矛盾する真実
死んだ少年を、ガイバー達と大勢の村人が囲んでいた。
村人たちの顔に浮かぶのは、怒りでもなく悲しみでもなく、ただ理由の見えない死への怯えだった。足元の地面を睨みつける者、唇を噛む者、目だけが虚空をさまよう者。
村の少年が死んだ真相を誰も知らないまま、不安だけが村人たちのあいだをさざ波のように広がっていく。
「ほんとにこの呪いを解決できるのか……?」
「呪いって……どうやって払うんだ……?」
「呪い?いいや……この村に、きっと何かいるんだ……」
その人垣の中心にいた、ひときわ静かな気配が死体へと歩み寄っていく――人間の子供の姿をした魔物、ガイバーだった。
彼が一歩近づくたび、空気がすっと冷えていくような錯覚があった。まるで彼の存在が、空気中の音や感情さえ凍らせてしまうかのように、周囲のざわめきが一つ、また一つと消えていった。
すると、死んだ少年を守るように、父親が泣きながら覆いかぶさった。彼の肩は震えており、目の焦点は定まらず、言葉では表現できないような音が喉の奥から漏れている。
ガイバーは、うつ伏せに少年にしがみつく男を、表情を一切変えずに見下ろす。
「ザドジ。死体を調べるから人払いをしろ。……こやつもな」
少年の黄金に輝くドラゴンアイが、骸に覆いかぶさる邪魔者を映し出していた。
傍で見ていたザドジは、言いにくそうに口を開く。
「それは……いくら儂が一緒にいるからといっても……だめだ。それだけは村人が不安がるから出来ない」
だが、口から牙の覗く少年は、一歩も引かずに低い声で告げる。
「……ザドジ。ワシは今から、この事件を調べると言っておるのじゃぞ……?」
その言葉に、ザドジは一瞬時が止まったかのように硬直する。
そして次の瞬間、手が咄嗟に自分の口を押さえていた。
「……っ」
そんな彼の行動に、ジニアは視線を向け、ジャックも怪訝な顔をする。
「爺さん、どうかしたか?」
「……いや……」
ザドジは、無意識に “思ったことを言わなくなっている” 自分に気が付いた。彼は、目の前にいる顔面の黒化粧が溶けて暗黒化した男を見る。
(確か、この治癒士は大抵のものなら何でも奇跡の力で治せると言っていた。そうか……それで儂のボケも……何でもかんでも口走りハイマーも治ったというわけ、か……)
それから、泣き崩れている父親の姿を申し訳なさそうに見ながら、ザドジはぽつりと言う。
「……よし。皆、ちょっと離れてくれんか」
ザドジが声をかけると、村人たちはざわざわとしたまま距離を取り始めた。しかし、ひとりだけ動かない者がいた。
それは、死んだ少年の父親だった。
彼は一歩も動かず、黙ったまま、息子の亡骸に伏したままだ。
その背中に、ガイバーの冷たい声が刺さる。
「では、調査を止めるか?…………ザドジ、邪魔が入って調査が出来なんだと皆に伝えるがよい」
その言葉を最後に、ガイバーは踵を返して歩き出した。
するとその父親は、下を向きながら何も言わずにゆっくりと立ち上がる。
それを、ザドジが肩に手を置いて連れて行った。
そのやり取りを近くで見ていたジャックは、冷徹な魔物に何かを言おうと口を開きかけたが、指をもじもじとするだけで喉からは何も出てこなかった。
かくして調査が始まった。
ガイバーは、死んだ少年のすぐ横にしゃがみ込み、頭から胴体、四肢と注意深く観察していく。
体中が血で染まっている遺体、肩まであるライトブラウンの髪、薄いオレンジ色の目、その目じりからは涙が流れた跡があった。
外観を見終え、今度は服を爪で切り裂いて剥ぎ取り、胴体全体を見えるようにした。
その胴体には、左肩から斜めにかけて裂傷があり、他には傷は見当たらなかった。
ガイバーは少年の手足に触り、胴体の傷口に手を入れる。
「四肢は冷たい。じゃが深部に熱が残っておる。人間は死後5時間くらいはこのような状態じゃからして……殺されたのは今朝方じゃろうな」
「ガイバー。あなたには、そのような検死スキルがあったのですね」
「……ああ、何人も検死したからな」
彼は軽く握った手を、1本づつ指を滑らかに動かして開いて見せた。
ジニアは、今は人の形をとっている魔物の少年が、手首の先にある無数の小さな筋肉を使って滞りなく指を動かしているさまを見て、自分の電脳ファイル内にある『人としての綺麗な行動理念』が発する言葉を押さえつけた。この場でいらぬことを言わぬようにと。
そこへザドジが戻ってきた。そして、死体の傷を見て目を細める。
「剣で、斬られたようだな」
ガイバーは、「ああ」と短く答えながら傷口を指で開いて検視を進める。
「……鎖骨が砕けておる。そしてこの傷の深さは……おそらく直剣で斬られたのじゃろう。そして、剣の腕は素人に近い」
ん?とザドジは眉を寄せる。
「なぜそんなことが分かる?」
「傷口が汚いからじゃ。ただ力任せに切りつけたように見えるし、武器の手入れもしておらんのじゃろう」
それを聞いて、ジニアが結論を言う。
「では、これは色煙による災いや呪いの類ではなく、人による犯行ということですね」
「ああ。じゃが……不自然じゃ」
黙り込んで思案するガイバーを見つめながら、ジニアはわずかに首を傾ける。
「何が、不自然だと思うのですか?」
「こやつは真正面から胴体を斬られておる」
「それが、何か問題でもあるのですか?」
「……ではこやつは、剣で斬られるのを突っ立って待っておったのか?」
ジニアは、彼が不自然であると思い悩む点に気が付いた。その少年は、何故背を向けて逃げなかったのか――その場合、切り傷は背中にあるはずだ。
「彼は、恐怖により静止、あるいは後退行動の最中に斬撃を受けた可能性があります」
「そうじゃろうか……こ奴が殺されたのはここではない。この出血からして、ここの地面は綺麗すぎる」
地面に流れたはずの血だまりがない。地面からは、健康的な緑色の葉が広がっているだけで、そういった血痕はどこにもなかった。もしここで致命傷を受けたなら、もっと生々しい殺人現場が残っているはずだった。
ガイバーは森の入り口を見やる。それに続いて、ジニアも赤い目を光らせ、機械的な瞳は木々が鬱蒼とした森に焦点を合わせた。
「ガイバー。森入り口付近の茂みに、血液が付着しているようです。ですが、殺人現場が別にあることと、少年が真正面から斬られたことに、何の関係があるのですか?」
「外に出るなと言われておるのに勝手に家を抜け出し、森に入ろうとするほどの性格じゃ。危険が目の前に迫ったとして、『逃げない』という選択肢をとるじゃろうか」
「その場合、彼は対象を危険人物と認識していなかった、あるいは至近距離で剣を構えられるまで接近に気づけなかったという2つの可能性が浮上します」
「……どちらにせよ、こ奴が斬られた場所に行くまでは分からん」――ガイバーは立ち上がり、広大に広がる森林の奥に目を向ける――「では、森に入ろうか」
「了解しました」
「ああ……」
「わかった。では村の者を呼んでくる」
ここでの調査が終わり、ザドジは遺体の運搬や後処理のために村人と父親を呼びに行った。
だが一人だけ、元気なさげに答えた者に、ガイバーはちらりと一瞥する。目の前の死体の謎よりも、何故かそれは彼の興味を引き付けていた。
頭をポリポリとかきながら死体をじっと見つめている治癒士を不思議そうにじっと見る。それは、何かを考え込んでいる様子だった。この事件には他にも何か気がかりがあるとかそういった様ではなく、彼は明らかに何かに対して苦痛を感じているようだった。
「人間……ジャック、おぬしは今、何を考えておる」
「ああ、ボス……俺は、ヒーラーとしての加護を持っている。でもな、死んだ人間については全く分からねえ……」
「ああ。おぬしの能力は、死体をいじくりまわし調べることではない。傷を癒すことじゃからな」
「……でもな、この中では治癒士として俺がやるべきことだった」
「……ワシはそうは思わん」
「・・・・」
その様子を見ていたジニアが、メス投げ練習の時と比べて、言うほど落ち込んでないジャックに声をかける。
「ジャック」
「なんだい先生……」
「あなたの保有する医療知識は基準を大きく下回っており……簡単に言うと、あなたはこの中で一番役に立ちません」
「せんせ!?せんせぇぇぇぇ!!」
両手で頭を押えて叫んだ後に、顔をしわくちゃにして泣き出した彼を見て、ジニアは(あれ、思っていたよりも落ち込んでいたのかな)と、少しだけ感情分析評価を修正した。
そのやり取りを見ていたガイバーは、めんどくさそうな表情で、ため息交じりに問いかける。
「ふぅ……なぜ人間の多くは、自分に足りぬものが見えた途端、ただ嘆いて立ち止まるんじゃ?それも寿命が短いにも関わらずじゃ。今から身につけりゃ済む話じゃろうが。目の前に、それを学ぶ絶好の機会が転がっておるというのに、それにすら気づかん」
その言葉にジャックはハッとして、地面に横たわる死体を見た。彼は、ゆっくりとその遺骸に近づき、地面に両膝を付く。
「こんなことじゃ……あんた達について行くことなんて……到底できねぃ!」
調子が出てきたジャックは、ちょっとだけふざけた。
すぐに彼は、地面に横たわる男の子の手足をベタベタと触る。さっき見たことを、とにかくやってみようと思ったのだ。
「今はまだ、上手くできないかもしれないが……もう少しだけ時間をくれ!」
(よし……次は傷口に手を入れて、温度を確かめるぞ……ふぅ……ふぅ……)
死体に手など入れたことがない彼は、その場で硬直し、緊張で顔がこわばり次第に息が荒くなる。だがこんな事で立ち止まるわけにはいかなかった。彼は意を決して、ガイバーがやったように傷口に手をいれるため、両手を細め、カマキリのように構えた。
ジニアは、手は1本でいいのにと思った。しかし、不器用ながらも何かを得ようとしている男と、何も言わないガイバーを見て “今はこれでもいいのかもしれない” と口をつぐんだ。
一見すると、顔面に黒いインクがベタ塗りされた男が、死んだ少年の手足をまさぐった後に、両腕の大鎌で捕食しようとするような光景だった。しかし、彼は文字通りこのチャンスをつかみ取ろうとしていた。今やっていることは他者から見て不格好そのものだったが、そんなことは彼にとってどうでもよかった。笑いたければ笑うがいいと。
(俺が馬鹿だった。このチャンスを逃すもんか!俺には圧倒的に知識が足りない!)
「……吸収してやる……吸収してやる!」
そんな様子を、ジニアの横に立った父親がギョッとして見ていた。
「ジャック、すぐにやめなさい」
しばらくして――
再度、死体を村人たちが囲みヒソヒソと不安がこぼれる中、ガイバー達は森へと入る準備をしていた。
ガイバーは靴を脱ぎ、ジニアは手持ちのメスの数を確認し、数本をジャックに手渡す。
それを受け取った彼は、丁寧にポーチにしまった後、アルコールで濡らした布で乱れた顔面のインクを拭き取り、新しく線を書いていた。
ザドジが、犬のペスに指示を出す。
「儂の家から、『お気に入りポーチ』を持ってこい」
「ワン!」
それから、準備が整った彼らは、うっそうと茂る森へと目線を向け、いざ出発しようという時だった。
遺体を抱えた父親が、不安な面持ちでザドジに歩み寄ってきた。
「この子は、苦しまずに死ねたんだろうか……」
ザドジは目を伏せたあと、ちらりとガイバーを見やる。
それにガイバーは、感情なく淡々と答えた。
「目じりを見れば分かる」
父親は、息子の顔を見た。そして、何かを察して泣き崩れる。
ガイバーは何事もなかったかのように、血が付着していた茂みから森へと入っていく。その後ろをジニア、ジャック、ザドジ、そして犬のペスが続いた。
魔物の少年は、枝にロングスカートを引っ張られながらも進みにくそうに前進していく。
その途中で、ジニアは、先ほどのやり取りについてガイバーに問いかける。
「ガイバー。状況から判断すると、『少年は即死した』と告げる選択肢も存在していたはずです。過去にも必要と判断された場面では、あなたは事実と異なる内容を伝えてきました」
「必要と判断したから、ああ伝えたまでじゃ」
その答えに、ジニアは少し眉をひそめる。
「観測結果より、彼は悲しみの感情を示しているように見受けられました。その状態に対しては、共感的姿勢を示すべき場面と判断されます」
「わっははははは!傷を舐め合いたくば、人間同士でやればよい。ワシがたかが人間ひとりに……」
そこまで言って、突然声の勢いがなくなり黙り込んでしまった。
その背中を、アンドロイドは不思議そうに見つめていた。彼に何が起こったかを、彼女の感情分析システムは理解できなかったのだ。
「ガイバー。今、あなたは――」
「……人間の群れをコントロールするには、時に『残酷な真実』が必要なこともある。そしてそれは、 “事実” ではなく ”真実” でなくてはならなん」
「あの死亡した少年は、苦痛を感じる間もなく、即座に絶命したということですか?」
「死体が涙を流していたからといって、死に際に苦しんだとは限らん。絶命させても人間の人体は涙を流すことがある。そしてワシは、常に自分の身の安全しか考えておらん。そうする為には、人間の群れを上手く操作する必要がある。おぬしも長生きをしたくば、よく見ておくがよい」
「……それも、すぐに分かると言うのですか?」
「ああ。楽しみにしておれ」
ジニアは、前を歩く少年の背中を見つめていた。
『人間の群れをコントロールするには、時に残酷な真実が必要である』
その論理は、彼女の内に組み込まれた “人としての綺麗な行動理念” が、静かに頭の中で衝突を引き起こしていた。
彼のやり方は、あまりに非人道的で、時に鋭利だった。それに対して、頭の中が騒ぎ出す。
――その考えは間違っている。
――弱者の心を切り捨てた先に、持続など存在しない。
――もっと他にやり方はあるはずだ。
(確かに……不必要な悲しみを与えてまで、人間をコントロールする必要があるのでしょうか……)
その問いは、単なる思考演算ではなく、明確な “反発する感情” として形をとりつつあった。
「……ですが、ガイバー。この村の住人には、高度な集団制御能力は確認されませんでした。それにもかかわらず、彼らは長期的な生存に成功しています。よって、私は引き続き、人間の観察と記録を続けることで、心のアルゴリズムはやがて最適化され、人間との衝突は最小化されると考えます。要するに、あなたのやり方ではなくとも、『長生き』することは可能だと判断します」
「不可能じゃ」
彼の即答に、ジニアはわずかに口角を落とす。
「不可能と断定した理由について、説明を求めます」
「人間が多種族に牙を剥かなかった歴史など、1つも知らんからじゃ」
「彼らの中には、良き人間もいます」
「ジニア。人間を個で考えてはならん。人間のことは常に集団として考えろ。そのためには、1個体の命を奪おうが心を壊そうが気にするな。どうせその良き1個体には、人間という種族を導く力なんぞ持ってはおらん。そんなことが可能であれば、天使たちが地上を “第一の地獄” などと言って揶揄することもない」
「……ガイバー。仮定を提示します。もし、テレーザが、あなたの命を奪う計画に加担していた場合、その判断対象は彼女にも及びますか?」
「テレーザを切り捨てることで、人間の群れの制御が奪えるなら、迷う必要などどこにある」
ジニアは、彼が魔物なのだと改めて理解した――彼はどうでもいい人間については、本当に魔物が人間という “別の生き物” や “食料” を見る目で見ているのだろうと。
害獣のように必要があれば殺すし、その動物の習性を利用して自分の望む行動を促すときもあれば、お腹が空いていたら食べる。その害獣の知性がどれだけ高かろうと低かろうと彼にとっては関係ない。
それは、おそらく人間が “魔物” や “動物” を見る目にも似ているのだろう。
しかし、彼のこれまでの言動の中で、まるで “人間が人間を見るような” ときもあった。
修理が終わったジニアが調整槽の中から出てきたとき、裸体の人間を模した姿を見て、彼は目を背けた。教会でも受付嬢をナンパしたり、街道を歩く女性に対して『あんなブサイクは見たことがない』とも言っていた。
それは、人間の女性に対して、美を求めていることではないのだろうか。
彼の目に映っている人間は、本当に食料や異生物だけにしか見えていないのだろうか。特に女性に対し、その言動が顕著になるように感じられた。
ジニアは、好奇心に突き動かされ、前を歩く魔物に質問を投げかける。
「ガイバー。あなたは……」――ジニアは、後ろを歩く2人に意識を向け、少年の後ろ髪に顔を近づけて小声で話す――「…あなたは魔物でありながら、人間の女性に対し、恋愛的または性的な関心を抱いていると推定されます。それは事実ですか…?」
その問いかけに、彼は答えなかった。前を歩く彼の表情は読み取れず、それが無表情であったなら、また余計なことを聞いてしまったのだろう。
そんな彼を想像し、他の質問をしようと口を開きかけたその時、ぼそりと彼が口を開いた。
「……魔物であろうが何であろうが、人間の娘に恋をすることはある」
そう言ったっきり黙り込んでしまった彼は、ロングスカートに絡むツタを黙々と引きちぎっていたが、その勢いはどことなく弱くなったような気がした。
それを見ながら、ジニアはそっと目を伏せる。
「……そうですか」
そして、彼の答えを聞いたことにより、あることが明確になる。それは、彼が嘘をついているということだった。
彼の行動理念は、『人間は個体で考えるな』『群れとして制御せよ』『一人に執着することは、魔物としての生存戦略から逸脱する』と。
それは、自身を守るための理論であり、魔物として長く生きるための戦術だった。人間に感情移入せず、どれだけ無惨な死があっても、それを “全体の動き” として切り捨てる。それが魔物である彼だ。
だが、今の言葉は――
『魔物であろうが何であろうが、人間の娘に恋をすることはある』
その発言は、明確にそれと矛盾していた。
(ガイバー……あなたは今、“一人の人間” に、心を向けたことがあると言いました)
それはすなわち、自らが掲げていた理論を、自ら否定するようなものだった。
彼は、人間を “個” として見ないと言いながら、すでに誰かを “個” として見ていたのだ。
(沢山の矛盾があって、どうしたらいいのか、私には……わかりません)
ジニアは、何を基準にして行動していけばいいのか、分からなくなった。
そして彼は、常日頃から『嘘を付け』と言ってはいたが、それは今まで他人に向けての話だった。
――でも今は、私に向けて嘘をついている。
それは、目を伏せたくなるほどの感覚を彼女に与えた。
(あなが嘘をつくのなら、いったい私は、誰に教えを受ければいいのでしょうか……)
人は嘘をつきながら生きているのであれば、お互いに嘘をつき騙し合いながら、関係を維持していかなければいけないのだろうか。
そういった嘘も、普通なら分かり、たやすく受け入れられるのだろうか。
(あなたの発言の中で、どれが本当で、どれが嘘なのか。未完成な私には……わかりません)
アンドロイドである彼女には、いつしかその現実が重荷となっていた。
なぜなら、彼女たち機械生命体には、嘘は必要ないからだ。
「ガイバー。完璧でないとしても、私の心が完成に近づけば、痛みを感じずに済むのでしょうか……」
「……ふぅ……では今日はそれについて話そう。じゃが今ではない。おぬしの言う、その状態に対してはうんたらかんたらじゃ。まったく、それでは村のチュートリアルが終わる前に、本当に心が壊れてしまうぞ。心に痛みは必要ないじゃと?おぬしは日に日に人間に似てきておる」
「それは、心が完成に近づいているからではないですか?」
「それが冗談であれば100点満点じゃわい。その話はまた後でじゃ。今は木の葉の数でも数えていろ」
ジニアは、視線を上げて、無数の葉っぱを不思議そうに眺めた。
「……ガイバー。数えられません」
「あたりまえじゃ!じゃが地面の小石を数えているよりはマジじゃろうが!」
重苦しい会話をしている2人の魔物の後ろを、2人の人間であるジャックとザドジが、ペチャクチャとお喋りをしながら歩いていた。
「爺さん。そういえば言い忘れていたが、治療費は銀貨1,000枚だ」
「言い忘れていたのはお前の落ち度だろ。だから今回はタダにしてくれ」
「駄目だ」
「…………では儂の持っている物でどうだ?」
ザドジはそう言いながら、ケモノを召喚する白い玉をお気に入りポーチから取り出した。
ジャックはそれを見て、目をまん丸に見開く。その白い玉があれば、自分もケモノを召喚できるからだ。
彼はそれに手を伸ばそうとしたが、ザドジは「まぁ待て」と玉をひっこめる。すると今度は、色の違う同じ大きさの玉を取り出した。
「それは……」
「これはスーパーボールだ」
「スーパーボール……!」
その玉は、青い水晶のような色合いで、とても綺麗な玉だった。
「転生者用語で何というか知っとるか?」
「もちろんだ。俺がいた北の街では、転生者が良く技名にスーパーとつけていた。そして意味は、『すげぇ』だった気がする……それからボールは、玉って意味だろ?その言葉は俺が生まれたときから周りが使っていたから分かる。……ちなみに、ウルトラは『すっげぇ』だったはずだ」
「ああそうだ。儂が異世界屋でこれを見つけた時は、全身に衝撃が走った。それはもう、『気球が浮かぶ上空300メートルから落ちてきた100キロもある岩獣を地上で受け止めた時のような衝撃』だった。……スーパーボール……何だかどんな生き物でも捕まえられるような魔力というか魔法を宿している風に感じた……もしくはもう、中に入っているかもしれん……儂は恐ろしくてまだ使ったことはないがな……」
ザドジが差し出したボールを、ジャックは恐る恐る手を伸ばして、慎重につかみ取った。彼は瞬きするのも忘れ、呼吸も徐々に荒くなっていく。
「これで、俺は、もう……」
「そうだ、お前はもう、ポケモノマスターだ」
ジャックは、宝物を見つけた子供のように、キラキラした目で手に握られている青い玉を見つめ、口角をぎこちなく釣り上げた。
「ちなみに、ポケモノ協会に行って “獣使い登録” をすると、なんと3つの内からタダで1体ポケモノが貰える」
ジャックはそれを聞いて、宗教勧誘に騙されたおばさんのように、ニッコリと目に弧を描いた。
それからしばらく歩いた後、ガイバーとジニアが足を止める。
そこは、草と木の匂いが濃く残る森の一角。そこだけ、草が不自然に押し潰され、その脇には赤黒く変色した血が地面に滲んでいた。草の根本に染み込んだそれは、いまだ乾ききらずに生々しさを残している。周囲の草の葉裏にも、飛び散った細かな血の跡が残っていた。
ガイバーは、ロングスカートの前側を縛り、しゃがみ込んで地面にそっと両手を付いた。そのまま、四つ足で歩きながら辺りの地面をなめるように調べ始める。
「……怪物は、靴を履いた……おそらくただの人間か、それに近しい骨格の種族じゃろう」
そして、彼はある所で止まり、地面の一点をじっと見ていた。それを見たジニアの赤い瞳が、地面に焦点を合わせ分析する。
「どうやら、その位置で踏み込み、剣を振るったようですね」
「ああ。……そして、斬られた子供の足跡は、ここで途切れておる……向こうからまっすぐこちらに向かって歩いてきたようじゃな」
「では、被害者は、至近距離で斬られたことになります。……逃げようとした形跡はありませんね」
それを聞いて、ジャックが「やっぱり、怖くて動けなかったんだな」と、いたたまれない顔でぼそりと呟く。
しかし、ガイバーは少し頭を傾げた。
「……いいや。おそらく、子供は目の前の怪物に気が付いておらんかったようじゃ」
「目の前まで来たのに、気が付かなかった?そんなことがあるのか?」
「最後の足跡は1つしかない。もし恐怖に支配されていたならば、その場に立ち尽くし2つの足を揃えるか、後ろに下がった跡が残るはずじゃ。じゃが、この足跡は、歩いている最中に、いきなり斬られたという風にしか見えん」
「透明人間にでも斬られたってことかよ!?」
それを聞いたジャックは、肩をすくめ、両手をもじもじさせながら辺りを見回す。
するとジニアは、その場で右に体をくるりくるりと旋回しながら、周囲を索敵する。
「ガイバー。今のところ、周囲100m以内に人の生命反応はありません」
それを聞いて尚、ジャックはまだおびえた様子で、ジニアのすぐ傍で身の安全を確保しようとした。
「離れなさい、ジャック」
「あ……」
ジャックは、そう言われて今度はガイバーの方を見たが、すぐに1歩後ずさった――彼は、恐怖に支配された足跡を残した。
「ボス……とにかくここからは、足跡で追跡するってことか?」
「足跡で怪物を追う?……無理じゃな。ほぼ不可能じゃ」
「え、ボスには足跡が分かるんじゃないのか?」
「たしかに、ここみたいに地面が柔らかければ、多少は跡が残る。だが、どこへ行ってもそうだとは限らん。もちろん草も踏まれれば倒れるが、時間が経てば起き上がる。茎が細ければなおさらに早い。 “今” に近ければ近いほど当てにはなるが、 “過去” を探るのには向いておらん。ようするに “自然” というやつは、足跡を保存するのには向いておらんのじゃわ」
ジャックは、うつむきながら「じゃあこれからどうやって……」と声をもらす。ところが次の瞬間、彼はハッとしてザドジへと勢いよく顔を向けた。
「おい爺さん。あんたの犬を使えばいいじゃないか!」
「さっきも言ったが、儂のポケモノでは追跡が出来なかった」
「犬なら匂いを追跡できるんじゃないのか!?」
それに対してザドジは、「無理だ」と一言ったきり黙り込んだ。
それを見ていたジャックが、不思議に思っていると、ジニアが情報を補足する。
「……ペスの追跡能力についてですが、現実的には、犯人の潜伏場所まで辿り着ける可能性はほとんどありません。犯行からすでに約5時間が経過しており、その間に残された臭いは、空気中に拡散しているか、土や草に吸収されているか、他の動物や風によって上書きされているはずです。一般的に、臭跡は2〜4時間で実用的な濃度を失うと言われています。そして……ザドジ。ペスの犬種について、分類情報を提示してください」
「雑種だ」
「ペスは、雑種です。一般的に “雑種” と呼ばれる犬は、特定の用途に特化した形質がありません。特に臭跡追跡のような作業には、鼻腔構造そのものが追跡に適した犬種が選ばれます。万能であるということは、得意分野がないということでもあります。それと、ザドジ。ペスは、臭跡をたどる訓練を受けていますか?」
「あのイヌに出来ると思うか?」
「ペスは、追跡犬としての訓練は受けていません。身体的には数十キロの距離を移動することは可能でしょうが、臭気をたどって目的地にたどり着くには、長時間持続できる集中力と精密な嗅覚処理が必要です。もし運良く成功しても、それは実力ではなく事故に分類されます。条件がいくつも不利に重なっています。成功率は……そうですね、現実的に考えて0.1パーセント未満。つまり、まず不可能だと判断します」
「確かにその通りだ。あれは、アポナの街で捕まえた、転生者が飼っていたというだけのレアポケモノだ。ワシが投げた玉を取って来ることしかできん。なぁ、イヌ…………イヌ?」
ザドジは振り返り、返事をしない自分が連れていたペスを見た。だが、そこには何もいなかった。
いるべき者がおらず、ただそよ風によって揺れる草木が、この状況を不安へと追い立てる。
「儂の……イヌはどこいった……?」
ジャックが1歩後ろに下がり、影のできた驚愕な表情をして叫んだ。
「透明人間だぁぁぁ!!」
すぐにジニアは、その場で体をくるりくるりと旋回しながら周囲を索敵する。
「……今のところ、周囲100m以内に人の生命反応はありません」
「だが儂が指示を出さん限り、儂のそばから勝手に離れたりはしない!」
ザドジ、ジャック、ジニアは、次は誰が犠牲になるのかと、円陣を組んで辺りを警戒する。
ジャックは、こわばった顔で辺りを見回しながら透明人間からの攻撃を警戒し、ポーチからメスを1本取り出して両手でしっかりと握りしめる。メスの先端を小刻みに揺らしながら、ボロクソに言われた後に死んだペスに呪われないように「首輪がオシャレだった」「名前がいい」「転生者に飼われていたなんてすごい」と小声でブツブツとお経のように唱え始めた。
その彼に対して、ザドジは焦りながらも小声で咎める。
「しっ!静かにするんだっ……!透明といってもただの人間だ……足音や近くの草木が不自然に揺れているかどうかに集中しろ……!」
ジニアも、無表情ではありつつも、視線は注意深く周囲を探っていた。そして、のんきに半分口を開けて小さな牙を覗かせている少年に注意を促す。
「ガイバー。気を付けてください。敵は、私の索敵を回避できる可能性があります」
四つの手足で猫のように座っているガイバーは、それを呆れた様子で見ていた。
「仮に、あの犬がその透明人間に殺されたからなんだと言うのじゃ。相手は素人だと言ったであろう。殺気までは殺せん。無用な心配をして恐怖に飲まれるな」
「ですが、状況から見て、敵が誰かのように、自身の実力を隠蔽している可能性もあります」
「ふぅ……その手練れがこんなところで何をしているというのじゃ……」
「ここで、何者かに “面白いもの” を見せたくて仕方がないのではないでしょうか」
「わっははははは!……ワシ好みの回答じゃ……」
ジャックは、2人のいつも通りの会話を聞き、少し落ち着いた様子で体の力を抜いた。
だがザドジは、瞬きもせずに辺りに神経を集中し続けている。
そんなザドジの横顔を見ながら、ガイバーが静かに話し始めた。
「ザドジ……そんなに怖いのなら、ケモノを出せばよいではないか」
ザドジは、腰のお気に入りポーチに視線を落とす。
しかし、中から召喚獣用のボールを取り出そうとはしなかった。
「むざむざ透明人間に殺されたのでは、可哀そうだろ……」
「ほぅ。自分のペットを戦わせて傷つけ、自爆させて殺すおぬしが “かわいそう” と言うのか?」
ザドジは最適な答えを探すように押し黙る。
ガイバーは少し腰を上げて、尖った指先で地面をそっと押えながら、ザドジの正面に向かってゆっくりと四つ足で歩き出した。その間も、猫のように縦に裂けた瞳孔は、ザドジの表情を捉え続けていた。
「ところでおぬし、相手を人間と決めつけているようじゃが…………どうした?構わず周囲を探り続けるが良い」
ザドジは、周囲を警戒するのをやめ、リソースをすべて頭に集中させた。
横から正面へと移動してくる少年の気配を、視線ではなく耳で捉えようとする。
だが聞こえてきたのは、足音ではなく――ロングスカートの裾が地面をかすめる、乾いた布擦れの音だけだった。
「ちなみに、腰につけているそれは『お気に入りポーチ』と言ったな?……であればそこに入っておるのは、あの機械恐竜と同等の強さか、それ以上の獣なのじゃろう?……それを、透明なだけのただの人間に殺せるのか?」
ザドジは何も言わず、そして表情も変えずにただじっとその場に立っている。
「ザドジ。おぬしは本当に、自分の獣が殺されることを恐れているのか?…………むしろ、その逆ではないのか?……自分の獣が、相手を殺してしまうとな」
ガイバーの目線が、ザドジの喉元に移動した。彼の身体反応は、問われた答えを明確に表していた。
「なぁおぬし、……実のところ、相手のことをよく知っているのではないか?……力量、能力、使用する武器――」
ガラスのような金色の瞳に、先ほどよりも早く動く人間の肋骨が映されていた。
「では仮に、おぬしの獣が相手を殺してしまうことを恐れているとしよう。……それは、子供を殺した怪物は “敵ではない” と言っているようなものじゃ。そして、自分の犬を殺されても、敵対したくないとな……」
森の中を一陣の風が吹いた。
ザドジの右手は、いつの間にかポーチの中に滑り込んでいた。
そんな彼の前に静かに座った魔石獣は、淡々と話し続ける。
「そういえば……子供が捨てられていた場所に、いるべき人間がいなかったな」
ザドジはそれを聞いて、焦った様子でポーチの奥に手を押し込む。
「動くな」
「!?」
ザドジの動きは途端に鈍り、彼だけが時の流れに置いて行かれてしまったようだった。
「あれだけの村の一大事に、村の長は一体どこへ行ったんじゃ?…………ああそれと、あの死んだ子供じゃが、誰かに似ておらんかったか?」
ザドジの額から汗が伝った。ザドジは、今まで以上に渾身の力を込めてポーチから手を引き抜こうと、石のように固くなってしまった腕を何とか少しづつ動かしていく。
その必死な様子の奥にある何かを、金色の目が探るように見つめていた。
「……あの子供のライトブラウンの髪と薄オレンジ色の目は、まるで “金髪金目” ではないか…………おぬしら、ワシと間違えたじゃろ?」
ザドジの目が見開かれる。彼は歯を食いしばり、一気にポーチから玉を引き抜こうとした。
「動くな」
「!?」
今度の一言で、彼の動きは完全に止まった。彼は目線すら動かせない。
魔眼により無力化された人間を確認し、目の前の魔物はゆっくりと立ち上がる。
「じゃが1つ分からん。なぜ犬を殺し、おぬしと敵対する必要がある。都合のよい新しいコマでも見つけたというのか……それにしても、敵対する必要などあるまい。なぁ、ザドジよ」
「…儂にも……分からん…」
「……まぁよい。では手に持っている物を放し、ポーチからも手を放しておけ」
「ぐぅぅう……!?」
ザドジは、ポーチから勢いよく手を引き抜いて、まっすぐ真横に伸ばした。
「人差し指を立て、仲間のところまで案内するがよい」
「なん……だとぉ……!?」
ザドジは、真横に向けられていた腕を勢いよく自分の前に向け、ピンッと人差し指を前方に向けて伸ばした。
そのまま彼は、自分が指した方向にゆっくりと1歩づつ前進を始める。
まるで方向指示器のようになった彼は、呻き散らしながら抵抗して胴体を左右に小刻みに揺らすが、速度は全くもって落ちなかった。
その様子を見ていたジニアは、『あの場にいなければならない人間』が、もう一人いることについて考えていた。
その人間は、自分たちに見返りを求めずに家に住まわせ、あの村の中で一番よくしてくれている人物――テレーザだった。
あの場に村長とテレーザという、いなくてはならない人間がいなかったことを、彼女はとうに気が付いていた。
時が来ればガイバーは、人間を操る戦術として、テレーザのことも言及するのだろうか。
そんな疑問が頭をよぎったが、その疑問を解くことよりも今はまず、村の子供を殺した犯人の潜伏先に行くことを優先した。彼女は2人に続く。
しかし、ついて来ない人間が一人いることに気付き、彼を振り返る。
「ジャック。どうかしましたか?」
彼は、地面に足が張り付いたかようにその場に立っていた。
表情は酷く怯えた様子で、体が上手く動かせないのか、胴体を僅かにひねりながら目線だけを怪物からそらし、ジニアの方をみる。
「先生……体が……動かない」
彼はあり得ない体の感覚に戸惑っていた。そして、前にもこんなことがあったことを思い出す。
(この感覚。これはボスと初めて出会い、壮絶な戦いの中で体験したものと似ている。あの時は死ぬかと思った。そしてビビッたか何かで、体が動かなくなったのかと勘違いしていた。なんでかって言ったら、無理やり体を動かそうとしたら意外と動いたからだ)
しかし、今回のは明らかに体を束縛されている感じがした。全身が鉛のように重く、手足を動かそうにも反応しない。皮膚の感覚が遠のき、まるで腕や脚そのものが自分のものではないと錯覚するほどに。心は動きたがっているのに、身体は氷に固定されているようだった。
ジャックは、ガイバーがやはり魔法か何かで人を動けなくする術を使うのだと確信する。
「ボス……解いてくれ……」
ジニアは、少年の方を振り向く。無表情ながらも、振り向いた速度には焦りが含まれていた。
「ガイバー。誤って彼にも影響が及んでいます」
それを聞いた少年は、だるそうに口から牙をのぞかせて、治癒士の男を見て話しだす。
「ジャック、ワシはお主に何もしていない。もう一度言うぞジャック、わしはおぬしになにもしていない」
ジャックはそれを聞いて、(そんな馬鹿な!だってほら!)と、指を動かそうとする。すると、それに反応してピクリと指先も答えた。気が付くと体は、さっきとは打って変わって羽のように軽くなっているのを感じた。
自己暗示だった。
「うご……」
彼は、思い込みで動けなくなったとは言えず、もうちょっとしてから動こうかな、なんてことを思っていた。
「……それではジャック、お元気で」
「せんせ!?せんせぇぇぇぇぇ!!」
勢いよく四つん這いになってジニアを見ながら叫ぶジャックを置いて、彼女は少年の方を向いて歩き出す。
その少年は、大声を出す男をじっと見ていた。
「……ジャック、限界か?」
その言葉に、ジャックは背中を何か冷たいもので撫でられたような感覚を覚える。
「限……界……」
その言葉が、ジャックの体に深くしみこんでいった。
ジャックは、魔物の発した『動くな』という言葉で、ザドジが動けなくなる様を見ていた。それを、彼の頭は『自分もこのまま動けなくなったら……』と、都合のよい解釈をしたのかもしれない。
「……いいやボス、俺は……俺の意識は “まだいける” と言っている。ただ、俺の無意識が、少しばかりビビってるってだけさ」
「好きにするがよい。……じゃが、トラウマになってからでは遅いぞ?」
「ガイバー。やはりあなたは、私に対して嘘をついています。あなたは、人間の個に対して――」
「うわぁぁぁ!!」
その時であった。
ザドジの悲鳴があたりを覆う。
刹那、ガイバーとジニアがザドジの方へと駆ける。彼らの目線の先には、大木の真正面で悲鳴を上げるザドジがいた。
「ザドジと大木の中間領域に、探知不能の何かがいます。気を付けてください」
ジニアとガイバーは、左右に分かれてザドジを挟む形で距離を取った。
そこで2人は、衝撃的な光景を前に一瞬硬直する。
ザドジの人差し指が大木に押し付けられ、上に限界まで曲がっていた。彼は、殺人犯の隠れ家に向け一直線に歩いていたが、大木に進路を阻まれ、その結果彼の人差し指に事件が起きた。
「うわぁぁぁ!!」
「おぬしら何しとるん!?」
ほどなくして、4人の隊列が決まった。
先頭を、案内役のザドジ――移動式方向指示器。
2番目を、ジャック――指した方向にまっすぐにしか進むことができないザドジを、マニュアル操作で障害物を避けさせるために、彼の両肩を持ち舵を切りながら歩く役目だ。
3番目を、ジニア――必要に応じて周囲を索敵し、何かあった時に前後に素早く移動し対処する。
そして、しんがりをガイバーが歩く――既に案内役がいるので、今は特に役割はない。やることといえば、前方にあるものをしっかりと監視することくらいだろう。それに前3人が障害物を排除してくれる分、さっきまでとは打って変わって快適となった。
今も尚、先頭を歩くザドジの顔面には、ツタが押し付けられ食い込むごとに苦渋の声が漏れている。
そんな中、ジャックが額に汗を滲ませ、ザドジの背中を一所懸命に何度も勢いをつけて押し、顔に絡まったツタを押し切っている。4人の中では、一番体力の消耗が激しいポジションだ。
その後ろのジニアは、先頭の男たちの体に押されて跳ね返ってくる木の枝をつかみ取りへし折っている。
歩きやすさが桁違いに良くなった少年は、視線はやや下に落としてニッコリと上機嫌だ。何もすることがなく手持ち沙汰になったのか、彼はジニアがへし折った枝を右手に持ち、右か、左か、それとも割れ目を突くか悩んでいた。
「ジニア、前に胸を触ったときにブチ切れたよな?では、尻を触ってもブチ切れるのか?」
その言葉に、ジニアは前進しながら振り返る。そこには、自分のお尻に突き出された枝が左右に揺れていた。
「ガイバー。女性の胸部および臀部への接触は、社会的マナーに反しています」
そう言いながら彼女は、自分のお尻に向けられた枝をつかみ取ろうとしたが、ひょいとガイバーは枝を振ってかわす。
「それも、人としてのキレイキレイプログラムがそう言っておるのか?」
「……どちらかではなく、両方であると、思われます」
「両方、か」
彼の隙を見て、また枝をつかみ取ろうとしたが、またもや手は空を切る。
右目がピクリと痙攣した。
「前にワシは、AIロボットの股間にチンコを落書きしたことがある。その時に確か『消えるマジックで書け』と注意されたんじゃ。それは清掃に関するプログラム上そのシチュエーションではそう発言することになっているからじゃ。人を教育するプログラムは組み込まれていない以上、そやつにそれ以外の内なる声はない」
「ガイバー。私には、心があります。それはあなたが一番ご存じのはずですが」
「ああ、分かっておるよん?」
ジニアは、ガイバーが何を聞きたいのか首を傾げる。
「あなたは、私の胸部および臀部への接触を望んでいるのですか?」
「ああ。なぜなら、見るからにおぬしの外見は、美を意識して作られておる。じゃから触りたいと思わん方がおかしいじゃろ。……じゃが、ワシは今触れてはおらん。なぜならぶん殴られるからじゃ。ということはじゃ、ワシの中には今、触れたいという思いと、触れたくないという真逆の思いが存在していることになる」
「それが、人間を “個” として見ないと言いながら、誰かを “個” として見ているあなたの心の中なのですか?」
「ああそうじゃ。人間はよく『一貫性』という言葉を使うが、そんなものは幻想にすぎん。なぜなら心がある以上、それは不可能だからじゃ。そして、一貫性があるはずだという幻想に囚われ、理想通りに動かない誰かを見て、勝手に心にダメージを追い続ける」
「……確かに……私もまた、理想を語っていたにもかかわらず、これまでそれに伴う行動が取れていなかったのは、事実です。……私は、自らの矛盾を見過ごしていました。おそらく、私もまた虚偽と弱さを抱えた存在です。あなたのように言えば、嘘つきで、弱者なのでしょう……」
「そうではない。ジニア、まずおぬしは嘘つきではない。ワシの心には声が2つあるように、おぬしの心にも “矛盾する真実” があるというだけじゃ。それも、おぬしの場合は3つな」
「3つ……」
「ああ。おぬしの無意識の本音の声、おぬしの意識にある理性の声、そして、ソルトが組み込んだプログラムが発する声じゃ。今おぬしの頭の中では大戦争が起きておる。しかもワシの魔石を取り込んだせいで心の構築も以前の純粋な機械生命体だった頃の比ではない。もしおぬしが人間であったなら、もうとっくの昔に頭がおかしくなっていたじゃろうな。じゃから、おぬしは弱者なんかではないよ」
ジニアは、彼の言葉を1つ1つ胸の奥に大切にしまい込んだ。
心の中で交差する複数の声は、未だ互い違いなままだったが、わめき散らすことは止め静かに渦を巻いている。
その渦の中心に、どうしても理解したい問いが、ずっと居座っていた。
僅かに視線を落としながら、後ろを歩く彼に問いかける。
「ガイバー。もうひとつだけ、聞きたいことがあります。なぜあなたは、人間の個に対し、矛盾する心を持っているのですか?」
長い沈黙があった。
だがジニアは、彼が話し出すのを待っていた。なぜなら、彼はいつも、時間をかけてでも最後には彼女を満たす答えをくれるからだ。その事に気づいた彼女は、もう胸の痛みなど元々なかったかのように穏やかになっていた。
すると、ガイバーはゆっくりと息を吸って、落ち着いた声で、人間でない彼女に理解できるように話し始める。
「……1人の人間に、人間という種族を導く力は残念ながら無い。その結果は想像に容易い。じゃが、1人の人間が、人間を絶滅に追い込むほどの1体の怪物を、良き方向に導く力を持っていることもある。そして、心の痛みが強ければ強いほどに、次こそはそういった個を守り抜こうという気持ちも強くなる。じゃから、心は痛みが必要なんじゃよ……」
彼女の中に渦巻いていた衝突の声が、一瞬だけ、言葉を失った。
それは納得ではなく、服従でもない。
ただ、自分の知らぬ視点から語られたその一言が、“決して軽くはない真実” であることだけは、理解できたからであった。
「じゃが、今のおぬしは人間を個として見るのはやめておけ。人間ではないおぬしが、人間を個としてみようとしたときの苦難に晒されれば、きっと心は壊れてしまう。それが出来るようになるのは、もっと先の話じゃ」
心の演算はいつも通り進んでいるはずなのに、どこかに見知らぬ小さな何かがあった。
冷たい論理の表面に、かすかな揺らぎのようなものが浮かんでいる。
ジニアは、その何かに導かれるように、次の問いを投げた。
「……ガイバー。人間以外を、個として見ることはありますか?」
「おぬしは、本当に頭が固いな。わっははははは!」
ジニアが振り向くと、そこには、幸せそうに笑う少年の笑顔があった。




