■オンラインゲーム
読書の他に、私にはもう一つの趣味があった。PC経由で遊ぶオンラインの箱庭ゲームである。
週末になると、アイテムを集め、友達を作り、レベルアップに勤しんでいた。現実世界でもファンブックやグッズを購入してしまう程、のめり込んでいた。
どういう布教の仕方をしたのか覚えてはいないが、私の影響で三人の友達が箱庭ゲームを始めた。三人とも女子バスケ部のメンバーであり、内一人は実月だった。
箱庭ゲームの中には、個人宛の掲示板があり、誰でもメッセージを書き込めるようになっていた。携帯電話を持っていなかった私は、箱庭ゲームの掲示板を代用し、三人と他愛のないやりとりを楽しんでいた。
ある時、いつものように箱庭ゲームにアクセスして掲示板を開いた私に、衝撃が訪れた。
掲示板に書かれていたのは実月からのメッセージであった
。
"信頼関係って大切だよね。隠し事は大事なものを失うよ。"
心臓の鼓動が激しくなり、耳の奥まで鳴り響く。と同時に、胃の奥に冷たい水が広がった。実月を悲しませ、怒らせた要因として思い当たる節はすぐに見つかった。
私は常に、制服の胸ポケットに折りたたみ式のクシを入れていた。プラスチック製のクシである。しかし、今の私のクシは、可動部から真っ二つに折れてしまっている。一週間程前、髪を梳かしていると、「バシッ」という音と共に破損してしまった。
そして、このクシは実月から貰ったものであった。
先代のクシを実月に貸した際、やはり同じように破損してしまった。実月が責任を感じ、代わりのクシを購入し、私にプレゼントしてくれたのであった。
クシが折れるのはプラスチックの経年劣化の問題である。偶々そのタイミングにあたってしまっただけの実月に罪は無い。私も実月に対して攻める気持ちは全く無く、むしろ実月にこんな粗悪品を貸し出してしまったという申し訳無さがあった。
「美香。ごめん。」折れたクシを呆然と見つめ、実月が絞り出すようにつぶやく。
「いや、こちらこそごめん!そろそろ寿命だったんだよ。私がかなり雑に扱ってきたし。」私は必死にフォローをする。こんな事で実月と気まずくなんかなりたくない。
「買って返すから。ごめんね。」
「いらない、いらない!買わなくて大丈夫だから。あ。それ、ちょうだい。」実月の方に手の平を差し出す。
「これは見本として預からせてね。」実月がクシの成れの果てを自身の胸ポケットにしまう。
「ちょっと待って。それはだめ。」私は取り返そうと手を伸ばす。
「こっちに来ないでください。」実月はクシ入りの胸ポケットを押さえ、一歩後ろに下がり、拒否感を示す。
実月は一度決めたら絶対に曲がらない。
「じゃあ、それはあげるよ。でも、新しいやつ買わないでよね。」私は半ば諦め口調でお願いをする。
「分かった。」笑顔になった実月が元気良く返事をする。
次の日、実月はファンシー雑貨屋の袋と一緒に満面の笑みを引き連れて現れた。
「はい、返すね。」実月が雑貨屋の黄色い袋を私に渡してくれる。
「実月…。買ってくれたの?」
「めっちゃ可愛いからさ、とりあえず早く開けてよ。」
「うーん。ありがとう。」素直に喜んで良いものかどうか迷いつつ、開封する。
出てきたのは私が使っていたクシと全く同じタイプの新品のクシだった。表面にプリントされているキャラクターの種類も同じ、私の好きなクマのキャラクター。唯一の違いは、クマの格好やポーズであった。そして、実月のくれた方のクシは、元のクシより何倍も可愛い描かれ方をしていた。
「か、可愛い。」
「でしょ?美香が絶対気に入ると思った。」得意げな実月。
「これ結構するよね。お金払うから金額教えて。」
「だめ。お金払うなら絶交だから。」
「そんな。」
「いいの。気にしないで。」
「うーん。申し訳無さすぎるけど、嬉しいです…。ありがとうございます。」私はクシを両手で持ち、頭を深々と下げた。
「捨てないで使ってね。」
「もちろんだよ!」
その日から、クシは私の宝物になった。制服の胸ポケットに入れ、肌身離さず持ち歩いた。
神様との間を取り持つ御守のように、クシは実月と私の間を取り持つように思われた。そして、私に安心感と幸福感をもたらしてくれるのであった。
そんな大事な大事なクシを、私は真っ二つに折ってしまった。
宝物を失った激しい悲しみと、この事実を実月に知られたくないという焦燥感に襲われた。実月になんて説明しよう。嫌われたくない。実月の特別でいたい。色々な想いがぐるぐると巡る。
「智子、どうしよう。実月からもらったクシ、折っちゃった。」実月がいないタイミングを見計らい、部室兼器具庫で智子に相談する。
「それ実月にもらったやつだっけ?あー…折れてるね…。」相談を受けた智子は、親身に寄り添ってくれた。
「そうなの。どうしよう。」
「うーん。やっぱり実月に正直に言うのが良い、かな…。実月も怒らないよ。」
このタイミングで実月が器具庫に入ってきた。
そして、直前の智子の言葉は、しっかりと実月の耳に届いていたようであった。
「何の話してたの?私の悪口?」実月が笑顔で尋ねる。発言とミスマッチな表情がとても怖い。
「いや、そんな、まさか!」智子が慌てて首を横に振る。私も同じく首を横に振る。
「じゃあ、何?隠し事?」実月の目つきが不機嫌さを醸し出し始める。
「なんでもないよ!」私が否定する。智子は私の様子を伺いながら、口をつぐむ。
「ふーん。別に悪口でも怒らないよ。」
「絶対ない!」そう言い切って、私はそそくさとその場を離れた。
その日の夜だった。実月からのメッセージが、箱庭ゲームの掲示板に残されていたのは。
"信頼関係って大切だよね。隠し事は大事なものを失うよ。"
メッセージを幾度も読み直し、実月にクシの破損を正直に伝える腹を決めた。
次の日、部活の朝練でも、授業の合間でも、実月はいつも通りだった。掲示板のメッセージについても、一言も触れなかった。私も話を切り出すタイミングを伺いながら、極めて普通通りに振る舞った。
昼休憩になり、給食委員会の仕事に向かう。実月も席を立ち、自然な流れで私に付き添う。
牛乳を取りに、二人並んで階段を下っていく。なんとなくぎこちない二人のところまで、昼休憩の生徒達の談笑する声が、廊下を反響しながら追ってきた。
普段なら気にもならない会話の途切れも、今日はやけに気まずい。私は、意を決して話し出す。
「実月。あのね…。」
「うん?なあに。」
「えっとね。実月に貰ったクシなんだけど…折っちゃった。」
「え?クシ?」
「本当にごめん。」やっと謝罪の言葉を口から出す。合わせてこれ以上無い程頭を下げる。
「え?もしかして、美香が智子と話してた内緒話ってクシのこと?」
「…そうです。」恐る恐る顔を上げる。
「なんだ。そんなことか。早く言ってよ。隠さないでよ。」実月はとびきりの笑顔だった。目元をくしゃくしゃにさせた、あの笑顔だった。
「怒ってない?」安心半分と不安半分で聞く。
「怒らないよ!」実月が心外といった顔つきをする。
「良かったあ!実月ごめんね。」ここ数日、身体中にへばりついていた罪悪感と不安感が一気に消え去った。私は泣き出しそうになった。
「もう隠し事は無しだよ。」実月は私を抱きしめ、私の頭をクシャクシャに撫でた。