誰が為の楽園
ガコンッ!!
宇宙船の上部甲板ハッチが、重厚な金属音を響かせながら開いた。
少年が顔を出すと、眩い光とともに広がったのは、果てしなく広がる海だった。
海面は終わりが見えない地平線へと続き、水面は穏やかに波打ち、時折反射する小さな輝きが、空の光と溶け合うようにきらめいている。遠くには何もなく、この船が広大な水上に孤立していることを強く感じさせた。
船は岸から約4キロ離れた場所に浮かび、その下で波がゆったりと揺れている。
甲板に出た3人の眼前には、長い旅の始まりを告げるティーガーデン星の岸が左右にどこまでも伸びていた。その奥には、鬱蒼とした樹海が広がり、未知なる冒険を暗示しているようだ。
彼らは、それぞれ思い思いに視線を動かしていた。
魔物の少年ガイバーは、その目を樹海に向けてじっと見つめている。知らない惑星に降り立った彼の胸には、探求心と一抹の不安が交錯していた。
女アンドロイドのジニアは、宇宙船の巨大な甲板の縁に立ち、海面をじっと覗き込んでいる。何か潜んでいないかと警戒するように水面を凝視している。
お世話ロボットのソルトは、視線を森と海の間で忙しなく揺らしながら、初めての星間旅行に不安と興奮が入り混じった様子だった。
「これから楽しくなりそうじゃな!今日からワシのことはワクワクさんと呼んでよいぞ!」
ガイバーは笑いながらそう言ったが、ジニアはその言葉を無視し、冷静な口調で尋ねた。
「ガイバー、確認します。この海域には、本当に魔物が存在しないのですか?」
「来る途中レーダーには何も映っとらんかったじゃろうが。それよりもジニア、おぬしはワシの旅に付いてくるのか?それともこの星で生きていくのか?ちなみに他の星に行きたいのであれば、ワシが魔石を全て収集し終わるまで、この船で待っていてもよいぞ?まぁその場合、何十年後になるかは分からんがな。わっははははは!」
「判断を下すための情報が不足しています。旅の中で情報を収集し、適切な時期に結論を導きます。それと、ソルト。その場合、ここであなたとの同行は終了します。どうかお元気で」
「そうですか。それは残念でなりません。ジニアさんもどうかお元気で」
(クソガキと女神、どちらの味方につくか。クソガキには女神の情報を漏らしてしまったし、でも人間に戻りたいから女神につきたい。じゃぁどうやって教会まで行く?……泳いで?この体って防水だっけ?)
「ソルト、ちゃんとワシの位置を毎日把握しておけよ?あまり離れすぎるとレーダーから消えてしまうでな」
「はい、もちろんです。発信機付きペンダントを無くさないように気を付けてくださいね。あと、この辺に魔石の反応はありますか?」
そう聞かれて、ガイバーは意識を自身のコアクリスタルに集中させた。星に散らばった砕けた魔石の欠片が近くにあれば、その繋がりを感じ取ることができるのだ。
だが、しばらく静かに探ったものの、周囲からは何の反応も得られなかった。
「いや、この辺りには無さそうじゃ。まずは教会でこの星の最新情報を集める。おぬしは海の中でちゃんと留守番しておれよ?ではな」
そう言ってガイバーは甲板から勢いよく走って海の中に飛び込んだ。
その際にジニアが「ガイ……」と微かに名前を呼んだ気がしたが、その声は波音にかき消された。
バシャァァァン!!
「ではソルト~!あとは任せたぞ~!」
少年が船の上に目をやると、ジニアがソルトに何やら文句を言っているようだった。
それに対し、ソルトは腕をガチャガチャと忙しなく動かしながら、慌てて後ずさっている。
そんな様子を一瞥した少年のあとを追うように、ジニアも勢いよく海に飛び込んだ。
バシャァァァン!!……ぶくぶくぶくぶく……
「ジニア。そういえばお主泳げるのか?……おいジニア」
ぶくぶくぶくぶく……
ジニアはそのまま海底へと沈んでいった。
「……ああ……そういえばお主アンドロイドじゃったから100kgあったの……まぁ海底を頑張って歩くんじゃな。ワシにはどうしようも出来ん」
岸までは約4キロあったが、少年はスイーッとまるで優雅な白鳥のように水面を滑るようにして泳いだ――水面下では手足を一生懸命に動かしながら犬かきで。
透き通った海には、小さな魚たちが群れをなしてガイバーの周りを興味深そうに泳ぎ回っている。
途中、海底がどこか騒がしい気配を感じたが、少年は(きっとジニアが障害物を薙ぎ払っているのだろう)と軽く流した。
しばらく泳ぎ続けて岸に近づくと、数人の人間がこちらに向かって大声で何かを叫んでいるのが見えた。
「おーい!そんなところで何してんだー!危ないから早く上がってこーい!」
ガイバーは3人のオッサン達に見守られながら、びしょ濡れな状態で岸に上がった。
岸には流れ着いた木片が散らばるだけで、真っ白な砂浜が広がっている。
少年は、オッサンの股の下をヤドカリが申し訳なさそうに歩いているのを見て、少し目を細めた。
「おい坊主!こんなモンスターのうようよいる場所で泳いじゃいかん!死にたいんか!?」
「やぬが!モンスターんごらんごおるどこで泳いじゅんじゃね!」
「そげんたい!」
ガイバーはヤドカリから目を離し、後続で話した2人のオッサンをまじまじと見た。
(こ奴ら2人……)
「モンスター?そんなもんおらんかったぞ?現にワシは食われとらん。……ちなみに、そのモンスターは人間に化けるんか?」
「いやいや最近この辺りにもちらほら出没するようになったんだ。だからこの海も危ないんだよ。あと人間に化けるモンスターはこの辺では聞いたことがねぇな……それにしても坊主。お前も転生者様の船を見たから海に入っちまったんだろ?ああ~俺たちも近くで見たかった。で、どの辺に降りたか見たか?やっぱり海の中に入ってどっかいっちまったんか?」
「んぁ……いや、向こうの方に飛んで行ってしもうたみたいじゃわぁ……それよりもここでは、宇宙船は一般的なんか?」
「ウチュウセン?坊主、それは転生者様の船のことか?ははは!そんなわけねぇじゃねぇか。そこらの奴が持てるもんか。あの船は一部の転生者様だけが持ってる空飛ぶ船だ。あの船についてお前のおっかさんから聞いたことがあるだろ?300年前、転生者様があの空飛ぶ船に乗って、世界を滅ぼそうとしたドラゴンを全員で退治しに行ったお話を。そん時は、ここぞとばかりにあちこちでモンスターが暴れまわって、どえらいことになったそうだ」
「ああ……それは大変だったんじゃな。それよりも、全員で来とったんか……めちゃくちゃしよるの……」
少年は口を半開きにして呆れた顔をする――自分の星の守護者を全員派遣したことに、ここの女神は何とバカなんだろうと。
「ん?それよりも坊主、見かけない服を着てるな。何処から来た。それにお前……獣人……?」
「ワシは母に連れられて来たんじゃ。地理にはあまり詳しくないから、どの辺から来たか言うのは難しい。ここでは獣人は珍しいんか?」(ほう。獣人もおるんか)
「そりゃそうさ!人間と魔物のあいのこだからな。きっと坊主も魔境のある北からこっちに来たんだろ?でもな坊主、おっかさんに言っとけ。こっちも北の都会と同じように、さほどあいのこに対する差別は変わらんってな。俺はそれほど偏見は持ってねぇけどな、気を付けろぉ?田舎だろうがそういうのが嫌いな奴は沢山いるからな」
「そうか。ちなみに、ここでの生活はどうじゃ?」
「そうだなぁ……俺ら農民はまぁ何とか食っていけてる。領主様への税も他に比べて厳しくないしな。一番良いところといえば、魔物がほとんど出ないってところだな!」
「んぐんしわんのひいじいや、きもかがやに血ぃ吸わっちょってやられたらしど」
「そりゃおっかしかばい」
ガイバーは鋭い目つきで再び2人のオッサンを注意深く観察する。
だが自分が知っている人間そのもので、牙もなく顔面の皮も自然な様子で、魔法を使って変身している形跡も見つけられなかった。
「……ああ……それと、他の地域には行ったことがあるんか?」
「いんや。俺はないが、この2人はここよりも南から来たんだ。南に行けば行くほど、魔物は出なくなるが、畑以外なぁんもないらしいな。はははは!……ああでも、俺もぉ……転生者だったら北方を旅出来るのになぁ……北に行けば行くほど、普通の人間じゃ生きていくのは難しいが、ここじゃ絶対に見れないようなもんが沢山あって、聞くところによれば魔物が作ったダンジョンなんかもあるそうだ。なんでも魔物がダンジョンの奥に宝物を置いて、罠にかかった人間を集めて食ってるって話しだ。転生者も何人も行方不明になってる」
「怖か~……」
「だから力があって、不老不死にでもなれば、この世界は楽園ってわけだ!」
「わんどにとっちゃ、この世は地獄ど」
「まぁとにかく海の中は危ないから坊主も気を……なんだ……あれは……」
そう言われて少年は振り返り、海面で起きている異常を見極めようと目を細める。
絶え間なく押し寄せ引いていく波の中で、海の一部が不規則に揺れ始めていた。波間を切り裂くように現れたのは、濡れた水色の髪だった。風になびくこともなく、濡れた髪が波に絡まりながらも揺らめき、その隙間から覗くのは、血のように赤い目だった。押し寄せる波がその頭を飲み込むたびに、その赤い目がちらりと見え隠れする。
その頭部は、海の動きに逆らうようにゆっくりと水面から持ち上がり、まるで獲物をじっと観察しているかのように動きを止めた。
「か、怪物が出たぁぁぁ!!」
「わいっ!」
「うわっしゃー!」
それを見たオッサン達は腰を抜かしながらも、自分の命を守ろうと必死で走って逃げていった。
「……ジニア、人間の前にそうやって出てきてはいかん……」
「ガイバー。次回は、宇宙船を森の中に着陸させてください」
そう言いながら岸に上がってきたジニアの服は、ビリビリに破れていた。どうやらモンスターは海底に潜んでいるようだ。
「とりあえずその森の中で服を乾かそうか。今夜は野宿じゃ。新しい服は明日どうにかしよう」
「了解しました」
海岸線沿いには大きな街道が延びている。
土の道は、無数の蹄や車輪が刻んだ跡が続いており、長い年月の間この道が人によって使われてきたことがはっきりと読み取れる。
その向こうには、広大な森が広がり、木々の種類は全くもって分からなかったが地球のものと瓜二つに見える。
彼らは、森と街道の間にある草むらに移動し、腰を落ち着けた。
背の高い茂みの奥では、ジニアが少年が起こした火を使い、彼の服と自分の服を乾かしている。
そして下着姿の少年は、その茂みを隔てた街道側の草むらに座り込み、ぼうっと道を行き交う人や馬車を眺めていた――その身ぐるみを全て剥がれたような少年を、通り過ぎる通行人は哀れみの目で眺めていた。
「やだあの子……盗賊にでも襲われたのかしら……可哀そうに……」
どうやらこの辺りには盗賊が出るようだった。
たまに足元にリンゴなどの食べ物を置いていってくれる人間もいて、少年はそのリンゴをかじりながら、けだるそうにジニアに問いかける。
「……奇妙じゃな」
「奇妙だと認識している部分について、詳細に説明をお願いします」
「……馬じゃよ」
「馬に関して、具体的に何が奇妙だと感じているのですか?」
「馬自体じゃ。なぜ地球にいるはずの動物が、この星におるのじゃ」
「では何故、この惑星に地球人が存在するのですか?」
そう言われて少年は、街道を行き交う人間をまじまじと観察する。
「んぁ~……じゃがあの人間を見てみぃ。あんなブサイクは見たことがない」
「ガイバー、それは非常に失礼な行為に該当します」
「まぁそれは神のみぞ知ると言ったところか。教会に行けば何かしら分かるじゃろ」
「それは、神に直接質問するという意味ですか?」
「受付に聞けばよい。神も忙しいからな…………町が近いからか、意外と人や馬車が通るの」
「あなたの発言と行動には不整合が見られます。なぜ、今日中に移動しないのですか?」
「ここが絶好の場所だからじゃ。まずは森の中でコインを集めねばな」
「コインについて説明を求めます。この森にそのようなものが存在するのですか?」
「まぁ夜になれば分かるじゃろ」
少年はそう言うと、日が暮れるまで街道をぼんやりと眺めていた。
やがて夜が訪れると、ジニアから乾いた服を受け取り、それを着るなり木に登り始める。その様子は、まるで体重など存在しないかのように、するするとレールの上を滑るように登っていった。瞬く間にてっぺんに到達すると、周囲を見回し、何かを発見する。
「おお、ワシらはついとるぞ」
音もなく木から降りてきた彼は、ジニアに次の行動内容を伝え始めた……。
*あとがき*
お読みいただき、誠にありがとうございました!
この物語が少しでも皆さんの心に響き、「なんだかクセになりそう」「もっと読みたい」と思っていただけたら、これ以上の喜びはありません。
執筆するたびに、「次はもっと面白い話を書きたい」と考えています。そんな私の成長を、ぜひ見守っていただければと思います。
ぜひ評価や感想をポチッと残していただけると、尻尾をピンと伸ばして喜びます。
帰りしなに☆☆☆☆☆をポチっていただけますと、その評価がこの先の作品の方向性を決める大きなヒントに…!もちろん、率直な意見や鋭いツッコミも大歓迎です!
★1.→「悶え苦しみ最後に死────ね」
★★2.→「方向転換を要求する」
★★★3.→「悪くないけど早く続き書けや」
★★★★4.→「ウッソだろお前ってレベル」
★★★★★5.→「今回、笑の神が降臨した。」よせやい照れるぜ。