■入学式
実月との出会いは、中学に入学してすぐのことであった。
私は地元の公立小学校を卒業し、公立中学校へと進んだ。進学先の鹿海中学校は、私の母校の銀城小学校の他二校の小学校の卒業生の進学先でもあった。
入学式で私は一年三組に振り分けられた。体育館に並べられたひんやりとしたパイプ椅子に座った新入生群を前に、年配の教員がクラス名簿を読み上げる。一年三組のクラス名簿には、運よく銀城小学校出身の仲の良い友達の名前が二人も連なっていた。
「美香!やったね。よろしくね。」式が終わり、各クラスへと向かう廊下の途中、銀城小学校出身の優紀が後ろから声をかけてきた。見慣れない制服と見慣れた優紀の顔。身体より少し大きめの制服のせいで、肩幅が突き出て逆三角形に見える。
「めちゃくちゃ嬉しい。こちらこそよろしくだよ。」私は安堵感でいっぱいになり、優紀に抱きつく。
「あと、里美も一緒だったね。」私の頭をよしよしと撫でながら、優紀が言う。
「会いたかったよぉ。美香!優紀!」噂をすれば、里美が私の後ろから抱きついてきた。少し背の低い里美。里美の額が私のうなじに当たる。
「痛!」大げさにリアクションをした私に、優紀と里美が笑い出す。
入学式から一週間程が過ぎると、部活動の体験入部が始まった。
特に希望の部活動は無かったが、両親の教育方針で帰宅部にはさせてもらえなかった。
私の中での候補は唯一、小学校でも所属していたバスケ部だった。優紀、里美とも、小学校のバスケ部仲間であった。二人がバスケ部の体験入部に行くと言うので、私もついていった。
授業後のホームルームに担任が遅刻したせいで、私達のクラスは解散時刻が遅くなっていた。解散後の掃除を終え、早足になりながら三人で体育館に向かう。体育館の各出入り口には、ボールガード用の鉄格子扉がはまっていた。
既に活気が漂い始めている体育館からは、ボールの弾むリズミカルな音に合わせて、白や黒のスポーツタイプのTシャツ姿が格子越しにチラチラと見える。
通学用の運動靴を脱ぎ、備え付けの下駄箱に三足隣り合って入れる。下駄箱の埋まり具合からして、私達と同じ新入生の体験入部者は二十人以上のようであった。先輩は五、六人程度であろうか。運動靴の色ですぐに分かる。汚れのほとんど無い真っ白な運動靴、そんなものを履いているのは新入生だけであった。
下駄箱のすぐ横が体育館の入口である。
「ほら、行こうよ。」緊張して少し尻込みをしている私と優紀に対して、里美が高揚感をにじませた笑顔で促す。
「よし。」里美につられて笑顔になった私は、入口の鉄格子扉に手をかける。
「こんにちはー...。」恐る恐る体育館に足を踏み入れながら挨拶をする。三人分の声量のはずであるが、とてもか細い響きであった。
近くにいた先輩の一人が、シューティング練習の手を止め、私達の方へと歩いてくる。
「こんにちは、体験入部の子かな。」バスケットボールを小脇に抱えながら、優しそうな笑顔で迎えてくれた。
「はい。よろしくお願いします。」里美が元気に答える。
「来てくれてありがとう。着替えはそこの器具庫でしてね。終わったらまたこっちに戻ってきてね。他の体験入部の子達と一緒に15時30から始めるよ。」そう言いながら、先輩は直ぐそばを指さし、器具庫の場所を教えてくれた。
「ありがとうございます。」「ありがとうございます。」「ありがとうございます。」次は三人共、十分過ぎるほどの声量を出し、器具庫に入っていった。
埃っぽい器具庫の中は人と物が詰め込まれていた。まず、跳び箱・マット・支柱・大量のボール、体育の授業で使いそうな凡そ全てのものがあった。
そして、人。床の空きスペースに荷物を置き、空間を奪い合いながらキャピキャピと新入生達が着替えていた。銀城小学校出身の見知った顔が何人かいる。
「あ。里美達だ!」私達に気が付いた銀城小学校出身の知恵が声を出す。
「ほら、だからうちが言った通りでしょ。」同じく銀城小学校出身の帆紀がすまして答える。
「勿論バスケ部でしょ。」里美も胸を張って答える。優紀は里美に全面同意といった表情で笑っている。バスケに対して特に愛着の無い私は、肩身が狭いが、合わせて笑っておく。
さて、私達三人が収まるような場所は、器具庫の最奥しか残されていなかった。
うっすらと塵が積もったゴム材の床の上に、新品の通学カバンと体操服と体育館シューズを置く。汚れることに少し抵抗感を覚えるが仕方が無い。
器具庫に詰まっていた新入生達は、一通り着替えを済ませると、段々と外へ流れていく。私達も急いで体育館シューズの紐を結び、続いて出ていく。
そして、体育館の壁際に並ぶようにして集まっている新入生の群に加わる。皆、緊張をしているのか、声を潜めて会話をしている。
体育館の中心に据えられた時計が15時30になった。
「集合!」いつの間にか新入生の近くにいた先輩が、良く通る低めの声で号令をかける。
シューティング練習をしていた先輩方は手を止め、ボールを抱えて小走りで集まってきた。
「バスケ部へようこそ。」号令をかけた先輩が私達の方を向き、笑顔で語りかける。
そこから先、暫くの間の鮮明な思い出が無い。
新しい環境に適応しようと必死になっていた中学一年生の私には、日々の記憶を保存する程のキャパシティが足りなかったようだ。
当時として私が覚えている事は、バスケ部として過ごしている先輩方が特権階級のように格好良くみえたこと。地味な紺のスクールバックでは無く、色とりどりの無骨なエナメル質のスポーツバッグで登下校する先輩方。綿生地のダサくてピチピチの学校指定の体操服では無く、少しダボッとした速乾性のスポーツタイプのTシャツで構内を歩き回る先輩方。教員達ともタメ口で話し、やんちゃそうな雰囲気を持つ先輩方。そんな特権階級の仲間入りをしたくてバスケ部に入部したこと。そして、技術も体力も周りについて行けず、毎日後悔していたこと。
そんな私の日常の中に、実月はいたはずだった。状況を考えれば、体験入部初日に出会っているはずである。けれども、私の中での実月との出会いは、一年の秋冬頃に行われたバスケ部の新人戦なのであった。