああ何度考えてもわかりません。なぜ私が振られるのでしょう?
*
「うん。そうだね、君に非は一つもない」
返ってきた殿下のお言葉に、余計混乱します。
殿下は何か薬物でも使われてしまったのでしょうか。
まさかそこの男爵令嬢に恋をしたとでも? どこに恋する要素がどこにあるので?
「ああ、勘違いしないでほしい。男爵令嬢のことは別に好きじゃないよ」
「え゛っ!?」
にこりと笑う殿下の横で男爵令嬢があんぐりと口を開けています。この様子では男爵令嬢の方は殿下の心を掴んだと思われていたようですが。
「だって、君のように世界一美しく賢く素晴らしい女性は僕なんかと結ばれるべきじゃない」
……会場が沈黙に包まれます。私は予想だにしていない回答に身震いがしました。何をどう考えたらこんなことになるのでしょうか。
「君、別に僕のこと好きじゃないだろう?」
「それはもちろん。私達は恋愛で結ばれるような間柄ではありませんもの」
いまだ黙っている貴族たちを無視してそう答えます。会場がなんだか妙に重い空気になりました。なぜでしょう。しかし殿下も気にせず、わかっていたというように頷いて続けます。
「だから、勝手に僕のことを好いてくれて、民が納得してくれるような立場で、頭の弱い子を選んだんだ」
先ほどから間抜けな顔をなさっていた男爵令嬢さんが顔色を失っておりますが。
やれやれ、困った殿下ですこと。昔から妙に従順で神聖視してくるとは思っていましたが、ここまでとは。
「お言葉ですが殿下、この国にはあなた以上の権力を持った殿方は、国王陛下くらいです」
「……君の力はこの国の規模でなく、世界に通用するよ」
そんなにいい笑顔で仰られても困ります。
確かに私にはやりたいことがたくさんありますが、この身に生まれたからこそできるものもあるのだと、自分で踏ん切りをつけていたのですから。私の人生設計に婚約破棄は含まれていないのです。
「……殿下、私にとって王妃の立場は必要です」
「……そうなの?」
「ええ」
今思えば、殿下が私を丁重に扱ってくださったのは、国益のためではなかったのかもしれません。
『フレヤ、君は世界一美しい』
『君のような尊い人の婚約者になれて光栄だよ』
『神はなんて素晴らしい人を生み出したのだろう。いや君が神なのかもしれないね』
考えてみると、身に覚えのあることが数えきれないほどあったような……。
この方はただただ、私のことが大好きで仕方なかったのでしょう。
「じゃあやっぱり結婚しよう」
「分かってくださってよかったですわ」
私は、殿下のことを好いてはおりません。ですが、愛していないとも申し上げておりません。私も人間ですから、情くらいあります。
殿下が男爵令嬢の手を振り払い、私の前に来ようとした時、
「……はぁ!?」
真っ赤になってお怒りになっていらっしゃる男爵令嬢のストレートパンチが殿下の頬にクリーンヒット致しました。そして男爵令嬢は大股で会場を去って行かれました。衛兵が捕えようとしましたが、殿下が制止します。
「まあ、もともと実家が困窮しているというところにつけこんだのは僕だしね。パンチ一つくらい受け入れるよ」
衛兵はゴミを見るような目で殿下を見ていました。しかし殿下は衛兵の視線どころか自分の頬のことも気にせず、相変わらず私のことばかりを見ております。
「……仕方がありませんね」
言いたいことは色々ありましたが、ひとまず傅いた殿下の手を取って、踊ることにしました。ダンスホールとは踊るところでございます。
────のちに、歴史上に残る女傑、フレヤ王妃殿下伝説、もとい国王陛下溺愛録の一幕として語り継がれることを、二人はまだ知らない。
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