■別れ
三月に入ると、クラス替えの恐怖が襲いかかってきた。二年生の間、毎日何処へ行くにも実月と一緒だった。三年生に進級し、もし実月と異なるクラスとなった時、私達の関係性は維持されるのであろうか。多分、維持されない。実月と一緒のクラスとなった他の誰かが、私の居場所を拐っていく。鹿海中学では「仲の良い生徒達は離れ離れのクラスにされる」という噂があった。もしかしたら、私と実月は意図的に離されるかもしれない。
限りある時間で、少しでも実月との繋がりを深めようと、私はとにかく足掻いた。
部活の対外試合の帰りは、実月を誘い、ショッピングモールのゲームセンターに寄り道をした。そして、プリクラを何枚も撮った。はたまた、ショッピングモールのファンシー雑貨屋でお揃いのキーホルダーを買い、わざわざその場で交換したりもした。友達同士でのショッピングモールの立ち寄りは、両親に禁じられていた。そのため、プリクラの代金を両親から貰うことも出来ず、お年玉をこっそりと切り崩した。
その頃流行っていたメモ帳を使用した手紙の交換も、一通でも多く実月の直筆を集めるために直ぐに返事を書いた。自分の悪筆がコンプレックスの私は、今まで実月から手紙を受け取っても、なかなか返事を出さなかった。実月にせつかれた結果、三通に一通の返事を出せば良い方だった。
「なんか美香、最近めっちゃ手紙書いてくれる。嬉しい。」私が先程の授業中にせっせと書いた手紙を実月に渡すと、実月は待っていましたと言わんばかりの笑顔で受け取った。
「最近新しいメモ帳買ったからさ、書きたい気分なんだよね。」自分の気持ちを正直に打ち明ける気はないので、適当に誤魔化しておく。
「これからも美香が返事を書いてくれますように。」実月がメモ帳を折畳んだ小さな手紙を両手で挟み込み、御祈りのポーズをする。
「もちろんだよ。」大袈裟な実月に、私も嬉しくなる。
実月から貰う手紙が増えていくと共に、春休みまでのカウントダウンは進んでいった。
木曜日の五時間目、学級活動の時間。学級活動と称して、レクリエーションや文化祭の準備など、生徒たちが心待ちにしている、勉学とは無縁な時間。二年生最後の学級活動は、教室の清掃及びワックスがけだった。
「最後になんでもバスケットやりたかったな。」ワックスでずぶ濡れのモップを片手に、実月が溜息をつく。やる気が無いと見えて、実月のモップは動かない。モップから染み出すワックスは、全て真下の床に染み込んでいく。
「この前のなんでもバスケット、めっちゃ面白かったもんね。」真面目な私はワックスがけにも精を出す。周期的にモップを動かし、床の木目を均等に塗りながら相づちを打つ。なんでもバスケットは、パーティーゲームのフルーツバスケットの応用編であり、鹿海中学の学級活動では定番の遊びであった。
「ワックスがけ終わったら時間余らないかな。」諦めきれない実月が言う。
「うーん。ワックス乾くまでしばらく教室使えないし、無理じゃないかな。」
「えー。まじ帰りたい。ワックス臭いし。」
「臭いのは分かるけど、最後だし頑張ろうよ。」
「美香が言うなら、ちょっとだけね。」しぶしぶモップを動かし始める実月。しかし、時既に遅し。実月のモップのワックスは、全て床に吸収され、やたらと濃い模様が完成していた。
「ちょ、美香やばい。これ見て。」実月が少し焦った声を出す。
「何?」自分の作業現場から顔を上げ、実月の方へと目線を向ける。実月が持ち上げたモップの真下は、コーヒーをこぼしたかのようなくっきりとした跡が出来上がっていた。
「え、やば。」実月以上に私が焦る。自分のモップをワックスの染みに重ね、体重をかけて力強く擦る。濃密に床に浸透したワックスを、少しでも広げようと必死に試みた。
「どうしようかなあ。」最初の驚きが過ぎ去ると、実月は至って落ち着いていた。
「乾燥したら目立たなくなるかな。」淡い期待を抱きながら、私は床を擦り続ける。無理そうだった。
「逆に周りも濃くして、目立たなくさせれば解決じゃない?」実月はそう言うが早いか、モップをワックス入りのバケツに突っ込み、ジャブジャブと浸した。そして、ワックスを滴らせながら戻ってきた。
「実月、後ろにワックスの跡が出来てる。」実月の通った後は、ヘンゼルとグレーテルを彷彿とさせるワックスの染みの軌跡が残っていた。
「気にしない、気にしない。それよりこっちでしょ。」実月はたっぷりのワックスで、ひと際濃い床の周りを撫でる。濃い領域が一回り広がった。また撫でる。繰り返していくと、床の濃淡の境界がぼやけ、先ほどよりも目立たなくなった。
「さっきよりも良くなったね。」なんとか隠し通せそうな状況に、私は安堵する。
「良かった。美香、死にそうな顔してたから。」実月が得意げな笑みを浮かべる。
「いや、元はと言えば、実月がやったんでしょ。」平常心に戻った私は、突っ込みを入れる。
「そうだっけ?」実月はとぼけて肩をすくめる。
「もう。じゃあ、ほら、モップ片付けに行くよ。」私は軽く溜息をつき、モップを片付けに手洗い場に向かう。他の生徒達も、退屈なワックスがけをぼちぼち切り上げ始めていた。
「はーい。」元気よく返事をし、実月も私の後を追う。
「あ、ここ忘れてた。」途中、実月のこぼしたワックスの跡を見つけ、気休め程度に伸ばしておく。
「美香は相変わらず真面目だな。」当の本人は我関せずと言わんばかりに、私を見守っていた。
「いやいや、実月がやったやつでしょ。」
「えー。だってそれくらい大丈夫だよ。まあ、美香がどうしてもって言うなら手伝ってあげるよ。」
「なんで上から目線なの。」
「私の方が年上だから?」
「十か月くらいしか違わないよ。」
「ほぼ一年だね。上級生を敬いなさい。」
「ワックスがけも満足に出来ない上級生に対しては、尊敬の欠片も無いね。」
「ほら、そこの二人。早くモップを片付けてこい。授業が終わるぞ。」私達がじゃれあっていると、担任が制止する。
「はーい。」私と実月で息の合った返事をする。二人で顔を見合わせ、クスクスと笑いながら教室を出ていく。
アルバムの一ページ目のクラス写真を撮影したのは、確かこの時であった。ワックスの乾ききっていない教室で、黒板の前にクラス全員が集合し、担任が職員室から持ってきたデジタルカメラで写真を撮った。
そして、翌日、または翌々日くらいに、写真はクラス全員に配られた。その写真に、実月は落書きを入れ、私にくれたのだった。多分、これが実月からの最後の贈り物だったと思われる。
四月、私達は三年生に進級した。始業式のクラス発表では、恐れていた通り、実月と別々のクラスとなった。心のどこかで予想していたことだが、ただただ悲しく、喪失感に押し潰されそうだった。「仲の良い生徒達は離れ離れのクラスにされる」という噂は本当だったのかもしれない。
五月、実月と私は手紙の交換を続けていた。休憩時間になる度、お互いのクラスへ交互に遊びに行き、手紙を交換する。実月の過ごす学校生活の中に、未だ私の存在があることを確認し、胸をなでおろしていた。
六月、高校受験のムードが、学年中を漂い始めた。休憩時間も、学習塾の問題集や参考書を眺める生徒が増えた。私も実月も、あまりお互いのクラスを行き来せず、それぞれのクラスの友達と過ごすことが多くなった。
七月、手紙の交換が途絶えた。部活動も引退した。最後の試合がどんな試合だったかも覚えていない。きっと実月は活躍したし、私はその姿を応援していたのだと思う。
八月、私は学習塾に入った。自分が、運動よりも勉強の方が得意だということに気がついた。そのうち、自分のアイデンティティは勉強が全てだと錯覚するようになった。
九月、十月、十一月、十二月、一月、二月、死に物狂いで勉強した。
三月、志望校に合格した。
気が付くと、私の中から実月の存在が消えていた。
実月がどこの高校に進学したのかは、友達伝てに知った。
高校入学のお祝いとしてついに買ってもらえた携帯電話に、実月のメールアドレスが登録されることは無かった。




