第1話 真夜中の教会、売られる少女。
「寒い……」
がらんとした夜の礼拝堂で、私は裸足のまま立たされていた。
季節が真冬ということもあり、石造りの教会は凍えるほどに寒い。薄汚れた貫頭衣しか着ていない私は、ガタガタと身を震わせていた。
「おい、パルマ」
「痛いっ……」
私の名を呼ばれ、ハッとした瞬間。
パンッという乾いた音と共に、鋭い痛みが私の左頬を襲った。
にじむ涙をこらえながら顔を上げれば、闇に溶けそうな漆黒のローブをまとった神父――私の養父が、苛立った顔でこちらを睨んでいた。
「何をボーっとしている。新たにお前の飼い主となる伯爵閣下だ。さっさとご挨拶をしろ」
「……わかり、ました」
神父の横に立つ男性に向き直り、ぺこりと頭を下げる。
伯爵の見た目は60歳くらいだろうか。よほど裕福なようで、身に着けているものはどれも高級そうに見えた。
そして丸々と肥え太ったお腹は、ガリガリに瘦せこけた自分とは大違いだ。そんな人物に、養父である神父は娘である私を売り飛ばそうとしているらしい。
「随分と生意気な目をしたガキだな」
「痛いっ……!」
歩み寄ってきた伯爵に突然髪を掴まれ、息がかかるほどの距離で睨みつけられた。漂ってくる口臭の酷さに、思わず悲鳴が出そうになる。
「髪色が左右で違うのか。お前、歳はいくつだ?」
「じゅ、16歳です……」
「成人したての神子か。教会としては売り時というわけだな」
神子は“神の子”なんて大層な名がついている。けれど実際は“聖魔法の素質がある孤児”を教会がそう呼んでいるだけ。神父にとっては、金になる家畜でしかない。
孤児だった私も保護という名目で育てられ、今まさに出荷されようとしていた。
だけど伯爵は、ただの神子には興味がないみたい。私の白黒に分かれたモノトーンの頭髪を見て、フンと鼻を鳴らした。
「閣下。このパルマは世にも珍しい、聖と闇、相反する魔力を同時に持つ神子なのですよ」
「闇の魔力を持つ神子だと!?……つまり異端者か」
「えぇ。ですから伯爵閣下がこの子をどのように扱おうとも、この国の罪に問われることはありますまい」
それを聞いた伯爵が舌なめずりをした。
闇の魔力を持つ者は、死と破壊をもたらす異端者として扱われる。そして異端者を狩る騎士団により根こそぎ処分され、この世にいなかったことにされるのだ。だからこそ、私は必死でこの力のことを隠して過ごしてきたんだけれど……。
「闇魔法を使う女は初めてだ。……しかし、よくそんな希少な奴を見付けたな」
「パルマと同室だった神子がたまたま発見し、私に教えてくれたのです」
「ははは! コイツは友人に売られたのか。これは傑作だな!!」
親しい人物からの裏切り。それは事実だ。
だけど私は彼女を恨んではいない。
優秀な神子はより上級の貴族に貰われ、裕福な生活を送ることができる。だから他の神子を出し抜こうとするのは、当たり前の行為だ。もし自分が彼女の立場だったら、おそらく同じことをするだろう。むしろ私は、自分自身に失望していた。
(私ごときが希望を持っちゃいけなかったんだ。なのに私は――)
聖魔法が使えなくても頑張って他の勉強すれば、誰かに認められるかもしれない。一人でも必要としてくれる人がいれば、生きる楽しみが生まれるかもしれない。だからできる限りの努力をしてきたつもりだった。
(だけどこんな結末を迎えるのなら、ぜんぶ無駄だったみたい)
この先の自分がどんなむごい最期を迎えるかなんて、誰にでも予想がつく。
醜い豚のような男の慰み者となるぐらいならいっそ、自分の手ですべてを終わりにしよう。そうだ、この死をもたらす闇の力を使えば……。
「おい、お前。何をするつもりだ」
二人が売値の相談をしている間に、私は右手に魔力をまとわせていた。
それも怖気の走る、黒くて禍々しい魔力。白い魔力を持つ聖魔法とは真逆の色だ。その様子に気付いた神父が慌てて私に駆け寄ろうとする。
その前に私は憎悪に満ちた目で彼を睨み付ける。そして闇の魔力を全身に巡らせ、一気に放出させた。すると黒い霧のようなモヤが、私の体を繭のように覆っていく。
「おい神父、コレはなんだ!?」
「お、お前……それほどまでに強大な闇の魔力を持っていたのか!?」
その声を無視して、私は両手を組んで跪いた。そして目を閉じ、静かに祈り始める。すると私の願いに反応したように、黒い繭が徐々に姿を変えていく。
そうして現れたのは、一匹の巨大な漆黒の蝶だった。
(この力なら、すべてを終わらせられる――)
黒蝶の羽根が私を優しく包み込む。
あとはこの力に死を願うだけ。
それで、私は楽になれる……。
「……悪いが、キミをここで死なせるわけにはいかないな」
「えっ……?」
あと一息というところで、私を覆っていた黒蝶が一瞬で霧散した。
そのあと視界に入ってきたのは、ひとりの騎士風の男性だった。
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